霜のおりた寒い日。
大晦日。 西蓮寺本堂・庫裡、新しい年を迎える準備 ほぼ整いました。
夜中に走り続けた弟も早朝帰って来て、掃除に荘厳にと走り回ってくれます。 心強いことです。
何もしなくても 新しい年は明けるのですが、暦と時計を持っている動物にとっては やはり特別な思いで迎えます。 ・・・今年を振り返る ・・・・新しい年は どうか穏やかであれと願う ・・・・自分も確実に歳月の流れと共にありと感じる ・・・・。
暦と時計を持っていない動物や植物は、この日の明け暮れを どう感じているのでしょう?
『 どっちがいいか わかりませんよ、にんげんさん。 』
な~んて 言うでしょうかねえ。 何にせよ、親が迎えてきた様に あれを出し・これはここに・これはこうして・・・と準備しています。 止めてしまえば 実に簡単に止めてしまえる事は多いのですが、そうすると 二度と後には戻れない・・・そんな気がしています。 みなさんはどうですか?
さてさて、 どうか よい お年を! 栗山 知浩
そんな時代もあったねと ♪。
浅野均先生ご来宅。 元気な息子さんもご一緒でした。
前回、初めて会ったこの小一の男の子には ビックリさせられました。
鋏を手にして、下書きなしで そこらへんの紙を切って 次から次へと昆虫を生み出すんです。
『 最初は教えられたんですか? 』 『 いや、ぜんぜん。 保育園でしょうか・・。』
アーテイストの DNA というものかなあ、この観察力は・・・・と思って眺めていました。
ところが今日は、鋏も昆虫も全くなく サンタさんに貰った ラジコンの戦車に夢中! 大騒ぎして、お父さんに何度も叱られながらも一緒が嬉しそうな男の子。
いやあ、子供って 毎日違う顔を見せてくれるから スゴイですよね。
遠く忘れかけていた ウチの子達の小さかった頃を思い出させて貰いました。
一反もめん が。 ( 笑 )
夏に < 日本画の試み展 > でご一緒した 画家の沖谷晃司さんと忠田愛さんが来宅。
次回・来年も < 掛け軸 > で試みられるとの事、また 少しはかかわらせて頂けそうで楽しみです。
忠田さんは 作品を持参されていました。 折角ですので 反物ひっくり返して、裂地をご本人に選んで頂きました。 好まれるもの・目指されるところが はっきりされているので、絞り込みは実にスムース。
そこから、悩みに悩まれます。
前回の時より 悩まれたのではないですか? 裂地の選択肢も数倍に増えましたし、実際に作品を置いてみると イメージが湧きやすいだけに 余計に考えてしまいますよねえ。
でも、楽しかったでしょ?
夢に出るかもしれませんよ、忠田さん。
恋人がサンタクロース。
『 うちはお寺だから、サンタクロースはこんけえのお。 ( 来ないからな ) 』
そう言われた子供の頃を思い出す クリスマスイブ。 いまだに来ません、サンタさん。
それは兎も角、今日お参りに行ったお家では とても嬉しくお勤めさせていただきました。 ご主人・奥様・ご結婚された息子さん夫婦・娘さん夫婦に それぞれのお子さん ( ふたりとも今年お生まれ! )。 みなさま 穏やかに和やかにお勤め頂きました。 『 家族、向かい合う事は大事です。 そして、家族 同じひとつの方向に向かう事は、もっと大事です。 この家にあるお仏壇は その大事な方向ですね。 』
なんて事を お茶を頂きながらお話。 聞いて下さっている目をとても嬉しく感じました。
そして帰り際、奥さんが 『 どうぞ、お好きですもんねえ。 』
伏見・斎藤酒造 英薫・純米大吟醸・・・・・! 去年も頂きましたねえ。 美味いですよねえ。 いやあ 奥さん、良いのをご存知ですねえ。
そういえば、一昨日も何かのお礼にってふたりのお方が < いいモノ > 持ってきて下さいました。
昨日は、娘夫婦が晩御飯を一緒に・・と来てくれました。
< 恋人がサンタクロース >・・・ならぬ、< 毎日がサンタクロース >でしたか・・。
大勢のサンタさん、いつも ありがとう!
坊主噛まれる。
ある家に とある用事があって行きました。
可愛らしい犬 ( 柴犬? ) がジッとこちらを見つめています。
家の方が出て来られると、私に向けて急に吠え始めました。 コラ コラ。
『 すみませんねえ、ウルサイ犬で・・。 』
『 いえいえ、いい番犬になりましたねえ。 』
と言ったとたん、 『 痛ったあっ~! 』
ジャンプして太ももの後ろを ガブリ! か・・かまれたあ~!
何が気に食わなかったんでしょう・・。 大抵の犬に気に入られてきたんですが・・何故 彼 (彼女?) は・・。
聞いてみたい。 わたしの何が気に入らないのか。 決して恨みませんから 話してみたい・・・。
やっぱり この坊主は、こころの底が良くないのかい?
