眠れぬ夜をこえて。
実に久しぶりの書き込みです。 ひとつには、パソコンの調子が悪く漢字変換するたびにフリーズしてしまうという、恐ろしい病にかかっていました。 何とかいたしました。 祝!回復!
このところ表装で頭を悩ませていた仕事がありました。 それは15mの巻子仕立て絵巻を額装にして、大阪の寺院の納骨堂壁面に設置するという大仕事。15m・・・長い長い超大作。 日本画家・畠中光亨氏が描かれた『 仏跡巡礼絵巻 』。
インド方面から砂漠を渡り長い長い光景が繊細に描かれてあります。 如何にしてしっかりしたものに仕上げるか、額装の師匠である堀田さんに相談しながらの作業。 先ずつながれてある170cm×45cm・9枚の画を外して9面の額にして並べる事とし。
さて大変です。かなり大きな土台9枚を骨から作り下張りを重ね重ね・・随分時間がかかる作業。そして金箔を張ったものにするとのご依頼の縁の心配。 アクリルを入れるのですが、暑い時期には0、03%のびるものが連なるとかなりの事に・・その対策。 絵巻ですから連なって見えなくては意味がないので縦の縁は無いものにしなくてはなりませんが、さて如何にして・・。 その強度は・・。 重量に耐える額受け金具が打ち付けられるように、施工会社とも相談を重ね・・。
何といっても不安だったのは、現場に行き何度も何度も測り計算したのですが、果たして計算通り設置出来るかという事でした。 計算では正面にきっかり7枚の額が並べられるはず、その余裕僅か3cmしかない・・。
これも奇跡的なことです。 画を途中で切ることなく、つながれてある個所を外して額にして並べようとしたら、何と壁面ほぼピッチリ。 驚きですが、果たしてホントか? やってみたら僅かに1cm長くて入りません・・なんて事はないか・・。
夜中に目が覚めあれこれ考え眠れなくなったり、気になっているんでしょう、朝早く目が覚めてしまったりしていました。
そして昨日。 師匠の堀田さんと助っ人に頼んだ弟の淳之と3人で早朝からいざ設置。
いきました! 上手くいきました! 完璧です。 計算通り、いやそれ以上の出来です。
ご依頼の老僧にも見ていただき、お喜びのお言葉を頂きました。恐縮です。
堀田師匠に淳之、ありがとうございました。 祝杯ものです。 ゆっくり 心痛なく眠れます。 いい勉強をさせていただきました。 ご老僧、ありがとうございました。
仏像展。
益田市にある県立美術館・グラントワ。
壁面がこの地方独特の石州瓦でおおわれた 美しい姿。
16日まで会期の企画展・『 祈りの仏像・石見の地より 』 。 普段は寺院の内陣奥に安置されている白鳳・鎌倉時代から伝わるご本尊、まじかで目にさせて頂けるという事で、何としてでもと行って参りました。
勢いよく彫られた四天王立像・古き時代に大陸から伝えられた観音菩薩像・金箔は落ちてもそれが為いっそう美しい阿弥陀如来像・・・。 そういう思いになるのではないかと想像していたのですが、やはり。 有り難い企画ですし行きたくて来たのですが、まじかでジッと見つめるのは、申し訳ないような目を伏せたくなるような。 小さく合掌して・・・。
重ねての企画に浜田市三隅出身で法然・弁長に続く浄土宗第三祖 良忠上人 ゆかりの美術展も。
ここではなんといっても ( 当麻曼荼羅縁起絵巻 ) 。 浄土の様子を観無量寿経にそって曼荼羅図に描かれてある奈良・当麻寺に伝わる御軸がどのようにして出来上がったのかその始終が描かれています。 普通の絵巻よりはるかに大きい事と、その繊細な美しさに驚きました。 神奈川の光明寺から出品された国宝です。 これはジッとジッと見つめられました。
帰えると、留守番をしていた老母が ( 打敷きくらいは引いてあったかね? )
いや、そういうものじゃないいんだよ。 と笑って言いながら・・・。
あなたの感覚のほうが 正しいよ、老母よ。
何が正解だったのか・・。
10月22日からずっと西蓮寺にて、参り合いのお寺の報恩講出勤とご門徒さまお内仏の報恩講参りをさせて頂いておりますが、法務でいちど京都に出なくてはならず。 その帰りに表装のご相談で鳥取市に立ち寄る事に。
隣の県とはいえ、鳥取市は初めて訪れました。 用件が済み走り始めたのは午後4時すぎ。 雨模様のこの時期はすでに暗くなっていて、楽しみにしていた海岸沿いの国道9号線も淋しいばかり・・・。
それでも何とか鳥取らしいものを目にしたくて< 道の駅 > に立ち寄ります。
まあ、素晴らしく野菜・山菜ものが並んでいます。 砂丘の長いも・・そうですねえ。 らっきょう・・そうですねえ。 大きなナシ・・その通りですねえ。
そしてやはりありました、ナシグッズ。 お菓子にジュースにポン酢・・・ポン酢?
しばらく手にとって眺めます。 『 どんな味だろう・・変わってるなあ。 』 『 止めときなさい。 』 こころの中が論戦。 せっかくここまで走ってきたんです。 買いました。 自分が決めた事です、悔いはありません、喩えまずくても。 ( いや失礼。まずいはずはありません )
そんなこんなで走りに走って、西蓮寺にたどり着いたのは午後9時前。 8時間以上走った日でした。 がんばれ、8年落ち中古!
報恩講。
10月29日・西蓮寺報恩講。 比較的穏やかな暖かい日。
早朝よりお斎準備の為、台所お手伝いの方々がお寺の坂道を登って来られます。
ご講師は、鳥取・八頭の光賢寺住職・西池文生師。 遠方よりご出講頂きました。
たまたまお出会いしたのが3年前になるでしょうか。 その時はほとんどお話する事もなく。 その後またたまたま本願寺前の仏具店でお出会いし、互いに驚きました。 その時、『 これは深いご因縁。今晩一杯やれという事ですねえ。 』 と、伏見でむりやりご一緒いただきました。 その時いろいろお話して < あ~この方のご法話をゆっくりお聞きしたいものだ > と思っておりました。 この度やっと叶いました。
来て頂いて本当によかった・・・尊いご縁を頂戴いたしました。
ご自分の歩んでこられた事を通してのお話。 出会われた方々とのお話。 それらを 出会われた言葉を通してゆっくりゆっくりお話して頂きました。 我が身をふり返り 深く静かにこころに残るお言葉がございます。
このさき、少しずつでも噛みしめてゆきたく思います。
お同行さま帰られる中 、『 この度、わたしのお話をしてくださいました・・。 』 と仰った方が。
尊いことです。 みなみなさま、ありがとうございました。
山寺、寒くなってまいります。 皆さまのお身体お大切をこころより念じ上げております。
< おてらくご >と赤線。
10月17日、広島・永光寺さまにて催された《 おてらくご 》、お寺の本堂での落語会に参加させて頂きました。
やって来られたのは「 古今亭駿菊 」 さん。 演目は二つ、マクラ存分に間休憩をはさんでタップリ二時間位の大サービスでした。
色んな方にお寺の土を踏んでいただき仏法聴聞のご縁づくりとなる様にと、本堂で落語会を催される事をちょこちょこ聞いていましたが、参加は初めて。 いや、何より落語家さんのお話を生で聞かせてもらうのが初めてでして。
プロの話術。 楽しいだけでなく、少なからず勉強もさせて頂きました。 さて、今後のわたくしに微妙なりとも・・・・・。 いやいや、おこがましい次第でした。
企画・当日運営、大変であった事とお察しいたします。後で懇親会まで開いて下さいました。永光寺さま、ありがとうございました。
わたくしめ、もともと落語は好きでした。 思い返せば中学生の頃、山寺にて娯楽が少なかったというのもあるでしょう、新聞配達のアルバイトをしたお金で講談社出版の『 古典落語 』 『 続・古典落語 』 『 続続・古典落語 』 を買い求め何度も何度も読んだ事です。 しかもそのうち、もっとコンパクトに笑える様にと、ここは面白い!と思うところに赤線を引いて、赤線だけを読み進めるという荒業をやってみた事を憶えています。
あさはかなものです・・・・・・・飛びとびに引かれた赤線 部分を読みつなげても全く面白くなくて、ガッカリした事まで憶えています。 そりゃそうでしょう。 お話には前も後ろもあってはじめて面白いというか、< お話 >なんですから。 赤線だらけの分厚い三冊の文庫本、西蓮寺のどこかに眠っているはずです。
あ。 ちょっと探して読みたくなってきました。 赤線引っぱってあるところを読み進めて、中学生のわたしと会話してみたく。 『 お前、ここに引いたか・・。 』 ・・・・これは、確実に笑えますね!
