12月8日、イチョウ越しの阿弥陀堂。
近況。
ご縁頂いて京都芸術大学に招聘講師として伺う事になりました。表具師として頂いたお話、4日の午後まずは90分ばかり20人の日本画専攻の学生方に「表具あれこれ話」。
実際見てもらった方が楽しいかと思い特徴ある掛軸を数幅持参いたしました。
最初の概要説明では少々退屈そうだった(?)学生も、実際に現物を見ながら「何をどう考えて裂地を選び、寸法を決めるのか。それにより画の見え方がどう変わるのか。」という話には眼差しに輝きの違いが見受けられました。 これから描き続けられる中で額装は茶飯事でしょうし、ひょっとしたら軸装される事もあるでしょう。 この時間が方々の何らかになる事を願います。
今後、制作されつつある大作数点の裏打ち実習に入ります。 よろしくお願いいたします。
話変わりまして、もひとつ近況。
かねて依頼していた『華葩』、スケルトンの華葩。両手で温めるとユックリ花びら状に曲がってくる華葩。 金珉氏にデザイン依頼していたものがやっと韓国から届きました。
十年以上前に制作した時、人気のあった「花びら蛙」はリクエストしておりました。 そして彼の画集で見た「小鹿」も。 ≪鹿野苑≫謂れを浮かべながら。 (鹿野苑、釈迦四大聖地のひとつ・さとりを開かれた後最初に法を説かれた地=サールナート。 ちなみに四大聖地とは、〇ルンビニー<お生まれの地・生誕地> 〇ブッダガヤ<おさとりを開かれた地・成道地> 〇サールナート<最初に法を説かれた地・初転法輪地> 〇クシナーガラ<ご往生の地・涅槃地>)
数枚づつ入れる簡単な袋も頼んでおいたら、なんと珉氏 封筒デザインまでして送ってくれました。折り紙の「船」を描いてくれました。なぜこれを描こうとしてくれたのか・・また、出会った時に聞いてみたいものです。 そして封筒のこのしっかりした素材に驚き喜び。
さて、これから如何いたしましょうか。色々考えてはありますが・・上手に扱いたいものです。
年に2回だけの御軸。
10月29日当山報恩講。この世情の中にあっても細心の注意をもって例年通り勤めさせて頂けた事を皆さまのお蔭と感謝いたします。
清掃奉仕に始まり、前日には台所世話役方々によりお斎下ごしらえ・餅つき。 当日も早朝より女性7人・男性4人が集まって下さり、あっという間にそれぞれの持ち場に走りついていかれます。
午前9時半始まりの本堂、8時半あたりからボチりボチりとお座りの参拝者。ジッと座っておられたら寒いかと思いストーブに火をつけていましたが日中には必要なくなるくらい良いお天気の日です。 朝のお勤め、そしてご講師・浄蓮寺 早川顕之師の法話。 お斎を頂き午後1時半からお勤め、そして夕方までのご法話。 何百年続く報恩講を今年も皆さまとご一緒に勤めさせて頂きました。途切れさせることなく・・・・。
この報恩講と1月の御正忌の年2回だけ本堂内陣右余間に掛ける≪ 親鸞聖人四幅御絵伝 ≫。 聖人のご一生が一段一段の画で描き出された御軸。もっと古くからのものをお持ちの寺院もありますが、それでも当山の四幅は260年前に本山から受けたもの。それ以前の創建ではありますが、中々願い出て頂き受ける事が難儀だった時代であったことを思います。 この門をくぐって来られた時の皆さんのお喜びは如何ほどだったことでしょう。 御軸の到着を当時は住職はじめ門徒揃って門にならんでお待ち受けしていたものだ・・とのお話を聞いたことがあります。
以来、260年毎年報恩講には懸念してみ教え伝えて下さった聖人を偲び感謝のお勤めをさせて頂いている・・・そう思いながらこの度も紐解き掛けさせて頂きました。
そして、次の日には昨日のお座を思い出しながらひとりの本堂で、軸を下ろし巻き桐箱に仕舞い納めます。
次にこの箱を開けるのは来年1月と⒑月です。
『麒麟がくる』がすでに来ていた。
『赤糸花』。
9月22日、秋分の日・彼岸のお中日。彼岸法座を開きました。
今年の夏は長雨の後大変な暑さが続くと思っていたら、あっという間に秋深まっていました。
小さい秋見つける時間なかったくらいに。この日は寒いくらいの朝も日中には心地よい爽やかなお天気にて皆さまと法縁の一日をご一緒させていただきました。