『 そう言うなや、お前。』
夜が明けます。
今年もあと10日ほどとなりました。寒さも本格的になってきました。 なぜか3時位に目が覚め眠れません。 山のお寺はそろそろ夜明けを迎えます。
どうも今日のある予定が気になっているんでしょう。
幼馴染の友人に会いに行きます。 心身不調で回復のため、療養施設に入所しています。 小学校の6年間、ほぼ毎日3km半の道のりを ふたりで往復しました。 中学校は自転車で並んで行き来しました。 同じバスケ部で走り、音楽もテレビも同じものを見聞きしていました。 別々の高校に通い始めると 出会って話す機会が少なくなってきました。
社会に出てからは 滅多に出会わなくなり、気づけば数年前から体調を崩していました。
前回、自宅療養中に会いに行った時 あまり喋ることもせず、ただ泣くんです。 会えて嬉しいと泣いている様には見えない涙に、それから足が遠のいていました。
同級生の女性の発案にて、有志の者で 彼に年末のプレゼントをする事になりました。
この度 この里に帰ったわたしが、持って会いに行って来ます。
たぶん、気になって眠れないんでしょう。 たぶん。
『 今日は、私が。 』
『 今日、京都に行くけど 夜、食事する時間あるか? 』
午後3時前に大阪の叔父から電話。 久しぶりに 恵真・義観叔父お二人 ( 父の弟 ) と一杯。
私の子供の頃の話から、叔父たちの子供の頃の話・祖父 祖母の話・・・・・。 時間と体力さえあれば、この場は尽きる事無いであろうと思いながら 話は弾みます。
小さい時からお世話になりっぱなしの叔父や叔母。 父方も母方も兄妹さん達 皆 実に仲が良く、世の中これがあたりまえだと思っていました。 ところが、世に出てみると そうではないようで・・・。 さまざまな訳により、不仲な兄妹さま方が多い事を知ってしまいました。 私を取り巻く方々、<あたりまえ>でなど無く稀有な事でありました。
『 こういう句があるんや。 ≪ 意に適う 肴のありて 温め酒 ≫ ・・・・ 今日は正しくそんな感じやなあ。
人や話が ホントの肴やなあ。 』 ぽつりと言って また 一杯。
さすが、年の巧。 いい句を教えて頂きました。
そして、さらに極めつけ。 この50男、奢って頂きました。 いや・・・一応 言ったんですよ、一応。
まだ、書き込んでませんが。
寒くなってきました。 午前中、一軒お参りに行ってから仏教出版社 ≪ 探究社 ≫ まで、ご門徒の皆さまへお配りするカレンダーを求めに行って来ました。
足袋・草履姿で15分バイクで走ると、冷たさしみ込み 奥歯を噛みしめ顎がダルくなります。
≪ 社 ≫に着くと、花岡社長があたたかいお茶を入れて下さいます。 『 いや、久しぶりですね 栗山さん。 』
しばらくお話しているうちに、一冊の冊子に目が止まりました。
≪ エンデイングノート ≫。
一般書店にも数種類並んでいますし、随分以前から話題にもなっていましたが 浄土真宗版として出ているので
『 ほほ~。』 と数冊入手いたしました。
< 自分史 > < 葬儀の希望 > < 尊厳死について > < 預金状況 > ・・・・・・
他のものと同じ様に続いていますが、自分の死後 お仏壇をどう希望するか・法事はどう希望するか・わたしにとって仏法とは何か・心に残る教えの言葉・・・等々が。 残された方、後の代の方に仏法が伝えられる一助となるようにと ページ・項目が添えられてあります。
< 自分の死を連絡してほしい友人・知人 >の欄を埋めていくだけでも、色んなことを考えそうです。
たまに書き変えたりして・・・・『 あいつは まあ いいか・・もう。 』 とか。
残された方々の判断の助けになるばかりでなく、生きている今の自分を静かに見つめる機会ですね ≪ エンデイングノート ≫ は。
25日まで開催。
浅野均先生の個展初日に行って参りました。
ご縁の深いいつもの面々もお祝いに駆けつけておられました。 今回のDMに文章を寄せておられる 花園大・禅学の芳澤先生や 先日お世話になった福成寺( 臨済宗 )の和尚ともお話させて頂けました。 学ぶことばかりです。
今回は先生の小品の額装と、軸装一幅のご縁を頂いておりました。
全て現場に足を運ばれての上で描かれてあるのですが、なんとも不思議な感覚におそわれます。
・・・・吸い込まれるような、そのあと突然とてつもなく大きな空間に放り出されるような・・。
私が描いた画でないのは当然ですが、こうして携わらせて頂いた作品が 凛として画廊に並んでいるのを見ると嬉しくて仕方ありません、 わが事のように。 ・・・・へんでしょうか?
『 どれも ずっと手元に置いておきたくなるような 良い感じに仕立てて頂きました、栗山さん。 』
ありがとうございます 先生、 最高のお褒めの言葉です。
いも煮。
『 帰る場所。 』
只今、帰ってまいりました。 帰京いたしました。
『 住職さんにとって 島根と京都、どっちに向かってが ≪ 帰る ≫ って事になるんですか? 』
と聞かれます。
ホントですね、どうなんでしょう。 ・・・実は答えはあります。
どっちも 帰るところなんです。
ただ、ややこしいので少し言葉を変えています。 島根の西蓮寺はお寺なので ≪ 帰山 ≫ 、京都へは ≪ 帰京 ≫ と。
≪ 待ってくれているひと ≫ がいるところが、 ≪ 帰る ≫ ところです。 たとえ目に見えないひとであっても・・。
ですから、只今 帰京いたしました。 中国山地の燃え上がる山々を眺めながら。
余談ですが。 夜の呑み屋さんのお姉さんなんかが 『 あ~ら お帰んなさ~い。 待ってたのよ。 』
っていうもんだから、黙ったまんまの家より そっちの方に足がむく・・・・・・なんて 仰っていたお方がありました。
そりゃ そうだ ( 頷きつつ笑 ) 。
『 黒豚チップス 』
500km。
『 直りますか?』 と。
折れ痛みの激しい掛け軸の本紙。
裏打ち紙を全て除去し、描かれた一枚の状態まで戻し、新しい和紙で裏打ちします。 しかし・・・。
そのまま軸に仕立てると、何十回・何百回と巻き下しを繰り返すうちに 必ず同じ折れ痛みのシワシワになってしまいます。 そこが一度弱っているんですから。 そこで。
ひっくり返してこの様に以前の≪ 折れ ≫がある個所に
細い和紙で補強を施します。
こんなふうにですね。 薄い紙ですが、その厚みが≪ 折れ ≫を防ぎます。 大事な作業ですが、少々面倒でもあり・・。 100本 折れていたら、100本入れます。
入れ終えました。 なかなか手ごたえある本紙でした。
こうして さらに修復は続きます。 シワとシミと戦う仕事です。
家内も、シワとシミと戦っています。 糊も刷毛も使わずに・・。
ふかい・・・。
12月6日から 浅野均先生の個展が開かれます。 ( 京都・俵屋画廊 ) DMの写真には 『 思惟する人 』 が載せられてあります。 以前 このコーナーでこの作品について触れたことがあります。 『 ・・・これは、法蔵菩薩だ・・。 』 と。
ひとが本当の人となり、仏となる道はあるのだろうか・・・・法蔵は五劫という永い間 思惟し続けたと。
≪ 一劫 ≫とは、縦横高さ・20kmの大岩に 10年に一度 天女が舞い降りその羽衣で一度大岩を撫でて帰って行く。その末、大岩が擦り切れて無くなるまでの時間です。 その大岩が5個・・・・。 はてしない・・。
それほど わたしが抱え込み握りしめている罪業が深いという事でしょう。 気づきもしないところに深さがあるのでしょう。
経典に≪ 法蔵菩薩 ≫が・・・とあるのを見ると、遠い昔のどこかの話か もしくはお伽噺に思えていた頃もありました。 この浅野氏の画を見て、このところモヤモヤしていた 法蔵菩薩像の霧が少し晴れました。
決してありがたい姿ではない うずくまった黒い塊。 覆いかぶさるような岩。 そして僅かに画面上部に緑か青の生命の色。
法蔵とは、どこかの居られるわけでもなく遠い昔の話でもなく、今ここの大地に。 わたしを支える大地の奥深いところで ≪ 思惟 ≫し続けておられるのではなかろうか・・・。 だからこそ 果てしない時間を説かれているのではなかろうか・・・。 しかも 同時に、その願いは成就して ≪ 阿弥陀 ≫ という救主になられてある と。
わたしを支える大地 ≪ いのち ≫ の奥深くにあって 願い続けてある存在ではないだろうか。 その願いを聞き、気づく事に大きな意味があるのではなかろうか・・。
ふかい・・・。 あまりにも ふかい。 わたしにも思惟が必要なようで・・・。 いや、そうならない為に 法蔵の思惟が・・。 ふかい・・。
『 手だて 』 として。
法蔵という名の比丘が ≪ 48の願い ≫ を建てられ、その願いを成就する為に億などでは数え切れない程とてつもなく永い時間思惟され、その手だてを見つけられます。 その願い全ての成就の為、これまた兆でも那由多でも数え切れない程のはかりしれない永い時間の自らの ≪ 行 ≫ に入られます。
そして、願いと行の全てがそなわった ≪ 南無阿弥陀仏 ≫という 名前・言葉そのものの仏となられました。
阿弥陀如来です。
『 仏さんってホントにおるんか? 見た事ないで。 見たら信じるし、手も合わすけど作り話やろ? 無理やわなあ。 』 何度聞いた事でしょう。 見えたらホントに手を合わすんでしょうか? 何を思って手を合わすんでしょうか? 願い事が叶うように? 楽に生きられるように? 死んで良い所に行けるように?