大谷納骨。
10月8日、大谷本廟。 今年は父の7回会の年。 法要を7月8日に西蓮寺にて常福寺さまご導師のもと母・姉弟と勤めさせて頂きました。 これを機に大谷への分骨納骨。
この日、関西の叔父叔母・親戚に参集いただき、本廟の一室をお借りし、納骨に先立ち大阪・専宗寺の山本恵真叔父にご導師をお願いして、父の七回会のお勤めさせて頂きました。
叔父からは父の思い出香るご法話を頂き、この日ここで皆さんとお勤め出来た事を喜びに。
場所を移動しての会食。 ここでも、叔父や叔母・弟からも父や祖父・祖母の思い出を語って頂き、この日ここで皆さんと出会えている事をしみじみと噛みしめさせていただきました。
『 おお、よお集まってきてくれたのお。 』 『 仲良ぉなぁ。 』 声が聞こえる日でした。
山寺の秋。
秋彼岸、9月23日。 ことさらに彼岸花の赤い色が目にとまる今年の秋、みなさまと法座を開かせて頂きました。 『 お! 』 台所お手伝いには、なんとカワイらしい姿が ( 総代さんのお孫さん )。 マイエプロン持参。 連休最後の日というのに、なんとなんと有り難い事。 『 若いひとばっかり撮っちゃ~いけんよ。 』 そうでした、そうでした。 ・・・・いや、そうじゃない。 みなさんも十分お若いですよ! あぶないあぶない、もっと怒られるところでした。 おっと、こちらもこちも。 長年、台所でご苦労いただきましたよねえ。 その代を譲って最初から最後までゆっくりご聴聞を。
秋色に囲まれた本堂でのこの度のご縁は、阿弥陀如来の《 十二光 》 のお話を。 お昼食には、『 お供えに。 』 と前日、呑み友達が田んぼ仕事の合間をぬって走って持って来てくれた「 お新米 」をみなさんと。
ありがとう! 河野くん。
次のお座は、10月29日 報恩講。 みなさま、また笑顔でお会いさせて頂きます。
姿で伝える。
ここのところ表装の仕事についてあまり書き込んでいない様におもいますが・・・。
『 安心して下さい。 やってますよ。 』
とあるお寺の開基本尊絵像軸。 掛ける状態でなくとも、巻いて代々大事にされてあったところ、この度修復を思い立たれました。 かなり時代の古き如来像、かなりの傷みです。 修復を進めて行くと、過去2回は修復された痕跡が見えます。 それでもここまで傷んでしまった訳です。 以前の修復の時すでに欠落部分があり、裏打ち紙に補色された痕もあります。 少しずつ作業を勧めます。 まだまだ途中ですが、折れ傷みを直すところまでは来ました。 古き時代 の特徴あるお顔・衣。
以前修復した本尊のお顔・衣と比べて見ると、同じ本山本願寺から頂かれたにしても、年代によりお姿に色々な特徴があるのが分かります。 絵師が違えば当然の事でしょう。
お顔・衣に少々の ( いや、かなりの ) 違いがあれど、そのお姿が現わそうとされているおこころに、一切の違いはありません。
それにしてもこの度のご本尊、よくぞ保管されていた事です。 本山からはるばるやって来られたご本尊、それを待ち受けておられた当時のみなさんの歓びの様子に思いをはせつつ・・・・・修復作業を進めさせて頂きます。
称名
秋の気配・・そんな唄もありました。
9月5・6日、益田・明顕寺仏教婦人会巡回法座のご縁。 お寺でのお座ではなくて、少し離れたところで会場を整えて待っておられるところへ、ご住職と一緒に出向いてのお座です。
お堂であったり集会所であったり。 一か所で半日のお座、この集会所には立派なお仏壇が安置されています。 世話役の方が何日も前から心をくだいて準備されているのが分かります。 何十年も続く巡回法座、それぞれの会処に伝統を感じます。
何年もご縁を頂いておりますので、お顔見知りの方が多く。 『 これをおひとつ。 』 と、にこやかにお土産を持って来て下さるお方も。 早生の栗・掘ったばかりのミョウガ・栗ご飯・手作りブルーベリージャムに切干し筍・・・・。
ありがたい事だなあ・・と車を走らせお寺に帰る途中には、出ました! 今年も出ました。 名物の案山子!
毎年大河ドラマ案山子を立てるおじさん。 今年は特徴無くて難しくなかったですか?
そうでもないですか? 来年の 《 真田幸村 》 、楽しみにしています。
少し走るとおやおや! もうですか!
