大晦日。
大晦日。
年末、ご門徒さまにお出しした挨拶状を ここ 「あれこれ」 にても。
『 〇 師走の候。皆さまにおかれましては、ご清祥にてご法義相続の事とお慶び申し上げます。
平素頂いております西蓮寺へのご厚情、厚く御礼申し上げます。
〇 来年度の「お念仏カレンダー」と、「西蓮寺法座ご案内」を送らせて頂きます。
うかうかしていたら『 石が坂を転がる如く 』加速度をつけて過ぎ去ってしまう毎日。暦を見つめつつ丁寧な一日を 迎えながら 人の為でなく「私の大事な歩みの為」にと 仏法聴聞にこの山寺の本堂に足をお運び頂きます事が、 大きな喜びでございます。
〇 今年もあちこちでよく耳にした言葉、『 もう、役に立たん様になった・・。』 『 昔は、少しはひとの役にも立った し子供も育てあげたが、今はもう・・。 』
体力・気力・記憶力・・確かに一番いい時のままに、とはいかないのがこの世の常ではあります。
逃れ難い現実ではありますが、歳をとるのは《 悪いこと 》でも《 つまらんこと 》でもありません。
ましてや、どんな状態であっても《役に立たない》などとは 決して言わせない!・・と仏法の叫び声。
〇 夏法座ご案内状に《 夏炉冬扇 》という言葉を紹介しました。 夏の囲炉裏・冬の扇、辞書を引けば「 季節はずれ・役立たず 」の意味と。しかし、仏法に照らせば「 今はそう見えなくても、やがては役に立つ 」事をあらわす言葉である と。 同じ言葉にふれても受け止める世界はひとつではありません。
〇 この言葉からさらに申せば。 冬の扇は役に立たないように見えて、実は大事な仕事をしているのです。何も ないところから急にモノは生まれません。夏に手にしてもらえる様に、冬の扇は
「そこにいる」という大きな仕事をしているのです。何もしていなくても、黙ってそこに「 いる 」という事がすでに大きな 仕事であります。居てもらわないと困るのです。
〇 さらに申せば。 扇はやがてボロボロになり囲炉裏で焼かれる日がくるでしょう。 誰かに暖かさを与え、灰になるでしょう。 それでも終わった訳ではありません。 灰になって、炭の寝床になりました。 やがて、囲炉裏から出されて畑に撒かれるでしょう。 それでも終わった訳ではありません。土となって草花のいのちを育みます。 大地となって人が歩む「 ささえ 」となります。 いのちを育み、ささえとなりました。もとは扇と誰も知らなくても、大きな大仕事をしつづけていきます。
〇 キリスト教徒でありシスターである渡辺和子さんの言葉です。
『 本来なら昭和2年に生まれた私にとって、今日は最も歳をとった日です。でもこれから先の人生を考えれば、今日 より若い日はないのではないでしょうか。 』
確かにその通りです。 そして、『 毎日を 一番若い日 として生きましょう! 』と。
〇 《 「往生」とは、終わりのないいのち を生きる事 》
若い人がお寺に来ない、とのご心配のお言葉を聞きますが、なんと、おいで下さった皆さんが「若い人」でした。 一番若い皆さまと出遇わせて頂きます事を楽しみにいたしております。
金台山 西蓮寺 拝 』
どうか みなさまにとって 輝きある新しい年を 迎えられます事を! 栗山 知浩 拝
努力は、陰ながら見てはいましたが。
昨日25日、京都駅南の< アバンテイ― >9F 響都ホール。
《 2013年度・京都スポーツ大賞授賞式 》
息子・廣大が受賞するとの事で、同行・出席してきました。
彼は今年、テコンドーの国際大会と西日本大会にて優勝とガンバっていました。
そのどの試合にも応援・観戦に行けなかった( なぜか 島根での法務と重なってばかりで ) ので、せめて 晴れの日は、と。
陸上・剣道・柔道・・・さまざまな受賞アスリートは70名 以上、かの有名な 100Mの洛南高校・桐生君の姿も。
記念ですので、市長とも一枚。 でもって、記念ですので父とも一枚。 この後、龍大新聞部の3人の女性からインタビューを受けていました。 この時が一番嬉しそうだったのは、わたしの息子だからでしょう。 3月に大きな大会があるとか。
多くのひとの< ささえ >と< つながり >があってスポーツが出来ている事を噛みしめて 力を出しきって欲しいものです。 おめでとう! ( 青 が 彼 )
鎌手。この海を見ながらの生涯。
17日に京都に走ったものの、島根のご門徒さまがお亡くなりになったの訃報で急遽 20日の夜明け島根に。
享 年94歳のお同行さま。 36歳でご主人に先立たれ、50数年間 子供さん・お孫さん・ひ孫さんの成長を楽しみに働き続けられ、わたしの祖父の頃からの深いご縁のおばあさん。 ・・テルヨさん。
父の代も わたしの代も、西蓮寺・年7回のお座に階勤賞のごとく ご一緒させて頂いたおばさん。
聴聞頂きながらの 本堂での優しい笑顔、厳しいお顔、・・・。
お家で報恩講後に二人で頂いた手作りのお斎。 味付けのひとつひとつをお話いただきながら・・。
今日の葬儀の控え部屋は おばさんの部屋、 最期も迎えられた部屋。
壁を見渡すと、出会われた色々な言葉をご自分で書き連ねた一枚一枚・・・・。
わたしが法座にお配りした スジャータ の画も、ラッピングして・・・・・・・・・・・・。
身体は小さいけれど、わたしにとっては 大きな大きな お方がお亡くなりになりました。
浄土に往生する・・・とは言いながら、 言いながら、 さびしい限りです。
牛の糞。
さすがに寒い西蓮寺。
京都ではひと冬の間、ストーブ無しエアコン点けず、暖房といえばホットカーペットの上にヒーターを外した炬燵のみ。
『 この家では、外から帰ったら家用のジャンパーに着替えるんですねえ。 』 と友人が笑うので、はじめてこの家は寒いんだと気付く様な生活。 それもこれも西蓮寺という、雪の降る外と同じ位寒い山寺で育ったせい( お蔭? )と思っておりますが、いやいやどうして さすがに寒い西蓮寺。
消し炭を入れる掘り炬燵のみの山寺。 客人があればさすがにチョッと ストーブを点けてサービス?。 炬燵のないところで来年度カレンダー・法座案内配布等の事務仕事をしつつ、気付けば手の甲が紫色。 こすりこすり。 あるなら点ければいいのに・・・貧乏性か・・。 アホですねえ。
午前中には牧場に行って来ました。 車で10分位走ったところにある《 松永牧場 》。 大規模に和牛を飼育されています。 畑に撒く「堆肥」が欲しいと老母がいうので、いつも何かとお世話になっている三浦さんが軽トラを用意して下さったものに同行。 市販のものより随分安価だと紹介くださいました。
ふたりで20袋をトラックに積み、お寺に持ち帰り ヨイショと下ろし、6袋は裏山の畑までウントコサ・ドッコイショと運び・・・・。 普段 力仕事も運動もしていないわたし。
『 ご院家さん、足がフラフラで。 』 (笑)
『 そりゃ、普段 数珠より重いもの持ったこたあ無いけえなあ。 』 (笑)
と、 畑ですれ違いながら。
まあ、あの時間は 寒くなかったですが。
明日 また 寒いここから、寒い京都へ 走ります。
ありがとう! 三浦さん。
これも《 仏縁 》か?
先日、日本画家の井上氏が自宅に仕事依頼に来てくれた時、お土産にと 《 チベット仏画 》 を。
日本の掛け軸の源流 を深く感じさせる 《 チベット・タンカ 》。 そこに描かれてあるのは実に細密な線。
これは、最近の方が描かれたものですが、ジックリ見ると描かれてあるものの ひとつひとつ が面白いです。
どれも伝統に沿って あるのでしょうが、手にお持ちの器の中は < 海 > でしょうか? 海を大事に手にしておられるとしたら、『 その こころは? 』と お聞きしたくなります。 ( 水ですよ・・と言われそうですが。 ) 翌日は、実に久々に
KIM・MIN氏 ( 私が島根・京都を往復するように、彼は日本・韓国を忙しく往復の日々 ) と会う予定。 いつかこの二人を会わせたい、きっと面白い話が聞けるであろうと思っていたので、井上氏も誘ってみました。
案の定。 面白い! 話は尽きぬ様子。 私は黙って耳を傾けます。 たまにチャチャを入れながら。
『 ・・・次は、あの人とあの人を会わせてみよう・・・・きっと 面白い・・。 』 などと考えながら 夜は更けていきます。
秋、京都。
11月30日。 土曜日ですので秋観光の京都はひとで溢れております。
観光では無いにしろ大谷本廟も駐車場にすら中々入れません。 ご納骨のお伴をして参りました。
出会った事もない遠近各地から来られた方々、共通しているのは 同じお念仏を申し歩んでいる という事。 名字が違おうが・老少が違おうが・賢愚が違おうが・男女が違おうが・富貧が違おうが・善悪が違おうが ひとつ所で共に納められる お堂。 係りの僧侶がお堂の奥にご遺骨を運ぶ姿を見守る方々。 『 滞りなくご納骨、ひとつの安堵ですね。 』 『 ええ。 おおきな大安心です。 』 と。
夕方は、高校・美術部 の同窓生が京都に集まるというので待ち合わせの 四条・南座前へ。
こちらはまた大変な人出。 みなさん写真を撮っておられるので、ついついわたしも。 携帯で写真を撮る事に慣れていないので ピンボケ ですね。
少ししか距離は離れていないのに、華やかな世界と 落ち着きの世界。 見上げて しばし 黙考。
坊主 マリリン・モンロー。
25日から西蓮寺。
数件のお参りと、3ヶ月ばかりここで作業している大阪の寺院の襖 の修復の仕上げ。
12月初めに納める約束ですので、この度に仕上げて持ちださないといけません。 湿度の多いこの場所で十分時間をかけて作業しましたので仕上がりは大丈夫。 途中、ハプニングがあったのですが、それを何とかするのがプロっちゅうもんです! ( 誰にいっているんだか )
それにしても 今日の山寺の朝は寒し。 そして、夕方の ( 今も ) 風の強い事。
夕方、海辺のお家にお参りしましたが 帰る時には台風並みの風に襲われ、坊主 アラレモナク、セミヌード状態で車に転がりこみました。 見て見ないふりをする通りがかりの人々のアタタカサ を感じます。
明日、大谷派寺院・三隅・正楽寺 の報恩講のご縁を頂いた後 そのまま京都に走りますが、天候の急変 中国山地の雪が心配です。
神戸、報恩講。
神戸・光源寺さま、報恩講法要のご縁。
本堂・庫裏改修完了報告慶讃のお勤めの日でもあります。
みなさま、明るく晴れやかな表情でお待ち受けの中 門・玄関をくぐらせて頂きました。
20数年前、伝道院で共に学んだ宮里先輩がご住職を勤められるお寺。
今日の日を迎えられるまで、坊守さまと共に さぞかしご心労の日々であった事とお察しいたします。
若さんがおられる事がおおきな力添えとなっておられたことでもありましょう。
ご門徒のみなさまのあたたかいご接待と熱心なご聴聞を身に感じながら、大事な一日を頂きました。
法要が終わり、ご住職・坊守さま・若さんと懇親の食事を。
楽しく・美味しく、すっかりご馳走になってしまいました。 重ねて重ねて、ありがとうございました!
今日しかない!
一週間ばかり京都に居りましたが、表装・お参り・布教にむけてお勉強と アッという間に今日になってしまいました。
明日は島根に向い、明後日のお参りが済むと そのまま京都へ走り、翌日は神戸で布教。 その翌日にはまた島根に走り 、28日の布教を終えたらその夜には 京都に走る予定・・・・・・。
荷物を運んでほしい方の お役に立てそうな日々・・。
そんなこんなで、京都会場には一度も行けなかった 《 日本画の試み展 》 の 大阪会場に行って来ました。
行けるのは 今日しかありません。 『 今日でしょう! 』 ( もうふるい )
作品の多くは自宅作業にて見させて頂いておりましたが、果たして <掛り具合> が どうか?が気がかりだったところ・・・うん、OKでしょう。 一安心。
大阪会場の楽しみは、会館陳列はもちろんですが お寺の玄関から座敷・床の間を使った展示です。
そして、メンバーの友人 植物事務所コカジの < コカジ> さんの華。 画中の花に合わせて色選びされましたね?コカジさん。
これなんか和紙を染めて岩を表現してあります。 ほ~。 軸作品のほかにも、扇・貝合わせ・小皿・二曲屏風・絵本・・と。
うん、行って良かった。 楽しい時間でした。
会場協力の < 壽光寺 >さまにも 深く感謝を。
秋色しきりの頃、如何お過ごしで・・・。
赤鬼が出た。
11月8日、益田・浄本寺さま 報恩講のご縁。
あまり多くを語られないご住職が往生されて、一か月。 四十九日にもならない内ですが、例年の日にち通りにお勤めでした。 沢山の方のご参詣・熱心なご聴聞。 わたしもそうですが、言葉でなく お姿に深く教えられた方々であろうと感じつつ、お話をご一緒させて頂きました。 いいご縁の一日であったなあ・・と思いつつお寺に帰ってきました。
帰って玄関をあけると、どこから入ったのか 《 野良猫 》 が 座敷から飛び出てきました。
この猫 「 前科 」 が随分ありまして、忍び込んで魚どころかパンまで食べる。 しかも 綺麗に食べるでもなくあっちこっちに口をつけ食い散らかす。 本堂の正面、なんと座敷の座布団の上にも 「 ウンチ 」をする。 泥だらけにして礼も言わずに出て行く・・・。 その姿が突然目の前に ニヤリと笑って?現れた。 わたしはどうしたか。
一番ちかくにあったスリッパを握って 『 うおら~! 』 と叫びながら全力投球!
