12600分。

7月7日、夏法座・安居会。 
ご参詣の方が200mばかり離れた駐車場から汗をふきふき歩いて頂く事をこころ苦しく思いながら、その上雨であったら・・門をくぐって頂く午前9時位は何とか雨降り待機状態にて安堵。

「安居(あんご)」という意味合いをお話しながら、この山寺にご参集頂いたお馴染みのお顔を見つめながらふと。 

私「あれですねえ、みなさん。
ようこそ今日の一日をご一緒させて頂くのですけれども。
午前中に45分のお話を2回、午後に45分のお話を2回の合計4回のお話をジッと座って黙
って聞いておられるのは中々体力いりますよねえ。  元気でないとここに座っておれ
ない。お元気ですねえ。」(笑)  

私「西蓮寺では年7回法座を開いていますが、その内2回四月の永代経と10月の報恩講は
ご講師にお話頂きますが あとの5回は住職の私がお話させて頂いてます。」(うなずき) 

私「という事は、1日4回45分のお話だから45分の私のお話を1年20回聞いておられる。」
(うなずき)  

私「前住・父が亡くなって14年です。今日のこの暑い日にお参り頂いてるお顔は、どうもそ
れ以前からこの本堂でのお座の皆勤賞。(笑) 

父が亡くなる前の7年間は父と半分半分お話させて頂いてましたが、その分は考えない
としても14×20の280回の私のお話を聴聞頂いてる事に
なりますねえ。45分のお話を280回!」(ビックリ・うなずき) 

私「280回ですよ!  もうみなさん、悟りを開かれてるんじゃないですか?
(笑) すみません、冗談ですよ。

いえね、仏教は深遠にして際はないんですが私に力量が無いんで、同じたとえ話の   
繰り返しで今日なんかもみなさん前にお話する事なくって (笑) 」

某「しゃ~な~わね(大丈夫)、ご院家さん。
わたしら、何回聞かせてもろうても あっちからこっちへ抜けて残っとらんけえ。」
(堂内・大笑い) 

私「あらあら、それは有難い事を。
そういえばある先生が仰ってた。お寺で聞いたものを持って帰るもんじゃないって。
知識や有難い話を持って帰るんじゃなくて。 自分の中のどうにもならないものを
置いて帰るんだって。」(みなさま、しばし思案)

私「ま、出来たらお布施も置いて帰ってもらえって。」(堂内、大笑)
さてさて。 お話を続けます。 

仏法を喜ぶ一日をみなさまとご一緒させて頂きました。お帰りの午後4時前はこらえきれず雨。傘さして門にて一礼してお帰りの姿。

ありがとうございました。   合掌  拝 

笑顔溢れる「降誕会」。

5月21日、降誕会。親鸞聖人お誕生下さいました事を感謝してこの日をご縁としての法座。
午前は通常の法座と同じく9時半よりお勤め、後法話二席。
その間に台所ではお誕生日をお祝いして「ちらし寿司」準備。
小さな可愛いお手伝いも加わって賑やかな様子にて。

午後は恒例「お楽しみ会」。
今年も遠方から「降誕会お楽しみ会にお使い下さい」届き集まった品々。
大人の塗り絵セット・脳トレ漢字練習帳セット・手作り布マスク・カバン・ポーチ・小皿・首掛け扇風(首掛け扇風機!?)・・・等々。

で。  どうやって楽しんで頂きつつお配りするかを思案、何年も前に制作してとってあった「点数マト」目がけて紙飛行機を飛ばして、景品ゲットのゲームを。
ところがこれが中々難しく景品ゲットの方は殆どおられなかったので、次は「ジャンケンゲーム」にて。全てのお方にもれなく何らかの品を頂いていただく様に細心の注意を払いながらしかも、音楽かけて住職はしゃいで。 お一人お一人にマイク向けての大事な「ひと言インタビュー」も忘れずに。  ・・・「お好きな唄は何ですか?」「お好きな食べ物は何ですか?」なんて質問だけでも、皆さんの前に出てマイク向けられると緊張感ありまして。
意外なお答えに私も笑う 答える方も笑う みんなも笑う・・大きな笑い声と拍手と笑顔溢れるお誕生お祝いの会となりました。 この集まりに聖人も笑顔で「ありがと、ありがと」とご一緒頂いたことと。

その後、20年前位かわたしが描いた「紙芝居」を本堂初披露。 (小中学校にて読み聞かせ活動していた姉に依頼されて制作したものですが、「この日に使ったら?」と持ってきてくれました。今見るとよくもまあ、ここまで描いたもんだと自画自賛するほどあの頃のわたしはガンバッたんですね。) 

