≪ 一人一光 ≫。
12月30日、雨。
夕べ帰山。 朝から本堂内陣、正月を迎えるお荘厳準備。
毎年年末 ご門徒さまに、次年度カレンダー・法座案内を お送りしております。 一枚の挨拶状を添えて。
おそらく今年最後の≪ あれこれ ≫、そのご挨拶の言葉をもって。
『 歳末の候、皆さまにおかれましてはご清祥にてお念仏相続の事とお慶び申し上げます。
日頃は西蓮寺にひとかたならぬご厚情を賜り、深く感謝致し厚く御礼申し上げます。
○ 来年度の≪ ご法座案内 ≫と ≪ お念仏カレンダー ≫を送らせていただきます。
この一年付き合ってきたカレンダーを掛け替える時、過ぎた一枚一枚をめくってみて、変わらぬ様に見えても どの一日も同じ一日は無かったと振り返ります。
○ 自慢できる程の大仕事をした訳でもありませんし、ビックリする程楽しい事が続いた訳でもありません。 地味な地味な毎日で、どちらかと言えば辛い事の方が多かったかも知れません。 それでも、どの一日も同じ一日ではありません。 ありませんでした。
○ 来年カレンダーの9月の言葉をしばらく見つめました。 ≪ 光に遇うと 光をもたない星まで 輝きを放つ ≫ 自らが光っていない星も、光る星の光に照らされて夜空で輝いています。 光る人・・生き生きと日々を歩む人に接していると、その光にこちらまで嬉しくなってきます。 小さき子供の笑顔に触れると、こちらまで温かくなってきます。 わたしを取り巻く沢山の人の光が わたしを照らして光らせてくれます。 わたしは決して光り輝くものなどではないにしても・・・。
○ そしてなにより、仏さまの光。 仏さまの願い・光に出遇うと、何も綺麗なものを抱えていないわたしが、輝きあるものに変えられると。 ≪ 一人一光 ≫ と説かれてあります。 たとえどんな人であっても、その人にしかない誰かに伝えるべき大事な光が必ずある、と。 ・・・これを読んでおられるあなたにも必ずあるといわれる、あなたの ≪ 光 ≫ は何ですか?
○ 新しいカレンダーを開きながら一日を迎えてまいります。 昨日と何の変わりのない様な日であっても、誰も見た事もない一日です。 過去のどんなエライ立派な人であっても、経験した事のない真新しい空気です。 たとえ誰にも褒められる様な一日でないと見えても、地味な一日であっても、仏さまの教えを光と仰ぎ 丁寧に暮らす人は ≪ 光 ≫ をまとっておられます。 今年も色々な方に出会い、その光に教えられてまいりました。 捨てられぬ悲しみ・辛さを抱えながらも、丁寧に生きておられる方の何気ない言葉には、時として 何度も噛みしめさせられる力があります。
○ 時節、厳しい頃へと向かいます。 皆さまには、くれぐれもご自愛頂きます事を 心より念じ上げております。 拝 西蓮寺 』
みなさまにとって 新しい年・新しい毎日が かけがえのない時であります事を!
栗山 知浩
メッセージ お待ち致しております。 フェイスブックではありませんが。
info@sairenji.jp
『 大慈悲是也 』。
『 仏心 大慈悲是也 仏説観無量壽経 』
とあるお方が、本願寺・淨書の白石氏に依頼して書いて貰われたものを軸装にとやってきました。
『 仏心 』 だけの書は今まで色々な方のものを表装しましたし、宗派問わず沢山目にしてきました。
その横の書が実に真宗的というか、念仏的というか・・・。 言葉がより深まり、この軸を掛けてご法話が出来そうですね。 裂地も復元織という深みあるいい裂地です。
今日、本願寺に持参した折、白石氏と色々話すうちに 『 この書体でも書いてはみたんですが・・ 』
・・・ 『 同じものでもこれなんかは・・。 』 と、仕舞いこまれていた何十枚もの書が・・。
そうなんです。 どの先生方も依頼された方に手渡されるのは一枚でも、その一枚のために書かれた 誰にも見せない何十枚があります。 表装に携わっていると、その隠れた何十枚に出会う事があります。
『 ほら、こんなに何十枚も書いた内の一枚なんですよ。 』 などと、決して仰いません。 どの先生方も。
・・・・・わたしなら、言いふらしそうです。 おはずかしい。
絶やされる事なく・・。
3月2日にお預かりした≪ 絵てがみ ≫の軸装・・・やっとお届けしてきました。
滋賀・湖東三山の一山、金剛輪寺 ( 天台宗 )。 桜の時期も行かず、紅葉の時期も行かず、今日も前回と同じく葉を身に着けていない木々の間を登って行きます。
濱中ご住職 ( 天台宗宗務総長を勤めておられただけあって貫禄十分・・ ) には表装を喜んで頂いたご様子。 一安心しながら2時間ばかり、画や書のお話をご一緒いたしました。 帰りにはお酒のお土産まで頂いてしまいました。 ( ・・二升も ) そう言えば、お酒のお話もしていましたねえ・・ははは。 ありがとうございます!
両手で二升を抱えて参道を下りながら ふと目に入る小さなお堂。
登る時も見えていたのでしょうが、気が急いていたからでしょう 足を止めてもいませんでした。 観光寺院とはいへ 時期はずれの為誰ひとりとして見えませんが、堂内 ご本尊・阿弥陀如来の前には綺麗な立花。
合掌・・礼拝して山を下ります。
冬至の日。
年末恒例・大餅つき大会。
『 フツウのオジサンだよおお。 』
この虫、アニ 朱陽の節を識らんや。
ホーム、感。
娘の嫁ぎ先、広島・永光寺さまにて報恩講のご縁。
広島別院すぐ隣りに住んでいる若夫婦の部屋に前泊・後泊。 心身共に準備万端 (?) で臨みます。
整えられた本堂では、≪ 若坊守の父親 ≫ と言う事もあってでしょう、ホームアウェイで言うなら なんともホーム感溢れ温かく迎えられている空気を感じながら お話させて頂きました。 ありがとうございます。
お参りの皆さまとご一緒に頂いた ≪お斎 ≫、美味しかったですねえ。 赤ちゃんを抱いて、ずっと聴聞頂いていた若きお母さんの姿も印象的でした。
先生を招いて一時間500円で ≪ お寺でヨガ ≫教室も開いておられるんですねえ。 色んなご縁でお寺の土を踏んでもらう・・・スバらしい!
さてさてこの度のご縁、ご住職・坊守さまには 心のこもったご接待頂戴いたしました。 深く御礼申し上げます。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。 そして、若夫婦さまにも。 楽しく楽しく 我が家のように過ごさせて頂きました。 いつまでも長生きしてくだ・・・・いや、間違えました。 いつまでも 仲良い姿を見せて下さい。 ありがとう!
『 どうスか? 』
大谷でご法事を。
12月に入りました。 今日は土曜日という事もあるのでしょうか、京都の街中 朝から観光バスや車でいっぱいです。 朝9時、東山五条の大谷本廟も駐車場・受付もすでにいっぱい。
初めてのご縁のご家族の法事です。 西蓮寺が近ければ本堂でお参り頂けるのですが、470kmは ちと遠く。 予約しておけば、ここ大谷でお勤めの部屋をお借りできると聞きまして。 10数人の部屋から、100人収容の部屋までお借りできます。 華も立てられた静かな仏間でお勤め、お話。 お念仏のしみ込んだ大谷の山でのお勤め、参拝の方にも喜んで頂けたのではないかと・・・・。
自宅以外でお勤めを、と言われる方には是非ご紹介致したく思いました。
今日のお勤めは四十九日法要。 命日から49日目のお勤めです。 < 命日 >・・・・。
< いのちの日 >なら 命恵まれた誕生日を < 命日 >と言ってもいいのではないかと思っていた事もありました。 なぜ、この世界からいのち尽きる日を < 命日 > と言うのか・・。
しかし仏法を学ぶうちに、この日こそ < 命日 > と呼ぶべき日と感じられてきました。
新聞で亡くなられた人の記事を読むのとは違い、近しいひとの < 死 > に接する。 氷より冷たい肌に触れ、出て来た真っ白い白骨を見て 『 ああ・・ひとは本当に死ぬんだ・・。 』 と思い知らされる。
亡き人が身をもって 『 かくのごとし。 』 と、教えて下さる日。 日々暮らす事をあたり前と思っている私に ≪ いのち ≫ を考えさせられる日、< 耳を開かされる日 > こそ、いのちの日 < 命日 > というのでしょう。
今日の日は < 命日 > の大事な日となったでしょうか。
寒い朝だった。
茶席。
大阪・西成区 ≪ 壽光寺 ≫にて、ギャラリートーク。
≪ 現代日本画の試み展 ≫最終日のイベントです。 今回は画を預かってから一幅の掛け軸になるまでの< メイキング >のお話を。 ノートパソコン持参しプロジェクターに写真を投影しながら、修復の様子まで。
わたしの後は、大阪アーツプランニングの< 西野昌克 >氏のトーク。 作品は、会館会場だけでなく 庫裡の玄関・座敷にも飾られています。 床の間の軸の前には < コカジ >氏の生けた花々。
座敷には、メンバーの絵付けした <中啓>・<扇>・<皿>・<壺>・<香入れ> ・・・・・等々が並びます。
終了後、壽光寺さまのお接待で メンバー14人、座敷にてお茶席に座らせて頂きました。 松風を聞きながら、和装の方々に出して頂く美味しい抹茶・茶菓を頂きました。 珍しい椀も見せていただきながら。
メンバーの皆さま、壽光寺の皆さま このたびのご縁、有難うございました。
走る。
≪第9回 現代日本画の試み展≫ in 壽光寺。
『 栗山さん、仏さまってなんですか? 』 で、始まったのか。
『 井上くん、仏さまの姿ってね・・。 』 で、始まったのかその始まりは憶えていません。
とにかく二人して≪ 仏さま ≫・≪ 仏さまの姿 ≫・≪ 仏さまのお名前 ≫・≪ 仏さまの願い ≫
・・・随分色んなお話を重ねた様に思います。 杯、片手に。
わたしは酔って憶えていなくても、彼は憶えていて自分の中で咀嚼していたんですねえ。
ある日 『 作品出来ました。 』 と見せてくれて、 『 ?? 』 と思いつつ説明を聞いて、軽く鳥肌が立ちました。
QRコードっていうんでしょうか。
携帯電話等をかざすと情報が読み取れるんです。 この中に情報が入っているわけです。
銀箔を焼いて複雑な色にして、それを箔押し。 で、なんという情報が入っていると思います?
なんと ≪ 南無阿弥陀仏 ≫ という文字が顕れるんです!
つまりこの軸は、≪ 本尊 ≫です。 そして、この不思議な表装の形は彼のリクエスト。
日本の仏表装の源流、チベットの ≪ タンカ ≫ の形です。
仏教は偶像崇拝の教えではありません。 像そのものを 有難く礼拝しているわけではありません。
彫られた像・描かれた絵像・仏の名前を文字で書かれた名号・・・それによって現わそうとされてある≪ 世界 ≫、現わそうとされてある≪ 願いそのもの ≫に手を合わせています。
≪ 世界 ≫も≪ 願い ≫も形には表わせません。 形もなし、色もなし、こころもおよばず、言葉も絶えたり・・・あえて喩えるなら ≪ ひかり ≫ そのもの。
≪ ひかり ≫ は見るものでなく、わたしにモノを ≪ 見せる ≫ はたらきです。
いくら目が良くても、ひかりがないと何も見えません。
自分では見えようがない私の有り様を あきらかに知らせる ≪ ひかり ≫。
その世界に手を合わせています。
・・・・・・・・いつも目に見慣れているあのお姿だけが、仏さまではありません。
画も文字も記号です・・と言ったら乱暴でしょうか。
この ≪ コード ≫ も 伝えたい情報が一緒であれば、ご本尊か・・・・・と、鳥肌が立ったわけです。
しかも、『 何、これ? 』 って、若き子が ピって調べて 『 へ~。 』 って言うのを見ました。
坊主として嬉しく見ていました。 こういう接し方もあるのか・・と。
ひょっとして、何かの縁につながるかも・・・ないですか?
何もないより、何かはある可能性はありますよ。
で、この軸も掛っている ≪ 第9回 現代日本画の試み展 ≫・大阪巡回展 in 壽光寺。
11月25日まで開催中です。 (地下鉄四ツ橋線玉出駅2番出口より東へ徒歩7分)
15人の画家の作品が並んでおります。 ・・・それぞれの作をここに出してひと言 コメントしたいのですが、了解を得ていませんので・・・・。 あしからず!
雨の≪ いも煮会 ≫。
それぞれの報恩講。
益田市・美濃地町の東光寺さまへ、報恩講のご縁で。
真宗大谷派( 本山・東本願寺 )の寺院、控室に聞こえてくる 『 正信偈 』聲明 は本願寺派の節廻しとはかなり違っています。 勢いがあるというか、一行一行に力強さを感じます。 筆を取られた聖人の力強さを感じるような・・・。
数年住職不在、寺族不在の寺院との事。 それでも、いや ひょっとしたら、だからこそ 『 わしらの寺を潰す訳にはいかない! 』 『 わたしらで護りあげる! 』
法中方と終始穏やかにお話・接待されている80歳になられる総代さまはじめ、皆がみな明るくにこやかな台所のご婦人衆・真剣なまなざしで聴聞される、男性が沢山の本堂・・・思いは何となく伝わってくるものです。
来年には新しい住職を迎えられる運びとか。
報告される総代さまと、聞いておられる皆さまのお顔が印象的でした。
『 ほ~。』。
ふとしたご縁で思い出す。
山寺の静寂を破り、電話が呼ぶ音。
『 はい、西蓮寺です。 』
『 あの~柿がありますでしょう? 』 ( おばあさんらしき声 )
『 はい? 』
『 吊るし柿 (干し柿)。』
『 ・・はい。 吊るし柿。 』 ( どこのおばあさんか、必死に思い出そうとする坊主 )
『 出とる息子らが好きで、干して送ってやりたいとおもうんですが。 』
『 ・・あぁ・・喜ばれるでしょうねえ。 』 ( わたしに頂けるのではなさそうだ )
『 あの太い縄いうかロープいうか、なんぼお位 ( 値段はおいくら ) します?』
『 ・・・。 ・・・え~と、おばさん。 この電話、どちらにおかけです? 』
『 農協さんでしょ? 』
『 ああ、あのねえ お寺ですよ。 ここ、お寺ですよ。 』
『 お寺? はいはい、そりゃあ 失礼しました。 』 『 はい、どうも。 』
渋柿を干して甘くする方法もありますが、ここ三隅の特産に ≪あわせ柿≫ があります。
今は渋柿とドライアイスをビニール袋に密封して、段ボール箱に 「 ○月○日に開けて下さい 」と記して全国に出荷されています。 美味しいですよ!