それまでシズシズ と歩いていたのが、衣・着物を振り乱してスリッパ片手に猫めがけて全力疾走!
『 ダ~! 』 だか 『 ヌオラ~!』 だか憶えていませんが 大声でさけびながら 次の一投!・・・
つい30分前まで 『 庭を掘り返すイノシシも草花も同じいのちでありまして・・ 』 などといかにも優しい顔で喋っていたお坊さんが、です。 ・・・・・なんのことやら・・。
さるべき業縁もよおさばいかなるふるまいおもすべし・・・・
まったく、お恥ずかしい 限り。 縁にふれていないものが怒っていなくてエラそうに喋っていただけです。
もう、十分 反省したとお思いでしょうか?
さっき、また 走ってきました。 追いかけてしまいました。 やれやれ・・おはずかしい。 これも 言うだけ。
秋晴れ、広域農道 ドライブして。
11月3日の朝からお昼までは、三隅・常福寺さま。 その夜から4日のお昼までは益田・明顕寺さまの報恩講にお参りし内陣出勤。
今日、5日は弥栄・勝龍寺さまの報恩講へ布教のご縁を頂き参上。
それぞれのお寺に手間暇惜しまぬ精進のお料理に 『 うちは これ!』 という特徴があり、『 これは 何ですか?美味しいですねえ。 』 と。 これも報恩講の楽しみの 大きなひとつ。
今日もその写真でも撮りたいところでしたが、我が寺ではないので ハシタナイ事と我慢しておきました。
みなさまに ウラヤミとシットの煩悩を燃え上がらせてはいけませんし。 ・・ね。
初めて寄せて頂いたお寺でしたが、本堂ご聴聞の空気がとても和やかなのは ご住職とお母上坊守さま、周布・専称寺坊守さま、大派 ・浄本寺ご住職が 最初から最後までにこやかに座りつづける事で、みなさんを 引っぱって頂いていたからに違いないと思いながらお寺をあとに致しました。
ご勝縁、誠に 有難うございました。 美味しそうな地元のお土産も!
勤修。
29日、当山報恩講勤修。
快晴、朝は本堂にストーブをつけましたが、日中は次第に暖かくなってくれました。
早朝より総代さん、お手伝いのご婦人方でいつになく賑やかな境内。
お勤め始まりの9時 30分前には、本堂内もにこやかな挨拶の言葉が溢れます。
遠近からの・・というか遠遠からのご参詣、誠に有難うございました。
ご講師の石橋泰範先生、『 80歳をこえたので 今年を最期のご縁に 』 とのお申し出があった時
『 さびしいですが・・承知いたしました。 ・・・・では、先生のお話の中の 《 一番いい 》 のをひとつお願いします。 』 と笑いながらに言うと、 『 ああ、わかった わかった。 』 と笑っておられました。
ご法話に< いい > も < わるい > も、一番も二番もないのは互いによくよく存じての上に交わす言葉。
さて一日で40分のお話を4回。
本願十八願文の単語文言を黒板に書きながら、終始そのことのみ。
『 最近のお話は笑いを交えてわかりやすいのが多いそうですなあ。
あんたの話は難しいから、もう少し聞き易い話をしてくれ・・・言われるんじゃが。
わたしには、出来んのですよ。 すんませんのお。 』
有難うございました。 《 一番いい 》 の、確かに頂戴いたしました。
HOUON KOU。
23日・周布 専称寺さま、25日・矢原 安楽寺さま 報恩講にお参り。今年も島根に報恩講シーズン到来です。
29日は当山・西蓮寺 報恩講。 ご講師は、浜田・旭町・光西寺 石橋泰範師。
ながらく2年に一度お願いしておりましたが、『 年とって来たので今年で最期にしてくれ 』 と何度も念をおされたので、お迎えするのは今年が最後の先生です。 ( そう言われてから2年は引っぱりましたが・・すみません。 )
今日は朝から準備・掃除・掃除・掃除・準備・・・・。
この山寺は圏外なので、携帯もつ事なく 落ち着いて?掃除に専念 。
古来、法座の度に 《 フレ書き 》 を 4km圏内に10枚ばかり貼らせて頂いていますが、最近は 公の掲示板には貼ってはいけないとの < お達し > があり、貼れなくなった場所もあります。
永く、永く各寺院の法座案内が貼られてある事がごくあたり前の様にあった事は、希有な事だったのでしょうか。
みなさんの生活の中にしみ込んでいた事が、そうではいけなくなってしまいました。
ひょっとしたら、あの お寺の法座の案内状が 公の場所に貼られている事を 苦々しく思って見ておられる方もあったのかも知れない・・・と 少々の反省もしながらも・・・・しながらも・・・。
路傍の古びた掲示板。
良い味でてますでしょう? < 書 > には目をつぶって頂いたとして。 雨風うけて、いい味でてます。
第10回 現代日本画の試み展。
DM到着。
京都会場 : アートスペース 《 MEISEI 》 11月5日~10日
11:00~18:00 ( 丸太町通り寺町通り下がる )
大阪会場 : 《 壽光寺 》 11月16日~24日
12:00~18:00 ( 地下鉄四つ橋線・玉出駅 下車 )
メンバーの画家の方々の作品を掛け軸に表装する事に携わらせて頂いて3回目 ( 3年目 ) 。
今までもそうでしたが、今回は特に画家自身が裂地選び・寸法割り振りに時間をかけられた様に思いま す。 あきらかに、その作業に慣れてこられた上での たっぷりとかけられた思索の時間です。
是非。 ご高覧頂きたく存じ上げます。
わたしは、いよいよ報恩講シーズン到来にて 明日から島根・西蓮寺へ。
京都会場へは出向けないのが非常に残念です。 さて、明日は走りますよ!
自虐カレンダー。
先日 帰山した折に入手したカレンダーを車の中にずっと忘れていたものを やっと持ち帰り開封。
島根県と人気アニメ 『 鷹の爪団 』 コラボ の 《 島根県・自虐カレンダー 》!
2年前から欲しかったものをやっと入手。 島根のカレンダーなのに地元では売っていなかったんです。
友人の《 浜田ゆうひパーク 》 店長?に入荷してもらい、数部購入。
毎月のコピーが実に面白いんですよ。 2014年のはあまり言ってはいけないと思いますが、昨年までのものを少し紹介すると・・・・。
『 日本で47番目に有名な県。 』
『 Uターンして来るのは 神様ばかり。 』
『 いいえ、砂丘はありません。 』
『 広島が近くて便利。 』 『 ひとが集まるのがシネマ、ひとが集まらないのがシマネです。 』 『 教習所のほうが 交通量が多いです。 』 ・・・・・・・・等々。 どのコピーの後にも 《 負けるな島根 》 と添えてあります。
知名度の少ないことを逆手にとって、笑い飛ばしながら、清々しささえ感じます。 島根を愛するものにとっては。
昨年は一万部も売れたので、今年は2万5千 部から3万部の発売とか。 島根でないひとが飾ってくれて、島根をアピールしてくれているんです。 わたしが買わないわけにはいかないでしょう!
『 島根は、日本の領土です! 』 なんて、笑いながら涙ぐんで しばらく考えこみました。
負けるな、島根! ( 勝たなくてもいいですよ。 )
客人はご注意を。
京都にては8階に住まいしていますが、ここのところ大変です。
築 30年を超える建物なので、そろそろエレベーターの修理部品も無くなるとの連絡もあり、最近の耐震基準のものに交換しないといけないとの勧告もあり、管理組合で話し合って いよいよ交換を。
なにが大変といっても1000万近い費用がいる事、そして 10日間24時間使えない事。
一基 しかないので、住民はみな階段を歩くしかありません。
わたくし、昨日は5往復しました。 まとめて用事を済ます事が出来ない予定なので仕方なく 『 えっちら おっちら 』 登ったり降りたり・・。 2階のあるお家の場合35往復した事になります、一日で。 ふ~・・。
今日 は4往復。 しかし、わたしなどよりお歳を召した方や足の不自由な方のほうが・・・。
自治会で話し合って、ゴミ出しのお手伝いや せめて重い荷物 はみんなで助け合おう ・ 階段の途中に椅子を置いて休んでもらえる様にしよう・・と一丸になって乗り越えつつあります。
( 若者を雇って 《 ファラオの輿 》 のように人を運ぼう、という案もでていましたが 非常に怖くて2回目の利用者はいないという事で却下されました。 ・・・・そうでしょう、そうでしょう。 )
普段の運動不足を思い知りつつ、あと7日 がんばります!
背中には五輪のマークが。
話は尽きない。
7・8日と島根、8日夕方から広島、9日夕方 京都に。
かねてからの約束があり、伏見で若き青年僧侶 ( 30歳 ) と会食 。
私が永らく 伏見にて法務員としてお参りさせて頂いたお寺から身を引く時、後任者として紹介した彼が辞める事に。
彼の9年間・・・。 長い間のお勤めでした。
二人で慰労会。 いや、私にしてみては よく勤めあげてくれましたねえ の、感謝と新しい道へのお祝いの会。
『 栗山さん、僕に勤まるんでしょうか・・・。 』
入って一年も経たない頃 言っていた彼。 お寺さんもご門徒さんもいい方ばかりとはいえ、色々あるのがこの世のならい。 そうでしょう、そうでしょう。 ( あの頃 21歳でしたか )
『 身を引く今となっては、過ごした一日一日が愛おしくて仕方ありません。 』 ・・・・そうでしょう、そうでしょう。
『 お寺だけでやっていくには難しいのは分かっていますが、自坊に帰る事に決めました。 』 九州・大分のお寺の後継者として帰っていく事を決めた彼。 ・・・・そうですか、決めましたか。
『 ひとつ。思い残しが。 栗山さんの法話のテープを取っておけば良かったのになあ と思います。 』
・・・あれまあ。 うれしい事を言ってくれますねえ。 では。
気がつけば 5時間 が経っていました。 二人で仏法の夜。 呑みながら。
これからはまた、私が色々教えてもらう事と思います。
よろしくお願いいたします。 ご苦労さまでした、誓願くん。
『 栗ちゃん 』。
10月5日6日、滋賀県・正福寺さま 報恩講のご縁。
昨年に続いて頂いたご縁であります。 沢山の方々と法縁の二日間を過ごさせて頂きました。
ご住職・坊守さまはじめ、若さん・娘さま方ご夫婦みなさま 実にあたたかく。
晩御飯もお昼食もご家族のリビングでご一緒にワイワイと。
夜座が終わってからは、またまた座敷でおそくまで・・・・宝の水を。
『 ねえねえ、お名前 なんていうの? 』
『 おっちゃんか? そうだなあ、 《 栗ちゃん 》 かな。 』
『 え~、栗ちゃん!? 』 『 栗ちゃん! 』 『 栗ちゃん! 何してあそぶ? 』 『 く~り~ちゃん! 』
控えの部屋にやってきてくれた4人の女の子たちの大合唱。
それからというもの、 お手製くじ引きの入ったバケツを持ってきたり、 スポンジの積み木でつくった不思議なものを持ってきたり、うしろからこの坊主頭を散髪してくれたり ( そう言ってましたから ) ・・・帰るまでホントに楽しませてくれました。
それでもたまに、神妙な顔をして ソロリソロリと お茶を 運んでくれたり。
みんな、本堂にお参りして座っていたり。
そして、帰る時は一族総出でお見送り。 もちろん あいさつの言葉は、
『 栗ちゃん、バイバーイ! 』
みなさま、方々、ありがとうございました。
『 キャメロン 』。
早朝、バイクに乗り袂をはためかせて 宇治市・伊勢田までお参りに。
車の少ない道を選び、伏見・向島の田んぼの中を突っ切って走る。 風、実に心地よし。
『 ん? あれは・・。 』
まだ刈り取られぬ黄金 の田んぼに並ぶのは・・・・・・。近づくと やはり 《 案山子 》。
ズラリと並んだ 《 案山子 》 たち。
『 なぜ、ここまで並べてあるんだろう・・。 』
バイクを止めて近づくと、それぞれに違う表情のお歴々。 しかし、お世辞にも・・・・。
『 小学校のイベントか何かで作ったんだろうか、 いや。 子供たちならもっと面白く作るはず・・。 』 ( 失礼 )
『 キャメロン? 』 ・・・ 『 キャメロン?