お昼食準備並びにお茶接待の心強い世話役の皆さまは早朝よりお集り頂きました。「おはぎ」が無いのもさみしいからと、お家から「おぜんざい」作ってきて頂いたかた。「栗ご飯」にしましょうと、栗を剥いて持ってきて頂いた方。前日に野菜持ってきて頂いたかた。前々日に清掃お手伝いに来て頂いたおかた・・・。有難いかぎりです。それぞれが迎えられるお彼岸です。
庭に真っ赤な一本の「彼岸花」。
みんなと離れて一本だけ咲いています。
葉っぱをつけず真っすぐ天に向かって咲く不思議な花です。色々な名前があります。「曼殊沙華」は天から降る華のようだからでしょうか。 お墓のまわりに多いからか「墓花」「死花」(根に毒分があり土中からの侵入虫を防ぐ為に植えられたとの説が)。
葉と花の時期が一緒ではないので「歯っ欠けばばあ」(葉が無い=歯が欠けている・・なぜジジイではないんでしょう)。あまりいい名前が日本にはありませんがお隣・韓国には素敵な名前があります。 「相思花」。
「葉」と「花」の時期が違う、一緒にいる時がない。だからお互いに相手を思っている花。
「あの方、今頃どうしているかな?」と。 なんて素敵に見ておられるんでしょう。 他とちがうのを変だ・おかしい、とは見えずにその内面をに分け入ってひとつになって感じられたんでしょうか。
同じものを見ても、見るひとによって見るひとのこころによって「見える世界」は全く異なっていることを改めて感じます。 『 花が綺麗なのは、あなたのこころが綺麗だから 』という言葉を思い出します。 ( ・・反対もありますね。花が雑草に見えるのは・・失礼。)
いずれにしても誰かがつけた花の名前。わたしはこの花をこう呼ぶ、とわたしと花の間にしか分からない名前をつけてもいいですね。 さて、あなたは 何と名前つけて呼びますか?
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『一分間法話がやってくる』 住職が「お話」をお届けいたします。 山寺に訪ね来て頂いた貴方さまと 庭を見ながらお話しするように お茶を飲みながらお話しするように。 日々の身近な出来事・聞こえた言葉について あれこれと。 いそがしい毎日・あわただしく過ぎる時間に中にあって 「ホッ」とするひと時を 「ハッ」とする気付きを。 「お話が届く時」は 貴方さまが「山寺に訪ね来て頂いた時」です。 是非ご一緒させて頂きたく存じます。 ご登録をお願い申し上げます。 拝
何代にも繋がる、彼岸。
やっと風に涼しさを感じる頃になりました。
明日から一週間のお彼岸、明日が彼岸の入りです。
お彼岸までに間に合いますか?というご依頼の掛軸修復のお仕事がありました。あるお寺さま「門徒さんがこの度お内仏(お仏壇)を新しくされるのですが、今度のは以前のより少々小ぶり。ご本尊・両脇軸をそのサイズに合うように新しくお迎えしてもいいのですが、長くお礼してきた三幅を小さく仕立て直す事は出来ますか?かなり小さくしなくてはなりません、本紙そのものの上下をカットしなくてはならないとおもいますが、それでも出来るなら・・」と。
掛けられる壁面の縦横寸法をミリ単位で確認しながら。
着金軸先もギリギリまで内に納めて、本金の裂地も上下はギリギリまで細くして。 可愛らしくという言い方は不遜でありますが、スッキリとシンプルにスタイリッシュに修復仕上がりました。
新しいお家に迎えられるのでしょうか。 お子さんのお家に受け継がれるのでしょうか。
何にせよ、長くお礼させて頂いていた仏さま、お姿は少々変わられてもそのおこころを繋いでいかれるというお話に感じ入りつつ修復作業させて頂きました。
西蓮寺の彼岸会はお中日の9月22日にお勤めさせて頂きます。午前は9時半から、午後は1時半からです。
ご一緒にお勤めさせて頂きます。
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ひさびさに画廊。
新しい試み。
「年々お参りが少なくなってくる、お寺に参ってくれない、縁がない」「この先いったいどうなるのか」各お寺の世話役が集まって出てくる話は同じ話ばかりですと、総代さんが仰います。