昔は<渋を抜く>方法として、お風呂の残り湯を利用したり( そのまま放りこむんではありませんよ )、焼酎を使ったりしていましたねえ。 < 渋を抜く >といっても、厳密にいえば 渋味をどっか捨て去るのではありません。 渋味を抜き捨てて甘味を注入するのではありません。
古歌にいわく 『 しぶ柿の しぶがそのままの 甘みかな 』
甘味はどこからかやって来るのではなくて、なんとあの <渋味> がコロリと転がって甘味となるんですねえ。
という事は渋が多いほど、甘くなるという事です。
わたし達、不幸・辛さ・悲しみはどっかに追いやって ( お祓いでもやって )、楽しい事・いい事・幸せを どっかから呼び寄せようとしていませんか? どこにも追いやれないし、やっても着ませんよ。
≪ 柿 ≫と一緒。
つらい事、悲しい事< そのもの >がやがて、よろこび・人生のあじわいになっていきます。
・・・と、声をかけて頂いてあります。
親鸞聖人の御和讃にも、あたたかい・おおきな世界に触れたら、必ず・・・と味わい示して下さってあります。
『 罪障、功徳の体となる
こおりと水のごとくにて
こおり おおきに、 水 おおし
障り おおきに、 徳 おおし 』
わたしの中の、わたしの抱え込んでいる あとからあとから湧いてくる氷のような冷たきものが、実はそれが<ものがら>となって そのまま 他をも潤す水となる。 < そうさせずにはおられない世界がある > とのよろこびの一首です。
雨上がりの山。
座るだけ。
行けました。≪ 日本画の試み展 ≫
31日、下京区のお寺での用事を済ませ、四条河原町の ≪ ギャラリー・マロニエ ≫ に。
30日から始まっている 『 第9回 日本画の試み展×表具師・栗山知浩 』 会場。
11月4日まで開かれていますが、残念ながら私にはこの日しかありません。 昨年は4階スペースでしたが、今年は5階スペース。 雰囲気も随分違います。 掛り具合が気になっていましたが、まぁ・・・まぁ及第点を下さい。
作品は実にさまざまですので、楽しい展となっています。 3時間くらい居た間にも、色々な方々が訪れて下さっていました。 海外からのご夫婦 ・ キャピキャピ?の女子 ・ 画学生風の方 ・ フラりと入って下さった風の方 ・ どう見ても著名先生風の方 ( 少しお話させて頂きましたが、やはり ただものではないと・・ ) ・・・・・。
それぞれのご覧のなり方、どの作品の前でジッとされているか・・等、興味深く拝見させて頂きました。
なんのお手伝いもせず、メンバーの方々には申し訳なく思いながらも今日 1日早朝島根を目指して走り始め、帰山いたしました。
見に行けて良かったです。 ホントに。
報恩講。
当山報恩講勤まりました。
暖かく実にいいお天気、沢山の台所お手伝いのご婦人衆。 マイエプロン・マイ包丁を持って参集。ありがとうございました。
沢山のお参り、法中方と法縁の一日をご一緒させていただきました。 ありがとうございました。
ご講師・淨蓮寺さま、染み入るお話 ありがとうございました。 5日前に仏具お磨きに来て下さった方々、ありがとうございました。 3日前に掃除お手伝いに来て下さった総代さま方、ありがとうございました。 育てた野菜を届けて下さった方々、ありがとうございました。 料理して持参して下さった方々、ありがとうございました。 法中接待、一手に引き受けてくださった千枝子さん、ありがとうございました。 2日前に『 掃除のために広島と岡山から帰ってきました。 』と言って働きまくってくれた甥の翔と直、ありがとうございました。
『 ホントに久しぶりに報恩講に会えるから、お供えお飾りは私に持たせて。 』と長岡京市から帰ってきてお参りだけでなく、お手伝いにも走りまわってくれた冴子おばさん、ありがとうございました。 当日手伝いに来て、助けてくれた久美子姉貴、ありがとうございました。 前日に帰ってきて当日夕方には京都に向かった廣大、ありがとうございました。 がんばって走り回って、今 後片づけに走りまわっている母と智子、ありがとうございました。
今年の報恩講、うれしく勤め終わりました。 ありがとうございました。
秋晴。
シーズン到来。
各寺院 報恩講を勤修される時期到来。
22日から西蓮寺に帰山しております。 23日の専称寺に始まり、安楽寺・当山・常福寺・明顕寺・尊光寺そして11月13日の礼光寺のお勤めまで。 参り合い・・と言いますか、当山の報恩講に内陣出勤して頂くお寺の報恩講には、すべて内陣出勤させて頂きに参るわけです。
当山は毎年10月29日。
先日「 お磨き 」も済み ( 5~6人の門徒さまと一緒に、本堂の真鍮仏具を磨き込みます。 )、昨日は本堂後ろの「 講師部屋・法中部屋 」の掃除・準備にひとり駆けずりまわり、今日の午後には掃除のお手伝いに総代さま方が来て頂く予定、いよいよ佳境に入ります。
めずらしく3週間ばかりずっと西蓮寺の予定でしたが、昨夜ある電話があり、どうやら31日あたり一度京都に出て行かなくてはならなくなりました。 おそらく京都滞在24時間くらいでしょうが・・・・。
とすると、あれです。 合い間を縫って、マロニエ開催中の ≪ 試み展 ≫ も見けるかも知れません。
いや、行くでしょう。 そりゃあ、行かなくっちゃ!
仏壇屋さんへ。
京都というところは ≪仏壇屋 ≫ が沢山あります。 仏具店。
特に本願寺の前あたりには、大小さまざまなお店が連なっています。
今日は新しく仏壇を求める方に同行。 仏壇・仏さまを買いに行く・・ではなくて、正しくは 『 仏さまをお迎えする 』 ですね。
マンションにお住まいの若いお方です。 『 大きくて立派なお仏壇だから良いのではなく 』 『 昔ながらの荘厳道具が全て揃っていないといけないのではなく 』 、自分が座って、手を合わせやすいお仏壇を選びましょう!
と、あれやこれやプロデュ―ス。 どこにどの高さで安置されますか? ではどの大きさの壇がいいですか? 色は? さてそれではご本尊は、木像?絵像?お名号? あちらに観に行きましょう。
お道具は最低 (三具足) ですが、こちらに色の合いそうなのがありましたよ。 え~と、過去帖はどうされます?過去帖台は? ああ忘れちゃいけない、お仏飯をお供えする器。 それから、キン。沢山ありますねえ、みんな打って鳴らしてみましょう。きっと気に入る音色がありますよ。 え~とそれから・・・・・。
実にシンプルで、爽やかな一式が揃いました。
やさしいお姿です。
知ってます?『 瓢鮎図 』。
中学校の美術の教科書か社会の教科書の載っていたのか、見た憶えはあります。
『 瓢鮎図 』 ( ひょうねんず )。
≪ ひょうたんなまず ≫という言葉も耳奥にあります。
しかし、どういう画か? 何を意味しているのか知りませんでした。 恥ずかしながら。
先日、芳澤勝弘先生にお会いした折サイン入りのご著書を頂き、読んでみて はじめて知る事ばかりに・・・・。
だいいち、「なまず」の画を見ていながら 「鮎」の文字に何の疑問も持っていなかったウカツさ。 呆れます。
中国では「鮎」は「なまず」の事で、「鯰」と同じなんだそうです。 知ってました?
この画は室町四代将軍・足利義持が如拙 (じょせつ) に描かせた画で、如拙はあの 「雪舟」 の師匠の師匠で。 しかもこの画の上部にはオビタダシイ 『 画賛 』 が書き込まれていて、それは当時の禅僧達のこの画に対しての問答であり・・・・・・。 まあ~、知らない事ばかり。 花園大学教授で禅学・禅宗史専門、禅林画賛解明のエキスパートの先生がこの31人もの禅僧方の難解な詩文を詳しく解説されてあります。
どうやら日本の禅の書のみならず、中国禅の論・書、史記にいたるまでの知識がないと 読めないようです。
31人の禅僧方はその知識を持って、文字を選び喩えを使っておられるようで・・・・オソロシイ。
つかみどころの無いヌルヌルの鯰を つるつるの瓢箪で押さえようとする画。 ≪ こころ で こころ を押さえよう ≫ とする事をあらわしてあるんでしょうか? か? どちらも捉えようがないですねえ。 捉えた!と思った瞬間 ヌルリっと 逃げて行く。
ササ~っと読ませて頂いただけでは理解できるはずのない私ですが、又 お会いできた時には、何らかのキチンとしたご質問を先生に致したく。
愉快 で 痛快 で 豪快な先生なんです。
≪ 第9回 現代日本画の試み展 ≫
今年もお声をかけて頂きました。
DMに 『 ・・× 栗山知浩 』 と入れて頂いてあります。 恐縮至極。
京都・四条河原町のギャラリー≪ マロニエ ≫での展示です。 ( 10月30日~11月4日 ) 15人のうち11人の画家の作品を掛け軸表装させて頂きました。
床の間に限らず、洋間に掛けても御洒落な御軸の数々・・。
昨年より広い会場、しかも壁面はコンクリート打ちっぱなし。 さて、どう映るか楽しみです。
・・・・・残念な事に会期中はずっと島根の予定にて、わたしは見れません ( 涙 )。
今回は巡回展として、大阪のお寺でも開かれます。( 西成区・壽光寺。 11月19日~25日 )
最終日25日にはなんとしても行きます。 24日島根での予定がありますが、夕方飛び出て 走りに走ります!
なんとしても行きますよお!
ガソリン、安くなれ!
13日、広島の娘夫妻の部屋を8時に出て、山陽道・中国道・浜田道・国道9号線を走り江津へ。
お約束一軒目のお寺。 『 お城か・・ここは・・。 』 と思うほどの立派な石垣を眺めながら座敷へ。
これまた、圧倒される庭!
素晴らしいですねえ、のすぐ後には 『 掃除・・大変そうですねえ。 』 『 もう一年中、振り回されとります。 』 『 ・・・お察し申し上げます。 』
午後、ニ件目のお約束のお寺。
保育園児の カ~ワイイ 男の子が。
『 あのねえ、ぼくねえ・・。 』 カワイイ! 歳とってきた証拠でしょう、カワイイ。
久々に ≪ 仮面ライダー ≫ の絵を描きました。
今のライダーとは随分違うらしく、一生懸命 今のライダーのお話をしてくれました。
なんのことやら分らなくても、カワイイ! 元気、たくさん貰って 夕方、西蓮寺帰山。
そして、今日 走りに走って京都。 さて、明日からまた 忙しくなります。 何が?
それは 又 次の書き込みで!
広島へ。
さあ、大仕事。
なかなか帰らない坊主。
10日、京都から島根に向かい走ります。
この度は山陽道を走り、途中 広島市・安芸区の随泉寺さまに、仕事の話で立ち寄りました。
若夫婦さまが、娘の仲の良い友人という事もあり、ご住職・坊守さまも初めてお会いしたとは思えないくらい親しくお話して下さいました。 ありがたし。
そして一路島根へ。
7時前に浜田に到着。 ( 西蓮寺にはまだ帰る前です・・。 ) この晩は浜田高校の後輩・三隅の縁の方々の集まりに呼んで頂いていたので、喜んで参加。 以前から声をかけて頂いていましたが、やっと参加できました。
年齢も職業もさまざま、初めてお会いする方がほとんど。 しかし、すぐにこんな感じに。 色んな話題が飛び交い、実に有意義な集まりでした。
石見弁全開です。 いいもんですねえ。
また、参加させてください!
『 足洗い 』。
7日・6時半くらい滋賀の布教から帰ってきたアパートのエレベーターでバッタリ。
『 あっ、おぼうりん。 帰って来たん? 今晩これる? 来てや! 』
砂原ママ。
バーのママではありません。
同じアパート( マンションといいましょうか )にお住まいの奥さんで、お子さんのお母さんなので < ○○ママ >。
ご主人は < ○○パパ >。 子供たちがほぼ同年代の親同志は子供が小さい時からお互いにこう呼び合っています。 おそらく全国そうでしょう? 違いますかねえ。
で、わたしは < 栗パパ > もしくは < おぼうりん >。 かわいいでしょ?
生活を同じくしているお坊さんに親しみを持って頂いて < おぼうりん >。 呼び名って、何時になっても変わりませんよねえ。
まあ、それはいいとして。
地元≪ 御香宮 ≫の祭り・神輿がかかれる日で、世話役の砂原家で担ぎ手の打ち上げ・足洗いがあるんです。
僧侶ですから・・・と、ほとんど表には参加していませんが、前夜の行事では大鍋の火焚きや ちょっとした買いだしに走ったり。 祭りにガっツリ参加して汗かくでない私に、色んな仕事を わざわざ用意して下さっているんですよ。 なぜ? それは、一緒に楽しくお酒呑めるようにと! ありがたし。
それにしても、今年はホントに全く何のお手伝いもしていないのに、呼んで下さったわけです。
ズウズウしく行けませんよねえ。 ・・・・・行きました。
年々集まるひとが増えていますか。 料理事も会場準備もほとんど奥さんおひとりで・・。 いや、ご家族の手助けもあるでしょうし、うちの家内も微力ながらお手伝い、ご近所の奥様もお手伝いされていますが、ほとんどは。
『 大変だな~。 』 と思うのですが、ご本人まったく苦にする様子なく。
ひとりでも多くの方が来られるのを喜んで楽しんでおられるご様子。
菩薩のような方・・・いや 言い過ぎました。
ひとが集まる場所を用意・提供する事はスバラシイ事です。 見て下さい、みんなのいい顔。
『 スゴイぞ、砂ママ! 』 ・・お礼に叫んでみました。 沢山よばれたもので・・。
『 正福寺 』。
6日・7日と滋賀県・東近江市の≪ 正福寺 ≫様へ報恩講のご縁で参りました。
ご住職は彫刻家でもあり、京都・俵屋画廊で個展を開かれた折、版画作品等の表装仕事を通してのお出会いでありました。 僧籍をお持ちの坊守さまも実に< アーティスト >。気の遠くなりそうな時間をかけられた繊細な美しい作品が目にとまりました。 この度はひとりで車を走らせたのではなく、京都から≪ 本間寛治 ≫ 氏 とふたり旅。 ( 読売新聞の記者・デスク・支局長を経験され、日本ペンクラブ会員であり、執筆家。 今年5月に得度されて本願寺派僧侶に、宗派を超えてご活躍中。 正福寺住職・楠照道氏とは、以前より杯の友。 むろん 栗山とも杯の友。 ) ご住職が 『 栗山さんが来られるこの度の報恩講に、是非ご一緒にお参りを・・ 』 と、ご招待されていました。
住職ご夫妻の作品に囲まれた客間で2日間楽しくご一緒させて頂きました。
夜座が午後9時半に終わり、10時過ぎてから <懇親>の時間。 <吞み会>と呼ぶひともあるでしょう(笑)。
坊守さま、築地から帰山されたご子息、娘さま方にそのご主人方・・・・。 皆さんがみなさん、温かく楽しく。
『 本間さん、折角だから 明日朝、ご経験からのお話を一席お願いしよう。 』 ( 住職 )
『 えっ! ・・・いいんですか? 』 ( 本間氏 )
急きょ決定。 以前からお考えであったと思います。 講演のご経験はあっても僧侶の姿で本堂でのお話は初めてのはず。 色衣を着けての内陣出勤も初めてのはず。 これから機会は多々あるであろうとはいえ、氏にとって大きな大きなプレゼント。 ですよ! ・・・なんと あたたかいお心遣い。
わたしも聴聞できてうれしく、ありがたく。
そうそう、夜 懇親中に、ご門徒さまに出された< 法座案内 > を見せて頂いたのですが、
わたしの紹介に 『 愉快な方で、いつもとは違った法話だと思います。 みなさまお誘い合わせ・・・・ 』 と。
顔には出ていなかったかもしれませんが、上げられたハードルに 色んなところから冷や汗かきながら杯をあおっていた事を思い出しました (笑)。
本堂でのご縁、楽しい会話、とっても美味しい数々の精進お料理。
ありがとうございました!
布教の場で用いられたんでしょうねえ。
『 300年の孤独 』。
掛け軸修復していると、何百年も秘められていた言葉に出会う事があります。
≪ 親鸞聖人御絵伝・四幅 ≫ を預かる時、その裏書きに 『 寂如 』 とありましたから、本願寺第14代門主の時下附されたものとは分っていました。
修復をはじめて、軸棒を開いて見ると当時表装された表具師の書付が出てきました。
たまにあるんですが、ここまで文字数の多いものは珍しいです。
『 正徳3年 』 とありますから、1713年。 300年前の書付です。
300年間、誰にも見られる事なく裂地と和紙に包まれて隠れていました。 もちろん表具師は知っていました、何百年後の修復の時には、その未来の表具師が目にすると・・・・。
木が枯れて軽くなっていますが、重さを調節して この軸棒を使おうと思います。 八双は、残念ですが痛みが酷いため、新しい物に替えます。 その旨、依頼寺院に伝え 届けるつもり
です。
この次、修復されるのは100~150年後でしょう。
その時、この軸棒の書付が久々に読まれる事でしょう。
その時の表具師に恥ずかしく無い仕事をしたいものです。
私の事は何も書き加えることなく裂地と和紙で封印します。
王貞治。
半ズボン。
朝晩は寒さと感じる様になりました。
朝、島根の友人からメールあり。 『 熱のあった小学生の息子、解熱剤で下がったので学校に行きました。本人、皆勤賞を目指している様子で・・・。 』 秘めた闘志の持ち主のようですが、心配でもあります。
そういえば・・・と思いだしたのですが、わたしも小学生時代隠れた記録があります。
≪ 6年間、ずっと 半ズボンで通学! ≫
春・夏・秋はもちろん、凍てつく日も 吹雪の日も。 片道3・5km、往復7km。 しかも帰り道はまともに帰らず、山の中に入って遠回りの道を遊びながら・・。 元気でしたねえ。
おそらくあまり裕福でなかったので、長ズボン(?)が買ってもらえなかったような? ( 流行りの消しゴムを買ってほしいと言った時、却下された事は鮮明に憶えていますから。 ・・笑 ) いや、5年生位からはなんとなく 止めるに止められなくなったのだったのか? ・・・・・記憶が定かではありません。
が、なんにしても 悲しくも辛くもなく 元気に歩いていたはずです。
お蔭で元気なオジサンになれました。 半ズボン 万歳!