』 ・・・・・・ 『 まさか、デイアス? 』 いや なぜ、これにその名札を?
京都の田んぼ、奥深し。
30数年前に。
先日、彼岸会法座で帰山した折 実に久しぶりにJR山陰線に乗る機会がありました。 高校3年間、毎朝駆け込んだ 《 岡見駅 》 からではありませんが、隣の 《 三保三隅駅 》 から 《 浜田駅 》まで。 なつかしくてなつかしくて、誰もいない風景の中に あの頃の友人たちがふざけ合って大笑いしている姿が見えます。 この錆びた看板も実にいいですねえ。
夕方5時半すぎ。
《 折居駅 》辺りから見える海に ちょうど夕陽が。
《 周布駅 》。 あの頃は何にも思わなかった駅。 今はついついカメラにおさめてしまいます。 草ぼうぼうのところが なんともいいですねえ。
到着した《 浜田駅 》は人は少ないのに (失敬) あまりに立派になっていて・・・。
驚きつつ、感心しつつ・・やっぱりあの頃の方がよかった・・と。
勝手な事を申しあげました。
『 強縁 』。
9月23日、彼岸のお中日。 彼岸会法座をみなさんとお勤めさせて頂きました。
『 少々体調が悪くて、この度はお参りできません。 』
『 参るつもりにしておりましたが、どうしても用事ができて・・・。 』 前日までに何本かのご丁寧なお電話を頂いておりましたので、あぁ この度はお参りは少ないだろうか・・・と思って朝を迎えました。
ところがところが、遠近よりの沢山のお参り。 少々の驚きと深い感謝。 この山寺まで引っぱって来てきてくださるのは、仏如来の強縁の力でしょう。 強縁。
『 お参りは多い少ないが問題じゃない。 お勤めはわし自身のお勤めじゃ。 』 と言っていた祖父。 そうですよねえ。 そして 『 とは言うても、お参りが多かったら やっぱり うれしいもんじゃのぉ。 』 と言っていた祖父。 そうですよねえ。
狭き< 工房 >にて。
昨日今日といつにないお客人の数々。
今年も 《 日本画の試み展 》 出品作品の表装に携わらせて頂く事となり、2日間に分けて8~9人の画家が作品持参で来られ、裂地選び・寸法決め。
思っておられるイメージをお聞きして反物を広げて見て、そのうち こんなのはどうですかと全く違う印象のものを広げて見て、悩みに悩まれて・・・。
ひとつの裂地が決まるとそれに合わせる裂地を探し、それも決まると横寸・縦寸を考え ( 少し変えるだけで随分変わります ) それも決まると次は軸先をどうするかと・・・。 早く決まる方で2時間半、悩まれる方で4時間。
どれひとつ同じ裂地のなく、さまざまな切り継ぎデザインのものになりました。
後は お預かりした私が しっかり 仕事するばかりです。
『 ゴロゴロゴロ 』。
何年ぶりでしょうか。 以前、表装を習いに通っていた< 迎田くん >が訪ねて来てくれました。
当時は京都芸大・日本画・模写の学生。 今は学校の美術の先生。
光陰 矢の如し
当時、繊細緻密な作品は何点も目にしていましたが、この度は 模写ではない絹本作品を見せてくれました。
9月13日から 三重県伊賀市で開かれる芸術祭に出品したいので掛け軸に仕立てて下さいと。 この催し< 自治協議会 > や< 元気な地域づくり推進委員会 >、< 教育委員会 >等で企画運営され『 旧矢持小学校 』を会場に・・・・とあります。
廃校になった小学校をながめて暮らすひとびとにアートの風を ! でしょうか。
だんだんひとが少なくなり、同じような毎日に元気が感じられにくい との声は至る所で お聞きします。
ドド~ん !
彼の画、『 風神雷神図 』 。 一幅に赤い雷神、もう一幅には青い風神。
見る人のこころが 揺り動かされ、脳内大活性化されたらいいですね !
追記 ・ わが島根・浜田市三隅町の 《 石正美術館 》 にても。 全国19芸術大学学生の160数点の日本画作品を集め
『 碧い石見の芸術祭 』 開催中。 9月16日まで
IN 『 薬師堂 』。
昨日は午後、広島に走り一泊。 今朝走り出て、午後は益田市仙道にて < 明顕寺仏婦・巡回法座 > のご縁。
このところ毎年ご縁 を頂いていますので、随分お顔なじみとなりました。
会場の< お堂 > は薬師如来が安置されていて、地域のみなさんが昔からお世話されているとか。
1311年 ( 鎌倉時代 ) 作の立派なお木像です。
明顕寺さま、みなさまと ( 十二礼 ) のお勤めをしてから、仏法のお話・南無阿弥陀仏のお話を。 薬師さまの前でも阿弥陀さまのお話を。 布袋さまのお話まで出てきましたが、それをご縁に 阿弥陀さまのお話を。 後ろで ジッと耳を傾けておられる 薬師さま。
雨の降りしきる < 薬師堂 > の中に 穏やかな時が流れます。
『 作法 』。
『 精舎 』。
9月4日、三隅・深山 《 浄蓮寺 》さまへ永代経法要のご縁で。
いつ訪れても美しく整えられたお寺。
控えの部屋からは山に向かっての庭と手入れされた蓮の池 。
雨の中、池に流れ込む滝の音が聞こえます。
いつも親しくして下さっているご住職・坊守さま・若さん< 寛ちゃん > ・若奥様。 あたたかく迎えて頂きました。
『 気持ちのいいお寺さんですよねえ。 』
『 ええ。 み~んな、お寺が好きなんですよ。
うちの子供なんかも帰ってきたら お参りに寄って・・・。
後で縁側で池を見ながら タバコを一服するのがいいんだ、なんて。
・・・みなさん、よくして下さいますから 来やすいんですよ。 』
お茶の接待頂いたご門徒の奥様の言葉が残りました。
ご法縁、有難うございました。
『 今でしょう! 』。
あるお方に連れて行ってくれと頼まれて、京都御所の近くの 《 本田味噌店 》 へ。
赤味噌・白味噌に、ショウガ味噌・鯛味噌・・・実に色々なお味噌が並ぶ老舗のお味噌屋さん。 お連れした方のお目当ては 『 ひと椀味噌汁 』 。
そう言えば、ずっと以前わたしもこれを頂いた事があります。 ここに売っていたんですねえ。
( もなか ) の皮を割ってお湯を注ぐと、美味しい お味噌汁に。 この( もなか )皮が又、美味しい具になります。 せっかくのご縁ですから、わたしも幾つか求めて帰りました。 そうですねえ・・・赤味噌仕立ての < なめこ >の味噌汁が お勧めです。 とっても美味しく頂きました。
少々贅沢なお値段 ( わたしにとっては )、ここぞ ! という時に頂きましょう。 ・・・いつですか?
後ろに< お城 >まで・・。
『 てこずる・あがく・難儀する 』。
昨日今日の2日間、《 三隅組講習会 》に参加させて頂きました。
ご講師に広島の 岡本法治師 をお招きし、『 真宗の救い ・ 往還回向 』 と題してご講義頂きました。
四十八願 中、第二十二願について 天親菩薩・曇鸞大師・親鸞聖人があきらかにされた( みちのり )を 丁寧にご講義下さいました。 なるほど、そういう事であったか・・・・。 と、今は・・。
この先も、頭の中に残っているお言葉と頂いた沢山の資料と書き留めたノートをもとに、ゆっくりこころを巡らせてみなければいけません。 有難うございました。
会場を引き受けて下さった < 西方寺 > さま。
4回 の食事、宿泊のお世話に( 何日も前からの準備、清掃等も もちろん ) 住職・坊守さま・若さん・ご門徒の皆さまのあたたかさを タップリ頂戴いたしました。
本当に ありがとうございました。 毎年、夏に開かれるこの行事。
はっきりと記録に残ってあるのは 66回ですが、この度 ある老僧 の若い時の聞き覚えから、おそらく 1900年位から続いている会と知りました。 まさに、伝統。
西蓮寺は 2002年に引き受けて開催していますので、後 7~8年後に当番でしょうか。
きっとその年は 大変です。 いや・・・楽しみです と言わなければいけませんね。
わたしひとりが < あずって> も どうしようもありません。 ( ・・・・あずるってわかります? )
ご門徒のみなさん! その時 どうか よろしく、 いつもながらの お力添えを!
《 龍図 》。
以前からの知人、韓国の画家 《 朴 善花 》 ( パク・ソナ )さんの墨画。
高山地方のある神社に納めた画の< 原画 >軸装の依頼。 神社に納めたものは金箔上に墨で描いたとの事でしたが、これは シッカリした厚手の和紙に描かれてあります。 両手を広げるほどのかなりの大きさ。
寺院の装飾にも龍はよく描かれてあったり彫られてあったりしますが 、神社にある龍は意味合いが少し違うかと。 神社、特に稲作中心の地方の神社は 豊作を 《 祈る 》 場所との認識があるのですが、そうなると、< 水 >・< 雨 > の象徴 ( つかさどる? ) としての 龍 が大事にされている様に思います。
仏教では、仏法を讃え ・護るものとしてある・・・・・・と思います。
それにしても、この夏の暑さと大雨の被害・・。
人間の思いどおりにはなりません ・・・・自然 も 。
《 食堂 おがわ 》。
『 予約の取れない人気のお店で、さっき キャンセルでも入っていないかと ダメモトで電話したら
なんと! 2時間だけなら座れるそうです。 行きますか? 』
動かないホームページを元に戻し助けてくれた 徳山くん。
お礼にと、四条で待ち合わせ。 あのあたりのお店には不案内なので、行き場所はおまかせしていました。
お洒落で情報通の彼なら、きっと 楽しいであろうと。
急きょの行き先変更で、ふたりして 夕方の街を テクテク歩きます。
『 一度 行ってみたかったんです、まだ 行った事ないんですよ。 』
『 ぼくと同い年くらいの若い料理人で・・・ 』
『 《 食堂 おがわ 》 ってお店です。 検索で、食堂って入れると 一番にあがってきますよ。
・・・ いや、ホントですって! 』
歩きながら、色々想像を膨らませてくれる 彼。 やがて、どんどん細い路地に入って行きます。
古い木造家の白い暖簾をくぐり、ガラガラっと 戸をあけて店内に。
料理場を囲む 10席ばかりのカウンター席 ( のみ ) 。 アンチックな調度品。
金属製の箸おき。 なにげなく ひっくり返してみると、
お名前が。
それで、美味しかったのかって?
それはそれは。 ふたりして顔を見合せ 頷きあいながら ゆっくり時間をかみしめました。
年 に何回か、彼について行きたいものです。 おじさん を よろしくお願いします。
《 月光 》。
祝・システム回復!
直りました! さすが プロフェショナル・徳山君!
にっちもさっちも、どうにもならなかったのに、電話往復3本で システム回復。
『 いやあ~ありがとう。 もっと早く相談すれば良かったねえ。 』
『 何時でも 何でも 言って下さい。 』
何て イイ 男なんでしょう。 今度、お礼に一杯!
《 あれこれ 》 をお休みしている間、暑い暑い日々でした。
お盆の前半は島根、後半は京都にてお参りに勤しんでおりました。 色々ありましたが、それは又 思い出した時に。
一昨日、17日はここ< ハイツ伏見桃山 > の地蔵盆でした。
毎年、お参りに呼んで頂いております。 朝・昼はお世話役のみなさんのさまざまな企画に、子供たちの明るい元気な声が溢れていました。 夜は大人も一緒に ビンゴにゲームの < ビア・パーテイ >。 楽しい一日が終わった翌日の昨日、エレベーターに開催協力御礼の文章が張り出されてありました。
子供たち・お母さんがたにお話ししている姿の写真がそえてあります。
昨年のお話憶えている?って聞いたら、なんと 憶えてくれているんですよ。 うれしいですねえ。
で、今年も はりきって お話。 なにやら手を振り上げて はりきってますねえ。
システム復元でもだめ・・。
ここ数日、うまく書き込めません。
文章の間にカーソルは移動できない・・写真は撮り込めない・・文字のフォントは違う・・。
お盆明けたら、このシステムを作って提供してくれた徳山君にお願いして直してもらうしかありません。
徳山君、お忙しいでしょうがお願いします!
