中国で書画の掛け軸を買い求めて帰国し、床の間に掛けてみたが何となくシックリこない・・。
と、表装替えを依頼される方があります。

表装に、中国風・韓国風・日本風と決まってはいないのですが、それぞれ特徴があります。
日本の家屋に掛けるには、日本風に表装されたものがおさまりやすいのでしょうか。
( わたしは、・・・まあ、そうともおもいませんが・・。 )
この度の軸の表装はあまりに白っぽすぎて落ち着かないので、渋めの三段表装に、との事で。
( かと言ってあまり渋くなく、明るさも・・という至難のご依頼。 )
印象が変わりました。
中国で表装されたものは、きつい糊が使用されてある事が多く、剥がすのが大変です。
日本で表装された軸は、裏から霧を吹いて時間をかければ ス~と剥がれる事がほとんどです。
( 最近の機械表装のものはダメですが。 )
何百年先に次の表具師が修復する事を想定して、そしてその時本紙の書画を痛めず剥がしやすい様に薄い糊を使って仕上げてあります。 薄い糊を使うという事は、何百回も巻き下しをするうちに剥がれて痛みやすくなるという事です。 その為、薄い糊でも結着力あるように様々な知恵が結集されてあります。
ホントにスゴイ事です。 先々を思って仕事されてあります。 その為には時間も労力もしっかりかけてあります。
『 今さえ良ければ。 』 『 早く安く。 』 と、きつい糊を使うことは、書画の寿命を考えていないとしか・・・。 あれ? 悪口?
紙も、日本の和紙がいいです。 楮・三椏の繊維毛足が長く、強いです。 毛足のほとんどないパサパサの紙が張り付けられている日には・・あれ? 悪口? いえ、作業するものの正直な感想です。 難儀しながらモクモクと剥がすうちに、人生と重ねてまで考えてしまいます。
墨ひとつで、鏡の如き湖面が。
大丈夫です! 何百年先の表具師が喜んで蘇らせるように、師匠に教えられた全ての仕事は致しました。
『 ゲベッケンの たまごサンドです。 』
伏見・西浦町( 龍谷大学の近く )にお参り。 お勤め終わり、お茶を頂きながら奥さんと色んなお話を。 天候の事から環境に対する人間の所業、慢性飢餓であった時代の人類の話から「あたりまえ」と「わがまま」の違いへと・・・。 ここまでは、いたってお坊さんらしい、いつものお参り風景。
さて、そろそろお暇しようと。 いつもお茶の横に珍しいお菓子を包んで下さっているのですが( 栗山坊主、その場で甘いモノを食べる事はマヅ無いのをよくご存じなので、すでに持ち帰る様に包まれています。 スミマセン。 )、今日は何やら少々大きな袋が。
『 いつもありがとうございます・・・何でしょう? これ。 』
と、不作法にも袋を開けて覗いていると。 『 たまごサンドです。 』
『 ご覧になりました? この間 ≪県民ショ―≫ で紹介されたんですよ、ウチから100メートルのところにあるパン屋さん。 』
『 あ~、ありますねえ。 へ~、出たんですか。 』
『 「京都でこれを知らない人はなく、みんな食べている」 って。 』
ふたりで顔を見合わせて・・
『 そんなことないやろ~! 』 ( 合唱 )
『 京都の、しかも伏見に長く居て 食べた事ないですよお。 』 (わたし)
『 ですよねえ。 わたしも食べた事無かったんで、急いで買って食べました。
京都人ですから。 栗山さんもきっと、食べておられないと思って今日はこれを。
だしまき卵が挟んであって、美味しかったですよ。』
何かを訴える奥さんの目を見ながら ・・・しばしの沈黙。
『 いや、美味しかったって言われても、ふつうの <たまごサンド> でしょ?
美味しいってそんな。 ( モグモグ )
・・・・あ、ホンマや! 』 (笑)
坊主、帰り際に オチ をつけるクセがついてきました。
長野県・諏訪湖畔。
湖面が鏡のように美しい朝。
姉の長女の結婚式です。 諏訪大社下社秋宮。
仏式での参列は何度もありますが、神式に参列は、初めての経験です。 その事も実に興味深く、楽しみにこの日を待っていました。 厳かな式でした。
式後、人力車に乗り込む主役のお二人。 ( いい表情ですね。 )
姉の手をひく弟二人。 ( ホントに仲のいい三人。 おおきくなったなあ・・・あんなに小さくて裸足で走りまわっていたのに・・。 )
新郎に娘を託す父。 ( 義兄さん・・・。 )
新婦の母・我が姉を含めて、母・弟・家内・息子・娘夫婦・・一同に集まれた事に。 集まるご縁を頂けた事にも深く感謝を。
『 玲子、おめでとう!
今まで とっても仲良くしてくれてありがとう。
そしてもちろん、これからもヨロシク! 』