秋、彼岸。
22日、西蓮寺彼岸法座。
20日午後帰山して、一日半で掃除・準備予定。 そんな中、21日 近くの集落のおばあさんの葬儀に。
西蓮寺のご門徒さまではありませんが、法座によくよくお参りして頂いておりました。
92歳。 『 おばあさん。耳が遠くなったって聞いたけど、いつもそんな後ろに座ってて お話が聞こえんさるかね? 』 『 はあ? はあ・・・ありがとうございます。 』
ニコニコ笑っておられましたが、ほとんど聞こえておられなかったとの事。 それでも、お参りを楽しみにして家を出ておられたとの事。
そこに身をおく事で 耳で聞くのではなく、身体全身で聴聞するという事を教えて頂いておりました。
この度も遠近からのご参詣、ありがとうございました。
こうして写真を見ると毎法座同じ場面にも見えますが、全てたった一度の場面です。
< 同じようにある > 事は、本当は稀有な尊い事です。
法座が終わって慌ただしく片づけて、車を走らせ一路京都へ。
23日、神戸市・西区の光源寺 < 秋季讃仏会法要 > のご縁。
宮里住職とは、平成元年の伝道院でのお出会い以来、親しくお付き合い・ご指導頂いております。
お話させていただきやすい穏やかな本堂の空気は、きっと普段の宮里さん・坊守さま、そして哲人くん (跡取り息子さん) の丁寧なご教化が・・・。
沢山の方々と法縁をご一緒させて頂きました。
そして、男3人で食事に。 僧侶の親子が、熱く仏法を語る姿を羨ましく眺めながら 美味しく杯を傾けておりました。 ご馳走になりました。 とてもいい時間を有難うございました。
大変ながらも楽しいってあるもんで。
『 数えてみたら、100枚はありましたよ。 』
『 ひ・・100枚!? 』
京都・北区の順照寺。 以前からお世話になっているお寺さま。
数年に一度 ≪ 障子張替え ≫ を依頼されておりますが、その度に
『 やりますけど、剥がして綺麗に拭いておいてくださいね。 張るのはガンバって張りますけど。 』
と我がままを言っております。 なにせ数が多いので、一日で済まそうとモクロム私は・・。
前回は60枚位だったと思い、『 朝いちからやれば、午後9時位に終わるかな・・ 』と思いながら行ってみれば、
100枚!! ・・・立ちくらみ・・。
しかし、これだけの量 家族総出で綺麗にされたんだから・・と思い、早速紙取りをはじめましたが、すぐに気づきました。 『 紙が足りるはずがない・・・60M巻きでは到底足りない。 どうする? 』
作業しながらあれこれ思案し、無理を押してでもこれしかない! ・・と、なじみの表具材料屋に電話。
『 紙ください! すぐ持ってきて。 今日? だから すぐ!』
『 いや、伏見じゃなくて北区のお寺。 えっ、時間がない? 場所が・・ナビがない? あ~もう、頼みますよ! 事件は現場で起きてるんだ! 』
忙しさに気がせき、何言ってるか分らないのに、偉いもんです。 2時間後には届けて下さいました。
ホントにありがとう。
それにしても、このままでは今日中には終わらない。 明日は自宅で作業しないと明後日からは島根・・。
朝までやっても終わらんだろうし・・・・。 と思っていたら なんと午後から ≪ 助っ人 ≫が。
『 この子ら、なんか手伝うことあるかな? 』 『 ありますあります。 紙取り。 』 住職の次男の< ノリ君 >・その友人の< チヒロくん >に< タカくん >。 それぞれ折角の休日なのに、晩御飯も後回しにして 10時半まで大汗かいて手伝ってくれました。 時間が経つうちにドンドン上手になっていきます。
『 いや~ホントに助かるよお。 どんどん上手くなってくるねえ。 』
『 いえいえ、まだまだです。 師匠の速さには敵いません! 』 ・・・『 師匠・・ははは。 』
夜にはお参りを終えた住職も手伝いに出て下さり、10時半をもって終了。
朝は、まさか今日中に終えられるとは思いませんでした。
ホントにホントに 君達のお蔭です。 3人揃って伏見に来てくれたら一杯奢るっていうのは、冗談ではないんで来てね。 苦労話でやりましょう!
気持ちのいい出会いでした、ありがとう!
たとえば、『なぜ、香を焚くか?』。
8日・9日と益田市・明顕寺さまの ≪ 仏教婦人会巡回法座 ≫ のご縁を頂きました。
お寺ではなく、二日で3ヶ所の会場での法座です。
教堂であったり、集会所であったり・・。
それぞれに心をこめたお荘厳を拝見いたしました。
仏壇のない集会所には、ご住職が本尊掛け軸を持参掛念されます。
今回はテーマを頂いておりました。 < お荘厳・作法・・そのはじまりと謂れ等 > こだわらず、話したい事を話して下さい・・との事でした。
事前にみなさんからご質問を頂いておりましたが、途中 『 さて、何かお聞きになりたい事はございますか? 』
と、言ってみても どこでも中々手をあげる方は・・・。
『 演台に立っていたら、お話しにくいんでしょうねえ。 ・・・・いっぺん、ここに座ってみましょうか? 』
と、みなさんのまん前に座ってみると、笑いながら 『 じゃ、ひとついいですか? 』
『 こんな事、聞いていいもんかどうか・・。 気になってたんですけど。 』
『 お通夜に行く時なんですけど・・。』
沢山のご質問をいただきました。 高くて遠いところから話すのでなく、同じ場所で、しかもすぐ近くに座る・・・という事の大事さを あらためて感じました。 なごやかになごやかに≪ 法座 ≫が進んでいきます。
わたしの学びでもあります。 ありがとうございました。
想像してみて下さい。
西蓮寺に帰山途中、大田市大代町の明円寺さまに立ち寄る用あり。
地図で最短距離を調べると、中国道≪ 三次 ≫IC を降りて日本海側・大田市に向かう道が。 ( みよし・・と読みます ) ICを降りて、中古車に付いていた古い< カーナビ >の言うとおり走り始めると、ドンドン細い道へ・・・。
鉄道マニア好みの≪ 三江線 ≫が走る川沿いの道。 一台が走る幅のみで、対向車が来るとどちらかがバックしてすれ違いながら・・・。 来るなよ、来るなよ・・と願いながら、心臓に悪い走り。 すれ違うドライバーの目が、『 なんで お前がこの道走ってるんだよ。 』 と言っています。
途中、我慢できず< カーナビ >に謀反をおこし、川を渡って違う道へ。
少々反対方向へ走って、やっと 安心できる道発見。
・・・『 道の幅も教えてくれよ・・。 』 と言いながら、約束より1時間遅れで到着。 すみません。
『 どの道で来られました? お教えすれば良かったですねえ。 』
穏やかなご住職、綺麗な坊守さま、『 こんにちは!』と次々挨拶に来てくれる元気な子供さん達。
庫裡から見る緑溢れる庭、『 舞台ですねえ。 』と言葉がもれた≪ 浄土変相図 ≫のような本堂。
しまった。 何一つ写真を撮らせて貰っていません。
『浄土』の様子。
『 浄土曼荼羅 』。
『 観経曼荼羅 』・『 当麻曼荼羅 』とも呼ばれますが、正式には 『 浄土変相図 』 です。
浄土の様子が中央に描かれ、その回りに ( 浄土を観るさまざまな方法 ) や、( 仏の世界から見た、人間のさまざまな姿 ) が、細密に描かれてあります。
『 仏説観無量寿経 』に説かれてあるところを画にしてあり、その経文も書き込まれてあります。
浄土の仏方、蓮華中に生まれる姿、そして浄土に生まれた いのち を歓迎する踊り・・・。
洗いをして表面の汚れを取り去り、 裏打ちして折れ痛みを修復すると、より一層鮮やかに。 やすらぎの世界が。
本当にこのまんまの浄土があるかどうかで無く、この画で この経典で私に何を伝えられてあるのか・・が大事な事は分っています。
ですが・・・。 本当に こうあってほしい・・と願う時があるのも正直なところの私です。
近しいひとの ≪死≫ に直面すると、より強く感じます。
全く恥ずかしいことです。 全てのいのちを等しく感じているとは決して言えません。
恥ずかしい事です。
<ミニポスター>に軽く挨拶を。
京都に向かう道中、中国道の小さなPA( 真庭PA )で昼食を。
岡山の山奥、平日という事もあり作業員風とドライバー風の一人での客がチラホラ。
テレビもなく格別見る景色もない一人テーブルの目の前にある「 ミニポスター 」。 食べながら凝視。
『 < まにわバ―ガ― >か・・・。 ここだけのバーガーかな? 』 『 新見名物・千屋牛入りコロッケ・・・・コロッケ!? コロッケバーガーで550円とは結構な値段・・・・いや、失敬。 』 『 地元産トマト・・蒜山ジャージのヨーグルトソース・・なるほど。 そう言えば子供が小さい時、蒜山にいったなあ。 ・・・この白いのは? 豆腐か・・豆腐? 豆腐・・攻めてるなあ。 』
『 さっきから誰もこれ注文してる声を聞かないけど、何セットキープしてるんだろう? コロッケは冷凍できるけど、豆腐はなあ・・。あまったら困るよなあ。 そうか! 油揚げ野菜定食って書いてあったなあ、さっき。 それでもだめなら、この味噌汁の具か! なるほど。 ・・・きっと一人で食べながら目の前の< ミニポスター >を見つめているおじさん達みんな、同じ事を考えてるんだ。 それで、みんな 味噌汁をかきまわして 2~3回頷いてるんだ・・。 』 んな、アホな。
『 パンが・・ああ、バンズって言うだ。 パンでいいよな、挟んでるパンで。 何なに・・< きよみどり >を練り込みました・・鳥身を練り込んでるのか? ああ、豆か。 きよみどりって豆ねえ。 』 『 < 日本一といわれるきよみどりを使用 >? ・・・誰が言ってるんだ? いや、失敬。 < 日本一の >でなく< 日本一といわれる >としてあるのが奥ゆかしい。 きっと多くのひとが言ってるんだろうなあ、わたしが知らないだけで。 いや、知らない事だらけ、お恥ずかしい。 』
『 豆乳スープセットで680円か・・。 他のセットが無いのが又強気だなあ。 う~ん、豆腐をコーヒーで流し込むのもなんだしなあ。 味噌汁・・いや、無いなあ。 やっぱり ここは豆乳か・・。 』
『< ご当地バーガーコンテスト・中国地方東部地区予選会・審査員特別賞受賞 >か・・・。 高校野球の地区大会で期待のピッチャーがいたけど、2回戦敗退・・・・みたいな・・・。 全国は遠いなあ・・。 いや、失敬。 次はグランプリでしょう! いや、まだ食べてないんで いい加減な事言っては失礼でした。 どうしましょう? 』
『 さて、ご馳走様でした。 いや~、一人の昼食のいい話相手になってもらいました。 これだけ色々思いを巡らせてくれたポスターはなかなか無いですよ。 じゃ! ・・・・・そうか、それで おじさん達、さっきから席を立つ時 軽く手を挙げてるんだ・・。』
いや、あんただけだろう!
講題 ≪誓願一仏乗≫。
27日28日、昨日今日と≪ 三隅組講習会 ≫に参加いたしました。
毎年夏に開かれる、二日間泊りこみでの勉強会。何十年と伝統のある大事な行事です。
組内20ヶ寺持ち回りですので、20年に一度会所会場がまわってきます。 西蓮寺が前回受けたのは10年前、講師は浅井成海師。 その20年前の講師は二葉憲香師。 その20年前は大江淳誠師。 その前は・・・・忘れました、すみません。
今年、会所は浜田市周布の専称寺さま。 講師は熊本の木下明水師。 布教使でもあり輔教という学者でもある先生の講義。 講義・・・まさしく講義。
先ず配られた90ページの印刷資料に驚きつつも 『 まあ、この内のどこかをお話になるのかなあ・・。』 と思っていたら 大間違い!
大学の講義どころではないほどの、大量の言葉と文字に追われに追われ・・・・・久々に、頭の中の隅の隅をグルグルと棒で掻き廻された感を味わいました。 ありがとうございました。 夜の懇親会は、いつもどうりに賑やかに。
坊守さまはじめ仏婦の皆さまの温かいおもてなしに感謝至極。
楽しく笑い、夜が更けると深く語り合いもして・・・。 伝統ある大事な会です。 これを 今後の共々のお念仏相続に生かさせてもらわなければなりません。 拝。
初めて走る< 新名神 >。
昨日は三重県三重郡・菰野へ。
4月にお預かりしていた、四幅対の ≪ 親鸞聖人御絵伝 ≫ が修復完了し、真宗大谷派の寺院に納めに行って参りました。 ご紹介頂き間に入って下さった先生も、ご同道頂きました。
先方では、門徒総代さま方も お待ち受け頂いていて、『 お寺の大事な宝が美しく蘇り帰って来られる・・・』 という事を喜んでおられるお姿に感銘を受けました。
『 住職さん、これはどう見るもんですか? 』 『 ああ、絵伝は下から見るんですよ。 ほら、ここの場面が青蓮院でのお得度で・・・ 』 『 はあ、なるほど。 』 『 今度ゆっくりみんなにお話下さいね。 』 『 そりゃ勿論。 』
仏法が広がっていく事に、この表装がわずかにでも ご縁になっていくであろう事。
うれしく聞かせて頂き、帰途に着きました。
『悩む楽しみ』を貴方に。
阪急桂駅近くの≪ 京都美術学院 ≫へ。
10月30日から開かれる 『 第9回 日本画の試み 』展。 ( 京都・河原町四条 ギャラリー・マロニエ )
昨年に続き軸装、掛け軸のかたちで十数人の画家の作品が並びます。
作家ご本人方に裂地を選んでもらいながら表装を相談。
昨年の事を思いながら 『 こんな感じかな 』 と70反ばかりを選んで運び込みました。 ・・・・重い。
しかし、3時間も悩まれている姿を見ていると 『 持って来て良かった 』 と。
裂地を広げて画を置いてみて、しばし思案。 違う裂地を広げてみて、思案。 離れてみたり近づいてみたり・・。
ほぼ決まられたかな?というあたりで 『 こんなの、どうですか? 』 と全く色合いの違う反物を持っていって画を置いてみるイジワルな栗山。 いや、イジワルしているつもりはありませんよ。 折角ですから、色々試してごらんになった方が良いかと。 楽しいかと。
裂地が決まり、横・縦の寸法も決まりました。 カッコイイのが出来ますね!
≪ 清盛 ≫見参。
随分キツメの雨が降り、晴れ上がり、又降り始め・・。 その為、今晩予定されていた≪床並集落≫での盆おどりは早々と中止となりました。 踊りの前にその場でお勤めを依頼されていましたが、どうやらそれも・・。
そのお勤めを終えて京都へ向かうつもりでしたが、少々早い時間に出る事になりそうです。 6時すぎには走りはじめられそうです。
そうそう、その盆おどり会場近くの田んぼに 今年も< 大河 >の ≪ 案山子 ≫が。 昨年は≪お江 ≫が立っていましたし、一昨年は≪ 竜馬 ≫が立っていました。 その前も何年もいた様な・・。
こうなると もう止められませんねえ、≪ 山根のおじさん ≫。 ( 作者のおじさん ) 来年は、作りづらいんじゃないですか?
こんな恐い≪上中下≫見た事ない。
昨日13日、42km渋滞を越えて 夜9時 西蓮寺帰山。
今朝、お参りの衣体を準備しようと後堂( 本堂の後ろの間 )に行ってビックリ。
『 なんだ、これ! 』 水害の後を思い出すような乱れた部屋・・。
『 おい、お母さん! なんだこれ? どうしたんだ!? 何やったんだ? 』
『 ああ、大変だったんよ。 カーペットの下が気にかかって、めくってみたらカビが生えてたから。 』
『 そんなんせんでええって! 衣体はどこにやった? ・・・あ~あ~・・これ・・。 あんた・・。 』
『 そんなんって、あんた。 汗びっしょりになって 大変だったんよ。 』
『 で、これどうするつもりなん? 後の方が大変やで! 』
『 大変じゃねえ。 また 大汗かいて・・・・。 』 ( かぶせ気味に ) 『 もうええ! 俺がやる。 帰ってきたら 俺がやる! もう触らんといてや! あ~あ~これ・・。 』
たまに、タヌキも牛もビックリする様な恐ろしい事をやってのける80前の母親。
他人様がされた事なら 『 まあ~よく気がついて下さいましたねえ、ありがとうございます。 』 って言うかもしれませんが、親子ですから 大喧嘩。 親子ですからねえ。 しかも良かれと思ってやってくれているんですから・・。
と、言い聞かせながら。 汗びっしょりでお参りから帰って、またまた 汗びっしょりで復旧作業を。
『 何だ、これ! 』 バラバラになっていた簡易タンスを組み直すと、現れた文字 。 『 この 上中下って! おい、お母さん! 』
『 ああ、どれがどこに入るか分りやすい様に書いといた。 』
『 ほう、なるほど。 分りやすい様に こうして書いとけば・・って、あんた! これ、油性マジックやろ! どうするんや~! 』
・・・・・・・・・・ノリツッコミするほど疲れました。 なんとか 復旧しましたが、しばらく ≪上中下≫には何もする気力がありません。
あんたが決めても・・。
お盆が近づき、気忙しくなってきました。 島根にも帰山しますし、京都でも少々「 お盆参り 」を頼まれております。 明日は早朝3時すぎから 「 なでしこジャパン 」の決勝戦がありますし、ほぼ同じ時間に「 火の鳥ニッポン 」女子バレーのブラジル戦もあります。 どうしましょう?
そんな事に気をもみながらも、お盆中は手がストップしてしまう為 今日もお仕事三昧。
エッチング・・・・ 素敵な作品ですねえ。 インドの少女でしょうか? 想いは何処へ向けられているんでしょうか。
半眼、頬に軽くあてられた手。 まるで 半跏思惟の『 弥勒菩薩 』の様な・・。 56億7千万年、今も思惟し続けておられる菩薩。 ・・・ひょっとしたらそうなのでしょうか。
この画に出会った最初から、合わせる裂地は頭の中で鐘を鳴らしていました。
『 ゴ~~ン。 』
たまにそういう事があります。 『 ゴ~~ン 』 と。
正絹でも撚り合わせた糸が太い、光沢のない復元織で朱地に 大きな大きな花の文様。
バックの色が変わると又、印象がかわりますね。
さてさて、 『 インドの少女 』 か 『 弥勒菩薩 』 か ??