がんばれ、表具師の腰。
なかなか大変なモノに・・・。
乾燥しきってパリパリに割れてしまった絹地本紙の軸。 修復するにあたり大変なのは、裏書きがこの画の真後ろ全面に張り込まれている事。
百数十年前、前回修復された表具師がここに張り込まれたのですが・・なんて事をしておいて下さったのか・・・。 ( 画は元禄年間、1698年に描かれてあります。 裏書きより )
裏書きさえなければ、絹に描かれた本紙を傷めない事のみ考えてセッセと裏打ち紙を剥がしていけばいいのですが、ここではそうもいきません。 少し剥がしては横で裏書きを組み立てていかなくては・・分って頂けますでしょうか? この作業。 きっと数年はパズルで遊ぼうとは思わないでしょう。
いえ、一生 パズルはしません。 なにが楽しいのか・・・腰がイタイ・・。
≪ 化生童子 ≫。
表装を習いに来られています。
かなり以前にしばらく通われていた方、今は京都の某美術大学の日本画教授ですので、
お教えしていると言うより、共に可能性を学び合う という感じでしょうか。
大学が夏休みのこの時期、集中して来られる予定。 今日はご自分の作品と自作の「 揉み紙 」・イタリアで仕事されていた時手に入れられた紙 ( でしたっけ? )等を持参され切り継ぎです。
色々な事を話し合いながら次第にカタチが見えてきます。
それにしても可愛い画です。 中国・敦煌にある画の模写作品との事ですが、少女マンガか今風のイラストの様な画、≪ 化生童子 ≫。
胎生でもなく・卵生でもなく・・・浄土の蓮の華の中に < 生まれる > 様子が描かれた画ですね。 何百年の前に描かれていた画ですよ。
カワイイですねえ。
まだまだ しばらく 学び合いの日々が続きます。
熱い夏。
昨日夕方帰山。
今日は朝から浜田の知人に頼まれていた ≪ 屏風修復 ≫。
その傍らに ラジオ。
母校・県立浜田高校が甲子園を目指す準々決勝。 島根県では最多出場校で、わたしも高校1年・3年と2回、応援バスで熱い夏をプレゼントしてもらいました。
今日の相手は < 石見智翆館 >、旧名・江の川高校。
・・・先攻され、同点に追いつき、また逆転され・・どうにも、落ち着いて作業が・・。
お昼すぎ。 負けました。 残念。 が、ワクワクする時間をありがとう!
さあ、落ち着いて仕事、仕事。
六曲一双、12面。 12ヶ月が楽しく描かれてあります。 うち、5面の割れ破れが酷いのではずして修復を。 しかしまあ、あらためてよく見ると面白い!
これなんか、≪ 涅槃図 ≫ を見ているんでしょう? これなんか、≪ 布袋図 ≫ を見て何か話してます? 何だかとても楽しそう・・。
踊ってるアナタ・・。 もう、無茶苦茶ですね (笑)。
蝉の大合唱の中、大汗かいて お仕事を。
なかなか、強烈でおられる。
30cm×20cm位の画。 なんじゃ、これ?
と、思われるでしょう。 わたしは 『 サルか? 』 と思いました。 つぎのこれで何となくお分かりでしょう。
有名ですね、≪ ガネ―シャ ≫。 象の頭を持つヒンズ―教の神。 シバ神が、自分の息子と知らず首を落としてしまい、後で探しに行ったけれど見つからず 変わりに象の首を乗せて以来この姿・・・・との話を聞いた事があります。 富か商売の神であったような・・。
何十年も前に日本に持ち込まれた宗教画ですが、それぞれについての詳しく知識はありません。 残念ながら・・。
『 なんか・・怖い・・。 』 と思ってしまいますが、知識があれば見方も随分違うんでしょう。 残念です。 でも、表装は楽しめます。
久々に色々楽しみながら考えます。
エキゾチックに (?) 不思議な感じになったらいいのですが。
う~ん・・我が家には飾れないかな・・仏教のお坊さんですから。
という事にして・・おきましょう。
北陸道行。
北陸道をひた走る二日間。 まず、福井の西誓寺さまへ。
随分背の高い立派な本堂・・と、第一印象。
『 浄土真宗の私達、もっとインド・お釈迦さまからのお話をしなくてはいけませんよねえ。 』
『 わたしもそう思います。 そう感じます。 』 ・・・・・・・ご住職と色んなお話をさせて頂きました。
そして、富山の西勝寺さまへ。
本堂は改修中で足場に覆われていました。 ご住職・坊守さまに若院さまご夫婦、みなさまの実にあたたかいお人柄に、穏やかな時間を。
有名なお米の産地・北陸。 島根・石見地方とは全くちがう田園風景。 実に広々と・・・。
それぞれの良さはあるとしても、羨ましく眺めて走りました。
一泊二日の北陸でしたが、それぞれのお寺でお話していて共通の知人があると
『 世間はせまいですねえ・・。 』 と、何度か口にしました。
そして、暗くなった高速道路を走りながら 『 日本は広いなあ・・。 』
と。 ( どっちだよ? )
どちらもホントですね。
34度くらいか・・。
安居・・こころはインドへ。
7月7日、西蓮寺・夏法座 ≪ 安居会法座 ≫。
前日からかなりの雨、特に深夜は雷と大雨。
夜が明け、なんとか上がったと思いきや結局、急な大雨・日差し・また大雨・・と不思議なお天気でした。
それでも山寺にとっては多くのお参りの皆さんと共に、一日をご一緒させて頂きました。
蒸し暑さを少しでも和らげて頂こうと、お昼はご飯・野菜の煮物・酢の物のほかに、< そうめん > に < ところてん >。 いやあ、スッキリと美味しかったです。 ご苦労頂いたお方がた、ありがとうございます!
暑い夏の法座。 お釈迦さまの当時のインドを思いながら、< 釈迦十大弟子 >のお話から。
画に描かれた姿を目にしながらですと、より こころが近づきます。 扇風機はフル稼働していますが、聞くも汗・語るも汗。
ご参拝、まことに ありがとうございました。
肝臓ピンポイント。
一昨日29日の夕方、西蓮寺に走り着く。 一夜明けご法事に。
ご門徒の尽七日法要( 満中陰法要 )。 初七日・ニ七日・・等の七日参りの全ては私がお参り出来なくても、法要だけはどんな日であっても仰る日に必ず参ります、と申しております。
申し訳なくも京都での動かせない用事があっての事ですが、せめても・・と。
30日午前9時から≪ 三部経 ≫( 仏説無量壽経・仏説観無量壽経・仏説阿弥陀経の三巻 )のお勤め。 その後車で移動し、お墓に納骨。 お家に帰ってみなさんでお食事。
お寺に帰って着替えて午後3時には走り出ました。
途中、高速道路のS・Aで目に留まる 『 しじみの味噌汁 』。
なになに・・一杯でしじみ100個分! よく分りませんが身体によさソウ。
( 踊らされている様な気もしますが。 )
一杯70円・・よし、身体元気維持の為 ここはひとつ買っておこう。
たまに色んな 『 しじみスープ 』 試してますが、大抵ミョウな甘さが気になって・・。
これもあまり期待せず今日のお昼飲んでみましたが・・・・・う、うまい! 美味しい。
さすが、島根産!
これで元気に呑めそうです! ありがとう、しじみ100個分。 ・・あれ?
『 菖蒲華 』の候、かも。
朝刊に< 日本の七ニ候 >との言葉を見つけました。
春夏秋冬と一年を四等分した< 四季 >。
ニ十四等分した< ニ十四節気 >。 ( 立春・大暑・夏至・・等ですね。 )
そしてまだ、七十ニ等分した< 七十ニ候 >という季節があります・・だそうです。
そうですか・いや~知りませんでした。 お恥ずかしい。
少々調べてみますと、今時分は おそらく 『 半夏生 』 ( はんげしょうず・・ず、がいるみたいですよ。 ) の頃。
烏柄杓( からすびしゃく )という薬草が生える頃だそうで。 この草の球茎を漢方薬で < 半夏 >と言うんだとか。 へ~・・。
また一説には、ドクダミ科の植物 < 半夏生 >が半化粧する頃だとも。 ( 葉の花に近いところが白くなり目立つので、半化粧・・・半夏生。)
・・へ~。 ・・・ややこしいわ!
あれですかねえ。 手紙の冠、『 ・・・の候。 』 今時分なら 『 半夏生の候。 』 と書いてもいいんですかねえ。 違うんでしょうねえ、これは。 どなたかご教示を。
雨中水蓮。
≪ 夏炉冬扇 ≫。
7月7日(日)の西蓮寺夏法座≪ 安居会 ≫の案内状制作。
やっと原稿あげました。
父の代から、暑中お見舞いを兼ねてご縁のお方に封書でお届けしております。
ひと言添える様にしておりますが、いつ頃からかここも 『 住職あれこれ 』といたしました。
今回の『 あれこれ 』。
「 子供の頃には4つあった季節がいつの間にか(暑い夏)と(寒い冬)のふたつになってしまった感じがします。あの春と秋はどこに隠れてしまったのでしょう?
『 夏炉冬扇 』(かろとうせん)という言葉があります。 暑い夏に暖かい囲炉裏、寒い冬に風を送る団扇。 辞書には「 時期はずれで無駄なもののたとえ・無用なもの・役立たず 」とあります。 この意味で四文字熟語として使う時は、なにやら淋しい響きがあります。 ・・・どうせ私は「夏炉冬扇」、今じゃダ~レも相手にせん・・・。
ところがこの言葉。 仏法で語られる時には意味合いが変わってきます。 「 たとえ今は必要とされない様に見えても必ず必要とされる時がくる 」ことの喩えと。 たしかに今だけ見ると、使わない不必要なものであっても、時がめぐり「 ああ、あって良かった。これこれ。 」と喜ばれると。 わたしに引き合わせると、「 何が起こるか分らない・と言われる程多くの人達と複雑なご縁で結ばれて生き生かされているわたしには、いつに時もこの先に、はかりり知れない≪ 可能性 ≫がある。 」 という事でしょうか。
さらに、もうひとつ突っ込んだ意味が説かれてありますが、文字数が足らなくなってきました。 続きは、本堂・ご尊前にて。
ご参詣、心よりお待ち申し上げております。 拝 」
さてさて、明日は早朝より島根を目指します。 封書表書き、虫鳥声に包まれる山寺にて 気合いを入れて得意でない毛筆で挑みます!
大事な思い。
高校時代の同級生のご両親からの修復依頼。
痛みの激しい阿弥陀如来本尊絵像軸、『 今は新しい御軸を掛けていますが、これはウチに伝えられているものなので必ず大事にするように、と先代から言われています。 』
剥落が進み、裏書きも判別が難しいほど。 過去に一度修復されていますが、それでも破れてきたので糸で縫い合わせたりセロテープを貼ったりと、涙ぐましい ≪ 痕 ≫ が・・。 裏書きも可能な限り綺麗にして、頼れる先生の所に持参して相談したところ、本願寺14世・寂如上人の名と花押であると。
寂如上人、1662年(寛文2年)父・13世良如上人急逝により、12歳で本願寺門主に。( 江戸幕府でいえば4代・徳川家綱のころですね。 ) 数々の大きな業績を残され1725年(享保10年)ご往生。
ざっと300年前のご本尊。 あの当時のことです、新幹線もバスもありません。何週間もかけ歩いて歩いて京都本願寺から島根石見国まで来られました。距離は今も変わりはありません、ほぼ500kmです。 感激をもって迎えられ、お祝いの< 入仏法要 >が勤められたでしょう。 何十年も百年も手を合わす生活をする家族と共にあり、そのうち御軸の傷みが出てきたので修復され綺麗に丈夫になって帰って来られました。 そしてまた何十年百年たち、あまりの痛みに申し訳なく 新しい本尊絵像が迎えられ、この本尊は巻いて箱に納められお仏壇の引き出しに。 『 必ず大事にするように。 』との言葉とともに何十年百年。
保存しやすい様に軸を大きくしました。 もちろん大事な裏書きも。
代々の方々の ≪ 手を合わす生活をしてくれ ≫ との思いが今又新たに。
掲載新聞、送られてくる。
息子・栗山廣大が ≪ 本願寺新報 ≫ 6月10日号 にインタビュー掲載されました。
毎月3回発行、全国一万ヶ寺の本願寺派寺院や年間購読されているご門徒の皆さまのもとに届けられています。
テコンドーの国際大会 ( 68kg級 ) で優勝した彼。
毎日随分走り込んだり、道場に通ったり、生来の固い身体を柔らかくするのに難儀している姿は見ていました。 小・中・高とやり続けたバスケットボールよりも強い意志で取り組んでいる様子も見ておりました。 島根に帰山の時に限って大会があるようで、一度も応援観戦した事はありません。 録画したものは見せてくれますが、激しいもんです。
一年前、得度し僧籍のある彼ですが、掲載記事の最後に 『 将来は警察に。 』 とあります。
それもいいでしょう。
そういえば、数年前 凶器を持って女性を追いかけている男を追いかけ、立ち向かっていった事があります。 なかなか出来ない事です。
何の仕事をしていても僧侶です。
誰にとってもそうですが、僧侶にとって どんな経験も無駄な事はひとつもありません。 無駄な時はひと時もありません。
彼にしか出来ない経験を通して自分を見つめ・仏法に問い。 後々、自分のなかだけでなく それを人にも伝え。 そう、わたしが経験していない事、わたしに見えていない事を 仏法を通して教えてくれる事を楽しみにしております。
え~と、身内に辰年は・・。
一昨日から帰山中。
縁側に座りふと下に目を向けると、20センチばかりの鳥の羽根が。
なんの鳥でしょう? ここに来ていたのか、風で飛んできたのか。 こんな大きな鳥、境内で見かけませんが・・・。
あまり見かけないと言えば、昨夕方 庭を横切り裏山に向かう大きな< 蛇 >を見ました。
< 青大将 >でしょう、敷地内で蛇を見かけるのは年に2~3回、珍しい事です。
思い出した話が。
祖母の四十九日法要だったか一周忌法要だったか、中庭に大きな蛇が。 普通はすぐどこかへ移動するのに、なぜかほとんど動かず。 お勤めが終わった頃やっと何処かへ行ったと思い、親戚のみんなと車で会食に出掛けようとしたら、その蛇 今度は山門に出現!