『 自我という目隠しをするから 仏さまが見えない 』 という言葉を書かれた方がありました。
あっても <ない、ない> と言い、無くても <ある、ある> と言い、損得と欲望に引きずられているこの目に見えたからといって どうって事ありません。
ほんとうの仏様のお姿・・・≪ 色も無し 形も無し こころも及ばず 言葉も絶えたり ≫ と。
・・・言葉では表現の仕様がなく、思い描くこともできない と。 なんとも それでは どうしようもない・・。
あえて言うなら、≪ 光 ≫ そのものである と。 光は見るものではなく、わたしたちにとっては ≪ 見せる ≫ ものである と。 太陽・月・炎・電灯・・目がいくら良くても光がないと何も見えません。
仏とは、わたしそのものの有り様を わたしに ≪ 見せる ≫ 知らせてくださる はたらきです。
もちろん 見なくても生活できます。 生きてゆけます。 しかしこの光、損得の ≪ 役に立つ・立たない ≫ ではありません。
人が人であるように。 イワレ解らぬ畏れ・縛りから解き放たれ、自らの足で立ち 歩む ≪人≫であるように。
仏像・仏画のお姿は、仏さまの持たれている願いを表わされてあります。 姿・形のひとつひとつに意味があります。
形なきものを表わそうと、絵師が・仏師がご苦労くださってあります。
表からは見えない裏に 金箔を張り重ねられた画の軸装に取り組んでいます。
裏箔の力は、表に重厚さとなってあらわれています。
色んな事を考えさせてもらう 一枚の仏さまの画です。
『言って廻ってるからだろ!』
西蓮寺の坂を下り、はじめてのカーブへ差しかかると毎年秋に楽しませてくれる樹々。 そのたもとで見送って下さっているお地蔵さま。
見送られて海の近くへお参りに。
ご主人・奥様・娘さん、そしてご友人の奥様方が3人。 お家の報恩講です。 ご友人もお参りとは嬉しい事です。普段のお付き合いのあたたかさが見えるようです。
私のためにと、薬投与中のご主人が疲れる身体をおして漁に出て下さいました。
お土産にと、ピチピチの≪ イカ ≫に、お手製≪ イカ飯 ≫。
美味しそうでしょ? 美味しいんです!
≪ イカの塩辛 ≫まで頂きました。 明日午後には京都にむかうので、持って走ります。
漁師の漬けたイカの塩辛・・・・・わたしだけでは勿体無いので、京都の気のおけない酒呑みに 『 どうだっ! 』
と振る舞いましょう。 娘さんからは、ここの地酒・地焼酎を頂いてしまいました。 皆々様、ありがとうございます!
・・・・・どうして みなさん、私が好きなものをご存じなのでしょう? 愛されるお坊さんだからでしょうか、お地蔵さま?
『 うん、よしよし。』
1日から開催されている ≪ 西松凌波 ≫女史の個展 ( 京都・祇園・俵屋画廊 ~13日まで )。
やっと行ってまいりました。
表装させて頂いた掛け軸の<掛り具合い>が最も心配でした。 曲がり反りしていないかどうか・・・。
ぐるりと廻って見て、一安心。 いい掛り具合いです。
毎日は在廊されていない女史ともお会いできました。 待ち合わせていた京都芸大教授の浅野均先生( 12月6日からここで個展をされます )も来られました。 軸装にしてほしい画があると。 少々大き目の画・・・
「 おお・・これを軸に・・。」 ・・・楽しみです。 あまり時間がありません、( 明日から3日ばかり島根ですし )今から早速裏打ちいたします。
せっかくですから 4人で記念写真を。
無防備ですが。
中々。(焼酎ではなく)
16日間島根に居りましたが、明日から3日間京都です。
むこうでやらなければならない事、出向かなくてはならない所が山積しております。
今日は海の近くの、尊光寺さまの報恩講。 帰ってから移動準備です。
掛け軸を掛け替えておこうと、ゴソゴソしていたら 懐かしい画が出てきました。
10年前、京都で≪ 真宗寺院に伝わる 聖徳太子 展 ≫なる催しに企画参加していた時。 『 太子の幼少の頃の画がほしいなあ・・。 栗山君、描いて軸装しておいてくれよ。 』
『 そうですねえ、あった方がいいですよねえ。 』
で、軽い気持ちで描いてしまいました。 人さまのお目にふれたわけです。
何も知らないというのは、こわいものですよねえ。 いや、恐ろしや恥ずかしや・・・。
しかし、こうして我が寺に掛けて ひとり ジッと見る分にはいいもんです。 『 ほほう。 中々じゃのう。 』
これぞ、≪ 自画自賛 ≫。
赤いケーキ。
元気な女の子2人と、お父さんお母さん。 報恩講のお参りです。
これまた元気いっぱいに 正信偈のお勤め、上手ですよ。
お勤め終わると、よりいっそう元気になりました。 『 ケーキ、ケーキ!』
小1の妹ちゃんが、お母さんのお手伝いをして そろ~っと運んで来てくれます。 コーヒーにケーキ。
みんなの分を座敷のテーブルに、何度も通いながら 上手に置けたら一回一回喜びながら。
いいですねえ。 報恩講とお坊さんと美味しいケーキが一緒の思い出になってくれたら嬉しい事です。
そう、おじいちゃんおばあちゃんのお家での報恩講に来てくれた時も ケーキだったもんね。
みんなして、お参りを楽しいように迎えて下さっているんですよね。
『 ガっチャ―ン! 』
あれ?・・・・・どうした? ・・・・どうやら、最後に運んでた自分の赤いケーキを ひっくり返して落としたみたい・・。 すっかりしょげ込んで テンションの下がった顔で入ってきました。