・・・・・・・・・・・ 決めました!
わたしは、『 生身の菩薩 』 と呼びましょう。 わたしは。 ( 貰えませんかねえ、これ。 ・・失礼! )
額の日。
助けを呼ぶ声が。
早朝。 今日も暑いけど、綺麗な空だな・・とベランダに出たところ、電話の音。
『 ああ、栗山さん? 今 京都? よかったあ~! 助けておくれ。 』 『 ・・はい? 』
以前から表装でお世話になっている京都市内のお寺さん。
朝、本堂でお勤めしていたところ、内陣の ≪ 蓮如上人 ≫御影軸が バッサ~・・と落ちてきたと。
伸びきった古い紐が切れたのですが、永年掛けっぱなしで乾燥しきっていたので ( どこのお寺もそうですが ) 落ちて パリパリに割れてしまって、巻くことも出来ない・・・・・で、助けのお声がけを頂いたわけです。
すぐさま参りました。
タンカで運ぶように車に乗せ、そろ~と持ち帰り、早速 全面修複開始。 < 弘化3年 > とあります。 一度も修複されておらず、おそらく 169年間ずっと掛けられていたのでしょう。 絹本本紙も裂地部分も すっかり粘り気なくサクサクで、触る度に割れていきます。 ・・・恐ろしい。
本紙を切り外し、敷紙に裏向けに寝かし、霧を吹きます。 ・・・もう、大丈夫。
少々動かしても大丈夫です。 さて、裏打ち紙の除去開始。
裏書きも大事です。 新しい和紙を貼りたたき込み 仮張り板へ。 このまま数日様子をみましょう。
いつの間にかもう夕方。 汗を拭き拭き イップクしにベランダに出ると、『 おお! 』 。
瓦職人のオジサンではないですか。 『 アッついですね~! 』
オジさ~ん。
暑い!
ここのところ連日引きこもって表装仕事しております。 今日も 36度か7度か知りませんが・・暑い!
以前も言いましたか、糊をひく時は乾燥が早すぎるのでクーラーは使えず、裂地・紙が飛ぶので扇風機も使えず。
かと言って、ポタリとの一汗も落としてはならず・・。 ひたすら我慢、我慢、我慢。
ベランダに出て休憩すると、屋根に登って私以上に大汗かいているであろうオジサン達。 『 ・・・おじさん。 わたしも頑張るよ。 』
この数日、何度その姿に励まされたか。 オジさんは励まそうと思ってもいないでしょうし、いい事してるとも思わず ご自分の為すべき事を粛々と為されているんでしょうが、それが 私には実に大きな力になっていますよ。
・・・・でも、今日は何度見てもおられません。 オジさんも休むほど暑いんですか! お~い、おじさ~ん!
などと ( 暑さのため ) 叫びながら、孤独に作業。 思案。
仮張り板に張り込めない程大きな作品。 どうする? 芸大の部屋でも借りようか?
いっそ 西蓮寺に持ち帰って、大きな仮張り板を作って本堂で作業して仕上げようか?
・・・・・・それにしても 暑い。 オジさんもいない (?) 。 え~い、今日やってやる!
どこに張り込む? 壁だ! 壁しかない。
やりました・・。 あまりの暑さに、判断能力も薄れ 後先考えずに、大汗かいてやりました。
家内が怒ろうが何を言おうが、もう遅い・・。
『 思いっきり、壁に貼ってやったぜ~。 』 『 ワイルドだろ~? 』
・・・・・住職。 だいじょうぶですか?
三つの言葉。
『 一水四見 』 という言葉があります。 いっすいしけん・・。
池の水を見て「 ああ、池の水だ 」と見るヒトがいます。 その池に泳ぐ魚は、水だとは思わず「 住み家 」と受け止めています。 天人には宝珠の泉に見えて、その中に入った餓鬼は「 血膿の溜り 」に落ちたと もがき苦しみます。
同じモノを見ても、そのひとの生きている境界によって 「 受け止め 」が違う・・という示唆。
同じひとに出会っても、「 どういうひとに見えるか 」は、ヒトによってちがいます。 住んでいる世界・見た聞いた経験した考えた事を通してしか 『 受け止め 』はできません。
・・・・・たとえば、天人がわたしを見たら「 天人 」に見えて、鬼がわたしを見たら「 鬼 」に見えるのでしょうか?
『 ひとは< ヒト >の心を読もうとする時、隠そうとしていた己の心をさらけ出す 』 という言葉もあります。
「 あのヒト、何故あんなに誰に対しても いつもニコニコ愛想がいいんだろう? 」
「 それは、自分がいいひとに見られたいからよ。 」
「 それは、うまくやって商売で儲けたいからよ。 」 ・・・・よくある世間話。
ひとの噂話している時、「 わたしがニコニコする時は、いいひとに見られたい時 」 「 わたしが愛想よくする時は損得勘定で得をしたい時 」 という奥底に隠していた心をさらけ出してしまっている事があります。 しかも、得意げに喋りながら・・・・恐いですねえ。 気をつけましょう。
『 ひとは言葉の数だけ、感情が豊かになる 』 という言葉もあります。
画や花や美しいものを見て、 「 きれい 」 「すごい 」 「 すばらしい 」 だけでなく、色んな言葉で表現できるひとは感情が豊かになり続けておられるんでしょうねえ。 嬉しい・悲しい・辛い・・・確かに知っていて湧いてくる言葉によって、感情が深まるような・・。
たくさんのひとに出会い言葉を交わし、自分の中に新しい言葉が増えていく。 それは、沢山のことを知って< 偉く >なっていく事なんかでなくて、感情が豊かになっていく事なんですね。
言葉の世界に住んでいる私達にとって、言葉はとても大事です。 恐くて・・大事です。
たくさんのひとと会話する、本を読む、映画を見る・・。 おおきな世界にふれる。
知識が増えて偉くなっていく方向ではなくて、自分の内が知られてくる方向でありたいものです。 合掌。
「 イカ飯 」 と 「 無人駅 」。
昨日、 西蓮寺帰山。
途中、温泉津町( ゆのつちょう )のお寺に表具相談で立ち寄る為、初めての道を走りました。
中国道・落合から米子道を通り、米子~松江~出雲~大田・・と日本海側・山陰道。
宍道湖を見るなんて 何十年ぶりでしょう。
朝10時前には京都を出たのに、西蓮寺に着いたのは午後7時すぎ。 ( 温泉津のお寺に2時間いましたが )
うす暗くなった境内で車から降りると、< 日暮蝉 >の大合唱に迎えられ 少々ビックリ。
あらためて囲まれた四方の山を見渡すと、確かに 全ての方向から声、声・・。 声。
今日は、海に生きる門徒さんの家のご法事。 奥さんの7回会のご縁。
『 よっぽどええ所なんじゃろう、六年経っても まだ帰って来ん。 』
と仰っていたおじさん。
お勤めが終わったら、通り向かいの ≪ JR山陰線・岡見駅 ≫ へ案内されました。
『 ・・・駅? 列車でどこかに行って食事・・? 』
いえいえ、改札を通りすぐ ≪ 駅舎 ≫ の中へ。
なんと、無人駅 ( 昔は11人もの駅員さんがおられた時代もあったそうです・・。 ) の駅舎を集落で買い受け 集会所のように使っておられるそうで・・。 土曜はカラオケの集まりがあるとかないとか、いくらか支払えば 今日のように個人でも利用できるとか・・。 知りませんでした。 漁師のおじさんが自ら釣って腕をふるって下さった 「 イカ飯 」・「 イカの御造り 」・「 イサキの煮付け 」・・・。 ホントに料理上手ですねえ、おじさん。 息子さん・お孫さんと一緒になって こころ精一杯のご法事と感じます。 準備のご苦労とご心配を想います。
『 はあ、あと6年も よお生きとらんけえな・・。 ワシあ。 』 次の13回会の事ですね?
まだまだ! ですよ。 それに、目に見えなくても帰ってこられてますよ 奥さん、きっと。
すぐ横を 一両編成の列車が停車し、出て行きます。 乗り降りの姿は見えません。
旅立つ、我が子。
以前ここでも紹介させて頂き修復を手掛けてきた 『 六字名号 』軸。 修復完了いたしました。
かなり折れ痛みがあり、このたび以前に修復された表具師の大変なご苦労の跡も見せて頂きました。 そして こうなりました。 外廻しは、正絹でもフックラとした復元織。 中廻しは、私の好きな青貝裂。 ( 銀箔を青みが出るまで焼いて、押して裁断して糸にして織リあげた裂。 金欄とは違い、貝の裏の様なにぶい光沢がとても美しいです。 ・・・少々高価ですが・・。 )
新しい作品を表装する楽しみとまた違う楽しみが、古い書画の修復にはあります。
霧を拭いて裏打ち紙を剥がすうちに、先程言いました 100年も前の表具師の仕事を見せて貰えますし、依頼された方の 『 わたしにとってはこれが大事だ 』 という思いにも出会えます。
そして、仕事しながら真近で見つめ続け 書かれ描かれた今は出会えない方と出逢え、最後お渡しする時、ご依頼者の笑顔にも出会えます。 送って届けるのではなく、手渡しでお届けしたく・・常々 思っております。
めずらしく、アチコチ。
表装の仕事で大谷本廟と本願寺へ。
東山五条の大谷本廟の≪ 蓮 ≫は遠目にも美しく、近づいて行ってしまいました。
2000年も前の一粒の種からここまで仲間が増えたとの事。
堀川七条の本願寺の境内には大きな鉢で≪ 蓮 ≫が並んでいます。
残念ながら華は咲いていませんが、種類の違う華々との説明書きが。
本堂にお参りに上がると珍しくほとんど人影なく、テレビコマーシャルの様に縁に座ってみたくなります。
( そうだ、京都にいこう。・・と ) 実際座って しばらくボ~っとしてましたが。
約束の時間に余裕があったので、通り向かいの ≪ 龍谷ミュージアム ≫ に。 16日まで会期の 『 仏教の来た道 』展、やっと行けました。
以前頂いていた図録で写真は見ていたものの、実際見ると大きさに驚く事が多かったです。 『 こんなに大きいんだあ・・。 』 とか
『 あれ? こんなに小さいんだあ・・。 』 とか。
とても小さい仏さまでしたが、中国6世紀末・隋代 銅造鍍金の < 勢至菩薩立像 >。
このたび一番のお気に入りでした。
・・・・・・・ 「 お気に入り 」 って言っていいんでしょうか?
夕焼けの海。
昨夜は深山・淨蓮寺様にお呼ばれ致しました。
5月の挙式でお世話になったと、司婚の礼光寺さん 手伝い方の私と明蓮寺さん・明顕寺さんを招いて下さったわけです。 お寺は山高いところにあるので、本堂の縁から遠くに海が見えます。 嬉しい事に美しい夕焼けが・・・・。 住職ご夫妻・若ご夫妻と共に美味しく楽しいタップリの時間を頂きました。 『 泊る予定でゆっくりと。 』と言って頂いていたので、それはもう タップリと。
書が大変魅力的な住職、そして若さん。
とある部屋を覗かせていただくと、墨 筆 和紙・・書きに書いてある紙、紙。 話しながらスッと筆をとってサラサラサラ。 いつでも思いついた時に筆をとれる様にされているんですねえ。 あの書は才能のみならず、努力が重ねられた上のものでした。
朝は快晴、 朝の海。 ありがとうございました!
一度 西蓮寺に帰り、今 京都に走り着きました。
いつか・・という事で。
法座の荘厳を解こうとゴソゴソしているうちに、蓮の華が目にとまる。
3年前になろうか、韓国の友人が材料をくれたので作ってみたもの。 『 栗山さんだったら簡単に作れますよ。 韓国では色んな大きさの蓮華が売られています。 』
作り始めると何が何が・・・。 どこが簡単か、ひとつ作るのに半日。
アルミの土台を組んで、提灯状に薄紙を貼り、蛇腹に型押しされた紙の片方をつまみひねって丸みをつけて 一枚の花びらに。 本当の華と違い、土台を見えなくする為には30枚もの花びらがいる事にも気づかされ・・・。
ひねってもひねっても、貼っても貼っても終わらない作業。 うまく尖らない・・・横に並べておいた花びらが 『 ほらほら 』 と言わんばかりにバラける・・。 持って来たヤツの顔を 何度思い浮かべた事か。
出来上がってみると実に美しく 喜びもヒトシオで、持ってきて下さったお方のお顔を有難く思い浮かべるも 結局今に至るまで4個しか作れておらず。 それでも何時のお座だったか、内陣に並べて荘厳し、< 白蓮華 > < 青蓮華 > のお話をした事もあり、今一度 並べてみる。 ・・・・あと20個くらいの材料があるか・・ヤツの顔でも思い浮かべながら作って、板間中を蓮池にしてお勤めしてみようか・・。
まあ、いつか・・という事で。
≪ 雨安居 ≫。
昨夜は雷と大雨。 心配していた通り 今日も雨。
それでも ≪ 安居 ≫夏法座は、丹精込めて育てられ持ち寄られた野菜と共に始まりました。 40人位でしょうか、有り難きご参拝。
そうめん・トコロテン・野菜炊き合わせ等のお昼をご一緒し、休憩には甘いものも・・。
そのうち雨も上がり、穏やかな一日が過ぎてゆきます。
毎法座の度に思います。
ご門徒さん、そして半数のご門徒さまでない方々。 この山奥に遠方からご法礼を持って来て下さって、4回の40分のお話をジッと座って聞いて下さって・・。 体力も気力もいる事です。 来て下さる方があって ≪ お座 ≫ が成り立ちます。
仏さまを讃える諸仏のみなさまです。 本堂への入堂、有難うございました。
濃い酸素。
経験値、ひとつ上がりました。
『 余った壁紙を ○○さんから貰ったんだけど、栗山さんどうかなあ。 トイレの壁紙張替えてもらえんかなあ。』
『 え~、無理でしょう。 やった事ないですよ。 』
『 そうか・・。 栗山さんがヤッテくれないとなると、私らが二人でやらんと しょうがないなあ・・。 』
『 ・・・わかりました。 お二人より 私が出来ると思います。 』 『 そう? ありがとう! 』
というわけで、とある画廊のトイレで作業してきました。
障子・襖の張替え依頼は受けた事がありましたが、壁紙は初めてです。 ネット動画でも勉強しました。
掛け軸表装とは道具も違います。
緊張感高まります。 自分の家の張替えさえやった事がないのに、自分の家とは違いますから・・。
作業前。 そうですねえ、年が経つと継ぎ目から痛んできます。 午前11時・剥がし作業開始。
下地を調節し、新しいクロスに糊を引いて ヨイショと持ち上げる・・糊がビッシリ引かれた2・5mのクロス、この運び方は動画さまさまでした。
余った壁紙利用なので3種類を張り継ぎます。 どうなるかと思っていましたが、なかなか御洒落なトイレとなりました。
終わりました・・・。 午後5時すぎ・。
密室内での慣れない作業、ここしばらくでかいた事無い程の汗をかきました。 黒いポロシャツに塩ラインが現れるほど・・。 精一杯やりましたが、先々どうでしょう?
その道その道のプロに頭を下げます。 勉強になりました。
この画廊を訪れる時、しばらくは 接着剤を持参して トイレを覗かなくてはなりません。 (笑)
さすが、師匠。
古い書軸の修復を依頼される時、同時に頼まれる事があります。
『 何と書いてあるのか? 誰が書いたものなのか? 調べて教えてください。 』
・・・簡単に言われますけど、私 いたって浅学の身にて、困る事が多いのです。 そういう時、頼りになる師匠のところに走ります。
これなんかも、何という方のお名前か・・・・?・・・さっぱり。
師匠は丁寧に、< 書体・くずし字辞典 > を広げて 『 ほら、この字は ここに出ている。 』 と、さし示しながら
時間をかけて教えて下さいます。 ただ読むだけでなく、そこから 色んな事に話題を広げてお話して下さいます。 ちなみにこれは ≪ 韓 玉林 ≫書 。 ( 書、は 解るんですよ。 さすがに。 一緒に読もうとして下さるので、くずされた字も 少しずつは読めるようには・・・いや、また 偉そう病が。 人によく見られたい病が。 お恥ずかしい。 )
≪ 臣玉林印≫ と ≪ 昌黎韓氏 ≫。 100年位前のお方。
≪ 士不可以不弘毅 ≫ であるとの事。
師匠、またまた何処からか 分厚い本を持ってきて 『 ほら、ここにある。 中国宋代の儒学者・朱熹の言葉やな。 』 『 して その心は? 』
『 もののふは、全てが 度量・意志が強いというわけではない・・・・っちゅう事かな。 』
師匠、くれぐれもご自愛頂き・・・長生きして下さい! また、困った顔してやって来ます!
<京都アンテイ―ク&アートフェア・2021>
≪ みやこメッセ ≫ にて。
数十ヶ廊の画廊・古美術廊がブースを設けて集いました。
普段は付けておられない値札を置いての展示でした。 わたしでさえ知っている方々の名のついた作品が、ジックリ見てまわるには苦しいくらいに・・・・・。 ( 名はどうあれ、ほう・・と思って下の札を見ると おお・・とビックリする名と値札が・・。 という事です。 )
其処らへんはソコソコに、今日の目的・なにより行きたかった ≪ 京都芸大ブース ≫ へ。
今までだったら ( こういう ) 会には参加されないであろう所が 参加されたんですから・・。 ( かな?)