東京に人口の十分の一、1000万人が集中して里に生活するひとは減るばかり。全国の里では何年も前から寺院の廃寺・合併の声が聞こえています。人口減少に加えて仏法離れ・お寺離れ・・。もちろんどのお寺も色々な活動されてありますし、わたしも京都島根を往復し表装仕事をし出稼ぎして、住職として西蓮寺での法座開座と僧侶として布教を大事としているつもりであります。 それでも、仏法お念仏は果たして広がってゆくのか? 西蓮寺は10年後20年後どうあるのか? と沈思する事、多々あります。 そこで、縁あって新しい試みを始めることにいたしました。おそらく賛否両論、批判あるであろう試みです。
インターネットの時代。『オンライン法話』配信を始めます。批判あるであろう事は『有料』で。出会った事もない遠くの方に法話を聞いて頂く事の出来る時代に本山はじめ沢山の方がサイトにて配信されてあります。無料で。広く聞いて頂きたいとのおこころで、僧侶の勤めとして。おそらく有料でというのは無いのではないかと思います。ですから批判あるでしょう。なぜ有料にするのか、それは聞法道場として里のお寺を維持してゆくのに不特定多数の方に少しずつのご寄付頂ける縁ある方として繋がれないかという願いです。いや、タクラミと仰っても結構です、その通りです。
その御礼として、せめて住職がひと言のお話を という事です。
色々やりたい事あります。裏山の朽ち果てかけた梵鐘を下に移転して毎法座撞きたい・・・足の難儀な方増えておられるのでお昼食の場にテーブルと椅子にしたい・・言い始めたらきりがありません。しかしこの時節、皆さまの日々精一杯であるところにご寄付願いは中々・・中々・・。
「お父さんの法話、ネットにあげたらいいのに。難しくないやつ。友達知り合いに言ったら聞くで。みんな。」 かなり前に息子が言っていました。その時はまさかそんな、恥ずかしい・・と聞き流しておりました。 数年たった最近その息子が「このサイトだったら法話配信以外にも色んな事がこの先出来る可能性があるで」と話を持ってきてくれました。どうしたもんか随分ふたりで話しました。 そして、やってみる事にしました。やってみなければ何も始まりません。何も変わりませんから。 『 オンライン法話動画・15分・500円』
息子が撮影機材準備して撮影してくれました。配信手続きから何から・・。 「15分じゃなく、1分法話何本か出来る?ひとに紹介する時これ見てこんな感じって言うのに1分くらいでないと。」それ見て頂いて興味あれば15分の縁を結んでもらえると。 なるほど。 時代はスピードですね。 この1分法話がムツカシイ! しかし、ムツカシイけど考える話すのが、楽しくも。 4本撮りました。
この私の15分法話、厳密には法話ではありません。仏願の生起本末を説く形ではありません、日々に出会った事からお話する感話です。住職話。 全く仏教・聴聞にご縁ないお方のきっかけになれば。こんな話もあるなら近所のあのお寺、行ってみようか・・のご縁繋ぎになればこんなうれしい事はありませんが、そうでなくても疲れた日々のひと息つく時間であればとも。
あわよくば、遠くても西蓮寺のお座に来て頂くかたあるかも・・・可能性はいつもゼロではありませんから。 あわよくば。
よろしければ、こちらから。
https://tsuku2.jp/sairenji
『念仏の 声を世界に 子や孫に』数十年前の本願寺のフレーズです。
子や孫にお伝えください
「お前も お寺に寄付してみるか」
あいにくの雨、めぐみの雨。
7月7日、安居会を開座させて頂きました。 春季彼岸会・四月の永代経・五月の降誕会を中止にしておりましたので、一月の御正忌以来実に半年ぶりの法座。早朝よりの皆さまが交わされるご挨拶の声と笑顔に、本堂が喜んであるような感ございました。
万が一に備え、各所に消毒用アルコールやトイレにはペーパータオルを準備して、近くでお話する時はマスクを忘れずに。 台所の世話役さんはもちろんの事、ご聴聞の皆さまもマスクを持参されての一日。「西蓮寺にお参りの方にどうぞ」と、長岡京市の叔母が浴衣生地の手作りマスクを50枚送ってくれてありました。お一人お一人にお配りいたしました。受け取ってくださる方々の笑顔にあえることも有難し。
安居というご縁にて、お釈迦様当時のお話からはじめて涅槃図を見て頂きながらのお話へ。その中でも四枯四栄の沙羅双樹のお話へ。
午後は樹木のいのちというお話繋がりのつもりで、桜樹と藤を。