お手伝い失敗したのと、一番楽しみにしていた大事な大事な赤いケーキが グッチャリになったのとで・・・。
『 大丈夫、大丈夫。お母さんの分けてあげるから。』 『 お父さんのも 分けるよ。』 お姉ちゃんも分けてくれました。 よかったねえ。 ほら、だんだん元気になってきた。
ちょっと失敗したくらいどうって事ありません。 笑って励まして、分け合ってくれる大事な大事な家族がいるって事が分かっちゃいました。 落としたケーキより大きなケーキになってるよ。 帰るころには、すっかり元気。
また、お参りの時にはケーキをお願いします、お母さん。
わけ隔てなく。
『 おいおい。』
報恩講。
何か言ってほしいですが。
『 もう ダメじゃろうねえ。 この度で最期にしよう・・・。』
昼過ぎ、78歳の老母が唐突に言いました。
長年、使ってきた < おくど >さん。 すでに何度も修複を重ね、それでも歴戦の傷み見かねるものがあります。 電気よりもガスよりも信頼厚く付き合ってきた母にとっては、悲しい決断であったと思います。
法座の度に、どれだけ沢山のご飯を炊いてきたでしょう。 どれだけ沢山の< お煮しめ >を、 味噌汁を作り続けてきたでしょう。
沢山のお手伝いのおばさん方の声を聞き、冬には 温められる <おでん> を覗きにきた子供達の歓声を聞き、きっと 楽しい日々であったに違いありません。
今朝、お手伝いくださる方と話している内に そろそろかなあ・・と思っていた事を決断したようです。
< おくどさん >を前に相談しました。 遠くないうちに ガスコンロが並びます。
言葉を喋るなら、なんと語るでしょう。 せめて、雄姿を写真に。
戦友の < 大釜 >とも一枚。
お疲れさまでした。 ありがとうございました。
白色白光。
29日の当山報恩講が近づいてまいりました。
西蓮寺より早く勤められる 専称寺(23日)・安楽寺(26日)にお参りしながら、準備しております。
昨日24日は、午前中 総代さん方が掃除に来て下さいました。 わたしはここを・・とずっと前から決められていたかの様に、次から次へ それぞれの場所で汗して下さいます。
午後は内陣仏具の 『お磨き』 に来て頂きました。今回は須津集落の方々、海の男が磨きます。
綺麗な光を身に纏いました。 磨かれる前は黄色い光ですが、真鍮磨きで磨かれると白く光りはじめます。なんとも穏やかな光です。
『 信は荘厳から 』 ・・・という言葉があります。
本堂・庫裡・内陣・境内地・裏山。 何人もの方々の手で整え、荘厳し法要の日をお迎えします。
一安心。大安心。
15日に京都に出て来てから今日までの一週間・・。
恐ろしく忙しい日々を過ごしておりました。
11月1日から 祇園の画廊で始まる 『西松凌波』女史の個展にむけての表装が、その大きな理由です。
明日22日から暫く 島根ですので、今日までに全てを仕上げて納めなくてはならず・・・。
その間にめずらしく お参りが数件。 なんとか 今日の日を迎え、ここに座っています。
作品は実にさまざまな表現で楽しく仕事をさせて頂きました。
墨流し・マーブル・紫墨・古代文字に英文・・・画と書が独特のバランスで同席しています。
鎌倉から駆けつけられた女史 同席のもと、祇園・俵屋画廊に納める事ができました。 喜んで頂いたご様子。 一安心。 さあ、明日から島根 報恩講シーズンです。 走れ、栗山!
≪親鸞聖人750回大遠忌法要≫。
三隅組による ≪ 親鸞聖人750回大遠忌法要 ≫団体参拝。 行ってまいりました。
総勢270名・バス7台。 10月12日朝5時出発、大谷本廟・比叡山常行堂参拝、滋賀県宿泊。
13日本山法要参拝、兵庫県宿泊。14日観光、午後8時すぎ三隅帰還。
バス車両長でしたので、3日間常に人数確認に追われ、生まれてこのかたこれほど数えた事の無いほど数を数えました。(笑)
法要は音楽法要。雅樂衆と電子ピアノと女性讃歌衆、そして声明の融合の中 聖人のご遺徳を偲びます。
なるべく本堂儀式の撮影は控えようと思っていましたので、写真は少ないです。ましてや正面写真は・・・。
これをご覧頂いているお方には申し訳ありませんが、なにとぞお察し頂きたく。
釈尊の教えを示し導いてくださった聖人、その≪ 畏れ・碍りのない道 ≫を わたしの道とし、そして わたしにできる事で縁ある方々に伝えてゆこうとの思いを 堂内に響き渡る音の中で感じていました。
良い事を言うのではなく、自然と漠然と感じた正直な思いであります。
非常に疲れた3日間でもありましたが、バス2号車に乗車していてはじめてお遇いし大変親しくなれた沢山の方々。 お腹が痛いほど笑わせてくれた バスガイドさん( 入れ歯の話など絶品でしたねえ。昨日京都の寓居に帰りつき、真っ先に家内に聞かせたほどですよ。 倒れるほど笑ってくれました。 )
一年以上まえからこの参拝団を企画し運営してこられた組役員の方々。 それに仕事とはいえ常に心配りして走り回っていただいた龍光寺さん。 あたたかく迎えて頂いた本山職員の方々。 忘れ物を届けに車で追いかけて下さった旅館のお方。 朝も大雨の夜もバスまで送り迎えして下さったあなた・・・・・・。
網の目のように繋がっている多くの方々に感謝の言葉を!