日本画 ( ・・この言葉の持つ難しさは 井上君から勉強中ですが。 ) の先生方の作品が並びます。
その中に正ちゃんの≪ 地蔵菩薩・模写 ≫ ( 正垣雅子先生・和服でバツっと決めてましたね。 カッコよかったですよ! )、栗山が額装したのがありました。 二人で苦労したんです、インド古裂をアシラッテ。 ねえ・・・。 悩んだ時間だけ 良い モノになりましたねえ。 好評だったとの事、実に嬉しいかぎりです。
それもともかく。
川嶋渉先生指導の < 日本画体験 > イベントの見学もできました。
実に楽しそうな参加者のお顔が印象に残りました。 ・・栗山も また 描いてみたくなる様な・・。
海の向こうで画を教えておられるというお方・・、どうですか?
先生の< 画材コレクション >も。
宝石をゴリゴリ磨るところからされていましたが、<緑>の色を出すにも、こんなに種類が分かれていて、これをまた 組み合わせると無限に広がるんですねえ・・色の世界は。
< 見る > 楽しみが増えました。 ・・などと偉そうに。
合い間に、以前から少々お知り合いの先生ともお話しながら、会場の知人とご挨拶を交わしながら。
沢山の人の中で、笑顔で 「 おひさしぶりです! 」 って言い合える事の嬉しさを実感した日でもありました。
< 挨拶 >って人を元気にしますね!
海幸、山幸。
夕方 京都到着。
『 帰っとんさるんだったら、美味しいのを 持ってきますで! 』
この度の 西蓮寺帰還中にも < アジ >のタタキや、フライ・コロッケ・・etc 頂きました。
いや~美味しかったですよ! 浜田で獲れた < アジ > は今 < ドンチッチ アジ > と言うんだそうです。 ドンチッチ・・・・知る人ぞ知る単語。
初収穫の ピーマンも持ってきて頂きました。 中には < 双子ピーマン > も。 ん~実に強いピーマンの香り。
『 今年は良う出来た。 持って行きんさい。 』 母の生きがい・お寺裏山の畑で獲れた < ジャガイモ >。
これは、あれでしょう。 お湯を切って鍋を振りに振って・・・小学校の時 蓋を開けてビックリ感動した < 粉拭きイモ > 。
えっ? 作りますよ! 私。 絶妙な塩加減に 自信あります (笑) !
見るひと少なき < 掲示板 >。
西蓮寺、門柱横の掲示板。 亡き父が、随分以前に求め据えたものです。
既に色んなお寺にあったのを見て、掲示伝道をしたくて求めたのでしょう。 一か月に一回位、出会った言葉や思うところを筆で書き、張っていました。 当時、あるお寺さんが冗談で (おそらく) 仰いました。
『 西蓮寺さん。 あんな立派で高価な掲示板を用意されても、なんせ この下を通る人が数人しかいないんでは、勿体ない限りよのお。 はっはっは。 』 父、『 まこと、まこと。 はっはっは。 』
私は知っています。
誰が見ようが見まいが、何人見ようが見まいが それとは関係無く、自分の勤めとして書きたかった父の思いを。
そういえば、亡くなる数年前 こんな話をしていました。
ある時、病院の待合室で見知らぬお婆さんに声をかけられたそうです。
『 あの~・・・西蓮寺のご院家さんですかいねえ? 』 『 はい。 』
『 ああ。 はじめてお目にかかります、わたし○○の○○と申します。 実はわたし、西蓮寺に伺った事も お寺の前を通った事も無いんですですが・・・・・・。 あの~・・いつも <掲示板> のお言葉を 楽しみにしております。 いつも ありがとうございます。 』 ・・・・『 ・・は? 』
深々とお辞儀されるお婆さんに 『 来られた事が無いのに・・?』 と、不思議に思い 詳しくお話を聞いて見ると。
なんと、< 郵便屋さん > でした。
このお寺に来られた時、掲示板の言葉をメモに書き留め、今度 遠く離れたところに住んでおられるお婆さんの家に配達で行かれた時、お婆さんに書いて教えてあげておられたんです。 もう、何年も続いていると・・・。
その話をする父、いつもながら ゆっくり・ゆっくり話しながらも、実に嬉しそうでした。
そうですね。 誰かの為に 『 やってやっている! 』 の思いでするのではなく、自分の為すべき事を 地道に地道に丁寧に為す内に、それが 誰かの < 楽しみ > や < よろこび > や < ささえ > になっている事ってありますよねえ。 いや、あるんですねえ。 あったんですよ!
その< 郵便屋さん > と < お婆さん> のやりとりが、如何にして始まったかにも非常に興味がありますが、もう どこの誰やら聞く事は出来ません。
父が カレンダーの裏に書いた言葉が数枚残っています。 几帳面な父でした。 2枚ばかり写真に撮ってみました。
今日は、< 父の日 > です。
ウソをついてしまいました。
朝5時に出て、西蓮寺に到着・11時すぎ。
さてさて お寺というのは、色々な電話がかかるものです。 先程も・・・
『 ご住職さまでございますか? 』 『 はい。 』
『 わたくし、宮崎県の○○でございます。 』 『 はい。 』
『 今日は、先程仕上がりました <蔵出し焼酎> のご案内で・・。』
・・・『 すみません。 わたし、いたって下戸なもので。 失礼いたします。 』 カチャ。
坊主、ウソをついてしまいました。
あの方は、私がお酒好きと知ってて電話されているんでしょうか?
九州にまで そんな噂が流れているんでしょうか? だとすると、あの方。私が ウソ をついたと知ってますね。 そうです。 坊主、ウソをついてしまいました。
これを見ておられたら ( そんな事ないでしょうが )、申し上げます。
『 タダなら送って下さって結構です。 』
・・・・・・・・ 坊主、欲深さを あらわしてしまいました。
< 直筆 > ?
修復。 中世宗教界の巨人、あの方の書ではないかと言われながら 持ち込まれた一幅。
ご覧の通り、かなり痛んでいます。 本紙の横折れの部分が100本ではきかないでしょう。
さてさて、作業開始。 裏から霧を吹いて裏打ち紙( 総裏紙 )を除去。 裏からの第一層を除去すると、以前に修復された時のご苦労の後が・・< 折れ伏せ・折れ止め > 。 オビタダシイ本数です。 折れ痛み1本の裏に 一本入れるのですから、この時 ( おそらく、100年位前 ) 本紙に100本以上の横折れ痛みがあったのでしょう。 < あの方 >の直筆本物だとすると ( そうだという品は何幅か来ましたが、これは どうも そうです。 ) 450年は経っているわけで、その間 一回の修復というのは・・・。 3回は必要でしたねえ。 そうしていると、もっと 良い状態で残っていたはずですが・・。
それにしても、廻り裂地の状態と見比べて 今の本紙の痛みの原因は、この修複折れ止めが うまく機能していないという事なので、全て撤去します。 半日かけて撤去完了。 本紙の表面の汚れを レーヨン紙にしみ込ませ洗いながら、新しい裏打ち紙で 裏打ち。
折れだらけの時には分りにくかった痛み・破損部分も はっきりしてしてしまいましたが、これが 現状です。 そして、これからが勝負です。
もう、これ以上痛ませませんよ!
同い年のお姉さん。
6日、大阪・淀川区の < 専宗寺 > に参りました。
< 中島西組 仏教婦人会総会 > のご縁です。 前住が私の叔父( 父の弟 )である ここ専宗寺、高校時代は毎年お盆参りのお手伝いに呼んで頂いていました。 田舎育ちの若者にとっては、大変 勉強にもなり、楽しみでもあり・・・それ以前からも、それ以後も 大変にお世話になり、お助け頂いているお寺であります。
会の進行は、同い年であるいとこ きょうちゃん ( 現坊守・ 何歳になっても きょうちゃん )。 彼女の紹介から、まさか ここでお話をさせて頂く日が来るとは思ってもいなかった本堂に立たせて頂いたわけです。 ご聴聞のみなさまの 温かくも真剣な眼差しが印象に残る本堂でした。
叔父も叔母も、忙しい中来てくれていた坊守妹・のりちゃんも ( 何歳になっても のりちゃん ) 応援するかの様な笑顔。
『 お話してくれる姿は ≪ 大きくなったんやなあ ≫ と嬉しかったけど、ずっと心配でドキドキしながら聞いてたわあ。 これって、姉の気持ち? 』
会が終わって、彼女の振る舞いで親戚6人での食事を楽しんで帰るまでに 何度この言葉を聞いたでしょう。
・・・・・・・・・あの~、もう 50のおっさん なんですけど・・わたし。
いえいえ、ありがたい事です。 そうですよね。 わかります。 わかりますよ、お姉さん。
同い年の お姉さん。 これからも、ご心配 よろしく お願いします!
今日 お出遇いした皆々様、ありがとうございました。
ゴミ・護美。
『 ああ・・また今日もゴミがたまったなあ。 』
切ったり貼ったりしていると、もう使えない不要な紙・裂地部分が沢山でてきます。 メモにでも使えそうなところは、切リ揃えて残してもいますが・・・。 ゴミ・・。
そういえば、西蓮寺の本堂の後ろの部屋。 講師僧侶の控え部屋 ( 昔から 「後ろ堂」 という名で呼んでいます。 ) に、子供の頃は ≪ 護美箱 ≫ と書かれたゴミ箱が置いてありました。 ゴミ箱を買う・・などという考えなど全く無かった頃 祖父が作ったんでしょう、四角い箱に丁寧に何度も和紙を貼り 筆で ≪ 護美箱 ≫ と。
当て字だそうですが、なるほどと思って見ていました。 あたりの美しさを護る為に 身を呈している姿の神々しさに、容易く < ゴミ > など入れられなかったもんです。 ( じゃあ、何の為にあったんでしょう? )
・・・・ そういえば、いつのまにか 無くなっています。
きっと、どこかに安置されているに違いありません。
さて、これは < ゴミ > か < ゴミ > では無いかは、それを見て受け止める人によって違います。
不要か必要か・・。 勿体ないか、勿体なく無いか・・。 思い入れがあるか、無いか・・。
ここに、数週間前の花籠に添えられていた 紙で作った犬 ( プードル?) が居ます。
『 なあなあ 見て! ずっと貰った事がないのに、あの子が花 くれてん! どうしたんかなあ! 』
母の日に息子から貰った < 花籠 > に立っていた < 犬 >。
花はとっくに枯れてしまって、部屋からは姿を消しましたが、 なぜか 何時までもここに立っている < 犬 >。
世界中の人が、『 それは、ゴミだ。 』 と言っても < ゴミ > で無いモノがありますよね。
< 美しさを護る箱 > にも入れられないモノ。
< 紙魚 >・・しみ、と読みます。
欲張り者、腰を痛める。
南へ走る。
有難く美味しく、頂いて。
『 今日、京都に出んさるんでしょ。 今朝 アジが捕れたんで、持って行きんさいや。 』
有難い事です。 造りにして下さったのと、焼き魚用にさばいて下さったのと・・・・。 保冷箱にワカメと豆も入っていました。 とても沢山ありましたので、娘の家に寄り おすそ分け。
一昨日も 他のお方から、< 鯛 > や < わかな > を 『 食べてやんさい。 』 と、頂いておりました。
美味しく頂きました。
先程、母から電話。
この度の法座に お友達とはじめて来られたお方が 『 お参りできて 嬉しかった 』 と、 < 鰆ご飯 > を炊いて届けて頂いたと ・・・・・。
・・・・・・・・頂くばかり。 それに応える事が わたし達に出来ているんでしょうか・・・?
もったいない・・・と思うばかり。 今、なすべき事・出来る事のひとつひとつを 丁寧にさせていただきます。
皆々様に 深く 感謝を。
BGM・ブロンディ。
≪出所祝い≫・・。
よくご一緒させて頂いている御人、≪ 本間 ≫氏が、11日間の習礼所研修を受け 『 得度 』され、浄土真宗の僧侶となられました。
氏は読売新聞の記者から文筆業へとご活躍中。 以前からお会いする度、念仏・仏教・宗教のお話はもとより、海外での記者経験のお話や 出会ってこられた幅広い方々とのお話をお聞きする楽しみを頂いておりました。
そのご経験をもとに、これから どういう言葉で、どういう単語で仏法を語って下さるのか、どういう活動をされるのか・・・・・・きっと、氏ならではの切り口が。 実に楽しみにさせていただきつつ、期待大きいところです。
わたしに出来る事があれば、お手伝いさせて頂きたく思っております。
そこで、( どこで? ) 氏を交えて ≪ 出所祝い ≫です。
東京からは、美術専門誌≪聚美≫編集の岡川氏。 俵屋画廊主・松本氏。 京都芸大日本画教授・浅野氏。 花園大禅学教授・芳澤氏。 そして、本間氏と栗山。 6人集まれば話題には事欠くはずもなく、アッチへ飛び コッチで転び・・・大賑わいとなりました。
『 無事、出所 おめでとうございます! 』
『 長らくのお勤め、御苦労さまでした。 』
『 中では不自由な事が多かったでしょう? 』
こんな言葉で始まった会、他のお客さんの目はあまり温かく無かったような・・・。
違いますよ、皆さん! と言いたくても、この写真を見ると・・・。 これに もうひとり ツンツルテンが居ますし・・。 皆さん、写真は笑顔でお願いしますよお。
この後は、笑顔弾けた面々でした!
オジさんNo・2!
昨日の式、本堂での仏前結婚式 滞りなく整いました。
式次第作り・人の動き ながれを考えるところから携わらせて頂いておりました。 儀式では、大抵なにか行き届かぬ所が出てくるものですが、今回は一点の曇りもありませんでした。 ・・・・と 思います。
司婚者・共にお手伝いした若き2人の僧侶をはじめ、全ての方々の想いのあらわれであったからでしょう。
和やかであたたかくも盛大な披露宴から、ワイワイ2次会まで居らせてもらいました。 ・・・・ 若きツワモノ共は、まだまだ何処かに くり出して行った事でしょう。 オジさん達は十分でしたよ。 ( いえね、2次会メンバー中、年長No・2であるのを知った時は 少々ショック! それを私に教えてくれた 年長No・1のお方の目は遠くを見つめていました。 ・・・ような。 )
『 さあ、オジさん達はそろそろ眠いから 帰ろうかな! 』 ・・・とのセリフを残し、二人でコンビニに寄って、ホテルの部屋に帰りました。 (哀愁) いやいや、楽しかったですよ!
さて、三隅に若い坊守さんが来て下さいました。 若夫婦の誕生です。 泣いたり怒ったりしながら、やっぱり 今日見せて頂いた笑顔に戻るお二人であることを、こころより願っております。
高城大会と山陰中央新聞。
今日の結婚式の為、昨日 帰山。 ( わたしの・・ではありませんよ。 )
夕方、司婚者を交えてのリハーサルの為、式会場のお寺に到着。
総代・親戚の方々が会場準備をされています。 みなさま、なんと晴れやかな表情。
帰り際に立ち寄ったお家のお子さんが、
『 今日、高城大会があって ぼく 2位だった! 』
≪ 高城大会 ≫ ・・・。 なんと懐かしい言葉。 ここ20年位 声にしていなかったような。 いや、30年?
『 今年で最期なんですよ、66回大会。 』 『 え~~! 』
おばあさんが教えて下さった事に、びっくり! 何十年と口にしていなかったのに勝手なもんですが・・。
以前は10校あった、三隅町内の小学校。 毎年5月、集まり競い合った陸上競技大会。 わたしも姉も弟も、おそらく叔父や叔母も選手で走ったもんです。 足の速い家系です。
それが 今年4校、来年は合併閉校により三隅・岡見の2校になってしまう為、66回の伝統ある大会が 今年で終わるとの事。 は~・・、 さびしい。
お寺に帰りつき、何気なく新聞を開くと 違和感が。
『 ん~・・なんだコレ? 山陰中央新聞? なんだ? 』
『 ああ、新聞変えたよ。 字が読みやすいけえ。 』 ( 母 )
『 ・・・・・・・・・・・・・。 』
は~・・・、さびしい。
何十年と 朝日新聞がここにはあったのに・・。 いいんですよ、別に それほどコダワリがあるわけでもないですし、あなたが読む事が多いのは確かですから。 いいんですよ。 ・・・黙って変えたって・・。
は~・・。
で、今朝 未だ違和感のある新聞を広げてみると。
地方新聞ならではの ローカル記事。
まあ、いいか この新聞で。 さてさて 今日の式進行、がんばろう!
こくるほど、かくる!
以前もここに書き込んでおりました ≪ 清水正宣・喜寿書道展 ≫。 5月25日~27日 ・ 和歌山県 御坊市民文化会館
縁の深い方々がお世話方となり企画・準備されています。
十六羅漢それぞれのエピソードを 詩にして屏風に書かれたものも、迫力があり 美しく 感じ入る作品ですが、日々の生活の中で感じられた事を サラサラと ( サラサラと・・でしょうか? ) 書かれたものが、とても あたたかく素敵です。 ので、先生に許可を得て フォトギャラリーにアップさせて頂きました。
『 すまんが、裏打ちだけのお願いでもいいかなあ。 』 と、送られてきた作品です。
仕事しながら、手を止め しばし見つめ・・・ 楽しい時間をいただきました。
これなんか 好きです。 親かな?