夏の終わりと、秋のはじまりを感じた 二日間でした。
何思い、見つめる。
数年前に出来ていたのは知っていましたが、一度も行ったことはありませんでした。
『 え~京都にいるか? 』 『 はたして、ひとが行くか? 』 ・・・などと言われていましたが、中々好評のよう。
どちらかと言えば盛況との噂を耳にしていた今日この頃。
縁あって行って来ました 《 京都水族館 》。
子供が小さい時、どこかのに行ったきり実にひさしぶり。 いや、いいもんですねえ。
いくらでも見つめていられそうです。 クラゲ水槽など、一家に一槽 欲しいくらいです。
山や川の流れ、草花を見つめ続ける時のように、初めは目にするそれぞれの事を考えていますが、そのうち頭に浮かんでくるのは様々な事。 昨日の出来事・会話、遠い先の予定・・。
まさに自分の中の自分との対話 。 ひとを目の前にしていては出来ないことです。
《 我 》 のないものを相手にしているときにこそ、わたしの 《 我 》 が知らされます。
それにしても クラゲ。 きれいですね。
《 安居 》である僧侶学習会。
8月27・28日、三隅組講習会。 100年以上伝統のある学習会、以前は三日間あったとも四日間あったともいわれる泊り込んでの学習会です。 今年の引き受けは浜田市・弥栄の勝龍寺さま、 講師は行信教校講師の山本攝叡師です。
『 恵信尼文書における宗祖像 』 との講題で二日間六時間のお話を頂きました。
国語教師をされていた先生からの、一見ミミズが這った様にしか見えない( 古文書が読めない不勉強者で・・ ) 原本の写しの一文字一文字にあたりながらのご指摘に 『 ・・・そうか・・なるほど・・。 』 と唸られる事、多々。 多々。
今まで活字にされたもの・現代語に訳し読みやすくされたものしか 読んでいなかった事、それを何の疑問にも思わなかった事を恥ずかしく思いました。 ご講義には、宗祖と奥さま( 恵信尼さま )の当時のお姿がありありと思い浮かべられる感がありました。 これまで思い違いしていた事があった事にも気付かされました。 確かにそうであるとしか読めない、と黙考することしばし。 有難うございました。
会処の勝龍寺さま 、ご住職・坊守さま・前坊守さま・寺族・総代・婦人会のみなさまには大変あたたかく細やかなご接待を頂戴いたしました。 数か月前からのご準備ご心配であったとお察しいたします。 境内地・本堂・食事・お茶・・・・考えなくてはならない事は山ほど出てきます。
宿泊・懇親会は場所を移動して、近くの< 体験村 > 施設を用意して頂きました。
緑溢れる中、ゆっくりお湯に浸かり歓談食事。 ( どぶろく特区・弥栄ならではの、どぶろく! ) さらに布団間横に二次会準備まで。 ( 囲炉裏を囲んで深夜2時近くまで・・。 なんと、先生は最後までお付き合い頂きました。 恐縮 )
大笑いするだけの話題でなく、ご法義のお話に夜が更けてゆくのも、この会の伝統の力でしょうか。
皆々様、ありがとうございました。
恒例< 地蔵盆 >。
昨年も書き込んだ、この時期恒例の < 地蔵盆 >。
京都の子供たちの夏休み最後のお楽しみ( が本来の趣旨ではないんでしょうが )。
8月22日、当マンションでも駐輪場の自転車を全て整理移転して会場をつくり、地蔵尊をお迎え安置して午後1時からお勤めとお話。
わたしのとっては地蔵尊を縁にしてでも、ここに集まってくれるお子さんにお話をさせてもらう事がメインなのですが、小学生以下のお子さんが多いので何をどう楽しくお話しようかと苦心しております。 今年は「 西の観音・東の観音 」
を少しアレンジして「 西の地蔵・東の地蔵 」で、お地蔵さまは何故手を合わせて立っておられるか・・・を。
夜はこれまた恒例、大人も集まりゲームに宴。 同じマンションに住んでいるとはいえ、普段はほとんど話す機会のない皆です、夜10時過ぎるまで賑やかに。 大事な行事、時間です。
次の日も、ご縁の町内での地蔵盆に呼ばれました。 ここは < 読み聞かせ>活動をされている方を招いておられ、お参りの後子供を集めて 『 地獄のそうべえ 』。 やはりプロは違いますね、物語の中に引き込まれていきました。 『 その話、知ってる~。 』 と言っていて子供たちも実に楽しそうでした。 お話の間にお坊さんの反応を確かめるように チラチラ こちらを見る子供たちの顔が印象に残る一日でした。
< 盆踊り >。
14日、午前中京都にてバイクに乗り 数件のお盆参りの後、お昼前に車に飛び乗って一路島根へ。
16キロ渋滞に突っ込みましたが、何としてでも夜7時までには帰り着かねばなりません。 気が急きましたが、帰りつきました。
夜7時から<床並集落> での盆勤め。 櫓組まれた盆踊り会場の脇にて。
7時半には3キロ程離れた<西の谷集落>での盆勤め、後 ひと言のご法話。
都会では賑やかなお祭りのようになっている 盆踊り、僧侶のお勤めの姿は目にしません。
おそらく田舎ではアチコチまだよく見かける様に、この里では初盆を迎えられた方の遺影を並べ、盆踊りの前にお勤めをいたします。 ( 踊り前にお勤めというか、お勤めの後に踊りが・・というか )
今は集会所等が会場となっていますが、ずっと以前は初盆を迎えられた家に皆で出向き踊っていたと祖父から聞いた覚えがあります。 『 さあ、次はあの家、みんな行くで。 』 ・・と、家から家へ。
お盆には亡き人がこちらに帰って来られてその魂を慰める為 、との考え受けとめもあるのでしょうが、もっと大事な事があります。
《 お盆 》 のはじまりを訪ねれば、「 分け合う 」 という事からはじまっている事を強く感じます。 ( 目連尊者とお母さんのお話ですが ) 家族大事な人を亡くして淋しい思いをしている方を 放ってはおかない!・・・家族親族の問題だけではなく、一緒に暮らしてきた仲間みんなの問題と受けとめ、その淋しさを分かち合う。 『 いかが暮らされてますか。 お淋しいです。 私たち皆居りますよ。 』 と、言葉を分かち合う、心を分かち合う出会いの場であると思えます。 お勤めの後、皆で踊る、静かな踊りであっても 言葉をかわし目を合わせ笑顔も生まれるでしょう。
さらに申せば。 「 お盆には帰ってこられる 」 お盆終わればまたおられなくなる・・・。 そうでしょうか。
《 念仏の声の中にいつでもおられる 》 ことを聞かせて頂けば、< 年中お盆 >・・とは言い過ぎでしょうか。
言い過ぎですね。
この行事を通して、『 いのちは、死んだら終いのチッポケなもんじゃない 』 『 わたしは、ひとりではない 』 という事が聞こえてくれば、それこそ、《 踊る 》ほどの歓びの日であります。
暑中にこそ涼あり。
7月26・27日、浜田周布・専称寺さま< 安居会法座 >のご縁。
暑さをご縁にしての法座、両日とも中々の暑さでしたが、用意して下さった導師部屋はさしずめ < 涼のギャラリー >。
なにか動いた気がして近づいてみると ブルーの金魚。( 奥様いわく、名前はアミちゃん。 ) 出されたおしぼりには花が添えられ、 カスリ古布が掛けられた椅子。 掛け物は碧く。 一席終えて帰るとしぼりかえられたおしぼりに添えられた花は色を変えていました。
このおこころ で接しておられる本堂のお同行さま方は皆さま、和顔。
熱が入って汗まみれだったとはいえ、本当に気持ちのいい二日間のご縁を頂戴いたしました。
ありがとうございました。
《 第12回現代日本画の試み展 》。
《 第12回 現代日本画の試み展 》。大阪会場の壽光寺さまに行ってまいりました。第8回から携わらせて頂いておりますので、今年で5年目になります。 今年は、出品参加者12名の作品のうち6作品の軸装を。
今回、< 極彩と墨 > のテーマ。 『 この方が墨画を描かれるとこうなるのか・・。 』 例年とまた違う楽しみが。
彩色の方も< 極彩 > とうたわれているからか、際立つ色彩・箔。 全く同じモチーフを岩絵具と墨で描き並んでいる作品も。
なぜ、これを描かれたのかを作家にお聞きするのも楽しみ。 旅先で目にした感動・・・わが幼子が描いた画に触発されて・・・家族の日常の姿・・・愛しい老猫・・・自然への思い・・・目にした風景に自身のこころを重ねて見えてきたもの・・・。 もちろん何もお聞きせず見つめて生まれる感情を楽しむのも、とてもいい時間。お聞きすると限定されるというのも分かってはいますが、それでもお聞きする楽しみもあります。
作家ご自身が私どもの京都自宅工房に画を持参され、100反も200反も裂地を転がしながら存分に悩まれて完成した一幅。 一扁。
お寺の玄関・座敷・会館に飾られた大阪会場。 京都会場は白い壁面の画廊 < Art Spase MEISEI > 。
見え方がまったく変わる事と思い、楽しみにしております。 7月28日(火) ~8月2日(日)
引っぱられて。
7月7日、夏法座・安居会。
8日に父の7回会の法事を勤める、前日には法座を開くので帰ってきて二人で交互にご法話をしないか?