展覧会終了、御礼のみ。
・・・『 縁軸百景 』展、終わりました。
お参り・表装の日常とは違い< 非日常 >の5日間でした。
100人の方々の来展をお迎えし、お話のご縁を頂きました。
フォトギャラリーに写真があります。 『 今日はありがとうございます。 画でも書でも表装でも、お気に召した・・気になる・・お好きな軸はどれですか? その軸の前で記念写真をお願いします。 わたしの老後の楽しみにしますから。 』
皆さん、快く応じて下さいました。 お好みは ひとにより様々です。 それはそうでしょう。
とてもいい写真の数々をいただきました。 ありがとうございます。
≪ おてらハウス ≫の支配人・大善院住職 坊守さまには大変お世話になりました。得難い5日間を与えて頂きました。深く深く 御礼申し上げます。
足をお運び頂いた皆さまの おひとりおひとりに、深く深く御礼申し上げます。 有難うございました。
おいで頂くだけでも嬉しい事で、その上 お華・差し入れ・お土産を・・・・・・恐縮至極。 御礼の言葉を探します。
慌ただしく始まったこの企画を過ごす内、ここ20年の自分を振り返る機会を頂いた事に気づきました。
日々、親しくしている方々・びっくりするほど お久しぶりにお遇いする方々・・・・。
新しく お遇いする方・・・・。 その全てで今のわたしがあるのだと、しみじみと思う日々・時間でした。
まさしく、大善院の佐々木住職がつけて下さった この度の展覧会題 ≪ 縁軸百景 ≫の日々であると再認識いたしております。
この度のご来場のおひとりおひとりとのお遇いも ≪ 百景 ≫の≪ 一景 ≫であると。
速報。
軸装展、始まる。
すみっこ探し。
『 え~、そ そんな! 』とか。
24日は、午後3時から浜田の姉家での法事に参りました。 お姑さまの 二十三回会です。
20数名の方々・・栗山家からは私ひとり、『 はじめまして。 』と ご挨拶する方に多くお出会いしました。
わたしは はじめてでも、西蓮寺・栗山家が大変お世話になっている方々です。 申し訳なく ご挨拶しました。
そして、会食前の義兄の挨拶・・・しみじみと聞き入りました。
その晩は泊めていただき翌早朝、3時起床。 姉の入れてくれたコーヒーを飲み京都へ向かい出発。
走っているうちに夜が開けはじめ、朝もやの中で 良い感じ。
昨日今日と、軸装展にむけた新作?表装に追われています。 例の < インド古裂 >、恐る恐る使ってみました。
黄色い地に金彩・・・2mmしか見せてありませんが。
なかなかの風合い。 この画を提供してくださった方に言うのが楽しみです。
『 18世紀の インド古裂、使ってます。 』
たのむから 驚いてください!
秋・彼岸。
彼岸会が勤まりました。 前坊守が朝4時から起きて< おはぎ >作りに燃えていました。
この山奥の小寺に 遠くから30人近くの沢山のご参詣、迎える方としては嬉しい限りです。
( おはぎを作りたくもなるでしょう。・・?)
彼岸花が咲いています。
田んぼのあぜ道やお墓には 人の手で植えられたものが・・・有毒成分を持っているため、田にモグラや虫が来ないように・土葬だったお墓を動物が堀りにこないようにと植えられたとか・・。
お墓でよく見かける為か、< 曼殊沙華 >のほかに別名 < 死人花 > < 地獄花 > < 幽霊花 > ・・・
はては < はっかけばばあ >! ( 花が終わって葉が出てくるので、葉が欠けていると・・歯が欠けて・・。 ひどい。 ) 『 なんで ばばあ やねん! じじいも歯あ 欠けとるわい! 』
つっこんでもいい所ですよ、おばあさん。
韓国では < 相思華 > と呼ぶとか。
花と葉が一緒にはあらわれないので、見えない相手をお互いに思い合っているからと・・。
う~ん、さすが。
同じものを見ても、名前によって・そのひとが今まで見た聞いた経験した事を通して受け止めるので、随分違ったものに見えてしまうんですね。 わたしが見て受け止めていることが、<ありのまま><そのまま><そのもの> とは限らないわけです。 という事は、わたしそのものも 人さまに<そのもの> には受け止められていない方が多いってことですかねえ? どうです?
『 邪見 』 『 有無をはなれる 』・・という教えにつながっています。
彼岸まえ。
5日ぶりに晴れました。 快晴です。
明日は 『 彼岸会法座 』、本堂・庫裡を拭きあげ お荘厳も済みました。
40分のお話を 4回・・・。 掃除しながら 思いついた事をノートするため書斎に走ります。
『 あ~ このお言葉、あの喩え話が・・・・』 タッタッタッタ~
後で書こうと思っていたら、なんだったかな?・・と忘れる事しきり。 そうなってしまいましたから。
< 鳩摩羅什 > < 空 > < 本願他力 > < 有無をはなる > < 千宗旦 > < 執 > < チューラパンタカ > < 河童 > に < つちのこ > ・・・・ ここに書いておけば大丈夫!
応相談。( 笑 )
18日から島根におります。 23日は彼岸会、まだ 準備にそれほど忙しくないので 今日は『 裂地裏打ち 』です。 先日、京都の とある画廊主から インド古裂を譲って頂きました。
十数年前、インド・アジア古裂収集家でもある画家から譲り受けたモノとの事。
ほとんど18世紀の古裂で、最も古いものは17世紀末の裂地です。 バナレス・サンガ―ネール・カシミール・・・印金・染め・織り・・・様々です。
以前より 良い軸 ( 少々高い表装代? ) の一文字とか、2mmしか見えない細い線に使われてあります。
チラッと見えているのが良いんですね。 高価なものですし・・。
30cm四方で 数10万で売ってあるのを見た事があります。 ( もちろん、わたしはそんなに高価なモノ、使った事はないです。 いったい誰がどんなものに使うんだろう・・・と、ボ~と眺めていました。 ) ここにあるのはどうでしょう?・・
これなんかきれいですねえ。
いいですねえ。
美しい・・・。
『 これは、千家の知人が 茶入れ袋にするって言って 切って行った。 』 ・・・ランジャタイみたいじゃないですか! そう聞くといいものに見えてしまうのが 恥ずかしい・・・。
この穴は、金属部分が腐食して落ちて無くなったんですね・・歴史を感じます。
で、一日がかりで裏打ち終了。
さあ、何にどう使うか・・・。 楽しみです。 どうですか、 あなた? その作品に使ってみませんか?
表装代? もちろん!
『 一歩 』。
DM、今日届きました。
ギャラリー主・大善院住職・佐々木氏の作です。 『 目立つ事を一番に考えました。 』
と 仰る作は、とてもポップな出来栄えです。 ありがとうございました!
軸装するのに色んな可能性を与えて下さった < 那須恵斎 氏 >。
本願寺淨書にて大変にお世話になった < 宗吉一水 氏 >。
同じく本願寺淨書にてさまざまなご示唆頂いた < 山本慧 氏 >。
学生時代からお世話になり、お会いする度に学ばせて頂いている < 中路孝信 氏 >。
この度の企画のブログをみて、いち早く 『 私でよければ、協力を。 』 と言ってくれた < 井上雄介 氏 >。
箔を押した作を軸装にするのに すったもんだしてきた戦友の様な < 金 珉 氏 >。
京都芸大時代に出会って、今は敦煌の えらいさん になっている < 馬 強 氏 > ・・・・・・・。
思えば 色んな方々と出会わせて頂いてきました。
このたびは 精一杯 この様に。
次の機会があれば ( 必ずつくりますが ) さらに 今までに出会わせて頂いている沢山の方々の軸装作品を一堂にさせていただきたく思います。
以前から言っているんです。 北海道から沖縄まで 軸装展しながら・・・・・・が、夢のひとつだと。
家に飾りたいひとがおられたらお渡しして、そのぶん また 書いて( 描いて ) いただき軸にしながら・・・。
どんどん飾られていく、伝えられていく。 いいですねえ。
『 十中八九 』 清盛。
昨日、今日の2日間 明顕寺( 島根・益田市 )の仏教婦人会巡回法座のご縁を頂きました。
お寺ではなく、車で3ケ所の会処を ご住職と廻ります。
なるべく和やかなお話を・・と心がけての2日間。 この時期、何回かこのご縁を頂いていますので お顔見知りの方が多くなり 『 ああ、今年もお遇いできました。 』 と。
帰り道、手を振る 美しい女性が・・・・・わたしのファンでしょうか?