いやいや、おじいちゃんか おばあちゃんかな? 可愛くって仕方ないんでしょうねえ。
溢れる愛情に包まれて この子は、この先出会う 多少 (数々) の困難も越えて行けそうです。
『 で、なぜ この言葉を作品にまで書かれたんですか? 』 と、聞いてもみたいです。
藤井有鄰館。
長い法話。(?)
『 若いもんがお参りしてくれるけえ、よお分るように 長い話 してやんさい。 』 (笑)
いつもはお1人で( とんでもなく かわいい猫は一緒ですが ) 暮らしておられるおばさん。
西蓮寺総代も勤めて頂いていたご主人の、7回会の法事です。 何カ月も前からそうお願いされていました。 ご主人のご縁で、集まってくれるひと達に 少しでも仏縁を・・というおこころ。
してきました、長いお話。 今、わたしたちが <南無阿弥陀仏> を声に出すとはどういうことなのか・・。
遠く山口から駆け付けられた方もありました。 神戸在住の長男さまご夫婦・その娘さん方夫婦・そのお子さんたち・・・ 『 遠くにいるんで、準備も何も 全て母親です。 』
そう 仰る長男さん。 奥様。 そんな事はないでしょう・・いや、そうかもしれません・・・
それでも、遠くにいながらのご心配 きっと おありの事であったと思います。
遠くにいる我身に引き合わせて感じる事であります。 なんにせよ お母さん、今日の日を皆さんと迎えられて とても 嬉しそうにお見受けいたします。
海をバックに一枚。 うれしいか、悲しいか お父さんそっくりになってこられましたよ。 (笑)
で、帰って5分もしたら ピンポ~ン ・・ 『 こんにちは~。 』
『 あれまあ、よかった。 今 帰ったところですよ。 まあ、どうぞどうぞ。』
遠方・伊丹から訪ねて来て下さった お3人さま。 会えてよかったですよ。
本堂で短いお勤めをして、一緒にお茶を。 『 来て下さったら 何もないけど 美味しいコ―ヒ―煎れるって約束してましたよね。 ウソはついちゃダメですからねえ。 嫌でも飲んでいってね! 』
ようこそ、ありがとうございました。
いつかの <夏ミカン>ブログのご家族です。 『 あん時は笑いましたよねえ~! 』
で、また 大笑い。
ああ・・今日も思い出深い一日となりました。 皆さまに感謝を。
・・・・・さて、酔いが醒めたら 走りますよ。 京都に向かい。
昨日、今日。
昨日は、今度の仏前結婚式の打ち合わせと、軽いリハーサル。
会場の本堂に椅子わ並べて、MC入れながら 時間を計ってみました。
今日は西蓮寺さん、久々のご法事。 海に生きたおじさんの 七回会法要 ( お付き合い深かった父がお付けした法名 <潮音> ・・いいですねえ。 ) お昼の食事をご一緒しながら、法事の時の法話を どう思いながら聞いたか・・などの声まで聞かせて頂けた、お酒をよばれながらの 嬉しいご縁。 有り難し。
3時位にお寺に帰り、表装仕事を広げていると 境内にタクシーが上がってきます。 タクシー? 誰?
先程 道すがら出会ったおばさんが 『 めったにおらん人の 顔が見えたんで、やってきたで。 』
と、色々抱えて入って来て下さいます。
『 あれまあ、おばさん。 わざわざ タクシーで? 』
『 他にどうやって来るんや。 』 ・・・『 そりゃそうだ。 よし、美味しいコーヒーでもいれようか! 』 『 飲むで。 』
仕事を見ながら ひとしきりお話し、帰って行かれました。
どうぞ、また いつでも。 ・・・手ぶらでいいですよ、おばさん。
湧きあがる雲。
仏前結婚式。
what do you do ?
昨日は、日本画の浅野均先生を訪ねて 京都芸大に。
5月6日に 京都≪有粼館≫ ( ゆうりんかん・岡崎 円勝寺町 ) にて、一日だけの個展をされます。
それに向けて、裏打ち等依頼されていたモノを納めてまいりました。 2時からギャラリートークもあるとか。
楽しみですね。
そして、お楽しみが もうひとつ!
先生にお願いしていたモノを受け取ってきました。 何を?
話せばとんでもなく長くなるので、カイツマンデ。
知人が とあるアジアに国賓級の方相手の食事店舗を開くことのなりました。
その内装の相談で、水墨画の襖の話がありました。 ・・・・で。
なんやかんやで、浅野先生が21日の東寺での弘法市に朝6時から行って、襖に張り込めそうな画を探して来て下さることになりました。 ・・・恐れ多い事ですが・・。
その画をいただきました。
いいですねえ・・。 明治から大正のものばかりです。
顔料といい、線の動きといい すばらしい・・。
浅野チョイスってだけで、価値が出てきそうに思う我心のさもしさ・・。(笑)
さあ、これから どうしましょうか。 この作品群、( もちろん 費用がいるわけですが ) 彼がいらないと言ったら 全て私が受けますが。 ・・・・・・ まくって軸装にしてみたいですねえ。
さあ、どうする! 彼!
老僧。
大変な大風の為、300m離れた送電線が 一晩中 唸り続けていました。 山陰道では 風の為、トラックが6台横転したとのニュースを聞きながら 昨日は西蓮寺からさらに 7km奥に走った所にある < 安楽寺 > 様の永代経法要のご縁をいただきました。
立派な山門をくぐり、先ずは 80越えられた(?)ご住職が点てて下さる抹茶をよばれに、炉の切ってある座敷へ。
寡黙なご住職と 暫し言葉少ない時間を楽しみ、講師部屋へ。 脇の小部屋には、鉄瓶が音をたてています。
合間に白湯を頂いていましたが、夕方までずっと炭火が静かに湯を温め続けていました。 ご自分で炭焼きもされるご住職、炭の扱いはお手のもの。
大風の後を感じさせないお庭。
『 あの黄色いのは 何ですか? 』 『 モミジよ。 』
『 今頃 紅葉ですか? 』 『 そう、これから青くなっていく。 』
『 へ~、そうですか。 わたしは 木々草花のことを何にも知らないもんで・・。 へ~。 』
『 春モミジ。 』
『 春モミジ・・そういう名前ですか・・。 へ~。 』
『 知らんで、 ・・ 人がどう呼んでるか。 わしがそう呼んどるだけじゃ。 』
『 ・・・・・・。 』
仙人のような ご老僧。
肘も使う 肩もみ。
18・19日と寝屋川市、極楽寺の永代経法要のご縁を頂きました。
両日とも、昼座 2時30分~・夜座 7時30分から。
小さい頃からよく遊んでいた従妹が嫁いでいるお寺で、数年前 わたしより若いご主人が住職になってから≪本堂≫を新築落慶されました。 さぞかし ご苦労のあった事とお察しいたします。 整った気持ちのいいお寺です。
お勤めの僧侶方の控室も 参拝の本堂も、穏やかな笑い声に包まれています。
わたしの控室に 小3の娘ちゃんがよく訪ねて来てくれます。
『 おつかれさまです。 肩をおもみいたしましょう。 』 ・・・・・ 『 えっ・・・ 。 』
『 今、何のアニメが好きなん? 』 『 あのね! あのね! 』
『 学校の勉強で何が好き? 』 『 図工。 描くんじゃなくって、作るんが好きやねん。 なんでかゆう とな・・・・・・ 』
従妹であるお母さんに 叱られて連れ戻されるまでいてくれます。 そして、ホトボリがさめた頃またやって来てくれます。 気を使いながら、少しづつ近づいて来てくれます。
かわいいですねえ・・。
孫の可愛いさって、こんな感じなんでしょうか? おじいさんになった気分・・。
写真も撮ったのですが、ここでは控えましょう。 かわりに お母さんである従妹の写真を・・( かわりに・・とは失敬! ) いや、あなたの娘さん、 あなたの小さい頃に あまりにもソックリ なもんで。 3人の母であり 坊守であるのですから当然の事なのでしょうが、動き回る姿や 漏れ聞こえてくるご門徒さま方がたとの会話に 『 おおきくなったなあ~・・。 』 と思ってしまいます。
え~と、これは おじいさんではなく・・・おとうさん? おにいさん?
何にせよ、ご住職はじめ皆々様方 有難いご縁 ありがとうございました。
さて、明日は島根に向かって 走ります。
夢みる屏風。
このところ < 屏風 > に振り回されていました。
和歌山の僧侶で書家の清水正宣先生が、5月中旬に地元の市民会館で大掛かりな個展を開かれます。
先生のライフワークでもある < 十六羅漢 > 詩。 それぞれのお方のエピソード・特徴を ご自身で < 詩 > にして、筆をとられました。 二曲もあれば、四曲もあります。
いったい全部仕上げる事は出来るんだろうか・・? 朝から晩まで取り組み、夜は夢にまで作業していました。 ・・・・・なんとか、 なんとか、先が見えてきました。
そこで、お誘いのあった個展に行って来ました。
< 大井民夫 >展 ( 俵屋画廊 )。 桜、桜、桜・・・・また さくら。
飾られているのは、日本中を歩いて描かれた 桜 のみ!
と言うことは、感のいいお方は もう お分かりですね。
そうです。 次から次へとやって来る人達による ≪ お花見・大宴会 ≫ 状態。
先の見えない < 屏風の恐怖 > から解放された事もあって ( 作業はまだまだ続くにしても )、
撮った写真は ブレたものばかりです。
おかしいですね・・・まるで 酔っ払いが撮ったような・・。
無事、法要終了。
『 話し合おう。 』
『 ・・・やられた・・。』
朝、本堂に入ってショック。 君がいる事は知っていました。 昨日天井裏からゴソゴソ音が聞こえていました。 キーキーという子供の声もしていました。 子育ては大変でしょう。
だからと言って、お供えの < リンゴ > を夜中の持って行くのは どうでしょう? しかも 2個。
ミカンは蹴落としていましたね。 きらいですか?
なにより、天井裏に駆け上るのに お扉の障子を破りまくるのは いただけません。 これを駆け上ったという事は、あの大きいリンゴを手で抱える訳にもいかず おそらく口に咥えたんでしょう?
その大変さは よくよく分ります。 4年前にもやりましたね。 網で穴をふさいだので 大丈夫と思っていました。 徒労でしたか・・・。
ただでは申し訳ないと思ったんでしょう? 内陣と外陣に 3ヶ所 < うんち > を置いて行きましたね・・。
お礼のつもりですか? ・・いりません。
君は、悪い事をしているつもりはない事はしっています。
どうですか、・・・・・ゆっくり 話し合いませんか?
出てきなさい・・。 『 出てこい! こら~! 』
慌ただしく。
昨日、 100人の参加者の方々と 一日をご一緒致しました。
昼食を頂いた後で、ご意見・ご質問の書かれた用紙を頂きました。
20ヶ寺の坊守さまとご門徒さまです。 参加に初めて誘われてきました・・という若い( おそらく・・)お方も何人もおられました。
『 お寺のお話って こんなに笑って聞けるものとは思いませんでした。 (笑) 』
そうですか、よかった。 この日を縁にそれぞれのお寺の土を踏んでいかれる事を願いながらいましたから・・。
午後は、頂いたご質問をふまえて 40分のお話を2回。 どうだったんでしょう?
事前にテーマをいただいていました。 ≪ お寺も家庭も聞法道場ー身近なかかわり合いの中で ≫ と。
それを受けて 色々考えて、
≪ ひとり と ひとりぼっち ≫ をわたしの中のテーマにしてお話したつもりです。
みなさんのお顔を拝見するかぎり、お互いいい一日であった様な・・・・ですよね!
そして 今日は 西蓮寺総代会。 お集まり、話し合い、ありがとうございました。 明後日の永代経法要にむけてのお掃除もして頂きました。
今年度も よろしくお願い申し上げます。 ( 深深と礼 )
何が出るかな、何がでるかな。
昨日は大変な大風と豪雨の中、中国道を走っていました。
何度も襲われる 車が浮き上がるような感覚に、ヒヤヒヤものでした。 浜田に着いてしまうと、もうそのピークは過ぎていて 夕日まで見る事ができました。 安堵感からか、やけに美しく見えてしまいました。
今日は三隅組の< 組会 >、明日は益田の専龍寺。 初めて寄せていただきます。
大谷派寺院で、組の < 同朋婦人の会 > ・・仏教婦人会・・のご縁です。
昼からは、午前のお話を聞かれた上で皆さんから質問のメモを頂き、それをもとに お話を・・・との事。
どんなご質問があるか楽しみです。 ホントですよ。
きっと、わたしの学びの一日にさせて頂けるにちがいありません。 さあ、栗山!
はりきって 行って来い!
一言に、こんなに力があるんですね。
午後10時半、ただいま京都帰還。 高速道路は空いていました。
今日のご法縁、誠に有り難く。 沢山のお参りの方々と和やかな一日を過ごさせて頂きました。
若院家同席での お昼の精進お斎も とても美味しく・・お給仕のご婦人とのお話も弾みました。
3人のお子さんもご挨拶に来てくれて、嬉しいかぎり。 育っていかれるのが楽しみです。
『 今日は お話、ありがとうございました。 』
車を走らせ始めてから 走ってこられてご挨拶下さったあるご主人。 あのお言葉に元気を貰って、京都まで一気に走れました。
皆さま、 ありがとうございました!
行って来ます。
朝から雨の山寺。 益田・淨本寺様の永代経法要のご縁をいただき、昨夜 帰山いたしました。
午後4時くらいに終わるとすぐ京都に走るという少々ハードなスケジュール。
4つ年下の若院家さんとは学生時代からの友人です。 大学時代、京都駅裏の木造・風呂なしアパートにふたりとも
入っていました。 お寺さんの持ちアパートでもあり、お寺のお参りや掃除などのお手伝いもさせてもらっていました。
貧乏学生がふたりで集まり 夜な夜な笑い合ったもんです。
『 悪い事は みんな 栗山さんから教えて貰った。 』 ・・・・いまだに彼の口癖です。
『 そうかなあ・・。 おかしいなあ・・・・憶えてないなあ。 ええ事はいっぱい教えたで! 』 出会えば必ず出てくる漫才ネタです。
今、御父さんであるご住職の体調がすぐれず 入院中であるはず。 お寺以外にも忙しい仕事をもっている彼・・。
法要準備、大変だろうなあ・・と思っていたのに、さらに この雨。 心配事がひとつふえたな・・と。
一緒にバタバタと走り回ってはやれませんが、せめて 和やかな法縁の一日となるお手伝いに。
監督、栗山知浩。
初めての鎌倉、 駅を降りて小町道り。
昨年お世話になった < 西松凌波 >女史の個展、最終日とのことで画廊を訪ねます。 頂いたDMに 栗山表具の裂地を入れて頂いていたのを見て、これは行かないといけないだろうと・・・。
賑々しい会場です。
栗山表具の御軸も多数展示されております。 恐縮。
日帰りの鎌倉。
色々なものを目にしたくて歩き回ります。
ところで、最近 テレビドラマご覧になってましたか?
鎌倉舞台の < 最後から二番目の恋 > 。 中井貴一・小泉今日子主演・・・わたくし、久々に全回見たドラマでした。 江ノ電・極楽寺駅で小泉今日子が鞄の中をまさぐり 切符を探す場面・・・・何度も出ました。
・・・・という事で、やってみました。
主演女優は某お方。 人生でもう鎌倉は訪れる事はないかも知れません。
同じくこの駅を写真におさめている女子達に笑われながらも、
たまにはオチャメに!
きき酒会。
一週間京都にて忙しくする中、友人の誘いで 『 伏見きき酒会 』 なるものに参加。
朝10時半からお酒を頂くのは背徳感がありましたが、なんと多くのひとでしょう! 渡された < マイぐい飲み > にスポイトで新酒を注ぎながら、うんちくをたれながら頂きます。
大吟醸から市販酒まで、このラベルの33種類全て味見しました。 ・・・味見・・。
五会場をふらふら歩きながら、出会う知り合いと歓談しながら長い一日が過ぎていきます。 前売り券700枚限定 ( 1000円 ) にて、当日券なしですから、貴重なる一日。 何回も並べば飲み放題の6時間くらいとなるわけです。 ・・・素晴らしい!
はじめて参加しましたが、年2回あるとか。 規模の小さいものなら年4回あるとか・・。
素晴らしい。 地域行事に参加するのは大事な事です。 ( なんちゃって )
わかりました。 身を粉にして参加しましょう。 ( なんちゃって ) 今度一緒に長い一日をご一緒されたい方、二日酔い確実でも我身を振り棄てて 伏見に協力したい方、お早めにご連絡を!