昨年86歳でお亡くなりになった隣寺の老僧がくださった一筆箋に添書きされてあった一句。『 見る人も 七百年の櫻木も ともに大悲のみどり児にして 』・・・・・・
そして、11年前亡くなった父が残していたメモ書きにあった句。それをさかのぼること18年前に祖父が亡くなった五月の葬儀に焼香に来て頂いたあるご住職が、境内の零れ散り始めた白藤と祖父を重ねて詠んで下さった句。なんと六首もの句・・・・。 『 耐えいしが 耐え得ずなりて 藤散れり 』 『 散ることは 地に還ること 藤の花』 『 帰るべき 地あれば零(こぼれ) 藤の花 』・・・。 (5月当時の藤)
地・大地は私たちにとっては、このいのち支え続けてあってそして帰るところ「浄土」であり「如来」であり「大悲」といただきます。 しみじみと読ませていただきます。 藤の花を詠んで下さった師も、桜の華を詠んで下さった師も父も祖父も大地界に帰ってあります。
やはり『手』はこころです。 『手紙』はただの紙ではなく、『こころ』が込められた紙です。 メモ書きであれなんであれ、この二枚は大事な手紙です。 その手紙にこめられた思いが、西蓮寺本堂で皆さまにもう一度届きました。 書き留められる方もありました。 ひょっとしたらこの『手紙』、わたしのいたり知らないところまで、どこどこまでも届いてゆくかも知れません。 やはり、死んで終わりのいのちはありませんでした。 その事を思いながら、本堂の外は雨 雨 雨。
三蜜さけて自宅にて。
新型コロナウイルス感染終息が見えない為、5月連休明けまでだった緊急事態宣言が五月末日まで延長されました。このことを受け西蓮寺で予定していた5月21日の降誕会法座(兼永代経)の中止を決め、有縁の皆さまにその旨を封書にて連絡いたしました。以前新聞等で話題になっていた「新型コロナウイルスの感染拡大を受けて休校しているイタリア・ミラノの高校の校長先生が学校のホームページ上で生徒に向けて書いたメッセージ」とそれに対する私の思いを書き添えて。
ひとと出会うことが自粛という名で制限されて長く日にちが経っています。
どのお寺さんもその様ですが私も法事・お参り事が延期・中止され、ひとに出会って受けている表装のお仕事も無くなり・・・さびしいですね。
そんな中思い立ったのが、「本願寺手帳カバー制作」。ここ住職あれこれ上の(2017・12・8)に書き込んでいますが、浄土真宗本願寺派で得度したものに毎年年末に送って頂く次年度手帳。 ビニールカバーがついている中の紙表紙を抜き取って、 表装用裂地を入れてここ毎年自分だけのオリジナル品という愛着心持って使っております。一昨年のはこれ、 昨年のはこれ、 今年のはこれ、 正倉院などにある昔の裂地の復元織です、今年のは。カッコイイ!・・・でしょ?
で、それをあるお方によろしかったらとプレゼントしたところ大変喜んで頂いたらしく、「知人にもあげたいが作ってくれるか」との嬉しいお言葉。「一枚、いくら?」と。
「お代はいりません。どうしても端切れが出てくるもので、軸・額等に使用出来ないくらいの端切れでも勿体ないと取っておいたものを使っていますので。売りはしませんが、プレゼントはします。ただ、時間がかかるので何時になるかわかりませんが。」と。
今でしょ! というわけで一念発起。取っておいた端切れ入れをひっくり返し、とりあえず20枚を目指して作業開始。 腰が痛くなるくらいコンをつめても一日5枚、考える時間が結構あるもので。
それでもやり始めると、面白くなってきて楽しくなってきて。無心で作業するはずもなく、心コロコロ。数枚並べたらどれを選ばれるだろう・・・これを選ぶひとはどんなひとだろう・・・・この裂地はひとつ女性用として考えてみよう・・・これを選ぶひとは中々のお目が高い人だ・・・そうだ、あのひとにもプレゼントしようか・・・要らないと言われはしないか、まさかそんな・・・いや、第一手帳を使っておられるか・・・趣味の押し売りはいやらしい・・・プレゼントなどといってかえって気をつかわれるのでは・・・めくりめくってみると、実は見返りを期待している坊主がここにいるのではないか・・・いや、そんな・・・ああ、布施ってムツカシイ・・・。 楽しいもんです。
で。かなり作ったので記録写真撮りました。 いきますよ~!