いえいえ。 滅相もない。 < お江さま >です。
近所のおじさん作、案山子( のはず )です。
何年も前から アート色強くなってきました。 お家の廻りにも色んな作品が並んでいますし、案山子も年々 田んぼの真ん中から道に近付いているような・・・・・・。 この お江さま、今年最初に見たのは夜中だったので 車のライトに照らし出され 『 出た~! 』 と思いました。そして、ひとり笑いました。
昨年の案山子は 竜馬でした。 ・・・とすると 来年は、清盛でしょう。
もう ビックリしませんよ!
走りはじめました!
言っておりました軸装展、本決まりにて いよいよ走りはじめました!
今日、会場ギャラリー ( 京都・烏丸四条近く、真宗本山仏光寺前 大善院内 ) 『 おてらハウス 』 にて 相談・打ち合わせ。
展示候補の軸装品をドッサリ持参し、( 那須恵斎氏の画や 本山淨書の先生方の書・ハンカチを軸装したものとかも・・。 ) 主の住職・坊守さまに見て頂きます。 もう日にちがあまりないので、さっそく DMの相談に。 パソコン上で自由自在に画を操る佐々木住職に提案して頂きながらの図。・・・・・
お顔を出してはいけないかと思っていましたが、いいですよね。 ご紹介! お顔出しますよ。
そうそう、期間は 10月6日~10日 ・ 『 軸僧百景 -栗山知浩のしごと 』 ( 仮題 )
で、そんなこんな お話させていただく内に
佐々木住職の 作品( 画 )を目にしてしまいました。
『 いいですねえ! どうですか? このたび 軸にして並べましょうよ。 』 『 いやいや・・DM作りが・・時間が・・・ 』 『 いや、この軸にするのが と~ても難しそうな この画がいいですよ! さあ、栗山 どう表装する この作品!? って感じで。 しましょうよ。 挑戦をお受けしますよ。 』
・・・決まりました。 ・・・ 決まったんですよ、ご住職。 作品 お待ちしております!
『 老僧言うな! 』
苔むす樹。
今日も台風の影響で一日中雨。 四国・岡山・鳥取とゆっくり這い上がり、紀伊半島などで大雨による災害が・・・・お亡くなりになった方も・・。
日照り続きの時には 『 台風でも来て、どっさり雨が降らんと稲がもたん・・。』 と言う声を聞いた事があります。
あまりに暑い日が続いて 『 台風でも来て、この暑さを吹き飛ばしてくれんと・・。』 と言う声を聞いた事があります。 来そうだった台風が逸れて 『 幸いこっちは来んで 助かった。 』 と言う声を聞いた事があります。・・こっちに来なくても直撃された遠くのひとが泣いている時に。
この大荒れの海で 4人のひとがサーフィンをしておられました。 台風の波を待っておられたんでしょう。
隣におられた海に生きておられるおじさんが ポツリ・・『 海の恐ろしさを知らんけえのお・・。 』
お寺の本堂の軒先に、直径20cmばかりの大きな 蜂の巣。 この雨の中羽を濡らしながらしきりに出たり入ったり。
そして、何が降ろうが吹こうが 黙ってひたすら立ち続けている西蓮寺で最も長老の樹 < モッコク >。
今日一日、いろんなものを見ながら 頭を巡った事。
・・・・これぞ 取り留めのない < つぶやき > ですね。
『 三隅組・組講 』
9月1日。 広島に泊めて頂いた翌朝、一路 西蓮寺を目指し 6時出発。
着いたら荷物を下ろし、9時から受け付けの 『 組講 』会場 < 淨圓寺 >へ向け出発。
『 組講 』( そこう ) ・・・この近辺の浄土真宗本願寺派寺院( 25ヶ寺 )の集まりを ≪ 三隅組 ≫( みすみそ )と言います。 毎年 夏に住職・僧侶が集まり、講師を招き 一泊二日の勉強会を開いております。 その名前が 『 組講 』です。 ( 今年のご講師は 元龍谷大学学長・上山大俊先生です。 ) 会場は各寺院持ち回り、何年かに一度回ってくるのですが 受ける寺院にとっては大変な行事です。
住職・ご門徒さまが一緒になり、講義会場の本堂はもちろん、境内・庫裡も 皆さんが気持ちよく学べるようにと整えられ、宿泊・お風呂の心配 昼食・朝食、そして 講師の先生を交えての夜の懇親会の準備・・・。
この度受けられた 淨圓寺さま(益田市)。 今年に坊守さまが若くしてお亡くなりになったばかりです。
とてもとても大変であろうからと、来年会場予定の寺院のご住職が 一年早くうちが引き受けると申し出られたのですが ・・・・『 いえ、うちでやります。 有難うございます。 』 と。
住職のお人柄もあってでしょう。 2日を通じて沢山の参加者。 気持ちよく講義を受けさせて頂きました。
夜の懇親会では 全てご門徒のみなさんお手作りによる 大変なご馳走が。 とても美味しく頂き、日付が変わるまでみんなして語らい合わせて頂きました。
遅い時間になっても、何人ものご門徒の奥さま方がお世話して下さってありました。 そのうちの あるおばあさんと少しお話しました。
『 大変なご馳走ですねえ。 どれもこれも とっても美味しいです。 これ全部 ここの台所でみなさんが作られたんですか? 』
『 ええ、ええ。 そうですよ。 美味しいですか? それはよかった、みんなが喜びます。・・・うちの ご院家さん、よろしゅうお願いします・・。 かわいがってあげて下さい・・。』
深深と頭を下げてさがっていかれました。
おばあさんにとっては、我が子のような 大事なご住職なんですねえ・・。 むこうで話し込んでおられる 淨圓寺のご住職のところへ行きました。
『 淨圓寺さん。 今、あるおばあさんから < うちのご院家さん、よろしゅうお願いします。 かわいがってあげて下さい。> って頼まれましたよ。 淨圓寺さんの方が 僕より年上なのにねえ。 ははは 』
笑い話に装って お伝えしました。 淨圓寺さんも、 『 ホントかね! はっはっは~ 』 と笑いながら・・・・・・
目の中に光るものが 見えてますよ、淨圓寺さん。
お顔、出してしまいました。
8月31日、広島・廿日市市のお寺に 仕上がった掛け軸を持参し、納めてまいりました。
そして、瀬戸内海を見ながら 広島市へback。
昨年 娘が嫁いだお寺 『 永光寺 』へ。
この日に私が広島に行く事を お知りになり、 『 広島に来られるんだったら、是非とも 寄って頂かないと! 是非とも 夕食をご一緒しないと! 是非とも 泊って頂かないと! 』 ・・・との あたたかいお誘いがありまして。
軸を納めたお寺を飛んで出ると、車の中でスキップしながら 永光寺を目指します。
一階が多目的ホール、二階が本堂の素敵なお寺。
ご住職・坊守さまにお会いするのは 11月以来でしょうか・・しばらく庫裡で ビデオや写真を見ながら歓談し、さあ そろそろ行きましょうか! と。 ( 行きましょう、行きましょう! )
若夫婦は京都にいますので、3人で。 多趣味でドッシリと落ち着かれたご住職、スポーテイーでお美しい坊守さま。 < さあ、呑むぞ! カッコイイ お店だなあ。 >と、ワクワクしているのがまる解りの くりくり坊主の私。 シッポがついていたら、ブンブン振っていたでしょう。
お互いのお寺の事・お互いの息子、娘の事・これから先の事から、昔の事まで 話は尽きません。
すっかりご馳走になってしまい、すっかり泊めて頂き・・・・ありがとうございました! 是非また ご馳走してください・・いや、違いました。 是非、今度は 私にご馳走させて下さい!