春彼岸、午後4時。
『鳥の楽園ですねえ。』と言ったひとがいます。
うちでは、押し寿司。
130kmを走り広島市内のご法事に。
門徒総代長も務めて下さっていたお方の17回会です。 ご長男さまの新居で 先ず入佛のお勤めから。
お父さんお母さんがお亡くなりになって随分お悩みになってから、仏様を 生活の場・広島へ遷仏。
とても立派な大きなお仏壇は新居には入りません。
『 阿弥陀様だけは、私が抱いて参りました。 』 そう仰る長男さま。
お仏壇には、少し大きいかな・・と思える真鍮の香炉。 以前ご相談していた様に 代々の方が大事にされてきた御道具を置いて頂いています。
大きさのつり合いなんかより よっぽど大事な事がありますよねえ。 いいお荘厳です。
帰り際に奥様が 『 帰られたらお母様によろしくお伝えください。 これ お土産をお母様に。 』
『 かく寿司 』 と言いますか?
『 押し寿司 』 といいますか?
わたしも本堂で報告しとこう。
『 今、帰って来た。 』
得度習礼所に12日間入っていた息子から電話。
京都にいれば迎えにいってもやれましたし、家にて帰りを待ってやる事もできましたが、なにせ今は島根の私。
『 おお、そうか。 どうだった? 何がしんどかった? 』
『 う~ん・・よかったで。 』
『 ほう、よかった? 』
『 大学の4年分位 勉強した気がするでえ。 』 ( そりゃ お前、ふだん いかに何にもしとらんかって事だ。 )
『 そうか。 』
『 どうやって帰った? タクシーか? 』 ( 洋服普段着をもって行ってないもので、そうしたかなあ・・と。 )
『 いや、電車で。 』
『 坊さんのカッコウのままでかいな? そりゃまた 勇気のある・・。』 (笑)
『 ほとんどが トイレなんかで着替えて帰ったけどなあ。 』
『 出る時先生に言われたやろ? このまま帰って、今日は玄関から入らずに 本堂から入って、先ず 阿弥陀 様に得度の報告をしろと。 俺の時もそう言われた。 』
『 ああ、そうしたかったんで 電車で帰って今、うちの仏さまにお参りしたで。』
・・・・・・・・・おやじ。 おじいさん。 西蓮寺の僧侶が生まれたで。 お二人の様にきちんとした・・。
≪ ほう、ほう。 そうか。 ≫ ( 耳には聞こえぬ声 )
先はどうなるかは分らんがな ( 微笑 )
春の海。
一日だけの展覧!?
どなたの作品でしょう?
おそらくご存知の方の多いお方の作・・。 おわかりの方あるでしょうか・・?
実は 私もこのお方の こういった描き方のものは、はじめてお目にかかりました・・浅学の恥ずかしさ・・。
裏打ちのみでもいいですか?とお持ち頂いたものです。
軸装に・・との作品もありました。
『 裂地はこういった色で、ここをこうして。 』 『 はい、なるほど。 分りました。 』 メモします。
ひと通り打ち合わせした後での2時間ほどの色々なお話は、実に楽しく深く。 世間話など入る余地もなく、画の話・ものの見方・受け止め方の話へと・・・・。 お酒が許されれば もっと楽しかったでしょうに、残念・。
『 ・・ちなみに 栗山さん。 この軸装 おまかせします・・と言ったらどんな感じにされますか? 』
『 そうですねえ・・。 ここをこの色で ここをこうして・・。 』
『 う~ん・・・・そうですか・・・そうですねえ・・・・それでお願いしましょうかねえ・・。 う~ん・・。 』
わたしの軸装作品を沢山ご覧になってのお方。
5月に一日だけの展覧会をされるとの事。 『 え~! そのために DM出されるんですか? 』
『 ええ。 』 『 ええ~! 』 と、驚きつつ。
『 栗山さんにおまかせすると、栗山カラーになってしまうから 敢えて そうならない様にこうして指定しているんですが・・・・。 う~ん・・・。 』
そんなこんな言いながら 私のところへ来て下さっている事に感謝しつつ、
なにやら私にとっては 嬉しい事を仰って下さっています。 喜んでいい所ですよねえ。
『 ・・・そうしましょう! それでいきましょう。 それでお願いします。 』 と。
どちらにしても楽しみな仕事ですが、そうですか・・これでいきますか・・。
いやあ~、出来上がり 楽しみ楽しみ!
断髪式。
今どきの頭姿。 20歳の息子。 ・・・まあ、なんと申しますやら。
かく言う私も 学生時代は肩まで髪をのばし前髪が目にまで届き、坊主界の < 中村雅俊 > と言われていました。 ( たぶん。) 色々な髪形に神経を使う時期があったお蔭で 今はまったく なんの頓着もありません。 あろうが無かろうが、ぬけようが 落ちようが・・。
さて、この今どきの青年が 明日から < 得度習礼所 > に入所します。 京都・桂の本願寺西山別院内。
本願寺派の僧侶となる為、11日間の研修 ( あえて修行とは申しませんが ) を受けてきます。
これがまず、第一歩です。
思えばもう30年前になります、わたしも入所し 僧籍を頂きました。
たった11日間とはいえ、辛く長い日々だったことを思い出します。 特に膝が崩れそうになるほどの 長時間の正座が・・。 試験や課題に追われ 睡眠時間も少なくて。 しかし、今にして思えば厳しい指導の日々は宝のような日々でした。
この青年には、前知識はほとんど教えていません。 うまく過ごすより、出来なくて叱られたり 知っていなくて恥ずかしかったり 解らなくて悔しかったりを存分に経験してきてほしいものです。 あとで恨まれるかもしれませんが。
そこで、断髪式。
とりあえず 一枚刈りで入所です。 折角なんで、遊びながら刈ってみました。 そして とうとう つんつるてん。 はっはっは~。 ( 大笑 )
まあ、がんばってこいや!
乞うご期待。
湖東三山の一寺・金剛輪寺 ( 滋賀県・愛荘町 )。
あるお方のおともをして行って参りました。天平13年 (741) に行基上人が開かれた古刹です。 広い敷地の中を歩きます。 包む小雨、土の香り 苔の香り 石の香り・・・。 紅葉の時期は さぞかし美しい事だろうとも想いながら・・。
天台宗の宗務総長を務められた濱中光礼住職とお会いし色々なお話をお聞かせ頂きました。 とある大きな事が決まる瞬間に末席で立ち合わせていただきました。 ああ・・こういう事を大事にお考えであるのか。 なるほど・・ と 。
しばらくして 『 え~と、あなたは表具屋さん? うちには出入りのところが幾つもあるからなあ・・。 』
それはそうでしょう、数年前 800年前の曼荼羅を大修復された事はニュースにもなりました。
わたしも仕事をいただきたくてやって来たわけではありません。
『 存じ上げております。 滋賀には腕のいい表具屋、表具師が沢山おられる事も存じております。 』 ・・正直なところです。
帰り際、『 これを 軸にしてみてくれるか? 』 と頂かれていた <絵手紙>
を手渡されました。 『 表具をするひとは何人もいるんだがね・・。 』 と笑いながら。
ありがとうございます。 今日のご縁、楽しみながら表装させて頂きます。 栗山が預かったかぎりは
『 ほう・・。 』 と言われるものに仕上げてお見せします。
祝賀会。
ご質問をご縁に。
とある方からご質問がありました。 < 南無阿弥陀佛 >の名号の下に描かれている < 蓮台 >に色・形等、決まり事がありますか? ・・・と。
墨のみで描かれたもの、彩色が施されたもの・・様々です。 どう描くのが正しい、という事はないと思います。 どの色を使ってはいけない、という事もないと思います。
こんなのにも出会いました。 中国・敦煌の画家< 馬強 >氏が描いたものです。 敦煌・莫高窟の壁面のどこかにあるとか・・・。
泥中に根を張り その水と養分を吸いこみながらも、決して泥の色には咲かず自らの色で大輪を咲かす < 蓮 >。 いや、泥中からこそ咲く < 蓮 >。
五濁 ( 劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁 ) と説かれる濁った世でも、世でこそ はたらく < 法 >。
自己中心の煩悩にまみれている私の中にこそ はたらく教え。
仏教では蓮の華を < 法 >の象徴として大事に描かれてきました。 絵像の仏さまも 蓮の中に立たれておられます。
どう描かなくてはならない、という決まり事はないと思います。 ・・・ 『 いや、そんな事はない。 』 と仰るお方は、どうぞご教授下さい。
もうひとつ、名号の文字についてもご質問がありました。
< 南無阿弥陀佛 > も < 南旡阿弥陀佛 > も < 南無阿弥陀仏 > も、文字の違いはあっても同じこころを伝えられてあります。 もっといえば < 帰命尽十方無碍光如来 > も < 南無不可思議光如来 > も同じく阿弥陀如来をあらわす 名号です。 ・・・・分りにくくなってきましたか?
今度 ゆっくりお話しましょうね。
< マイ 香 > 2。
先代、先先代が ( その前の方々の姿は見ていないので 分りません ) 清楚な生活をしていても、< 香 > は良いモノを使っていたと書きましたが、それには山陰・石見地方の伝統風習が色濃く影響していると思われます。
石見地方の法事。 読経勤行とご法話の間、回し焼香 ( 焼香の為、香炉と香葢をのせた御盆を 施主から順番に参詣の方全員に回す ) の時、10円・・100円と硬貨を御盆にのせてから香をつままれています。
通夜・葬儀の焼香の時も、前に進み出て香を火種に乗せる前に 10円・・100円の硬貨を机の上に置いておられます。 なぜ置かれるのか? おそらく・・・。
自分では香を持参していないので、この備え付けの香を使わせて頂きます・・ついては、この香への代金?として置いてまいります。 ということから始まったのではないかと思います。
京都・大阪 ( 他の地方はよく知りません ) では無い習慣です。 誰も硬貨を置いていかれません。 置いていかれる地方の風習はとても丁寧な事だと思います。 < MAY 香 > を持っていかれていると硬貨を置く必要はなくなりますがね・・。
という事で、< 香 > の為に納められた浄財なので、貯めておいて < 香 > を求める。 他の事に使わない。
そして、少々高価でも < 良い香 > を皆さんに焚いてもらう。 法を聞く場を整えて頂く。
・・・・そういう事だったんだろうと思います。
西蓮寺のみならず どこの寺院もそうであろうと思います。 聞いていないので分りませんが・・。
方々の姿勢を敬っている事に変わりはありません。
< マイ 香 >。
今日のお参りで話題になりました。 『 なぜ、仏事では焼香するんですか? 』
香を焚く・・。わたしが聞き学んだところですが。
お釈迦さまがお話をされる時、沢山の方が集まられます。 2500年前のインド、水の貴重な暑い国にて一か所に多くのひとが集まると人間の臭いはかなりのもの・・・。 せっかくのお話もその臭いが気になって心静かに聞く事が難しい。 そこで、ゆっくり聴聞できる様にと良い香りのする < 香木 > が焚かれはじめた・・と。
< 香を焚く > という事は、仏事の場を整える・荘厳する事。 読経勤行をご一緒し その後のご法話を心落ち着けて聞かせて頂く < 場所 >作りに、わたしも一助携わらせて頂きます・・と、香を一つまみ。 ・・・そう聞き学んでおります。
香には色々ありますね。 形では、線香・抹香・塗香・・素材では、伽羅・沈香・白檀・・。
大変安いものから ( 杉の木に匂いをしみ込ませて粉にしたり )、 とても高価なもの ( 日本には無い香木を刻んであったり )まで。
『 線香臭~い。 』 と言われるような煙だけはモクモク出ても 咽て頭が痛くなる様なものでなく、良い香り・好きな香りの香を焚きたいものです。 ・・少々高価でも。 ほんの少しでも香りの広がりが違います。
決して贅沢なことではないように思うのですが。
ちょっと美味しいものを我慢して、いい香を・・ダメですかねえ。
先代も先先代もそうでしたから、私もそうしています。 ≪ MAY 香 ≫ 。
焼香する時は、備え付けの香でなく自分が持参した香を袂から出して一つまみ・・・合掌 礼拝。
法事の回し焼香には、持参した自分の香葢を回し皆さんに焼香して頂く。
決して裕福ではなく、穴の開いたモノを繕って身につけてましたし 根っこと葉っぱばかり食べていましたが、
< 香 >はいいモノを使っていました。
仏さま、亡き方、仏法を敬っていたのだと思います。 ・・・その方々を尊敬しております。
聖人の文字。
イケメン。
思わず、『 でかっ!』。
善光寺。
作夜、帰山。 今日の午後 宮が迫集落の庵( お仏壇のある集会所 )にて 報恩講。
正信偈のお勤め後、40分のお話を2席。 集落の行事ですので、嫌でも?座っていなければ・・というお方もあるでしょうか・・? 「 牛に引かれて善光寺 」 って事もあります。 どこかほんの少しでもお耳に・・と願いながらお話します。
けれども、お昼過ぎて 暖かい会場で 正座でなく椅子席で、よくわからない話を 穏やかにゆっくり・・・。
『 寝ろ~・・寝ろ~・・。 』 と聞こえておられるに違いありません。 アッ 寝てるな。 ・・・寝たな。
分りますよ、私だって話してなかったら寝るでしょう。 ・・かな?
気持ちよく寝かせてあげてもいいんですが、私はイジワルなんで 起こしにかかります。
『 十悪。 わたしの身に3つ、意(こころ)に3つ、そして口に4つの悪があります。 そのなかで 口の悪のひとつ <両舌>。 二枚舌を使うという事です。 ・・・・京都で、あるお家にお参りしました。
とても上品な若奥さんが迎えてくださいます。 いつも丁寧に にこやかにお話して下さいます。
「 今日もお暑い中有難うございます。 お待ちしておりました。 どうぞ ゆっくり冷たいお茶を召し上がってから・・。」 「 はい、ありがとうございます。」 そしてお勤め。 後ろにきちんとお座りになりました。
少しして 携帯電話が鳴り、奥さん 部屋を出られて 「 もしもし? 」 ・・・お勤め中でもありますし聞くつもりも無いのですが 聞こえてきます。 ・・・・・「 えっ、今? ああ、坊主 来とおんねん。 」 え? ぼ・・。
「 ああ、どおもない どおもない。 すぐ 帰りよるし。 」 ・・・え? か・帰・・。
お勤め終わって 恐る恐る振り返ると、にこやかな 上品な奥様が 「 どうも ありがとうございました。」 深深とお辞儀。 ・・・・・・こ・・こわい。
これが 両舌ですね。 あちらとこちらで 顔が違う、言葉がちがう。 これかあ・・と思いましたねえ。 』
起きました。 起こしました。 さあ、もう少し起きてましょうね。
せっかくの < 善光寺 >。
華葩。
< 華葩 > 。
法要儀式の時、勤行しながら僧侶が< 散華 >します。 花びらを散らします。 多くの場合本物の花びらではなくて、紙製の花びら。 そこには、様々な画が描かれています。 法要記念にお配りされる事があり、経本の栞にされている方をよく見受けます。
去年から勤められていた 西本願寺での < 親鸞聖人750回遠忌法要 > でも 散華されていました。 4・5・6・9・10・11月、そして今年1月と、月ごとに画の違う華葩が使われていました。 法要に出勤された僧侶には記念にその月の華葩が渡されていました。 毎月の法要に全て出勤された方は 7枚 の華葩がお手元にあるわけです。 何人かの方がそれを < 額装 > にされるという事で、そのご相談で本願寺からお声がかかりました。 額・裂・その大きさなど いろいろにご提案して話し合っております。 『 余っていたら下さい 』 などと言えるはずもない貴重な記念です。
2年前でしたか、1500人会場 (島根) での法要でイベントとして仏画 ( もしくは、その香りのする画 ) を陳列し、その画をもとに物品販売をする企画に携わりました。 カレンダー・ポスター・絵葉書、そして 華葩。
紙でなく、スケルトン・・半透明のものにしたくて 韓国で作ってもらいました。 3枚セットにしましたが、なかなか評判良くて お一人で80セット求められた方もありました。
プレゼントに使うとの事で。
このスケルトン、ちょっと面白くて 手のひらに乗せて温めると蓮の花びらの様に反ってきます、ユックリと。
そして、驚くことに ひっくり返して手のひらに乗せているうちに、反対にユックリ反ってくるんです。
あたたかさで形を変える・・・・って なんともいいでしょ?
残念ながら ハッと気がつけば、もう あまり手元に残っていないではないですか。 そうそう大量に作る企画もないでしょうからねえ・・。 なにせ 韓国ですから。 ・・・でも、次の機会があれば、やってみたい画のアイデアは渦巻いていますが!