との呼び掛けに、中々帰ってこない弟も帰ってきました。 兄のもくろみ通りです。
父に引っぱられた訳です。 正しく、ひとは死んでも終いではない・・という事です。
案内状に弟も講師として名を入れてあったからでしょうか、いつもより沢山のお参り。はじめて来てくださった方も5名おられます。 お参りが減ってきたとの声がアチコチから聞こえる中、この山寺にありがたい事。
『 暑い時ですから、みなさんに一品。 』 と、家から手作りの < ところてん > を持ってお参り下さったかたもありました。 からしもゴマも持参して。 ありがたし。 とても美味しかったですねえ。
翌日の法事の為にと餘間に掛けた父書のお名号。 ご縁の深いみなさまのご焼香もいただきました。
『 よお参ってきんさったなあ。 』 との声が聞こえるとおっしゃる方。 ありがたし。
なごやかに なごやかに 皆さんで仏法の一日を持たせていただきました。
翌8日、常福寺様をお呼びして、母・姉・弟・私。 お勤めの後ご法話。 お昼食をご一緒に。 お帰りになられた後夕方まで姉は残っていてくれました。 『 姉弟3人でこんなにゆっくり喋った事あったかなあ。 』 というほど、ゆっくり父の縁を味わいました。 ありがたし。
お話中継放送。
安芸教区( 広島 )では戦後70年の今年、一か月以上にわたり 広島別院を中心会場に展示・講演・法話会・音楽・ワークショップとさまざまなイベントを開催してこられました。 戦争・原爆で亡くなられた方々を悼み、非戦の思いを共にし、原子力を考え、私の今のあり方これからの歩む道を考える。
その長きにわたった行事の結び 『 全戦争死没者追悼法要・原爆70年忌法要 』 が昨日7月4日に本願寺ご門主ご親修のもと執り行われました。 その様子がインターネットで配信されていました。
家にいてライブで見れる・・というか法要に会えるわけです。 そんな時代になったんですねえ。
広島から帰省していた娘は 食い入るように見つめていました。
以前このホームページを開く時みなさんに言っていました。 『 身体が思うようにいかなくなって、お寺にお参りに来れなくなってお話が聞けなくなっても。 そのうち、西蓮寺の本堂でのお話もお家にいて会える時代が来ますから・・ 』 もう出来る時代なんですねえ。
お寺参りを楽しみにしていて下さっていて、もう本堂に座る事も出来ない・・・とおっしゃっていた方。 もう少し待っててくださいね。 勉強しますから。
歴史は繰り返されるのか。
25.26日 障子貼り。
上京区・同志社大近くの浄土宗門跡尼寺、光照院 ( 別名・常盤御所 )。
由緒、鎌倉・平安時代にさかのぼり、私にとってはあまりに複雑なもので頭に入りきっておりません。 ググってください。
こんな街中にこんなに広い敷地と建物があるのかと思いつつ、案内されて作業の建物へ向います。 非公開寺院ですので、中はほとんど知られていないかと。 『 この建物は昭和天皇即位の時に使われて・・・云々。 』 『 へ~。・・ 』 『 あのお堂は・・・云々。 』 『 ほ~。・・ 』 はひふへほ を口にするわたし。
いわゆる檀家門徒のない寺院、代務住職を助けようと縁のあるお方々が清掃に入られる 、その方と縁のある私に障子の話が・・・・・と、まあ なんやかやで障子貼りです。
『 ほんの1~2箇所です。 』 と言われて軽い気持ちで出向きました。 案内されました。 えっ。 『 た・・たしかに1~2箇所ですが。・・・ま・・枚数が随分これ・・。』
部屋の中の障子ではなく、外に面している障子。 雨風の日があります、そりゃ傷むでしょう。
汚れもかなりひどいので、まず綺麗に洗って・・・持ってきた紙を採寸して・・・いやいや、こりゃ全然紙が足りない・・・そう言えば以前もこんな事があったぞ・・・あれも北区のお寺だった・・・ああ、伏見から出るんじゃなかった・・・そういえば西蓮寺の障子襖はボロボロじゃないか・・・・ボランティアでよそのお寺貼ってる場合じゃないぞ・・・ああ、こんなに立派な庭だからこんなに蚊がやってくる・・・・・パシッ 。
悪魔の声がつぎつぎと聞こえてきます。 おはずかしいかぎり。
一日で終わるはずが二日にまたがってしまいましたが、貼り終えてみると気持ちのいいもんです。
どなたかがまた気持ちよくご覧になれば・・いや、破れていたら気にしますが、あたり前のように気付きもせず通り過ぎるくらいが良いんでしょうねえ、障子は。
研修会。
6月23日、三隅組総代研修会。周布の専称寺さまに80数名の各寺院総代・住職が集まり、9時から16寺までの研修会。講師は広島の高橋哲了師。
西蓮寺からは、渡邉・寺迫両総代が参加していただきました。
色々なところでお名前にあう事のあったご講師。 総代研修会とはいえ、私この日を聴聞のつもりで楽しみにいたしておりました。 ありがとうございました。
間に10人づつほどのグループに分かれて車座にて話し合いの時間があります。 みなさん色々にご心配いただいているのですが、やはり毎年同じ話題となります。 『 お寺へのお参りが年年少なくなってくる 』 『 若いひとが仏法を聞かない、お寺に踏み入れない 』 ・・・
この会、総代さま方に声を出して頂く会にて、この場で僧侶がペラペラと語るべきではないのですが、現状をのみ語り合いあまりにうな垂れて沈黙が重く圧し掛かってきたので、ついつい例として2つのお寺のお話をしてしまいました。 地方環境の違いもありずいぶん驚かれた方もあったようですが、何かをしようと思われるのであれば、お考えの片隅にと思い。 今は驚きのみであっても、同じ事は出来ないにしても、この先何かの時に思い出していただけるでしょうか。
どのお寺のお世話方も、寺院存続仏法流布のためこころ砕き大きな力添えを下さっている方ばかりです。 わたしが僧侶住職でなく一門徒であるなら、はたしてこれだけ出来るであろうか・・やっているであろうか・・。 我が身をかえりみつつ。 共々に歩ませて頂きます。
数珠。念珠。
浄土真宗僧侶のわたし達は、普段お参りする時には 「 単念珠 」 を掛けていますが、五条袈裟・七条袈裟を着けてお勤めする時には切房で二重になっている 「 二連珠 」 を着用します。 そして、黒衣・輪袈裟にて布教の場に立つ時には、組紐の「 二連珠 」 を持って立ちます。
「 二連珠 」 は宗派によって、珠のつなぎ方・紐が様々な違いがあります。
先日知人から 預かった品があります。 『 あるお寺であるお方から頂いたもの。 珠に由来があり大事にしたいが、紐をかえて貰えないか。 』 と。
念珠の組紐は趣味のひとつ。 学生時代に父から教わったもののひとつ。
ボンボリ玉のついたこれは 「 真言宗 」 系のものでしょう。 紐を依頼通りに替えました。 パッと見、真宗布教用二連珠に見えますが、親玉から紐にいたる辺りに違いはあります。
しかし、珠に由来があるとの事。 そのままに。 となると、どの宗派にとっても<正式>な形ではないと仰るお方もあるでしょうが、それはかねて 存知の上でのご依頼。 ( で、あるはずです・・・よね。)