住職オチャメ。
京都の街中、烏丸五条上がるあたりに 真宗仏光寺派本山・仏光寺があります。その門前に立つ 仏光寺派寺院 『 大善院 』。 修復を頼まれていた軸を持参、納めてまいりました。
とても素敵なご住職と坊守さまで、なんとお寺の敷地内・本堂の正面に ギャラリーがあるんです。
『 ギャラリー&カフェ おてらハウス 』。http://www.oterahouse.com/
個展・発表展・ミニコンサート・作品制作教室・・・・等々色んな活動をしておられます。
お二人とも 宗派の役まで持っておられるのに 実にパワフルです! 老若男女問わず、外国からの方々までワイワイ・・・・沢山のひとに お寺の土を踏んで貰うって、素晴らしい事です。
『 栗山さん。 以前写真で見せて頂いた お手持ちの色んな掛け軸、変わった軸装しておられた数々・・・どうですか? うちの < おてらハウス > で。 』
『 とても いい画だし、それを僧侶が表装してるっていうのが また いいんですよ! 』
ギャラリーの中です。 休館で 住職筆の紙芝居画?飾られてあります。 二階へ上がる階段。上がってみると・・。
そして 二階から下を覗くと あたたかい空間です。 『 お声をかけていただけるとは、光栄な事です。 ・・・・・やっちゃいましょうか! 詳しい事はわからないんで、あれしろ・これしろって言ってくださいね。 』 やりそうな勢いです。 今日のところの話では 10月初めあたり。
決定ではありませんが 『 ずっと詰めておられなくても、作品を貸してる・・位に思ってもらってもいいですよ。気軽に。 』 なんて お言葉にも ドン と押されてお寺を後にしました。
そうそう、このお寺には 『 河童の手 』 と、寺宝 『 つちのこ 』のミイラもあります。 今日は特別に写真撮影の許可がおりました。 まあ、住職が 作ったモノですけどね(笑) ギャラリーに堂々と陳列してあるのが スゴイ!
幽霊だらけ。
以前 < あれこれ > に載せた(6月8日付) 柳の墨画。 こんな額装にいたしました。
銀泥の縁・銀蘭の裂地、文様柄は 波 。 ここ伏見のベランダから、川沿いで揺れる柳並木が見えます。酒蔵の黒い木壁の前で ユラユラと・・。 川面のさざ波をイメージしてみましたが どうでしょう。
< 柳 > と言えば < 幽霊 >。
『 幽霊って見た事ある? まだ ない? 』 ・・・今年の夏も子供がお参りしてくれている法事の場で、何度かお話しました。 『 日本の幽霊の 三大特徴って知ってる? 』 この話を始めると 子供たちは目をキラキラさせて 食いついてくれます。
『 そう、足がない! あと 2つ。 そう!手をこう ダラ~んとしてるね。 あんまり ガッツポーズで 「よっしゃ~!」って出てくる幽霊はいないねえ。 あとひとつ・・・・よくわかったねえ。 そう、髪の毛が長い。 ぴち~と パーマした幽霊もあんまり見ないよねえ。 』
髪の毛が長いのは、< 過去への悔い >の現れ。 後ろ髪を引かれています。
力なく ダラ~んとした手は、< 未来への不安 >。 この先どうなるか掴めず、力なく。
そして、< 現在 >。今 自分がどういう立場にあるかわからない。居場所・立場にしっかり足を付けて立つ事が出来ない。 過去へ悔いばかり、先の事は不安でしょうがない、今の自分の有り様さえわからない・・・・。
実はあの姿は 死んで出てくる幽霊ではなくて、今のわたし達の姿・・・『 あなた、こんな姿じゃありませんか? 』
と、仏さまの問いかけ。 言ってもしょうがないのに 思ってもしょうがないのに グチグチと引きずって、先の事には「どうせ・・」「どうでもいいや・・」と投げやりに力なく。それもこれも 生まれる前から とてもとても沢山の方々に願われ、支えられ続けて 今の自分がある事の大変さが見えない・わからないから・・・・。『 誰の世話にもなっとらん! わたしひとりが がんばっとるんだ。 』
そんなところに落ち込んでいる時はないですか? その時のあなたは、ひとから見ると こんな姿ですよ。・・・・幽霊です。 お~~恐・・。
ウソをつく、(妄語)と言いますよ。
『 今日は、生ビールサーバーを 用意しましたよ。 』 『 えっ! あの 業務用の? ・・スゴイですねえ! 』
昨日は法事。 そのお迎えに来て下さった車の中での会話です。
お父さんの七回会です。 お参りに来られる御親戚にも 小さいお子さんがおられ、午前は学校行事等で忙しいのでと、皆でお勤めできる 午後3時からの始まりです。
お参りの方全員の読経の大きな声を 嬉しく背中で感じた後、一言のご法話を。
『 盗む、( 偸盗・・ちゅうとう・・ですね。) の反対語は 何だと思われますか? 』 ・・・と はじまりました。
盗まない・・も 一つの答えですし、与える・・も 一つの答え。 そして < 分け合う > という大事な答え。
盗む、の反対は < 分け合う > です。 自分のモノは自分のモノ、人のモノも自分のモノ・・・と、何でもかんでも我に取り込み独り占めするのでなく、「 ご一緒にいかがですか? 」と 分け合う。 < 布施 >ですね。 布施とは、ただ 与えるのではなく 分け合って共に喜ぶって事で・・・・・・・・・
そんなお話から始めさせて頂きました。
法事ってまさしく < 布施 > の一日ですね。 お坊さんにお包みする < お布施 >だけでなく・・・。
お料理を用意して 皆さんに < 布施 >して、法事に呼ばれた方も 仏前に布施して、なにより なにより。
みんなで出会って 笑顔を分け合い、声かけ合って言葉を分け合い、ひとりじゃないって 居場所を分け合い・・。
亡くなってもまだ、その 大きな< 縁 >となり続けて下さってあります。
そして、この坊主はすっかり酔っ払いました。 ・・・( 何が そしてなんだか・・)
生ビールで笑顔になり、みなさんとの会話で大笑いし、『 ご院家さん、そろそろ 焼酎にしますか! ロックですか? 』 の声に破顔し、すっかり暗くなって来たのをいい事に 次から次へと・・・・・・
おそらく 法事で頂いた最高記録です。 皆さん揃っての大変な< 布施 > 、有難うございました!