『 やっぱりこの蛇、お母さんだわ・・。 』 と言う叔母。
『 おばあちゃん・・。 』 と見つめるもの。 巳年生まれだったんです、祖母。
普段は蛇を見ても、まさか○○の生まれ変わりか本人と重ねて見るひとはいないでしょうが、「 法事の日 」という、いつもの日とは違うこちらの心が見方を変えていたんでしょう。
『 そうか、蛇もお参りに来たんか。 』 という言葉には不思議と頷けてしまいました。
わたしなんか < 丑年 > ですから、法事の日には境内に牛が出現し、姉の日にはイノシシが現れ、弟の日には馬が走りまわり、父の日にはウサギが飛びまわり( あら、カワイイ )、酉年のひとの日には鳥が・・・・・アっ! これか?!?
言葉ってイイです。
一軒のお参りの帰り、お昼まえ。 通りかかった路上販売のお弁当屋さんに寄りました。
≪ お弁当・味噌汁つき 500円 ≫ の ノボリ旗。
500円・・・いつもは昨夜の残りか、パックのうどんかラーメンで済ます私にとっては 贅沢なお昼ご飯です。 『 なにを言う住職。 アルコール分をまわせばいいだけだろう! 』
と言う声が聞こえてきますが・・・ああ、耳がイタイ。
それは置いといて。
三か月に一回位しか立ち寄らないので、馴染みでも何でもないのですが、たまに通る時チラリと見て通っていました。 雨の日も風の日も暑い日も寒い日も、お若い( たぶん )女性が立っておられました。 花粉症なのか大きなマスクをして、朝が忙しいのでしょうノーメイクで( 住職・・よく見てますね ) 今日も立っておられます。
『 いらっしゃいませ。 今日は焼き肉弁当と、焼き魚弁当と・・( 略 )。 』
『 じゃ、焼き魚弁当を。 』
『 ありがとうございます。 ご飯は大盛りですか? 』
『 いえ、普通で。 』
『 お味噌汁はお湯を入れておきますか? 』 ( カップに生味噌タイプが )
『 いえ、そのままでいいです。 』
『 ありがとうございます、500円です。 それから、今度 隣のビルの一階の隅に店舗場所が変 わります。 これからもよろしくお願いいたします。 』
『 ああ、そうですか。 へ~、はい 500円。
・・・・それは今まで暑い日、寒い日ご苦労さまでした。 』
と、何気なく言ってお弁当を持ってバイクに向かうと、後ろから大きな声が。
何気ない会話・・。大抵、こういう返事が返ってくるだろうなと思っていて、そう返ってきてその場が何気なく終わります。 今日の場合、『 ありがとうございます。 』 くらいを思っていました。 いや、別に何にもお返事なくてもいいくらい気にとめない言葉だったんです。
『 まあ~! 何て言葉を言って下さるんでしょう!
目がウルウルしてきそうです・・・。 』
坊主、予想していなかった反応に少々ビックリしてしまいました。
『 ・・・ああ、はい・・。 じゃあ・・・。 』
今にして思えば、何とも情けない私の反応。
バイクの籠で揺れているお弁当を見ながら、色々思いました。
あの方、私が思っている以上に ホントにホントに 暑い日寒い日雨の日、大変だったんだろうなあ。 路上で始めて何年もたって やっとひとつ願いが叶えられたんだろうなあ。
そのうち、なにやら非常に嬉しくなってきました。 あんな言葉に大きく喜んで頂いて・・それをビックリするくらい素敵な言葉で伝え下さり!
なぜかよく解りませんが嬉しくなってきてしまい、
お弁当が美味しく美味しくなっていました。
≪ 目 ≫。
≪ 齋鹿逸郎 ≫。
仕事柄色々な方とのお出会いがあり、個展・企画展のご案内をよく頂戴いたします。
どの展にも行ってみたいのですが、残念ながらというか失礼ながらというか行けない事が多々あります。 今日も一通のご案内を頂戴いたしました。
≪ 七回忌記念 ・ 齋鹿逸郎 展 ≫。
以前、< たまたま >としか言ってはいけない位たまたま作品を目にする事がありまして・・。
『 ・・・? いったい何だ こりゃ? 』
和紙の隅々にまで鉛筆のみで ビッシリ 描かれて( 埋められて? )あります。 ( 白亜・膠・胡粉も存分に使用されてあります )
近づいてみると、さまざまな図形が細々細々に。 遠く宇宙からみた私達の営みのひとつひとつにも見えて来ますし、身体の細胞を網羅されているようにも・・。
2007年に亡くなられており、わたしはお会いした事はないのですが、氏をよくご存知の方のお話によると、 『 彼の頭の中には設計図は全て入っていた。 』
と。 すさまじいお話です。
この度の展覧会。 鎌倉( ジ・ア~スにて 6月1日~6月16日 ) 鳥取( 百花堂にて 9月6日~9月15日 ) 東京( 銀座煉瓦画廊にて 11月4日~11月10日 )
そして、京都ではご縁深い 祇園・俵屋画廊で 9月29日~10月13日 の会期です。
たまに思い出すという不思議な作品です。
以前より時間をゆっくりとって、じっくり ボ~と見たく思います。
≪ いのち燃ゆ ≫。
さて、京都に向かって走ろうかと・・・ふと目にとまる、2月28日に書き込んだ < 梅 >。
玄関に飾ってある、切り落とした一枝の < 梅 >。 ちょっと置いてみただけで、まさかこんなに長く置いておくつもりはなかったのですが、三か月経ってもまだ花をつけています。 植物には全く詳しくないのですが、あたり前のことなんでしょうか? 見る度、私には 『 こいつ、スゴイなあ・・。 』 と思えます。
そして、外に出ると花を茶色にした < 藤 >。
散って散って無惨にも見えます。
≪ 無常 ≫ とは、ただ空しい事ではなく 常に変化し続けてある姿です。 若かったものが老い、元気だったものが病んでゆく。 それだけではなくて ≪ 無常 ≫ であるからには、病んでいるものが元気になっていくという < 可能性 > があるという事です。 あらゆる 可能性が。
茶色く枯れた、いや 枯れたと見える枯れたと見る < 藤 >君も、実は今 < いのち > を燃え盛らせているただ中です。
まっただ中!
≪ 降誕会法座 ≫。
境内の白藤が迎える中、17日に帰山。 今日21日 ≪ 降誕会法座 ≫。
ニ日前には華を立てに渡辺総代さんが。 奥さまも来て下さり本堂・庫裡のお掃除を。 それは綺麗にして頂き大助かりです。 その何日も前にも裏山や庭の草刈りに来て頂いてありました。
遠田の山崎さんも草むしりに来て下さっていただけでなく、何度も母に料理物を届けて下さっていたとの事。 今日も海の幸 < 亀の手 > ( 鷹の爪とも呼びます。ご主人が採って来て下さったと。 ) や、皆さんへの料理物を。
昨日は三隅の三浦さんが台所手伝い・掃除に来て下さいました。 いつも息子さん共々お世話になっていますが( 帰るたびに美味しいお料理を届けて下さって・・。 )、今朝、お寺のあちこちに黙ってソッと花を飾って頂いていたのを たまたま目にしてしまいました。
今回から< 世話役 >をお願いした渡辺繁さんも朝から走り回って頂きました。
皆さんへのお茶菓子にと毎回、自店で作ったお饅頭を持参下さる山本さん、『 これはご院家さんにお供え。 』と焼酎を持ってきて下さる村上のおばあさん、皆さんに一本づつ・・と <竹酢液> を持ってきて下さる斉藤総代さん、仕事を休んででもお手伝いくださる寺迫総代さん、途中何人も乗せながら遠くから車を走らせて来てくださる小松原さん、はじめてお参り下さる方を何人もお連れ下さる高橋さん・・・・・・。
おひとりおひとり言い始めたら切りがありません。 そして何より、今日 本堂に座って下さった方々があってこそ、法座がお勤まり出来たわけです。
親鸞聖人のお誕生日をご縁とした今日の法座。 楽しく、賑やかなうちにも 仏法のお話をご一緒させて頂きました事、全ての多くの方々に 深く深く 感謝を。
≪ ずっと先、誰かが気づく ≫。
中国で書画の掛け軸を買い求めて帰国し、床の間に掛けてみたが何となくシックリこない・・。
と、表装替えを依頼される方があります。
表装に、中国風・韓国風・日本風と決まってはいないのですが、それぞれ特徴があります。
日本の家屋に掛けるには、日本風に表装されたものがおさまりやすいのでしょうか。
( わたしは、・・・まあ、そうともおもいませんが・・。 )
この度の軸の表装はあまりに白っぽすぎて落ち着かないので、渋めの三段表装に、との事で。
( かと言ってあまり渋くなく、明るさも・・という至難のご依頼。 )
印象が変わりました。
中国で表装されたものは、きつい糊が使用されてある事が多く、剥がすのが大変です。
日本で表装された軸は、裏から霧を吹いて時間をかければ ス~と剥がれる事がほとんどです。
( 最近の機械表装のものはダメですが。 )
何百年先に次の表具師が修復する事を想定して、そしてその時本紙の書画を痛めず剥がしやすい様に薄い糊を使って仕上げてあります。 薄い糊を使うという事は、何百回も巻き下しをするうちに剥がれて痛みやすくなるという事です。 その為、薄い糊でも結着力あるように様々な知恵が結集されてあります。
ホントにスゴイ事です。 先々を思って仕事されてあります。 その為には時間も労力もしっかりかけてあります。
『 今さえ良ければ。 』 『 早く安く。 』 と、きつい糊を使うことは、書画の寿命を考えていないとしか・・・。 あれ? 悪口?
紙も、日本の和紙がいいです。 楮・三椏の繊維毛足が長く、強いです。 毛足のほとんどないパサパサの紙が張り付けられている日には・・あれ? 悪口? いえ、作業するものの正直な感想です。 難儀しながらモクモクと剥がすうちに、人生と重ねてまで考えてしまいます。
墨ひとつで、鏡の如き湖面が。
大丈夫です! 何百年先の表具師が喜んで蘇らせるように、師匠に教えられた全ての仕事は致しました。
『 あ、ホンマや! 』
『 ゲベッケンの たまごサンドです。 』
伏見・西浦町( 龍谷大学の近く )にお参り。 お勤め終わり、お茶を頂きながら奥さんと色んなお話を。 天候の事から環境に対する人間の所業、慢性飢餓であった時代の人類の話から「あたりまえ」と「わがまま」の違いへと・・・。 ここまでは、いたってお坊さんらしい、いつものお参り風景。
さて、そろそろお暇しようと。 いつもお茶の横に珍しいお菓子を包んで下さっているのですが( 栗山坊主、その場で甘いモノを食べる事はマヅ無いのをよくご存じなので、すでに持ち帰る様に包まれています。 スミマセン。 )、今日は何やら少々大きな袋が。
『 いつもありがとうございます・・・何でしょう? これ。 』
と、不作法にも袋を開けて覗いていると。 『 たまごサンドです。 』
『 ご覧になりました? この間 ≪県民ショ―≫ で紹介されたんですよ、ウチから100メートルのところにあるパン屋さん。 』
『 あ~、ありますねえ。 へ~、出たんですか。 』
『 「京都でこれを知らない人はなく、みんな食べている」 って。 』
ふたりで顔を見合わせて・・
『 そんなことないやろ~! 』 ( 合唱 )
『 京都の、しかも伏見に長く居て 食べた事ないですよお。 』 (わたし)
『 ですよねえ。 わたしも食べた事無かったんで、急いで買って食べました。
京都人ですから。 栗山さんもきっと、食べておられないと思って今日はこれを。
だしまき卵が挟んであって、美味しかったですよ。』
何かを訴える奥さんの目を見ながら ・・・しばしの沈黙。
『 いや、美味しかったって言われても、ふつうの <たまごサンド> でしょ?