宗派を超えた 《 仏教徒 》 の念珠になりました。 仏に念ぜられ、仏の教えを聞き、手を合わす者の念珠になりました。
『 さあ、何番! 』。
『 隣の花は赤い 』。 ひとの他人に対する嫉妬心、羨望の思いは国を越えていて、『 塀のむこうのリンゴが一番うまい 』 (イギリス) ・『 隣の雌牛はたくさん乳を出す 』 (パキスタン) ・『 他人の手にあるパンはバターがついていて美味しい 』 (ブルガリア) ・『 他人はいつもお祝いをしている 』 ( カフカース) ・・・・・・実に多くの諺が各国にあります。
他人との比較の中でしか自分の幸福を見いだせない人間の姿を 哲人モンテスキュー曰く。
『 もし人がただ幸福であることだけを望むとすれば、すぐになれるであろう。
しかし、人は他人よりも幸福になりたがるもので、それは大抵困難である。
なぜなら、われわれは他人が実際以上に幸福だと思うものだからだ。 』
・・・・なるほど なるほど。 邪智邪見。 求めているものがはっきりしていると言いながら、どこまでいっても得られるはずはない訳で。 加えて< 多財餓鬼 > 、『 富は貪欲の母 』 (コロンビア)。 あればあるほど欲しがり満足なければ、安らぎの時はいつまでたっても訪れることは・・・・。
午前中そんなお話を枕に お話した後の、午後の くじ引き《 あてもの大会 》。
今にして思えば 「 何が当たっても人さんを うらやむなよ。 」 との事を、意地悪にも前もって聞かされたみたいですが、当方そんな気は全く無く たまたまのお話でした。 いや、ホント。 もし、そう受け取っておられた方がありましたら、すみません。
もちろんご参詣の方々、例年通り賑やかな時間を。 ご自分になにが当たっても笑顔、おひとに何が当たっても笑顔。( ですよね (笑) ) くじ引きの後は、新聞紙+ガムテープボールでの < パットゴルフ >。 景品目がけて慎重に打てども、あちらにコロリこちらにコロリと、腕に覚えのある方ほどうまくいかないらしく大賑わい。
それでも今年分用意した景品が少々あまっていたので、急遽 < クイズ大会 >。
『 わかったひとは手をあげて下さい。 早いひとに解答権。 』
『 三択です。 わたし、住職が今朝食べたものはなんでしょう? いちばん・・』 『 ご飯とみそ汁! 』 ・・・・いや、おばさん、三択ですって。 それに手をあげて・・まあ、いいや・・。(笑)
『 いいですか、次も三択です。 くれぐれも手をあげてね。 わたし、住職の好きなものは何でしょう? ① お酒 ② お金 ③ おんな。 さあ、何番! 』
『 お酒!』 『 お酒!』 『 お酒!』 本堂中、お酒の大合唱。 ・・・・・あのね、みなさん。黙って手をあげて・・・・まあ、いいや。 おんなやお金の大合唱でなかっただけで・・。(大笑)
『 さて、最後は総代長にかんする問題です。 三択です。 総代長の好きなものは? ① 奥さん ② 奥さん ③ 奥さん、さあ、何番! はい、どうぞ!』 『 奥さん!』 『 正解!! どうぞ、景品を!』 (拍手喝采)
最後は、何番を答えても正解という< くらべようのない >ところで、みなさんと大きな笑い声の中で終えさせていただきました。 ありがとうございました。
春、5月。
恒例の渋滞の列を沢山の方々とご一緒する、5月連休。
渋滞ぬけると目に眩しい中国山地、さながら湧き上がる若緑の入道雲。
黄草・青草・若葉・緑青・白緑・・・その中に 『 こんなにもあるのか・・。 』 と思うほど姿を現わす< 藤 >の大木。
驚くほどの大木もあります。 それらは全て < 薄紫 >。 自生するものはみな紫なのか、と思うほど。
西蓮寺に帰山すると、境内の白藤も 『 そろそろですよ 』 と胸を張っています。 目にする方少ない山寺、『 降誕会法座まではもたないだろうなあ・・。 』
4日、朝は雨も落ちていましたがみるみる晴れ上がり、お参り帰りににはすっかり春の海。 < 誰もいない海 >・・ですね。 お坊さんの格好ですからまさか、笑いながら裸足で駆けまわる訳にもいかず。 大人しく帰りました。
運転手の聴聞。
4月24日島根に向って走ります。 この度はひとりではなく、同行のお方が。
読売新聞記者・デスクを退職後、得度され真宗僧侶に。 現在読売テレビ宗教担当として忙しくされている本間氏です。 京都・俵屋画廊にてよくお出会いし、松本画廊主ともどもにあらゆる方面に飛んでゆく楽しい話題をご一緒させていただいております。
氏がこの度、島根・浜田市金城町の< 光超寺 >の永代経法要の講師に招かれるという事で、『 それは何としても同行させていただき、西蓮寺にも立ち寄って頂き、聴聞も一献も。 』 との事で、運転手に名乗り出た次第。
翌25日、光超寺に参詣。 実に味わい深いご住職にお会いするのは初めての事。 実に。
お話を聞きながら山菜溢れるお斎を頂き、 本堂に出れば沢山の参拝の方々。
長年の記者生活の中での印象深い3つの記事、その中で噛みしめられた仏法のお話をお聞きしました ( それは大きな事件では決してなく、おそらく世間の100大事件にも1000大事件にも入らない記事です。 その記事が彼の記者人生で最もこころに刻まれる記事だった ・・・・・・・・・・聞いてみたくなったでしょう? そうですか。 では、氏に内緒でコッソリお話しましょうか? 氏ほど熱く伝えられないと思いますが (笑) )。 それを通してわたしに訴えられるお言葉をお聞きいたしました。 衣を着けず聴聞の一日、得難い有り難い一日でした。
法要終わって二人で京都に向かっての車中。 それぞれに考える事あってかどうか、5時間あまりほとんど話す事なく走り続けましたが、居心地どうのこうのを考える事無く 大事な時間であったように思いました。
明日28日また 島根に向って走りますが、忙しい日程のようの見え 得難い大事な二日でありました。
青色青光、黄色黄光。
4月18日 海のお寺へ。 19日 山のお寺へ。
海のお寺は 須津・尊光寺さま。 山のお寺は 矢原・安楽寺さま。 両寺とも永代経法要のご縁を頂きました。
18日はとてもいいお天気、海は青く風も心地よく 。 お座の休憩中も座敷から庭に出て海を眺めますが、帰りにも海沿いを走って 堪能。 次の日19日は一日雨ながら葉々が洗われ美しく。 直に見るのもいいですが、座敷のガラス越しに見るのも 実に・・・。
不思議なもので、変わらぬお話をするつもりで出向いても いつの間にか随分道のりが変わってしまっていました。
お天気のせいか、海と山の違いか、ご聴聞のお方々の違いか、それとも一晩たった私の違いか・・・・。
数年前から反省の為にボイスレコーダーに録音していますが、19日夜もそれを聞きながら京都へ走る車中、首をかしげます。 不思議なもんだなあ・・・。
春の石見は山菜豊富。 お昼にはとりどりの幸を頂き、午後席への元気を頂きました。
ご参拝・ご聴聞のみなさま、ご両寺さま。 誠にありがとうございました!