その後はしっかりお茶休憩して、落ち着いて一席のお話をさせて頂き法座を閉じました。

多くの皆さまのお蔭によりいいご法座となりました。
みなみなさま。 有難うございました!   合掌  

天人ともに あおぎみる。

西連寺永代経法要、4月8日。
3月25日の内陣仏具お磨き奉仕、4月2日の総代・お世話方による清掃奉仕を頂き当日を迎えました。
ご講師に三隅・礼光寺の月洞昇道師にご出講頂きました。 2座4席、ゆったり穏やかにお話頂く色々の中で「天」「天人」のお話に殊にこころ動かされました。
「六道輪廻」・・断ち切れぬ罪悪煩悩の為に生まれ変わり死に変わりへめぐり続け抜け出す事の出来ない六つの迷いの世界「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「天」「人間」。
良さそうに思える「天」が何故苦しみの世界なのか、迷いの世界なのか。

ご講師曰く『もっとも行ってはならない世界が、「天」である。』

有頂天という言葉に代表される「天」です。美しきところにてフワフワ浮いて楽しき世界にも映りますが、その実、自覚の無い世界です。
今ある自分を支えてくれてある無数の支え手が見えない世界。
おそらく声も聞こえない世界でありましょう。 地獄にひとつと言っても・・。
等々、お聞きしながら様々な事を考えさせて頂きました。

初めてこの本堂にお参り頂いたお方お二人も含め、方々と聴聞の一日をご一緒させて頂きました。

例年通り、お斎は塗りのお椀で。
台所お世話方々のお心づくし、美味しく有難く。


この日はまだまだ動きが見えなかった藤。境内の白藤。  
それから20日経った4月29日。
今年も見事にその姿を見せてくれました。

春彼岸『法蔵、あらわる』。

3月21日朝はまだ少々寒く本堂のストーブに火を入れながら、春の彼岸法座をお迎えいたしました。 
9時半、清々しく正信偈のお勤めをご一緒した後 正午までお話を。
その間台所は賑やかにお昼食準備。  正午からお昼食、おぜんざいが。

13時半から阿弥陀経のお勤め、後 4時前までお話。午前午後ともにお茶休憩を挟むとはいえ、45分のお話を4回ですから聴聞いただく同行さま、お元気体力お要りだなあ・・と話しながら思う事でございます。  そういえば、昔は座布団でしたか。  いやはや。

縁あって画家・浅野均先生に描いて頂いた水墨画。
わたしにとっては、これは「 法蔵菩薩 」であります。 
そう言いながら裂地を吟味し最近表装した一幅の掛軸をひろげて何故そう見えるのか、この大岩は何なのか・・一枚の画をご縁にお話させて頂いた山寺の春でした。 

世間ではすでに桜の便り盛んでありましたこの日、当山この山ではその蕾まだ固く梅や椿がひそやかに花をつけております。 


ご無沙汰しております、如何お過ごしでございましょうか。

またまた申します。
月日が経つのは早いもので、新しい年を迎え厳しい冬を越え 心身に心地よい春の季節であります。      昨年末にここに書き込んで以来随分月日が経ってしまいました。
以前はもっと頻繁に色々な出来事をそれこそ (あれこれ) 書き込んでおりました事を思えばぐうたらしているのかとのお叱りも甘んじてお受けしなければなりません。

ひとつには。
たまに何年ものこの (あれこれ) を振り返って読み返しておりまして、毎年その季節ごとに変わり映えしない同じような写真と感想文章を書いているなあ・・・と。

日々にこころ震わせる発見と新しい感動と出会いがあれば良いのでしょうが・・・いやいや、それは良くも悪くもありませんね。

同じような事が出来てある、迎えられてあることにこそ有難さが。  
「諸行無常」の常ならぬこの世界においては、同じような「相も変わらぬ」事が出来てあることこそ、そう有る事が難しい「希有」な「有難い」ことでありました。

と思いつつこの3か月を振り返ってみますと、色々ある訳です やっぱり。

年末に息子の取材とのことで東京からわざわざ客人が来られたり。(おかげでテレビ東京番組に西蓮寺が少々、住職もインタビュ受けたり) 

元旦朝6時から久々に息子と正信偈のお勤めが出来たり。

もちろん御正忌法座を皆さんとご一緒させていただけたり。

新しいいのちと出会えたり。

京都市立芸大で今年も表装講師の大役 (いささかタイトスケジュールで毎年冷や汗の) を無事果たせたり。

大雪の中を無理やり京都島根と車走らせ、何とか無事だったり。

夜が明けるたびにそれは誰も見た事の無い一日が始まり、「今日は一日何事も別段なかったなあ」と言っても 何にも無い日は一日として無いのであります。  どなたにとっても。

さて花の便り聞こえてくる頃 お彼岸を迎えます。 21日に法座をひらきます、どうぞ 皆さま どなた様 ご参詣ご聴聞 お待ち申し上げております。   拝

西蓮寺十七代住職釈知浩   古書画保存修復師

山に囲まれ狸がお参り・・・
そこにあなたも仲間入り・・・
   ようこそ ようこそ。

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