美味しいってそんな。 ( モグモグ )
・・・・あ、ホンマや! 』 (笑)
坊主、帰り際に オチ をつけるクセがついてきました。
5月5日、諏訪。
長野県・諏訪湖畔。
湖面が鏡のように美しい朝。
姉の長女の結婚式です。 諏訪大社下社秋宮。 仏式での参列は何度もありますが、神式に参列は、初めての経験です。 その事も実に興味深く、楽しみにこの日を待っていました。 厳かな式でした。
式後、人力車に乗り込む主役のお二人。 ( いい表情ですね。 ) 姉の手をひく弟二人。 ( ホントに仲のいい三人。 おおきくなったなあ・・・あんなに小さくて裸足で走りまわっていたのに・・。 )
新郎に娘を託す父。 ( 義兄さん・・・。 )
新婦の母・我が姉を含めて、母・弟・家内・息子・娘夫婦・・一同に集まれた事に。 集まるご縁を頂けた事にも深く感謝を。
『 玲子、おめでとう!
今まで とっても仲良くしてくれてありがとう。
そしてもちろん、これからもヨロシク! 』
綺麗に。
今日はお参りもなく、表装仕事も乾燥を待つのみと言う訳で、掃除三昧と決めました。
庫裡、本堂掃除機がけ。 本堂の縁側・庫裡廊下雑巾がけ。 本堂の畳雑巾がけ。 内陣拭き上げ。 え~い、ついでにお風呂も・・。
まあ、掃除は住職のごく当然のお仕事なので、別段 誇らしくいうまでの事はなく。
普段あまり出来ていない事を恥じながら・・・で、あります。
それは置いといて。
2週間ばかり前、頼まれ事があったのを思い出しました。
『 ご院家さん。 うちの真鍮仏具、この度わたしのやり方が悪かったのか、こんな黒ずんでしまったんですけど・・・どうにかなりませんか? 』
・・・色んな事を頼まれる < スーパーお坊さん >、『 う~ん、どうかねえ・・。 ピカールで磨いてもこれはダメじゃろうねえ。 ま、預かってみようか。 綺麗になったら褒めてよ。 』
と、預かっていた仏具。
磨いてはあるのですが、黒ずみ、緑色やピンクのところもあります。
実は父が遺産?として残していった≪ 魔法の液体 ≫がありまして。
どこでどう求めたか・・。 何というものか・・。
ダメだろうなあ、と思いながらも漬け置く事 1時間。
『 おお~! これぞ真鍮の輝きに戻っている! 』 ( で、ない部所もありはしますが。 )
すんばらしい!
ありがとう、父上。
さあ、ホメてもらいに行ってこようっと!
見るひと無くとも。
27日夜帰山。
例の超大幅、京都で作業を進め、この度又持ち帰りもう一度霧吹き・水で湿して仮張り板に張り込み。 5月1日に本堂を使うので、本堂後ろの部屋にて。 部屋いっぱい・・・。
何度も水をくぐらせ、湿度豊富なこの国に掛けても曲がり反りのない軸に育てあげます。
やっと、イイ感じになってきました。
今日は、隣寺・常福寺さまの永代経法要出勤。 座敷から眺める石庭。 立派です。
西蓮寺に帰り、ふと見れば表庭の< 白藤 >が、 『 さあ、こっから一気に咲きますよ! 』 と言っています。 裏に廻りながら春を探せば花々が。 桜は、新しい緑をまとい< 若さ >をアピール。
はいはい、そうですね。 西蓮寺の庭もニギやかですよ。
『 そ・・そうですか? ははは・・。』
『 ・・・入らなかったら、レンタカーにしなくては・・。 』
恐る恐る訪ねた下京区のお寺。
本堂を改築した時新調して以来、仕舞いこんで殆ど立てていない≪ 襖 ≫。
下がり藤紋・雲母押しの≪ 襖 ≫。
引き取りに来るならあげる、いらないなら処分すると。 それは勿体ない!
何かに使える。 ニ曲屏風にも出来る。 なんなら学生の大きな作品のパネル土台にも出来る。 『 頂きます! ちなみに何センチありますか? 』
お寺のものなので< 180cm×122cm >と大き目との事。
大抵のものを運べる様に ( 普段は無駄に大きい車に乗っていると冷ややかに見られていると知りながらも乗っている ) 大きい荷台の車だが、122cmか・・・・斜めにして入れればギリギリいけるか・・。 とりあえず一枚入れてみる。 ・・入らない。
諦めてレンタカーで出直すか・・いや。 勿体ない。 ほんの数cmだ。 ( 住職が見つめる中しばらく悩む。 )
よし! 『 木槌ありませんか? 縦縁を外してみます。 』 『 なるほど。 』
カン・コン・カン・コン・・・なんとかうまく片方外れた。 どうだ。 ・・入らない。
よし! もう片方も外そう。 カン・コン・カン・・どうだ。 入った! ビリビリッ。
なんて事だ、ギリギリすぎて釘が車の内装を引っ掻いた。 『 大丈夫かい? 』
よし! 釘も全部抜こう。 ギコ・ギコ・グイ・グイ・・。 どうだ! 入った。 まっすぐでは入らなくても斜めにして入れれば微かに余裕もある。
『 入りました。 え~と何枚ありますか? は・・八枚!? 』
困った。 四枚位はこのままいけるが、かさ高くなると斜め入れが出来ない。
なんとか一度で運びたい。 どうする、栗山。
よし! 運転座席と助手席を前に出して、さらに車の中でそこにたて掛ける様にすれば、後ろからの入り口が広がるはず・・。 ドタン・バタン・ズリ・ズリ・・。 よし、うまくいきそうだ。
たまたま通りかかったオジさんが、途中からずっと見ておられました。
何度も行きかけては戻って来て、見ておられました。 なんだこのオジさんは・・と思って作業に汗していましたが、最後の一枚が入ってドアを ボン! と閉めた時、ニコヤカに近付いてきたオジさんが言いました。
『 いや~今日はいいもの見せて頂きました。
何かにブツカル度に何とかされて、何とかなるもんですねえ。
ありがとうございました。 』
道に迷って良かった!?
両手を広げても届かない軸。
『 仏陀塔 』 との裏書きがある大きな掛け軸。
画の中心に描かれてある赤い城が仏陀塔でしょう。 遠くにはヒマラヤのような山々、小さくラクダ商隊。
塔を挟むふたつの河には、各国の船とさまざまな民族の賑わい。 『 涅槃図 』 にさまざまな動物がお釈迦さまの涅槃を悲しんで集まって描かれてあるのは、説かれた教えが人間の為だけでなく < 全てのいのち > の為にある事をあらわしてあります。 その事と思いを重ねてこの画を見ました。 職種も肌の色もおそらく言葉も違う実に沢山の人々が集う中心に仏法の象徴が。
縦も横も2メートルもある実に大作ですが、随分傷んでいて修復です。
京都で作業を進めて、17日から島根・西蓮寺の本堂で作業。 また京都に持ち帰りますが・・・・。
まだまだ時間がかかりそうです。
育てる。
『 これから出られますか? 良かったです、間に合いましたあ。 』
永代経法要を終え10日の午後、京都にむけて車に荷物を積み込んでいると、益田・遠田からお同行のご婦人が。
『 以前美味しかったと言っておられたので、今朝採りに行って急いで漬けこんでみました。 』
わさび漬け!
本来一週間漬けこんでから持って来るところ、たぶん今日京都に出られると聞いたのでと、急いで持ってきて下さったとの事・・・。 一週間朝晩かき混ぜて下さいね、と大きい容器ごと渡してくださいました。 なんとまあ・・ありがたし・・。 苺ジャムや炊き込みご飯まで頂いてしまいました。 また5月の降誕会法座にはお参りいたします、と にこやかに帰って行かれました。
ありがたし・・。 後ろ姿に合掌。
わさび漬け、長い茎も葉も風味深く、とても美味しいのです。
この度のはまだ頂いておりません。
あれから5日間。
育ててます!
『 合掌。』
明日待つ山寺。
『 大往生 』。
昨日開催の三隅組組会( 昨年度活動報告・収支報告・本年度予算案審議等 )に滑り込みで出席。 朝3時に京都を出て、走りに走り何とか間に合いました。
お寺に帰っての午後と今日の午前中は、持ち帰った表装仕事。 午後は8日の永代経法要にむけて本堂のお荘厳。 ひと段落。
≪ 大往生 ≫!! 真宗大谷派の僧侶でもある日本画家の方の書。
「 一枚はこの裂地をつかって下さいね。 もう一枚はお好きにどうぞ。 」
三種類のお手持ちの裂地を預かりました。 すべてインドの裂地、一文字のこれなんかは印金の古裂・・・・貴重なものです。 それにしても、おそらく私では考えつかない取りあわせ・・・先生の独特の美表現ですねえ。
明るい往生です。 そうです、往生とは行き詰まる事ではなく、死ぬ事でもありません。 ≪ 生まれる ≫事でした。
『 往生とは、大きな世界を生きる事 』 『 往生とは終わりの無いいのちを生きる事 』
そして、わたし好みで表装するとこうなりました。 まわりが変われば随分印象が変わりますでしょう?
相生のご縁。
30・31日と兵庫県相生市に行って参りました。
教證寺さまの別修永代経法要のご縁です。 ご住職・三輪さんとは数年来親しくさせて頂いております。
初めて寄せて頂きました。整えられた実に立派な精舎。 お庭は掃き清められ、手入れの行き届いた庭木も見ていて飽きる事ありません。 炭火のあたたかさ・・・。 夜のお座にも沢山の方々、80歳になられる住職のお母様の出勤勤行の確かさ、夕食に頂いた牡蠣の大きさ( 相生名物 )、若坊守さま・妹さま・おばさま方の心からのご接待・・・感銘深い2日間でした。
夜も感銘深く・・ おお!
地元姫路の限定純米吟醸に秋田の辛口ですか・・。 すばらしいご接待、痛み入ります!
二日目午前中空いた時間がありましたので、「 折角の機会 」 と走り回りました。
峠を越えて赤穂へ。 川沿いの道を走りながら 『 ・・昨日の牡蠣・・大きかったなあ。 育てておられる相生の湾へ行ってみるか・・。 』 と、反転。
『 造船の街だったんだ。 』
とか思いながら走っていてビックリ! 『 な、何だここは。 』
≪ 白龍城 ≫ ペーロンジョウ
道の駅でした。 もちろんこのど派手な駅に立ち寄りました。
そして、お寺に帰り午後の布教へ。
今回も、用意していた筋通りにはいきませんでしたが だからこそ。
わたしにとっても聴聞の二日間でありました。 何人もの方々ともお出会いさせて頂きました。
ありがとうございました。
一番いい場所は?
≪ 島根県人会 ・ 昭和35年6月18日 ≫。 なんと53年前の寄せ書き!
故郷を離れて京都・龍谷大学で学んでいた真宗の寺院子弟の会だったそうです。
長年大事に持っておられたのは、京都在住の山形県出身のお方。 出身県は違ってもこのメンバーの方々と仲が良く、『 しょっちゅう一緒にツルンデいた。 』 と。
もうお亡くなりの先生方も・・・高橋先生、、礼光寺の前住職、、。
現在ご活躍中の先生方のお名前も沢山。 一番小さな字で遠慮がちに < 一回生 月洞○○ > とあるのは、益田組長 ( くみちょう ではありません。 そちょう と読みます。 )!
≪ 小欲知足 ≫ ≪ 非僧非俗 ≫ ≪ 唯識 ≫ ≪ 作礼而去 ≫・・・。
名前と共にひと言ずつ添えてあります。 仏法を学ぶ熱き思いが伝わります。
『 わたしが持っているより、島根の栗山君が持っていた方がいいから、あげよう。 』
・・・え~と。 大事にいたしますが・・『 栗山よりウチにあった方がいい! 栗山より大事にする! 』 と言われるお方。 どうぞ、ご連絡ください。 ご相談いたします。
おやおや、お礼のお手伝い?