永代経・・・糸。
『 糸 』、中島みゆきさん作詞作曲の唄( 1998年 )。
メロディーはもちろんその詩の魅力から、jujuさん・福山雅治さんなど20人以上の方がカバーして唄っておられます。
《 縦の糸はあなた 横の糸はわたし 紡いだ布はいつか 誰かを暖めうるかも知れない 》
< お経 > も縦糸と教わりました。 布を織り上げる時、まず必ず張るのが 縦糸。 これがしっかりしていなければ、いくら横糸を懸命に流し紡いでも バラバラになってしまう。 釈尊が説かれたお話は、時代がいかに変わろうと国が違おうと生きるもの全てのいのちにとって大事な教え、まさしく< 縦糸 >だ。 そう受け止められたお弟子方が < スートラ >=縦糸=『 経 』( 緯度経度というように経は縦の線 ) と名付けて、全てのいのちにこの教えが届く様にとの願いをもって、長い年月をかけて編纂されました。
生まれてから一日一日色んな方と出遇います。 色んな出来事と出遇います。 うれしい事もあれば、つらい事・悲しい事・悔しい事とさえ。 そして、色々なことを考えさせられます。 出遇いも受け止めも そのひとつひとつが横糸です。 長ければいいと言うわけではありませんが、幸いに長く生きさせてもらえば、長い織り物が出来上がっているでしょう。 その織り物を見せて頂きます。
『 ああ、こんな風に織っておられるんだ。 』 『 こういう歩みもあったのか。 』 『 こんな事を言っておられた。 あんな姿も見せてもらっていた。 』 その織り物を見せて頂いて、なるほど と頷かせて頂く事は、そのひとの歩みが わたしの次の横糸の「 料 」となり、わたしのいのちに組み込まれ融け合う事です。 いのちを頂く・・ひとり生まれてひとり死んでいくという小さないのちではなく、すでに数限りないいのちが私の上にはたらいてある事を 気付かされる時でもあります。 これから出会うひとの いのち・ 出会ってあるのに気付いていない いのち・ 亡き人のいのちまで、わたしの中に融け合ってあります。
数限りないいのち=< 無量壽 > といいます。 無量壽=< 阿弥陀 >といいます。
さて、わたしの布はさしづめ節糸ザックリ無地、といったところでしょうか。 どこかに錦を飾る事など無く、失敗だらけのゴツゴツした木綿の糸でザックリと。 しかし、『 それでも織っていけるぞ 』 『 案外味のあるものにもなるぞ 』 と色んな方が教えて下さいました。 実はケッコウ気に入ってるんです。 勉強にならなくても、それこそ 誰かを暖められたらいいのですが。
4月8日、西蓮寺 永代経法要。 ご参拝のみなさまと法縁の一日をご一緒させていただきました。 この大事な教え( 縦糸=経 )が、永く広く( 永代 )伝わらん事を。
ご講師は、益田・川本義昭師 ( 西楽寺 ) 。
お昼の時間、ながく総代長を勤めて頂き、先ごろ退任されました前総代長・渡邉義弘さまへの感謝状 並 記念品の授与式を執り行いました。 深く感謝いたすところ、そして、どうか御身体をお大事に まだまだ色んなお話をお聞かせください。 まだまだ助けて頂く事ばかりです。
よろしく お願いいたします!
《 初参式 》 in 西蓮寺。
2月28日、西蓮寺本堂にて 《 初参式 》。
誕生一か月少々の 『 千紗子 』 ちゃん。 お母さんの玲子さんも、西蓮寺で初参式を受けて頂いています。父が導師でした。 そのお母さんも初めてのお参りは西蓮寺であった事でしょう。( わたしの姉ですから ) 3代に渡っての参拝です。
この日、お父さんは群馬から、 身内も岡山・広島から駆け付けて慶びのお参りです。
お勤め・ご法話・記念品授与・記念撮影のあと、皆で和やかにお食事。 実に楽しい法縁でした。
名前に込められた願いが書かれたお便りを頂いていました。
<千>は、たくさんのひととの出会いや経験を通して 沢山の事を学べるように。 <紗>は良縁が出来(糸)、希少な存在として(少)生きていけるように。
(子)は、それらの願いが最初から(一)最後まで(了)続きます様に・・・・・・・。 と。
まさしく出会いの世界に生まれ出てくれました。 ひとと出会い、出来事と出会う。 そのたびに、新しい自分と出会い続けていく事でもあります。
《 日々誕生 》。 おめでとうございます!
仏さまのお姿。
すごい出来事に出会いました。
昨日、神戸・長田区のお家を訪ねての事。
友人のご住職から 『 門徒さんのお家の仏壇内の 《 御本尊 》 絵像掛け軸、かなり傷んでいるので 修復してほしい。 』 と、連絡を頂いていました。 修復するならどう修復するか、又はするべきかどうかのご相談に伺いますという事で、昨日 夕方ご住職と一緒に参りました。
ご住職のお勤めの後、お軸を外します。 本来なら<35cm×12cm> の大きさの軸が掛るところに<65cm×25cm>と随分大きなお軸が窮屈に掛っておられます。 下を巻きあげ上を折り曲げ・・・。 かなり・・というか非常に傷んでいて触ると パキパキ とこぼれ落ちていきます。 仏壇内の柱に阻まれ、押しつけられた押しピンも外れず 汗をかきます。
やっと外し出されたお軸を見て、驚き。 < お顔 > がありません。
衣もありません。 裏打ち紙がはずれ絹本がひらひらと浮いており、顔料が粉になって落ちてしまっておられます。
『 これは・・・・・。 』 ・・・・・ しばしの沈黙。 そして、ご説明を。
①・現状のままで修復は可能である事。 ②・修復しても、お顔・衣が蘇る事はない事。 ③・絵師に依頼して、お顔・衣を描き足してもらう事は可能だという事。 ④・このお仏壇に掛る様に修復するには、絹本絵像を小さくしなくてはならない事。 ⑤・文字が消えているが裏書きが有ることから本願寺から下賦されたお軸であり、三種類の裏打ち和紙から過去2回は修復されたものである事。 ⑥・修復はせず、この度新しく本願寺から本尊絵像軸を頂かれる選択肢もある事。 ( そのほうが、費用がかからない事 )。 ・・・・等々。
おそらく70代の御夫婦、じっと話を聞いて頂きました。 そして、仰った言葉 『 直せるんですか、何年も掛けられる様に。 』 『 直せます。 ・・・このお姿のままでいいんですか? 』 『 これ以上傷む事なく直せるなら、このままで直していただきたいと思います。 お願いします。 』
阿弥陀如来の本当のお姿は 《 光 》 である。 この色も線も崩れ落ちたお姿を見た時、真っ先に頭に思い浮かんだ事でした。
そして、お顔がどうあれ 衣の美しさがどうあれ、長年にわたり何代にもわたり このご本尊の前に朝晩座ってお参りされてきたであろう事。
親が手を合わせてきた場所を大事にして、親に手を合わせる事を教えてもらった場所を大事にしてきた何代もの歴史があった事。
ずっと以前のお仏壇はもっと大きかったのでしょう。 お仏壇や仏具は変わっても、御本尊だけは変えずに この御本尊を掛け続けてこられたのでしょう。
そして、この度も 描き足す事を選ばれず、新しくされる事も選ばれず・・・・・・・。
感銘をうけました。
帰りの車の中で、ご住職と話します。 『 いや~、うれしい出来事に出会わせていただきました。 本尊の姿にも驚きましたが、このまま修復してお参りしたいと仰った事に驚きました。 』 『 いや~、私もうれしいですよ。 もし、要らないと言われれば私が頂くつもりでした。 』 と、笑って仰いました。
すごい出来事に 出会ってしまいました。
さて、これからが 少々大変です。 数年前ならこの仕事は受けていなかったと思います。 中々の修復になります。
いや、必ず 直しきってみせます!