斜めラインが素敵でしょ。むら染め風裂地。和服に合う女性バッグのよう。ライン切り替えしがシャープ。切り返しまくり。これは時間かかった。。鬼絓裂、今はもう織られなく・・。 どど~ん! どひゃ~ん! 実はまだまだあるんですがね。 どんだけひまだったんですか (笑)
フォトギャラリーに入れればよかったんですね、今気づきました。
何にせよ、ひょっとしたらゴミとしてビニール袋に入れられて焼かれていた君たちがこうして新しいいのちを吹き込まれてここに輝き出でた事を、まぶしく見つめます。
この事の縁になって下さった方々に深く御礼の思いもちつつ、旅立つ日を楽しみに。
《 紺屋の白袴 》。
4月8日の永代経法要は延期とさせて頂きましたが、寺院の集まり三隅組の総会もあり帰山。 この際この縁に本堂庫裏の襖・障子を全て一挙に張替える事を思い立ち、平素付き合いのある表具材料屋から襖紙等を仕入れて1日から8日まで。 朝から晩まで作業し続けても8日間かかりました。 襖50面、障子大小60枚。
「 紺屋の白袴 」「 医者の不養生 」「 髪結いの髪結わず 」「 易者の身の上知らず 」・・・表具屋の家の襖ほどボロボロになっているものか。
気にはなっていましたが30年以上手を加えていない襖は乾燥しきって裂け破れていました。本堂後ろの法中控え部屋など『 どうしてこの襖、ポスターが二枚も貼ってあるんです? 』と聞かれた事があるほど。大きく裂けているところに金珉氏の仏画ポスターを貼って隠していました。 中々いいと自分に言い聞かせて。
障子は数年前に全て張り替えましたが、誰があけたか大穴小穴。 色も渋く?変化。
やり始めてすぐに思いました。『 やるんじゃなかった 』
やり始めたら仕方ありません、誰訪れる事なき山寺、鳥の囀り聞きながらひたすら。
めったに開けない場所では、朽ち果てて縁が用をなしていない襖を見つけて暫し茫然とし、ネズミの死骸に遭遇し、子供を産んだ猫の追い出しに格闘し・・・。
世の中、新型コロナウイルスで朝から晩まで都道府県の人数が報道される中。
裏山の遅い桜は咲き誇り 梅は緑葉を纏い 椿は茶色に崩れ 水仙は最後の力を振り絞り 鶯は誰も聞いていなくても練習を重ねて上手になりました。
『 ほとけさま おてんとさま おかげさま おたがいさま 』
互いに繋がって、縁に触れ咲いて散って生ききる姿に教えられる事多い日々。
うつらない様にではなく、うつさない様にとマスクマスク。
ウイルスでひとに迷惑かけて害なして命まで脅かすだけでなく、そのマスクの下の口から出るのは四つあり!と仏法。
《 妄語 悪口 両舌 綺語 》 嘘をつき、悪口言って、二枚舌使い、おべんちゃら言う・・・・。 ひとを傷つけ自分を滅ぼします。 ご用心ご用心。
今春法座、中止と延期のご案内。
有縁の皆さま
早春のみぎり お変わりなくお過ごしでございましょうか、お伺い申しあげます。
さて昨今毎日「新型コロナウイルス」感染報道多く耳目にし、心落ち着かない事でございます。
過度な対応の必要はないと言いながらも、日増しに増える感染者数・重症化した場合の治療投与薬がはっきりしていない事を思います時、ひとつ処に長時間同席し食事もご一緒するこの春の法座の中止と延期を決めました。
3月20日(金)予定 彼岸会 中止
4月 8日(水)予定 永代経法要 延期
《 5月21日(木) 永代経法要 並 降誕会 併修 》
密閉空間を避けるため外に椅子を出してのお勤めとする・昼食はその場で食さず持ち帰ってもらう・・・等色々な対応をされる寺院のお話も耳にします。
今日の時点で島根での感染者はありませんのでそこまで考える必要もないとも考えましたが、万が一・・万が一。 京都で様々なひとと触れ合っている住職と坊守が里に帰って広めないとも限りません。 万が一、万が一。
都会にあっては近くで咳をするひとを睨みつける光景を目にします。マスクせずにクシャミしてしまったところ大声で罵倒されたとも聞きました。
普段と違う状況になれば疑心暗鬼という鬼がこころを荒らします。どうか仏法お念仏にわが身を聴くわたし達にあっては、そのようなさみしい心生まれる事なく、共にいのち分け合って持ちつ持たれつここに生かせて頂いてあることを振り返りつつ、おそらく沈静化しているであろう5月21日には様々なご苦労を越えてこられた先達を思い聖人を思い、わたしを願われている如来さまを思い心晴れ晴れと法要聴聞をご一緒させて頂きたく存じます。
この時期に限ったことではございませんが、休養・睡眠・栄養を十分にとられてのお身体お大切をこころより念じ申し上げます。
住職 知浩 拝
#栗山廣大 #テコンドー選手。
息子・栗山廣大の東京オリンピックへの挑戦が終わりました。 各種選考大会で勝ち残った選手によるオリンピック最終選考大会が2月9日に岐阜県羽島市で開催、男子58㎏級一人68㎏級一人の出場枠を競う大会に68㎏級の最終選考者として出場しました。6人の最終選考者にまで残ったわけですが、あと一歩というところで彼の挑戦は終わりました。