春・彼岸。 今日20日、彼岸会法座をお勤めいたしました。
黄砂やら何やら薄煙る中、沢山のご参詣を頂きました。 まだストーブの暖がいる本堂、穏やかな法縁の一日でした。 18日の午後、掃除する気満々で帰山してみると、すでに午前中のうちに渡辺総代ご夫婦が本堂・庫裡・縁側の掃除に来て頂いてありました。 それはそれは綺麗にして頂いてあり驚きと感謝です。
わたしを助けて下さるおこころ・・・痛み入ります。
はじめて来て下さったお母さんとお子さん。 見れば、アニメ 『 ワンピース 』のカバン。
『 好きなん? 』 『 うん。 』 『 よ~し、それじゃあ チョッと待っててな。 』
チョッパーのキーホルダーがひとつあったのを 思い出したもので。
『 ほい。 ごほうびプレゼント。 』
『 まあ。 ほら。 何て言うの? 』 お母さん
『 ありがとう。 』
お礼の気持ちを持つように、お礼の言葉を言えるように、お母さんの願いがかけられてあります。 また来てくれくれたらうれしいな。
≪ 仏足石 ≫。
美しい日本画です。 裏面に ≪ 仏陀伽耶仏足石 ≫ と画題が貼ってあります。
今のように仏像・絵像を礼拝対象とされ始めたのは、お釈迦さまが入滅されて500年後( AC1~2 )位から。 それまでは、仏塔・法輪(宝輪)・法座(宝座) そしてお釈迦さまの足跡を石に彫ってあらわした仏足石(仏足跡)を礼拝し、仏法の尊さに頭を下げておられたとされています。
足跡には色んな文様が描かれてあります。 指の渦巻き=煩悩を焼き尽くす太陽を ・一頭三匹の魚=昼夜眠らない魚で絶えまない精進を ・中心の千輻輪相=仏法が太陽のようにくまなく世を照らし私たち衆生を苦しみから救う事を ・下の輪=法輪をあらわし仏法僧の三法を ・右の葉=悟りをひらかれた聖なる樹、菩提樹を ・左の法螺貝=仏法が世の隅々まで響き渡る事を・・・それぞれ表わしてあると聞いています。 石によりかなり描かれ方はちがっていますが・・。
この額装の画、何年も白木の縁を打ちつけただけであったのですが、このままでは少々< もったいない >との事で。 この度・・・・立派になられました!
木目に銀箔縁、裂地も私の大好きな< 青貝裂 >( 銀箔を青くなるまで焼いて箔押しして織りこんだ裂地 )!
う~ん・・しぶい。
作業しながら、娘が小さかった頃の昔話を思い出しました。
20年位前、墨でとった仏足石の拓本を軸装していた時。
『 おとうさん、これなんの絵? 』
『 これか? お釈迦さまの足跡や。 』
『 ふ~ん・・・おしゃかさまって おおきい足やったんやなあ。 』
『 そおやなあ。 』 (微笑 )
『 なんか、いっぱい 色んなもん ふんだはるなあ。 』
『 ホ・・ホンマやなあ。 』 ( ひとり爆笑! )
アテまで絶品。
10日、日本画家・畠中光享先生のアトリエをお訪ねして来ました。
何度かお会いした事はありましたが、二人っきりでゆっくりお話させて頂いた事はありません。
少々の ( お尋ね事というかお願い事というか ) 用件があり、無理を言ってお時間を頂きました。
真宗大谷派の僧侶でもあり、数十回インドに渡っておられ ( ビルマ・中国・・エトセトラ ) インドをはじめアジアの古裂の収集も有名です。 ( 仏像にミニアチュール・・。)
通されたアトリエ内は岩絵具とコレクションで溢れています。 『 は~・・。 先生、これは・・? 』 ついつい質問してしまいます。
色々なお話をお聞きするうち、 『 お酒にしましょうか。 』 と。
恐縮です。 で、次から次へと話が弾み、奥に仕舞ってあった色んなモノまで見せて頂きました。 ( えっ? 弾んだと思っているのは私だけだろうって? そ~んな事・・ないと思います・・よ・・。) 中々帰らない私。 奥さまには何度も小皿を運んでいただきました。 申し訳ないです。 ありがとうございました!
3月は京都・4月は東京・5月は大阪の高島屋にて個展を開かれる予定。
『 会場の都合で京都ではあまり掛けられないけど、大阪では20幅くらいの軸装の作品も出すんで、栗山さん そっちも是非見て下さいよ。 』
はい、楽しみです!
≪ 黄砂+花粉+α ≫。
昨日は広島で用事を2件済ませ、夕方、広島市内の娘夫婦のところへ。 主人の聖法君とふたりで≪ 仏法勉強会 ≫の夜という事で。 ホントですよ。 吞み会などではありません。 彼のご実家からあたたかい差し入れまで頂いてしまいました。 恐縮です。 こ・・これは気合いをいれないと・・。
6時位から深夜2時位まで、ミッチリと。 彼がすでに色々書いてあるものを見ながら、さまざまな質問が飛んできます。 『 おお、そう来たか。』 などと、実に濃厚な時間でした。
わたしもそうでしたが、父親にはナカナカ面と向かって聞きにくい話しにくいもので・・。
義理の父親くらいがちょうどいい緊張感があって。 でしょうが、何にしても一応僧侶の先輩としても、嬉しいことです。 楽しい時間です。 浅学のわたしに出来る事は限られているとはいへ、少しはお役に立てたでしょうか。 真面目な夜は更けてゆきます。
・・・ああ、やっぱりウソはいけません。 やがてお酒も入りながらとなりました。 ははは。
それはそれで いいですよ、ホント。 それでもずっと 仏法のお話が続いた夜でした。
今日、西蓮寺に帰山すると想像どうり。
≪ 黄砂 ≫のすごい事! 本堂への渡り廊下でも ジャリジャリして滑りそうです。
掃いても拭いてもきりがない感。
それでも掃いて掃いて、拭いて拭いて、掃除坊主いたしました。 自分を褒めてやりたいくらいに。
『 箪笥が買える! 』 と、家内は言った。
縦150cm×横95cm。 かなり大きい作品。
描いたのは中国・敦煌の画家 ≪ 馬 強 ≫氏。 10年位前、日本の顔料を学ぶため敦煌研究所から京都芸術大学・日本画・模写科に留学生として派遣されていた彼と出会って以来の知人です。 お酒の誘惑に弱い(笑) 実に気の良い男です。 よく一緒にやったもんです。
卒業して研究所に帰り、今は副所長だとか・・エラくなられて、なにより。
『 裏打ち・表装を教えて下さい、栗山さん。 』
って彼の言葉をきっかけに、当時 中京区のお寺の会館を会場に、週一で夕方から < 表装教室 >?をしていました。 お好きな住職さん方3~4人も一緒でした。
しっかり教えたはずなのに・・・・・・。
この度やってきた画も一応裏打ちだけしてあるのですが、
『 おいおい、ダメだ こりゃ~。 』 浮いている箇所はあるし、継ぎ目は太すぎるし・・・ああ、全部剥がしてやり直し! 全て師匠の至らなさ (涙) 。
画は2枚。 敦煌莫高窟壁画模写で、獅子に乗っておられる 「 文殊菩薩 」と 象に乗っておられる 「 普賢菩薩 」。 お釈迦さまの脇菩薩といえばこのニ菩薩 ( 釈迦三尊 )。
ちなみに、阿弥陀さまの脇菩薩は 「 勢至菩薩 」と 「 観音菩薩 」 ( 弥陀三尊 )。
それぞれの仏さまを讃える為、知恵と慈悲の象徴として、ニ菩薩がおられます。
まだまだ途中ですが、こんな感じとなります。
軸になると横120cm・・大きい。
材料屋に問い合わせてみました、桐箱いくら位ですか?
『 ひとつ 4万円くらい。 』 ヒエ ~ !
たれか歌詠めかし。
『 ハリ―・ポッターの < あばれ柳 > ・・・。』 と思ってしまいましたが、西蓮寺の梅です。 伸び放題の自由な梅です。
『 あの梅、○○さんに頼んで切ってもらう。 』 ・・・母
『 は~? なんで? 切り倒す? 』 ・・・私
『 側を通ると当たって痛いし、あそこにあっても誰も見んし。 』 ・・・母
『 ・・誰も・・・・。 』
以前から剪定してくれと頼まれていたのを ほっといた私が悪いんでしょうが。
まさかそこまで思いつめていたとは・・。
しかし、≪ 誰も見ない ≫ で切り倒されるなんて、あってはならない事。 ここまで大きくなるには大変な時間が・・。 色んな事があったことでしょう。
26日、京都に出る前にがんばって、刈り込んでみました。 遅ればせながら。
『 この梅の木がここに無くなると、訪ねてきた鶯になんと説明しましょう。 』
という歌を詠んで、梅を護ったひとの話を聞いた事があります。 ( 紀貫之の娘でした?ちがいました? )
切った中からのひとつを玄関に飾ってみました。 中々 気に入ってるるんですが。
果たして、一週間後に帰った時に< 梅 >の木は無事立っているでしょうか。
どなたか歌を詠んで老母に届けてやって下さいませんか?
ご縁の深~いところですから。
20数年、表具をしてきて、やった事のない仕事はあります。 勿論ですが。
不思議なものでこのところ重なってやって来たのが ≪ 野点傘 ≫ の修複。
広げると2メートルはある朱色のあれです。 飾り糸の美しい立派なもの。
ひとつは全面修複。 飾り糸を全て外し、骨を開き新しい和紙を張り込み、油を塗り飾り糸を編み込み・・・。 知識も経験もないので、わたしひとりで出来るはずもなく、助っ人を頼み蘇りました。
実にいい勉強になりました。
そして、なぜか又やって来ました。 今度は大掛かりにはせず、部分修複との事で。
破れた箇所を目立たぬ様に直し、折れた骨部分を直すというもの。 破れているでしょ? これを
なんとか・・なんとか・・目立たぬように・・。
こんな感じでご勘弁を。 折れた骨も 金具で補強してこんな感じに。
仏前結婚式に使われるということです。 あそこですね、あそこ。 あそこで使われるんですから少々の無理をしてでも・・・・。
させて頂きました。
ご用命、ありがとうございました!
≪ フルオーダーメイド ≫。
百代という大きさの阿弥陀如来絵像軸。( 竪・51、5cm × 横・18,2cm )
数十年前、本願寺から受けられたほとんど傷みの無い御軸。 新しくお仏壇を迎えられたのでしょうか、この度この御軸を下される事になったと。
それでも、何年も手を合わさせて頂いた大事なご本尊。 形を( 三つ折り )に変え、持ち歩き出来る様にしてほしいとのご依頼。 高さも30cmにとのご指定。 ( 裏書き )も大事なので、どこかに付けてほしいと。 持ち歩きで擦れてしまってはいけないので、ここしか考えられません。
旅行等で宿泊される時もお部屋でお勤めできますね。 ・・・もちろん市販されている( 三つ折り本尊 )も色々な大きさのものがあり、はるかにお求めしやすいでしょう。 ( ご本尊に、高い安いと金額で考えるのは恥ずかしい事ですが・・。 )
かなり高くついても ( また言ってしまいました ) この絵像を! と言われるお心に共鳴いたします。 世界にひとつしかないご本尊と仕上がりました。
ちなみに。
絵像のまわりの裂地の間に水色(浅黄色)と黄色の細いスジがありますね、見えますか?
あれだけ細くとも正絹裂地を裏打ちして廻してあるのですが、本願寺派(西本願寺)ではこの2色。 大谷派(東本願寺)では、水色(浅黄色)と紺色の2色が正式なものと決まっています。
お仏壇があれば、覗いてみて下さい。 ・・・覗く・・失敬致しました。
≪ 出山の釈迦 ≫
6年間の生死を彷徨う程の苦行でも≪ 悟り ≫の世界に入る事の出来なかった< ゴ―タマ・シッダ―ルタ >=< 釈尊・釈迦 >は、山を降ります。 苦行を共にしていた5人の仲間からは 『 あいつは堕落した。 』 と言われながらも、川で沐浴し村娘・スジャータの差し出した乳粥を食し菩提樹のもとに座し、静かに瞑想に入ります。 そして、あらゆるものの真実の有り様に目覚められ ≪ 悟り ≫の世界に入られました。
山を降りる 『 出山の釈迦図 』 は、有名な作もあります。 像もあります。
これは修行中か苦行を止める決意をされた時か・・。
菩提樹は描かれていませんし、岩に囲まれていますし。 あばら骨の印象強烈な座像を見た事がありますが、この画も随分やせ細っておられます。
しかし表情が苦行中とは思えず・・で、苦行を止めるという大きな決意を持たれた直後ではないかと。 絹本かなり弱っています、大事に修複いたします。
余談ですが。
『 如来 』・『 仏 』は( 釈迦如来・阿弥陀如来など ) シンプルな( 粗末な )衣を身にまとっておられて、『 菩薩 』は( 観音菩薩・勢至菩薩など ) 冠・首飾り・腕飾りに美しい衣をつけて描かれ彫られていますね。 なぜか?
お釈迦様と重ねて現わされてきたからです。
≪ 菩薩 ≫とは≪ 如来・仏 ≫になる前の位です。 悟りをひらき次には必ず≪ 如来 ≫となる方を≪ 菩薩 ≫といいます。 お釈迦様は悟りをひらかれた時は粗末な衣でしたが、その前はどうであったか・・。
お釈迦様は、思い立ち苦行に入られるまでは≪ 釈迦族の王の子・王子 ≫としてカピラ城に暮らしておられました。 ≪ 菩薩 ≫の姿は、悟りをひらかれる前のお釈迦様の姿・ファッション( 王子としてお城で身に着けておられた姿 ) で現わされていたんですね。
・・・・・エラそうに言ってますが・・もちろん お聞かせ頂いたお話です。
すみません。
でも、そう思って拝見すると またひとつ 思いが深まりませんか?