集落の報恩講。
2月11日、三隅町・<西の谷集落>集会所にて、「 法話会 」。
岡見地区のほとんどの集会所には お仏壇があり、阿弥陀如来が安置されています。 この日はその集落の方々、そしてその集落の方々中心の集まりである< 王山クラブ >( 老人クラブ )の方々で、報恩講並びに追弔会のお勤め。 後、二席のご法話という日程です。
ここは、近隣の住職に順番に依頼されていて、今年は何年かぶりに私 にご依頼下さった訳です。
お昼前に到着して、役員の方々とお昼食をご一緒させていただきました。 朝早くから集会所の台所でご婦人方が手作り。
なんとまあ、食べきれない程のご馳走。 一品一品美味しく頂きました。 普段あまりお出会いする事のない方との会話も、ご馳走のひとつ。
ここは国道9号線に面しているので、( 西蓮寺あたりと違い ) 晴れやかで日当たり良好。 うらやましいかぎり。
うれしい一日を頂戴いたしました、ありがとうございました。
15日は午前中、< 床並集落 > の報恩講。 午後は < 宮ヶ迫集落 >の報恩講。
どちらも、集落集会所のお仏壇にて。 浄土真宗ご法義篤い伝統のある 《 石見地方 》 ならではの伝統行事です。
祝い酒!
あれは2年前でしょうか。
若夫婦とも娘の友人である広島のお寺の表装仕事を頂きました。 納めに行った時、長男ご出産との事を聞いていたので、お祝いを持って行きました。 日本酒、一升。
『 日本酒一升って! よろこんでもらえてるん? 』 と娘に笑われた事です。
いやいや、皆さん。 ただの日本酒ではありません。
京都・伏見・北川本家 ( 富翁・が有名な造り酒屋 ) の作りたて量り売りの店 《 おきな屋 》 にて、その場で瓶詰してもらう。 それだけでも好きな者にとっては垂涎ものですが。 その上、何より ここだけのサービス。 < 自筆のラベル > を貼ってくれるサービス。 色んなお祝いに趣向をこらした文言をシタタメテ、一升瓶担いで出向いておりました。 到着するのは数時間後。 お酒そのものは、その場で呑むのが一番いい冷え具合で 最も美味しいのですが、そこは仕方ありません。
その酒のウマさは言わずもがな、筆を持ち 自分で好きにラベルに書けるのが、面白いんです。
長男ご誕生、そのお祝いのラベルには、誕生の男の子の「 名前 」 を ド~ん と書いてのプレゼント。
『 こんな銘柄のお酒、あったんですか!? 』 と言ってもらえたよ! と娘に言いましたが、そりゃ そう言うよ と不審がられていました。 お父さん、若いひとには もっとオシャレなプレゼントを・・と・・いう事・・かな?・・。 そうか・・ そうだなあ・・。
それからしばらく経った 昨日。 その彼から娘に一本の電話が。
『 次男が生まれた。 お金は払うから、次男の名前のお酒を世話してくれないか。 』 と。
『 ほら、見ろ~~~!! 』 『 よろこんでもらえてただろ~~! 』 鬼の首を取った様な・・というのは、こういう事をいうんだなあ・・と思いつつ 叫びました。
そこで、桃太郎の様に勇んで かのお店に参りました。 そして ラベルにお名前を ド~ん と書いてきました。
もっと字が上手かったら良かったのでしょうが、そこは 思いっきり目を瞑りましょう。 瞑って下さいね。 世界でたったひとつの祝い酒です!
大谷礼拝堂。
1月31日午前9時すぎ、大谷本廟は小雪が舞っております。
島根から大阪に出ておられたご門徒さま。 昨年12月にご往生され、今日は尽七日( 四十九日満中陰 )法要。 大阪をはじめ愛知・和歌山・滋賀からご親族が、ここ大谷へ集まられました。
人数に応じて大小3部屋を 一時間お借し頂けます。 100名以上入れる部屋から20名の部屋まで。 ( 事前予約と一万円以上のご懇志が必要ですが、ここでゆっくりお勤め出来る場所を提供して頂ける事は、有り難い限りです。 )
今までにも何度かお世話になりましたが、今日は20名が入れる和室礼拝堂を。
係りの方にご案内頂いた部屋はすでに暖房で暖められています。 お華も立ててあり、和蝋燭に灯をあげて下さり 焼香香炉に炭を入れて下さり、貸し出し用の「 聖典 」を出されたところで わたしが持参しているのに気付かれ 『 ご持参でしたか、ありがとうございます。 』 との言葉を残して引いていかれました。 ・・・ご丁寧に ありがとうございます。
衣体を着け、三奉請・表百・仏説阿弥陀経・ご文章、そして15分程のお話を。 片づけ終えて部屋を出る頃、ちょうど1時間。
受付を済ませていたので、そのまま祖壇 納骨へ。 何家族かの方々と一緒に私もtお勤めに会い、焼香。 みなさまと一緒に明著堂まで歩いて進み、合掌しつつ ご納骨を見届けました。
『 この後、お食事をご一緒して頂けませんか。 』 とのお言葉に甘えて、ご一緒。
その席にて、あらためて お一人お一人のお名前と間柄をお聞きいたしました。 お一人お一人、眼差しを合わせ ニコヤカに ご挨拶頂きました。 なにやらお互い、急に存在が色濃くなったような・・・。
《 名前 》 。 《 名前を知る 》 《 名前を知っていてもらう 》 。
知らない人ではありません。知っている人であり 隣に座っているのですが、「 名前を知っているかいないか 」 ・「 名前を知っていてもらっているかいないか 」 は、大きな違いがある事を あらためて思いました。
未だもの言えぬ赤ん坊に、まず 伝えるのも 《 名前 》 。 その子の名前ではなくて、その子に呼んでもらう 《 自分の名前 》 でした。
「 南無阿弥陀仏 」 も お名前 でした。
聖人ご命日。
1月16日、当山御正忌法座。
例年より暖かいとはいえ、ストーブ・火鉢 を見つけると、その側に座り手を伸ばして、しばらくはその火を見つめてしまう寒さ。
『 唯信鈔文意 』 の中に親鸞聖人は「 浄土 」を実に沢山の言葉であらわし伝え様とされてあります。
「 安養 」 という 「 蓮華蔵世界 」という 「 涅槃 」という 「 滅度 」という 「 無為 」という 「 安楽 」という 「 常楽 」という 「 実相 」という 「 法身 」という 「 法性 」という 「 真如 」という 「 一如 」という 「 仏性 」という 「 仏性すなはち如来なり。」・・・と。
「 浄土 」 と「 如来 」はひとつことである、とお示しです。
「 浄土 」 にうまれる・「 浄土 」が開かれるという事は、「 如来 」に目覚めるという事にほかならないのでしょうか。
そして続けて 「 この如来、微塵世界にみちみちたまえり、すなはち一切群生の心にみちたまえるなり。 」 と。 この私にも 「 みちたまえる 」 と・・・。 わたしのいのちをささえ続け、わたしに大事な事を叫び伝え続けて。