振り返れば長い挑戦の日々でした。 ( 試合写真・栗山はすべて青 )
小学校4年生から高校卒業までバスケットボール一筋に打ち込んできた彼が大学に入って、突然格闘技スポーツ・テコンドーを始めました。 龍谷大学では体育局の部はなくサークルというテコンドー。十分な練習環境や指導者もない中、今に至るまで力強いサポートをしてくれる素晴らしいメンバーに恵まれ、4回生では大きな大会にまで出るようになっていました。 長年テコンドー競技を続けているひとには技術で勝てるはずは無いと、毎日毎日桃山御陵大階段で走り込み等ボロボロになるまで身体を追い込み体力をつけていたようです。ようです、というのは大会の度に何故か島根滞在予定にて試合を見に行けた事はありませんでした。
大学で仏教を学び在学中に得度し本願寺派僧侶になった彼が卒業後警察官になろうと思うと言いました。何をしていても僧侶念仏者、反対はしませんでした。それどころか私などが全く経験してもいない事を真摯に取り組む中に、考えさせられ気づかされる事多い大変な道を選ぶものだと思っていました。 警察というのは「 取り締まる・捕まえる 」のが仕事ではなくて「 まもる 」というのがその仕事なんだろうなあ、などと話した気もします。
実際に大変であったようです。家に帰っては多くの事を語りませんが在職中4年間、目つきが悪かったように思います。里の駐在さんと違い大都会においては、嫌われ罵倒される事も多々。 独居死後数か月の部屋での作業、自死の方の姿、意思に反して犯罪を犯してしまう方、事故により突然に命失う現場・・・。何もない日は無かったようです。
そんな中にあり夜勤明けで普通なら眠るところ、帰って来るなりウエア着て走り込みに。京都大阪の色々な道場に寄せてもらいながらテコンドーを続けていました。 有給休暇使いながら同僚にご迷惑かけながら大会にも出場し強化選手にも選ばれ、そしてついに平成29年全日本選手権74㎏級で優勝、日本一となりました。 その瞬間、各地でそれぞれの仕事に就いていながら応援に駆けつけてきてくれていた大学時代サークルメンバーが、本人より泣いていてくれた姿は忘れられません。
日本で一番になっても海外で戦ったら全く歯が立たない・・・。東京オリンピックで金メダルを目指し、多くのひとに感動を与えたい自分も感動したい、感動を共有したい。その為には海外で試合練習を積まなくては到底成し得ない、と大阪府警退職を決意。 特殊部隊SAT試験合格、競技続ける事を応援してくれる上司・同僚ある中、親としては「 もったいない 」の思いのみ( むろん固定給を含めて )。 ですが、彼の人生の決断。 退職と同時に収入はゼロ、海外武者修行となると全て個人負担、親はそこまで出せる余裕あるはずもなく彼も親がかりになる気もなく。
そこで取り組んだのがインターネットで不特定多数の方から募金寄付を募るクラウドファンディング。大学時代の先輩同僚の写真映像・文章のサポートを得て情熱の限りをぶつけてページを作成。100万円目標に120万円超える芳志が集まりました。 不特定多数と言えども熱い応援メッセージを書き添えて下さっている方々は実は、今まで彼が出会った方々ばかり。 サークルメンバー・警察上司同僚・友人・出向いた先でお出会いのあった方・・・。それがどういう意味であるかは彼はよく分かってあるようでした。 わたしはこのクラウドファンディングには全くノータッチ、親戚の誰にも声かけませんし知り合いにも、ましてやご門徒お同行さまのどなたにも。 彼のこれまでの歩みが切り開いたものであります、目標到達しなければ全て流れるこの企画が完成した時はこころより喜びました。わたしは出していないにもかかわらず(笑)。
お蔭にてその資金を持ってクロアチア・ルーマニア等に数か月。 帰ってきては競技継続に協力してくださるスポンサー企業を探す毎日。 大阪・京都・兵庫と色々な方に出会いながら相談にのってもらいながら練習鍛錬続ける日々。 随分沢山の名刺が机上にありました。帰ってきては、出会う時間頂いた方にその御礼葉書を書いていました。その葉書が嬉しかったとの返信葉書がきた時は驚き喜んでおりました、たとえスポンサー関係進展でなくとも。
そして現在所属している(株)ロードカーさまとの出会いが。 紹介して下さる方の熱い思いと受けて下さる人事の方の熱い思いがあったときいております。役員会議の時間にパワーポイント使って30分のプレゼンの結果、就職の形で競技継続ならびに小中学校でのスポーツ指導イベントを続ける事にお力添え頂く事になりました。以来、この間の試合でもどこでも《 ロードカー 》を背負って活動致しております。