大谷本廟。
< 大谷本廟 >。
京都・東山五条、清水寺近くにあります。 親鸞聖人の墓所である為、『 遺骨の大部分は自宅近くのお墓に納めても、一握りは 聖人・同じ念仏の道を歩まれた方々と一緒に・・。 』 と 日本全国から遺骨を持って(分骨)納めに来られる場所です。 何百年とそれを受け止められてきた、浄土真宗の施設であります。 毎日 何家族もの方が、故人の遺骨を持参し受付に並ばれています。
お墓については事情により様々な問題が出てまいります。
『 子供・後継者がいない・・どうなるのか? 』 『 嫁いだ娘ばかり・・うちのお墓はどうなるのか? 』
・・・・・・沢山のご相談のお話をお聞きします。 都会の京都であれ、山村部の島根であれ。
今日、二十歳の息子と二人で 納骨に行って参りました。
何年かに一度、島根から本廟納骨のご遺骨を預かって京都に走ります。 歳をとった自分のかわりに納骨してきて下さいと・・。
今日の件の依頼主のおばさん(80半ば?)、13年前にご主人が亡くなり遺骨はずっと身近にご一緒されていました。お子さんはおられないので、いつかは全骨 大谷へというご相談は何年も前から受けておりました。
『 おばさん。ご主人の遺骨が近くにおられなくなったら 寂しくなられるでししょう? おばさんが亡くなったら、私が責任もって一緒に大谷へ納めに行きますから、それまでずっと一緒でいいんですよ。 』
そう言っていたのですが、この度 納めようと思い切られた様です。 『 わたしが生きている内に、出来ることを・・・。 』 お願いに来られた姿はやはり お寂しそうでした。 ・・・・そして今日、準備された大谷本廟への永代経懇志を納めお勤めに会い、納骨して参りました。
来月、得度習礼を受け僧籍を受ける予定の息子。 おそらく 何故自分も行かなくてはならないかも分らないまま、『 行くぞ! お前も来い。 』 で、しょうがないからついて来た彼です。 果たして西蓮寺の後を継ぐかどうかは まだ分らないにしても、今日の参拝の行き帰りで 大谷の始まり・このお骨の話・お墓に対する考え方・・色々話しました。 そして、はじめて大谷本廟のお勤めにも会い 遺骨を納めにいく僧侶の後ろ姿を見て 何かを感じてくれたでしょうか・・。
もし、何かを感じてくれていたら、おばさん・亡きご主人が縁となって下さった今日が とても大きな一日となるのですが・・。 いや きっと 大きな大仕事となって下さっていると思います。
法という鏡。
大雪の地方のニュース映像を目にすると、そこに暮らす方のご苦労を思い胸が痛くなります。
京都・伏見は積雪0ですが、非常に寒い一日でした。
朝、バイクで走りましたが、手袋をしていないかの様に指先が痛くなり 着いたお家の前で身体のアチコチで指を温めないと玄関を入れません。 お部屋は暖められていて、お勤めするうちに身も心も溶けてゆきます。
< あたたかい >事の有難さは、辛い寒さを通らないと判らないのでしょうか・・。
しばらくすると 暖かい部屋を有難く思った事もどっかに飛んで行ってしまって・・・< なれ>てしまうのは早いです。
『 あたり前の事って、有難い事の積み重ね 』 ・・・との言葉があります。
< 最初から あたり前の事 >などあるはずは無く、すべて最初は < 有難い事 > で、そのひとつひとつが積み重なってゆくうちに、有難い事をスッカリ忘れて < あたり前 > しか残らなくなってしまいます。
部屋を暖めて待っていて下さった あたたかいお心さえ、すぐに忘れてしまうボンクラな私・・。
お隣さんが九州に旅行に行かれました。 『 これ、ホンの手土産です。 』 と、明太子。 『 いや~いいんですか? 好きなんですよ、ありがとうございます! 』 ・・・・また、そのお隣さんが旅行にいかれました広島に。 『 これ、もみじ饅頭です。 』 『 いや~いつもすみません。 ありがとうございます! 』
旅行好きなお隣さん、今度は北海道に行かれました。 ・・・帰って来られたはずなのに・・・。
『 お土産来た? ・・そう、まだ・・。』 『 出会った? そう。 なんにも言われない? ・・そう。 』
『 どうしたんだろう? 』 『 何か うちが悪い事したか!? なんで持って来ないんだぁ!! 』
コワイですねえ。 < 有難い >事は 積み重なると < あたり前 >になり、なんとそれを通り越すと< 不足 >
になってしまうんですよ。 コワイですねえ。 ・・・この喩えはフィクションですよ・・・一応、念の為言っときます(笑)
わが身の今の < あたり前 > が、実は < 有難い事 > と振り返れる 『 鏡 』 を持ちましょう。
『 し・・しぶい。』
文章を書く事が多い方とは 知っていました。
お話をしていて流れから何気なく出された < 原稿用紙 > ・・・・・・『 ん~~? 』
端っこに < 本間用紙 > と入っています。
『 これ、本間さんのオリジナル原稿用紙ですか? 』 『 そう。 横に広い角が書きやすいから。 』
・・・・へ~~。 かっこいい~! なんて言っていたら、横におられた御人、『 俺のも あるで。 』
えっ ・・・『 出た~。 』 松本さんの < 松本用箋> 。
絶対、万年筆ですよね。 インクにもこだわりの色がありますよね。
・・・・・・何を あたり前の事を・・と言いたげな眼差し。
いつか 作りたいですね、 < 栗山用箋 > 。 しょうもない事なんか書けなくなりそうですが・・。
ダフネ紙。
島根県は < 出雲 >の国と < 石見 >の国に分かれていました。
浜田・三隅は < 石見 >の国、石州です。 ここで漉かれてきた紙を < 石州和紙 > といいます。
人口7000人弱の三隅町に6軒の和紙工房・製作所があります。
2010年にユネスコ文化遺産に認定された < 石州和紙 >。 先日訪れた 和紙会館に今日も立ち寄りました。
『 ブータンの紙もありましたよ。 』 と書いたところ、和歌山の書家・清水先生から問い合わせとご依頼がありました。 ・・・・『 5月にする個展で 100枚の種類の違う紙に< 愛 >と書いて並べたいと思い、色紙・和紙を集めてます。 是非、そこで色んな紙を入手してきて下さい。 』
ブータンの紙。 ツァショー・ダフネという材料から作られたかなり厚みのあるザックリとした紙。
裏と表が剥がせそうなほどです。
< トロロアオイ >を使用する和紙漉き技術を学んでから、日本の様な薄くても丈夫な紙を生産できる様になっておられるそうです。 喜ばしいことです。
以前のゴツゴツした紙の伝統も伝えて頂きたいと思いつつ、一路京都を目指します。
雪。
ワイン持って来てくれた人に・・とか。
先日立ち寄った < 石州和紙会館 > で求めた < 手漉き・インクジェット用和紙 >。
家庭用プリンターで使用できるA4サイズです。 なかなか和紙の風合いのあるものが無かったのですが ( あっても ぶ厚すぎるとか )、これは実に良い感じです。 楮のものと、それより薄い三椏のものを買いました。 ・・・・一枚・420円・・・た・高い。
和紙特有の<耳>もあり、さてさてどう刷り上がるか ・・・試してみました。
ほう・・いいですねえ。
さて、ここからが本番。 裏打ちです。 霧を吹いて、水分の多い糊を引いた裏打ち紙を叩き込む
と インクが散って目も当てられない状態になるはずですが・・やってみましょう。 やってみなけりゃ解らない!
おお!
ほとんど散らぬではないですか。 と言う事は、 < 掛け軸 > になるという事です。正式な方法での < 軸 > に。 もちろん水分を使わない < 機械表装 > には全く問題ないですし、額装は言わずもがな。 洋紙のようにツルッとしていなくて、和紙独特のふんわり・ザラっとした刷りモノが 正式な軸に成りえるわけです。
おそらく レーザープリンターなら 色散りは全くないでしょう。 三椏紙がいいですねえ。 この薄さのものは中々ありませんでした。 最初の本紙が薄くないと、裏打ち紙を重ねていった時、巻き下し出来ないシロモノになりますから。
・・ちなみに これに使った画像は 我が家に今掛けてある 珉君の画の一部分をデジカメで撮ったものです。
ゴメンね、珉君。 勝手に < お試し > に撮ってしまいました。
ああ・・でも、どう?
今度 個展するとしたら、この和紙に 作品の一部分を刷ってプレゼントするっていうのは。
もちろん 全ての方には無理でしょうが・・・・たとえば・・。
ブータン。
帰京する途中で地元・三隅町にある < 石州和紙会館 >に立ち寄りました。
今日の朝刊に < ブータン展 >開催中との記事があったもので。
1987年から三隅町とブータンの交流があるには知っていました。 何人もの方が < 和紙漉き >を学びに来られ滞在されていました。 三隅の手漉き和紙職人もブータンに出向き、技の伝授に力を注いでおられます。
産業の少ないブータンに、楮・三椏に近い植物があり 和紙?漉きの可能性を 国が感じられての事でしょう。
ブータンで漉かれた紙も数種類ありました。 目にとまるのは チベット仏教で馴染みのタンカです。日本の掛け軸の源流ですね。 裏が和紙でなく、裂地です。
これなんか、いいものですよ。( 下写真ですよ ) ビックリしました。 古いものですねえ。 アップも撮影。
経本やお弁当箱、もちろん 衣装もあります。 沢山の方に見て頂きたいですが、島根は ちと、遠いですか・・。
そういえば昨年 国王が訪日の際、東京での晩餐会に三隅町の代表者と和紙職人が 国王からの招待を受けて出席されたそうです。 報道のように < しあわせの国 >かどうかはよく知りませんが、報道はされない事から大事にされているものを感じました。
御正当。
昨年の今日は雪かきから始まったと 思いだしつつ迎えた16日。
雪も霜も見えない 穏やかな日です。
30人という思いもよらぬ 沢山のご参詣。 お話の為用意したプリントは足らないし、ご飯は炊き足すしと 嬉しい騒ぎ・・。 お昼のお斎も賑やかに < けんちん汁 >。
この度は 殊の外 美味しかったです。
法話の間休憩では 温かい < ショウガ湯 >と 持ってきて頂いたお饅頭に お供えにと山口から送って頂いた< ウイロウ > 湯気の中に話も弾みます。 写真を見ていて気づきましたが、西蓮寺には初めてというお友達を 2人もお誘い・お連れ頂いた ヨウコさんが写っていませんねえ・・ せっかくのお美しいお姿が。 すみません < ヨウコ>さん! ありがとうございました。 方々にとって、『 お参りして よかったあ。』 と思っていただけていたら この上なき幸せ。
一夜明け荘厳をとき、いつもの お内陣に・・・・
・・・・・これまた いいもんです。 でしょ?
これをご縁にお話を。
昨日、帰山。 今日は朝から 16日の ≪ 御正当 ≫法座の荘厳・掃除。
内陣打敷を出しているうちに、木箱の底に古い打敷を発見。
ボロボロで色あせているものの 広げてみると なかなかの味わい。 裏をみると 『 弘化2年 第13世 僧雲 』 ・・・・1845年ですから 167年前のもの。
それに 『 第12世 香雲 』 代のものまで・・・。 わたしの代になってはもちろん、父や祖父も出してなかったのでは? いや、祖父は使ってましたかねえ。 ? 。
明後日は 750回の御正当・・・・・・・ よし!
『 この度は これら古いものばかりで荘厳しよう! 』
150年前の600回忌の時、おそらく この打敷が一番新しく・一番いいものとして敷かれたにちがいありません。
江戸では水野忠邦が・・なんて時代です。 その当時この田舎でこれだけのものを用意するのに、門徒・住職はどれだけのご苦労があった事でしょう。 そうでなくとも食べる事に大変な中を その上 始末して始末して、辛抱して辛抱して求められたのでしょう。 何十年ぶりかに世に出ましょう。 ご一緒しましょう。
赤と金の色が多い今のものと違い、実に渋い荘厳となりました。
パッとしませんか?
暗いですか?
わたしは こういうの、好きです。 破れを少々補修しながらでしたが・・。 いいです!
16日には お話します。 『 みなさんの誇りです! 』 と。
『 やはり、ここにも。 』
本願寺にお参りしてまいりました。 『 親鸞聖人750回忌大遠忌法要 御正当 』。
この度の大法要もいよいよ最終盤をむかえております。 昨年の4月より永く勤められて参りましたが、この月 9日から16日までのお勤めが本本番です。 当に この1月16日のご命日を目指しての 大法要でありました。
西蓮寺での御正当法要を勤める為、13日から島根です。 お参りには、今日のこの時間しかありませんでした、午前と午後のお勤めの間の時間でしたので、境内も御堂も まばらな人影。 声明も雅樂の音もありませんが、お蔭で 本堂正面に正座して手を合わせ、ゆっくりお参りさせて頂きました。 今日がわたしにとって この大遠忌法要 最後のお参りです。
誰もいないこの本堂に座り 手を合わせた後、まるで無言の会話をする様に、暫くの間 ただじっと正面を見つめていた 亡くなった父を思い出しました。
ああ、やはり・・・。
頂きます。
これは何でしょう?
海岸沿いの険しい岸壁のような・・・。 今日の午後、コレが我が家にやって参りました。
はるばる、九州は大分県・豊後高田市より。
23歳から20年間という長い間、法務員として毎日お参りのお手伝いをさせて頂いていた 伏見・竹田の < 西教寺 >。 そこから身を引く時、ひとりの若き僧侶を 後任としてお寺に紹介いたしました。 その名は 片山誓願。 ( お坊さんらしい いい名ですねえ。 ) 娘の仏教学院でのクラスメートでした。
『 栗山さんは 20年間も勤められたのに、僕は果たして どうでしょう・・・。 』
などと弱気な事を言っていた彼から来た今年の年賀状には 『 七年経ちました! 』。
その文字に、心なしか誇らしさを感じ取りました。 がんばっているんだな!
その彼のご両親から、毎年 『 息子がお世話になっています。 』 と送って頂いているのです。 いえいえ、もう 何のお世話もしていないのですよ・・・と毎回言うのですが・・・恐縮です。
親って有難いですね。 有難く有難く。
なぜか、見つめてしまう。
浜田道・中国縦貫道と 冬用タイヤ装着規制の中 走り続けました。
いつもなら、岡山・美作あたりで雪は見えなくなるのですが 今日は兵庫県に入っても、大阪に入っても降り続ける雪。 珍しいことです。 車で走るものにとっては やっかいな シロモノ でも、子供達にとっては、美しく・ジッとしていられない程 魅力的で、楽しくて仕方ないモノのようで ・・・・・・。
もちろん この私にも子供の時がありまして、雪が楽しかった思い出があります。
山の斜面の雪に顔を押し付けてマスクを作った事、 ツララの剣で戦った事、 通学路をつるつるになるまで滑って たいそう怒られた事・・・・。 カマクラ に 雪だるま、雪合戦。 ( 道具を使わないモノばかりですねえ ( 笑 ) 。 )
今は全く やろうとは思いませんが、やっている子供の姿は わが子でなくとも愛おしいのが不思議ですねえ。
『 ちょっと、そこまで。 』
雪にならず、雨の降る穏やかな年明けでした。
早朝、お参りくださった3人の方と寺族と 計6人での < 元旦のお勤め >。
午前のうちには、年始のご挨拶とお参りの方がチラホラ。 伝えておかなくてはと、初めて息子さんを連れての方。 体調すぐれないご主人にかわって、と奥さん。 庫裡には来られず、気づかないうちに本堂へのお参りだけして下さった方。
夕べのお勤めは、毎年のように来てくれる 姉家族みんなとで 8人の賑やかさ。
その後は夜遅くまで食事しながら笑いあい・語り合い・・・。
< 家族 > < 絆 > < つながり > という言葉をいつになく多く耳にした昨年でした。
都会と田舎を行ったり来たりしていて 確かに違いを感じる事があります。 ひとの出会いの濃い薄い・・深い浅いといいましょうか・・。
都会( どこからが都会かというのもありますが・・。)では、家族以外の方の詳しい事情は聞いてはいけない。 聞かれたくない。 見えているところだけで 付き合っている事が多いです。 『 息子さん、どこの大学に入られたの? 』 『 ご主人、何のお仕事? 』 『 奥さん、何処のご出身? 』 『 ご兄妹は何人? 』 ・・・。 尋ねるひとを疎ましがるような。
もちろん よほど仲の良い友人間では別ですが、互いに知っている同志の広さは 田舎とはくらべ様も
ありません。
田舎の方はよく聞きますよ。 よ~く 尋ねます。 そして 丁寧に答えます。
聞かれてない事まで 答えます ( 笑 )。 『 あら、今日はどちらに行かれます? 』 と聞かれて 『 ちょっとそこまで。 』 なんて答えません。 『 腰が痛いんで病院に行って、郵便局に行って、あとで牛乳と電池を買って・・夕べ電池が切れてねえ・・。 』 ってな具合ですかねえ。 大げさ? そのうえ 聞いた方、これまたご丁寧に それをアッチコッチで喋って伝え?ます。 いいですねえ。 大事な事ですねえ。
あ~疎ましい!って思う事もあるかと思いますが、互いに抱えているバックボーンを知って付き合うと、そのうち話を聞かなくても大体 そのひとの思っている・抱え込んでいる事が知られてきます。 どこが痛いか・・なにを悩んでおられるか・・なにを楽しみにしておられるか・・。
たとえ 新聞に出る様な悪い事をしてしまわれても 『 ・・・あのひとになってみたら、そうしてしまうかも知れないなあ・・。』 と思いやる事が出てくるかもしれません。 < 家族 > みたいなもんですかねえ。それに近いような。
同じものを見て、聞いて 経験して、同じことで笑って、泣いて。 黙っていても何時間でも一緒にいれるほど 分かりあえている 家族。 < 絆 >も < つながり >も、互いに知り合い・分かり合うこと無しに 生まれるはずはありません。 家族の中にさえ < つながり > が薄れてくる昨今。 危ういからこそ叫ばれるのでしょう。 都合のいい時だけ < 絆 > を求めがちな身勝手さを持っているわたしだという事を 深く心得ていなければなりません。 さて、 みなさんの 家族、いかがですか?