「 阿弥陀仏は光明なり。 光明は智慧のかたちなりとしるべし。」 と示されつつ、光明であるが故に 「 色もましまさず、形もましまさず 」 と。 光は「 見る 」 ものではなく 「 見せる 」 ものです。 わたしの内のわたしでは知り得ないありのままの有り様を 「 見せる 」 はたらきです。 その光はまた 「 無碍光と申す」 と。 《 阿弥陀仏 》 は 《 無碍光仏 》 であります。
『 碍 』 。 さわり・・邪魔・・。 深遠なる教えのほんのひとつの受けとめですが。 わたしに起こる日々の様々な出来事、嫌な事・辛い事・嬉しい事・めんどくさい事、嫌いな人・好きな人、怪我も病気も老いも 何もかもその全て 「 邪魔 」 なものはひとつとして無い!・・・あればこそ気付く事がある・浅き頭の私にも考えさせられる事が生まれ出てくる。 それら全てがあって私であり、決して 「 邪魔 」 にも 「 無駄 」 にもさせないはたらきだからこそ 光明である 《 無碍光仏 》 。 またを称して 《 阿弥陀仏 》 と申すのでしょう。
本堂でそんなお話をしておりましたら、80を超えたあるおじいさんの声が。
『 よう言われておる。・・・・・あんた、邪魔だ と・・・家のもんに よう言われおる。 』 と、さびしそうに少し笑いながら。
『 まあ! そんな事を言うヤツ・・・・ぶちのめしてやりんさい! 』 (笑) と言いましたが、そういう訳にもいかないでしょう。
『 「 邪魔だ!」 というひとが、可哀想だけど 「 魔物 」 になっとるんよ。 おじさん。 』 と付け加えると みんなと一緒に声を出して笑ってもらいました。
《 あなたは どんな時も 「 邪魔 」 ないのちの時も、「 いらない無駄 」 ないのちの時もありません。 》
とのわたしへの叫び声も、 《 無碍光仏 》 との名前に聞かせて頂きます。
山寺にとっては、沢山の方々のお参り。 感謝を。
一人一光。 それぞれにそのひとだけの光が、と。 《 無碍光仏 》 のひかりは ひとりの大きな光ではなく、 一切諸仏 ( お参りの笑顔をも含めて ) の光を全て集めての光である・・・・との言葉を重ね合わせて 深く感謝を。
ひっくり返す。
京都のお正月は61年ぶりの積雪の多さだったらしく、『 島根も大変だったんでしょうねえ。 』 と会う方々が仰って下さるのですが、積雪1センチくらいだったんです。 すみません。 いや、皆さんのほうが大変だったのに、ご心配いただいて・・・。
その1月2日、三隅町内にある 《 石正美術館 》 ( 日本画家・石本正氏の作品を常設展示する館。 お寺から車で10数分。 ) に。
新館 にて浜田高校美術部時代の恩師 < 加賀羅聰 先生 > の作品が展示されるとの事で。 6号から100号を超えるものまでの油絵30数点 ( 東光会展・日展作品等 ) が陳列されていました。 そしてこの度は < 加賀羅聰先生を囲む会展 > と銘打ってありまして、浜田高校・益田高校・津和野高校での教え子の最近の作品も30点ほどギャラリーに並んでいました。
会期初日であれば、先生にお会い出来るかと思い出向きました。 おられました。 『 いやいや栗山君。 』 とすぐに分かって頂きました。 ・・・・こんなに姿かたちが変わってしまっているのに・・。 『 君が東光展に出した画、あれ好評だったんだよ、よく憶えてる。 』
いや~、そんな事まで。 恐縮です。 教師ってすごいんですねえ。 先生がすごいんですか?
色々お話しながら画をご一緒させて頂きました。 そのうち 『 君の年代も誰か出品してくれたら良かったのに・・。 』
すみません! 部長でありながら。 一か月前に世話役の方から出品依頼の封書は頂いていたのですが、何せ最近も何も30年以上描いていないもので・・・。 唯一、20年前に描いた聖徳太子の幼少像がありますけど、日本画ですし 自分で掛け軸に表装しているし・・皆さんに仕事をアピールしているみたいだし・・・。 と差し控えてしまいました。 出品はほとんど私より大先輩年齢の方々、存じ上げないお名前ばかり、普段のお付き合い不義理を思い知りました。
それでも嬉しかったのは在学時代に美術室で描いておられた< カンガルー> に出会えた事。 あの頃の記憶が一挙に蘇りました。
放課後美術室に行くと、カンガルーの画をひっくり返して、いつまでも見つめる先生が。 何度もその姿を見かけました。
わたしも真似して描く途中の自分の画をひっくり返してみたり・・・。 思いこみの形でなく、色が見えるという事だったんでしょうか?
今は、そう理解しています。
画だけでなく、色んなものを < ひっくり返して > 見ると、思いこみの殻から出て、違うものに 『 ハッ!』 と気付かされる事があるかもしれませんねえ、先生。
新しき歳。
新しい歳を迎えました。
元旦6時の晨朝勤行、凍えるほど冷たく薄暗き中を 大人 5人・子供3人のご参拝。
ノーマルタイヤで帰ってきた弟と母を含めて総勢11名という未だかつてない程の大人数! ( この山寺にしては記録的! )
有り難いかぎりです。 さてこの一年、転がる石の様に早く過ぎ去ってしまうのでしょうか。
子供の頃の一年の長さと、歳をとってからの一年の長さが違うのは日本人だけが思う事ではないらしく、海外でも 『 なぜだろう? 』 と考えられてきた様です。 その中に 《 ジャネ―の法則 》 なるものがあるらしく。 10歳の子供の一年は10分の1であり、60歳のひとの一年は60分の1である。 だからして歳とった人間の一年は短く感じられるのである・・と。 なるほど・・・?・・なるほどかなあ。 なんか 言いくるめられている様な・・。
もうひとつのご意見。 歳をとると身体能力も記憶力も衰える。 若い時よりも思い出すのに時間がかかり、考えるのに時間がかかり、動きもゆっくりで時間がかかるので、時間が過ぎるのが早く感じられるのである・・と。 なるほど・・時間が早くなっているのではなく、こっちがゆっくりになっていると言うご意見ですね。 そうですか。 いや、それ以上に早く過ぎ去る感があるのですが・・。 頑固者ですか?
わたしが思いますに。
子供の頃は < 待つ > 事が多かった様に思います。 早くお正月が来ないかな・・早く夏休み来ないかな・・早くお誕生日来ないかな・・。 待つと中々来ないものです。 待ち合わせで待ってる時間は長く感じます。
歳をとると < 待つ > 事が少なくなってしまう様な。 正月も別に来ても来なくても・・・誕生日など出来たら来ないほうが・・・。
となると、どんどん早く日日が過ぎてしまうのではなかろうかと。
であるなら、過ぎ去る時間の早さを嘆くのであれば、< 待つ > 事を沢山用意すれば良いのでは。 楽しみな先の予定。
『 そんなもの 無いわ。 』 と言わずに!
びっくりするほど楽しみな事でなくとも、あの人に出会う楽しみとか ご飯頂く楽しみとか・・。
あたり前の事ではなくて、実は 楽しみな事であった・・・って事。
ゆっくり、丁寧に毎日を 頂いてまいりましょう。 まいりましょう。