数社お話があった中で「 スポーツ選手を雇うことで社会貢献がしたい 」と仰っているこの会社にお世話になりたいと思ったと言っていました。 海外で試合が終わった後子供たちがキラキラした目で集まってくれて、サインした紙切れ棒切れを大事に飾り決して裕福な環境でない中テコンドースポーツに打ち込んでいる事を聞かせてもらってから、よけいに思い強くなったのかも知れません。
「 格闘技として思い切り蹴り合い闘うけれども、決して憎しみあってはいない。負けたとしても相手を尊敬する。自分がとことん誰よりも厳しく練習鍛錬したと思って挑んで負けたのなら、彼はそれ以上に努力したという事。尊敬する。 」
彼の言葉を聞きながら《 闘う事で、戦いのない世界を目指す 》などという言葉がうかびました。教えられます。
一度日本一になって以来、上まで勝ち進む事から遠ざかっていました。葛藤あったことでしょう。 これほどやっても負ける、ここまでやっても勝てない。資金の為スポンサー探しにも走らなくてはならない、その材料結果が中々出せない・・。 それでも様々な取り組みを見つけ出していました。上半身強化の為ジムに通う、減量しながらも持久力維持できる様にサプリメント会社に出向き相談して血液検査・筋力体調検査データを共有する、整体の先生の指導を仰ぐ、体感トレーニングのシューズ、練習後の筋肉マッサージ器機の試し、動体視力養う光点滅サングラス借用トレーニング・・・・。 自分でやってみて良いと思ったものは、何でも取り入れる貪欲さは見上げたものです。
そうする中でまた色々なひとに出会ってきたようです。 そのひと達の応援声援を背中で受けて、ブルネイでの大会で優勝、イスラエルでの大会で銅メダル、そして昨年11月の東京オリンピック二次選考会で優勝して最終選考会に進みました。
最終選考会前の最後の調整には、海外遠征で友人になった選手をたよりスペインに渡り10日ばかり自宅に泊めてもらいながらナショナルチーム練習に参加させてもらっていました。
そしていよいよ大一番、2月9日東京オリンピック最終選考会。
岐阜県会場なれど実に多くの応援者の方々が。 寄せ書きの旗を掲げ、ロードカーの応援幕掲げられ、男子女子のどの試合よりも大きな大きな大声援を受けて戦いました。
結果、25ポイント対21ポイントで敗退。 序盤点数随分取られていたのを怒涛の反撃で盛り返しましたが及ばず。 及ばず・・・。
試合後取材陣囲み取材の後、会場外に自然と彼の応援者が集まります。出てきた彼の敗戦の弁、いや感謝の言葉。 泣いています。 悔しさ、みんなの顔、想像にあまりあります。
「 廣大らしい試合だった! 」 わたしは大きく声叫びかけていました。
次の試合も決勝戦も7ポイントが勝者となるローポイントゲーム、緊迫した試合でありますが一方彼の試合彼の持ち味は前へ前へ、点取られても取り返す。前へ前へ。 その、彼らしい試合を見せてくれたのです、敗退してもなぜか私は・・・・。
涙引くのを待ってくれた彼の友人が「 みなさんで 写真を! 」
みんないい顔でしょ!
彼の首には金メダル。 ボランティア活動している乳児院の子供たちが今日の為に作ってくれたと、院の方が応援に持ってきて下さいました。 嬉しくて、・・少々切なくて・・・。
ひとつの目指すところに向かって歩みます。 誰もみな。
その場所に到達することは尊いことです立派なことですが、その歩みのうちに出会う景色があります。出会うひとがあります。 出会う出来事があります。
到達目標ではないそのひとつひとつを「 宝もの 」と発見出来るかどうかは、そのひとが持っている力です。 目に入らないひともあります、目に移っていても意味あるものとしてこころに留まらないひともあります。 ただの風景にしか見えないひと。
《 発見力 》といいましょうか、セレンディピティといいましょうか。
《 浄土 》を願生の土として示していて下さってあるわたし達。この生の目指す場所を大きくはっきりと言葉とされてある事の意味を合わせて感じます。その土あってこそ、今の日々にかけがえのない宝が発見出来きるのであろうかと。 ただ消え去る無意味に向かって歩む中での景色に何を見出せるのであろうかと ・・・・急にお坊さんでしたか。
彼の出来事はここ数年間で色々ありましたが、ここでは書かないようにしていました、あえて。
ひとつの大きな挑戦が終わった今、少々書いてみたくなりました。
どうやら彼は、4年後のパリオリンピックを目指すようです。 今はそう。
何にせよ、彼には楽しみももらえましたし、多くのひとが彼にメッセージを送る中で「応援」するという事をゆっくり考えてみるテーマと頂きましたし、その他もろもろ・・・。
わたしの セレンディピティ の縁者、と感謝しております。 そして何より。
影に日向に力強い応援声援頂き続けました沢山のみなさま。
ありがとうございました!