≪ 千羽鶴 ≫。
『 私は千羽の鶴は折れませんので、描きました。 』
そう言って持って来られたと聞いています。 一枚の和紙に描かれた100羽の鶴、それが10枚。 ≪ 千羽鶴 ≫ ひょっとして、折るより大変だったのではないでしょうか。
本願寺広島別院に納めに来られた画を 額か軸に・・出来たら軸装に出来ないでしょうか・・とのご相談がありました。 『 申し訳ない、あまり予算は・・。 』 と。
広島で原爆被害に遭われたご家族がおられる方なんだろうか・・?
そうではなく、平和の願いをもって何かしたくて思い立たれたんだろうか・・?
作業しながら色々な想像が巡ります。
何にせよ、予算がどうあれ、ここは栗山表具の出番とばかりにこころよくお引き受けした訳です。 額装にすると保管場所にかなりのスペースが要りますから、思い切って軸装に。
別院に10幅並んだところをご覧になられたら、さぞかし喜ばれるだろうなあ・・と思うと、予定よりチョッと良い裂地にしたりして。
予定よりチョッと手を加えた表装にしたりして・・。
栗山の悪いクセです。
私は家中でも、ダウン着てますが。
島根・三隅町・宮ヶ迫集落集会所にて ≪ 端心講 ≫ の報恩講。
128回を数えるとの事・・・128年続く讃仏のお集まりです。
父も祖父もこの≪ 講 ≫を大事にしていたという思いが、私にはあります。
昨日帰山、明日帰京というスケジュールになっても 喜んでお参り・お話させて頂きます。
そうそう、うちの < ソテツ >。
やっぱり、何のおくるみもなく寒風に晒されていました。
『 あたりまえだ! アンタが何かした憶えがないだろおお! 』
・・という彼の声。 いやいや、大丈夫なもんですよねえ。 十分元気にしてるじゃん。 なんで大谷本廟のは、あんなにグルグル巻きにされていたんでしょう。 どっか具合が悪かったんでしょうか。
しかし、せめて約束どうり あたたかい言葉をかけておきましょう。
・・・『 ワンパクでもいい。 タクマシク育ってほしい。 』
『 え~! ( 怒 ) もっぺん言ってみろ! 』 彼の声。
≪ 教如上人 ≫
この一週間ほとんど家を出る事なく表装仕事をしていましたが、その中のひとつ。
≪ 教如上人 ≫自影軸の修復。
大阪・石山本願寺にて織田信長と戦った 本願寺11代門主 ≪ 顕如上人 ≫ の長男で、長引く戦いに和睦を選ばれた父や弟( 准如上人 )と一線を引かれた方です。
『 権力に屈すべきではない。 必ず信長は念仏の教えを消しにかかる・・。 』 と。
ここで、東本願寺と西本願寺に分かれました。 もちろん時の権力者、秀吉・家康や多くのひとの思惑が影響してのことでしょう。 何にせよ、顕如上人~准如上人に流れをくむのが西本願寺、顕如上人~教如上人に流れをくむのが東本願寺となっています。
今年4月、東本願寺では教如上人の400回忌を勤修されます。 このタイミングでこの修復がまわってきた事もあり、教如上人について学びたく思っています。
大きな歴史の上でしか学んでいませんので、きっと知らない事が多い事でしょう。 残っている資料は非常に少ないと聞いていますが・・。
この軸の裏書きは何故か意図的に剥がされていて、何時の年代のものかはっきりとしていません。 ・・が、絵絹・描かれている線の様子を 今までしてきた修復のものと比較して、300年位は前のものと思いました。 あきらかに 江戸後期などではありません。 鑑定士ではないので大きな声では言いませんが。 ・・・言いましたが。
それにしても・・・やはり・・意志の強そうな表情ですよねえ。
≪ 如月忌 ≫。・・でした。
久々に本願寺に。
『 あ~伝道院の屋根、こんなにキレイだったかなあ。 懐かしいなあ・・あそこでは随分しぼられたなあ・・。 』 などと思いながらのんびり門をくぐると、『 ? 』 何時に無い賑わい。
表装の事で行きましたが、今日は2月7日。 頭の中に無かったのが申し訳ありません、≪ 如月忌 ≫。 九条武子さまのご命日法要の日でした。
白州にはパネル展も開かれていて、沢山の方々がお参りでした。
法要・記念講演のあと、ぜんざい・甘酒の振る舞いもある予定だとか。
大谷本廟での約束があったのでそれまでは居れません。
大谷参道では実にあたたかく包みこまれた < そてつ > を見て、西蓮寺の庭のそてつを思い出しました。
『 うちのは何のオクルミもしていないが・・彼は大丈夫なんだろうか? 明後日帰ったら・・
あたたかい声をかけよう。 』 と。
題名に困る日々。
昨日から中々ハードな3日間。
昨日、午前中に京都中京区のお寺へ。 表装の件で訪ねたのですが、いつもながら話題は飛んで飛んで楽しい方向へ。 お坊さんが読経の時打つ <キン> <ケイ> <サハリ> のルーツなど・・。
古い骨董のような品々を よくもまあ集めておられる・・と感心しながら二人して打ちながらお話を。 以前から < サハリ > の 『 シャラ~ン。 』 という音は好きでしたが、錫の量を多く含ませると この音色のモノになるのだと・・・何でも御存じですねえ。
打ち物で使用せず、茶の道具にしてあったものもあります。 ひねって、< 華生け > で使われていたオシャレなモノも。 叩けば良い音色なんですよ・・カッコイイ・・。
そんなこんなでお昼に京都を出て一路島根に。 途中 『 魚があるよ! 』 の電話をもらい喜んで ≪ ヤッさん ≫ の家にお立ちより。 獲れたてのワカナをおばさんが さばきながら待っていて下さいました。 深く感謝。
お礼もそこそこに飛び出て、美都町のお寺へ。 到着は午後6時30分。 所用を済ませ西蓮寺、8時30分。
今日は午前中、ご法事。 三部経の後お食事をご一緒させて頂き一度帰宅。 着替えて、益田のお寺へ。
内陣の御軸の紐が切れて落ちたとの相談を受けていたので、道具・材料を持ってお直しに。
明日は朝いち七日参りの後、山口県・柳井市のお寺に立ち寄り、そこから京都へ走ります。
なかなかヤルもんでしょう? そうそう、≪ ヤッさん ≫ が京都の友人・知人にも食べさせてあげて下さいって お魚を用意して待っていて下さる予定です。 柳井に行く前に寄らせていただきましょう!
『 わたしに下さい! 』 って方、すぐご連絡を。 もちろん、 ご自分でサバける方に限りますよ。
<香光荘厳>。
一昨日から帰山しております。
京都にて遅れていた表装仕事をしていた朝、ご門徒のおばさんがお亡くなりになったとの電話があり、2時間後には島根めざして走り始めました。
81歳。 走りながら色んな姿が思い出されました。
前総代長の奥様として長年西蓮寺を支えて下さいました。
法要・法座の度、朝早くから台所仕事に走り回って頂くお姿。 みんなの話題の中心になり大笑いをされるおばさんではありませんでしたが、いつも静かににこやかにお仕事下さってありました。
『 結婚当時、みなさんが忙しくされている法座の台所で、何をしていいのか どこに何があるのかも分らない私に、いつも声をかけて下さったのはあの方だった。 』
家内から何度となく聞いていました。
『 若奥さん。 これを一緒にやりましょう。 』 と。
一昨日夜、当家にたどり着き、本山から頂かれていた法名を見せていただきました。
< 釋 映 芳 >
はえわたる・さえわたる 芳しき香り ・・・・・ たまたま頂かれた文字の法名かも知れません。 おそらくそうでしょう。 それでも、おばさんのお姿と重なって法名の名をもって教えられている事を感じました。
そのひとにしか歩めない日々を丁寧に歩んでおられる方には、そのひとにしかない <香り> がある事を。
言葉にされなくとも、その <香り> を感じ自らの中に大事な教えと受け止めるひともある事を。
< 香り > は、その場所に留まらず広がっていきます。
ひとが踏み入る事のない山奥にひっそりと咲いた <蘭> の香りは、何里もはなれた旅人のところまで漂い、その存在を心地良さと共に教える・・・という話を思い出します。
お子様方・お孫様方・親族の方々・地域の方々、みなさんに 香りが広がっているでありましょう。
今 午前10時。 午後、葬儀です。
親鸞聖人の御命日。
≪ もったいない暮らし ≫。
1月11日、帰山。 老母が出した晩御飯、1月3日の夜食べた鍋料理の残り・・。
『 え~・・。 大丈夫か、これ? 』
『 大丈夫。 間でいっぺん火をいれた。 』
『 ・・・・。 』
『 大晦日のもとってあるけど、ありゃあ ダメかねえ。 』
『 ・・・・・・・・・・。 』
出されたからには、完食。 明日の自分は大丈夫かと思いながらも、完食。
今日の朝刊に< フードロス >の記事が出ていましたが、この山寺に< ロス >は見当たりません。
『 もったいない 』がしみ込んでいるのは良いのですが、危険と紙一重の事も・・気のせいでしょうか。
冷凍庫など ≪ 永久保存庫 ≫ と思っているふしがあります。
しかも、そろそろ腐り始めたから冷凍しておこうか・・などと思っているふしもあります。 怖い。
しかし、安心して下さい。 家の者・自分達はそうでも、みなさんにお出しするものは違いますから。
夜が明け、お参りに行って今 帰ってきました。
大丈夫そうです。 山寺、< もったいない暮らし > しています。
≪ バイクで走る坊主 ≫を。
いや~実に爽やかな≪ 結婚式・披露宴 ≫でした。
京都駅近く ≪ マリアージュ・グランデ ≫ にて、画家のお二人が 誓いをたてられました。
160人近くの列席者の中でわたしが知っているのは3~4人でしたが、何人もの方とご挨拶を交わし
『 あ~、掛け軸表装の。 見に行きました。 』
『 とても面白いと思って見ています。 』
新郎の作品を軸装させてもらっているので、展覧会をご覧になった方とはすぐ話が弾みます。
会場入り口のウエルカムボードの横には、新郎新婦の< フィギュア >が。
友人のひとりがキャラクターにデザインして、別の友人が作り上げてプレゼントしたモノとか・・。
さすが、アーテイスト集団。 わたしのも作って欲しいなあ・・と思いながら写真を撮っていたら、若い3人の女性がやって来て、
『 栗山さんですよねえ。 彼と同じく日本画をやっている者です。 』
『 軸装、とてもステキです。 』
『 彼がいつも、栗山さんの事を熱く語っているので・・。 お会いできて良かったです。 』
・・・・・・・なんていいヤツなんだ、お前!
もっと ご祝儀、はずむべきだったあ! (笑)
おめでとう、いつまでも仲良きお二人である事を心より!
≪ パワー ≫?
新しい年を迎えさせて頂きました。
元旦朝6時からの修正会勤行、まだ暗く寒い中 今年も三浦家お3人様がお参りに来て頂きました。
ありがとうございます。
そして、夕方。 恒例、姉家族がドッサリ食料抱えて来てくれました。 美味しく、楽しく・・ありがとう!
2日、先程 境内に車が上がり、正月に初めて来て下さったお2人。 おばあさんと娘さん。
西蓮寺の年7回の法座にはほぼ皆勤でお参り頂いているおばあさん。
『 まあ、ご院家さん。 帰っとんさったかね、よかった よかった。 』 ・おばあさん
『 娘が、お寺に連れて行ってあげようかねって、言うてくれたんでねえ。 うれしゅうてねえ。 』 ・おばあさん
『 お母さん、この間から何でか ちょっと< ウツ >になりそうなくらい落ち込んでて・・。』 ・娘さん
『 まあ~。 ・・・本当かね、おばさん。 』 ・わたし
お供え物を内陣に上げ、短いお勤めをご一緒に。
コーヒーを運んで、ストーブにあたりながら しばらく世間話・・そのうち、おばあさんからご法話もチョッと頂き・・。
終始、3人で大笑いしながら。
『 まあ~今日は来れて、本当によかった・・。 』 ・合掌されるおばあさん
『 ホント? そりゃ、よかった。 もう 帰んさるん? どれどれ、ここはひとつ わたしの≪ パワー ≫をあげておこう!』 ・おばあさんの手を握るわたし
『 まあ、これは これは。 』 ・3人で大笑い!
車に乗り込んでも、おばあさんと娘さんの漫才の様な会話と笑い声が 聞こえてきます。
窓が開き、笑顔で合掌されて帰って行かれました。 ・・・また いつでも来てくださいよ、おばさん。