《 「テコンドー最終選考会」「スポーツブル」の2つの検索ワードで試合動画がご覧になれます。彼の試合はその動画の2時間43分位からです。 お問い合わせありましたもので。
2020・2・15 追記 》
『寒いね』と言えば『寒いね』という。
1月16日今年最初の法座、御正忌法座。朝8時には総代・台所お手伝いの皆さまが集まってくださり、あっという間にそれぞれの仕事を見つけて走り回って頂く姿に。
雪も氷もなく例年より穏やかな一日、9時半と13時半の正信念仏偈のお勤め。お昼食をはさんで夕方まで住職のお話をゆっくりご聴聞頂きました。 お昼食は「けんちん汁」、台所衆の力作あたたかい一杯は冬にモッテコイ。 午前休憩にはこれまた冬の美味しさ「甘酒」を自宅から作ってきて振舞って下さったお方が。 聞けば山口「東洋美人」の酒粕でとの事。 焼酎足して呑みたくなりますねえ!と饒舌になります。 『 これはお供えですが、お茶の時下げて頂いて皆さんとご一緒させていただければ・・ 』と三隅名物のお饅頭をどっさり手渡して下さるお方も。 そういえば前日留守の間に玄関には「里芋」が置いてありました、わざわざ洗って。 毎年けんちん汁作ると分かっていて持ってきてくださった袋には名前は何もありませんが、どなたかは分かりますよ。
90歳になるおばさんは、毎年本堂正月華用にと「葉ボタン」を育てて下さってあります。他の野菜物は身体具合で中々思うように出来なくなってきたけれど、『 これだけは 』と。 『 わたしの楽しみじゃけえ 』と。 この日お参り下さったおばさん『 おはようございます、おばさん。華、今日までもってますよ。今年もおばさんの華で始めさせてもらいました。 』 静かに笑っておられます。
今年の年賀状。 《 わけあうと おおきくなる。 わけあうと ひとつになる 》
三人兄弟の私、子供の頃は一人っ子の友達を羨ましく見ていました。ひとつのお饅頭を三つに分けないといけません。おそらくあの子はひとりで全部食べてるんだろうなあ、と。
まさしく、何も分かっていませんでしたね。 分け合える事の大事さ、分け合うからこそ美味しかったことも、一人っ子のその友達のこころも。
分け合うと小さくなるものもありますが、おおきくなるものがあります。分け合うと幾つにも分かれますが、ひとつになるものがあります。
この目に見える方便に惑わされず、 おおきくなる。 ひとつになる。 と 開かれる世界があります。
ひとつの御座、その日だけでなく何日も前から始まっていてその日を過ぎても終わることはありません。 おひとりおひとりのこころを 皆さんで≪わけあって≫頂きます。
住職の残しもの。
割合穏やかな年明けを迎えた元旦。朝6時のお勤めには大人子供7人のお参りを頂きました。
正信偈のお勤め・ひと言のご法話の後、本堂にて住職がおひとりおひとりに抹茶を点てさせて頂きました。 早朝寒い中ご一緒下さるのです、元旦の恒例といたしましょう。 もちろんお饅頭付き。
御正忌の前に一度京都に出ていたところ、滋賀のお寺の総代さまからお電話いただきました。
以前ご住職からの依頼で内陣の御軸修復をさせていただいておりました寺院。
お話。昨年ご住職が突然亡くなりに。生前に『 この御軸を修復したら全ての修復が整う 』と仰っていたのを自分だけは聞いていた。それをやりきる事なく亡くなられたが、何とか前に進めようと役員総代集めて何度も話し合って予算を準備した。あなたに依頼されていた記録があるのでこの度もお願いできないか・・・。とのお電話。
日時をご相談し、今までの修復記録写真や裂地見本持参して車で行ってまいりました。
『 いい時代の画ですねえ、寂如上人の代のものでしょうか 』裏書き見ます。住如。一代ずれていました。 『 裏に何か書いてあるんですか? 』『 いいって何か違うんですか? 』 『 時代によって顔料の良しあしありますし、線の細かさ丁寧さも違います 』
『 親鸞聖人はどこにおられるんですか? 』『 ここ、ここ、ここも。これが一幅目。下から上に時が流れて描いてあるんですよ 』『 順番に並べてみてもいいですか? 』『 はいはい。 』・・・・・随分熱心な時間が流れました。
ご住職の思い出話もされながら。 みなさまにとって大事な大事なご住職であった事が伝わってきます。 親しく丁寧にご一緒されてあった事を思います。 あたたかいなあ・・。
さて、わたしだったらどうだろう。 わたし亡きあとどうだろう。 考えながら大事に御軸を預かって車で京都に走り帰ります。