いつもは そんなに呑まないんですよ・・。
< 地蔵盆 >。
『 地蔵盆 』。 島根では聞いた事の無かった言葉です。
京都では、道を歩いていると祠に祀られた < お地蔵さん > に、実によく出会います。 町内で祀っておられ、花のお供え・掃除などを持ち回りでされている事が多いです。 年に一度、8月25日あたりにその < お地蔵さん > を祠からお出しして、町内の集会所などの広い場所に安置し 立派に荘厳します。 1~2日にわたり、そこには人が集まっておられます。子供の多い町内では、子供向けの色々なイベントが・・・・スイカ割り・金魚すくい・当て物大会・沢山のおやつに、今風にバーベキューまでされているのを見かけた事もあります。 イワレはどうあれ、今は < 子供たちの夏の最後のお楽しみ > の感強く見受けます。
昨日、京都で住まいしているアパート ( アパート一棟 70数戸で一町内 ) の < 地蔵盆 > でした。 町内会・子供会の方々中心に紅白の幕や提灯で 会場を飾り、お地蔵さんを安置して さあ 始まりです。
プログラムにそって ヨーヨーつり・スイカ割り・おやつ配り ( 今年は お母さん3人によるミニライブ?も! )・・・わたしの出番は < 数珠くり >。 お地蔵さまの前でお勤めしている間、子供たちが輪になって 大きな数珠を回します。 10数年、ここでお勤めさせて頂いております。 数珠くりも、置いてある木魚も真宗的ではないんですが いいんです。 大事なのは、そのあと必ずさせてもらう < 子供向けお話 >。 元気な子供たちとお母さん方が聞いていて下さいます。 ( 中には 不思議そうな顔をして見つめる子供も・・・<笑> ) 今年は < 耳をふさぐおサルさん > のお話を。 何かしら残ってくれたでしょうか?
夜は恒例、ビアパーテイー。 大人はビール、子供はジュース片手にクイズにビンゴゲーム。
毎年 旬のゲームを繰り出すあの奥さん、今年もマイクパフォーマンスは爆笑をとっていたでしょうか?
・・・・・・・・そう、残念ながら 13時の < 数珠くり > 後、すぐに車を走らせ 一路島根に。 残念。
あの場で 普段あまり話さない方々と一緒に笑う時間が とても好きなのですが・・・・残念。
西蓮寺は雨、一週間前がウソの様に涼しい朝です。
年中お盆。
夏には、涼しげな夏仕様の念珠を。 数年前 若い女性が立ち寄るアクセサリー売り場で買った500円位のプラスチック・ネックレス。 念珠屋で求めた4個の<石玉>と正絹紐とで オリジナル念珠を作りました。 軽くていいです。 『 お坊さんが持ってると高そうに見えますよ! 』・・・『 そう? 』 ( ニヤリ )
一か月前、表装道具< 掛け軸仕上げの裏摺り様 >の余りのガラス玉で作りました。 『 お坊さんが持つと、水晶にみえますよ! 』・・・・『 そう? 』 ( ニヤリ )
これも ネックレスの白いガラス玉で 数年前作りました。
・・・・・・『 もう 褒めるのが面倒くさくなりました。 』 ・・・・『 そう? やっぱり。 』
14・15・16日と お盆後半3日間、京都にてお盆まいりに走り回っておりました。 予定終了にて ホッこりしております。 京都は、今晩 < 大文字送り火 >。ここ伏見のアパートからは 遠くにひとつ・小さく見える程度なので、毎年 見ておりません。 < 送り火 >にあまり興味がない事もあり・・・。 お盆が終わったんで お帰り下さいって・・・わたしだったら帰りません。 なつかしいひと・心配なひとの傍に ず~と います、それが 出来るのなら。 < 火 >を焚かれたくらいで 帰ってなんかやりません! ・・・ダメですか?
空飛ぶ ナスの漬物。
昨日からの障子張り、2日がかりで 今 やっと・・・終わりました。
片づけ、掃除機かけ・・・・え~い! 汗かきついでじゃ。 そこら中 きれいにしてやろうじゃないか!
脳の中の何かが 私を動かし続けます。 それも 今 終わりました。 < あしたのジョー > のラストシーン状態です。
昨日の夕方、本堂で大汗かいているところに 隣のおばさんがやって来られました。 早めの盆休みで帰省してた娘さんを空港まで送って、畑仕事着に着替えておられます。 『 朝から大汗かいてガンバってる知浩君に 良いものあげよう。 』 おお! 冷えた ビールです。 礼儀です。 もちろん その場で プシュー!
『 昨日は めずらしい お漬物、ありがとう。 』 いつもお世話になっていますので、お土産を持って行っていました。 『 いえいえ、カボチャの漬物ってめずらしいでしょ? 』 『 めずらしいねえ。 きゅうりと茄子のは、美味しそうって言うから さっき 娘に持たせたわあ。 よろこんどったわ、ありがと。 』 ・・・・・・・・
いつの時代も、どこでも < 親 >って そうですよねえ。
美味しいものでも、めずらしいものでも 『 わたしはいいから、あんた食べなさい。 』 食べ物でなくても、洗剤でも トイレットペーパーでも やって来た娘に持たせて・・・以前、京都に < うちは 娘の家のストッカーじゃないんやで。 >
と、母娘の様子を嬉しそうに見ながら 苦笑いしてたおじさんがおられました。
なにせ この度は、お漬物を 喜んでもらえた様で 嬉しく思いつつ。 ナスの身になってみたら。
あの ナス、京都から 500km走ってきて えらく遠いところまで来たなあ・・と思っていたら、次の日 飛行機に乗って東京まで 1000km・・・。 さぞかし 驚いている事でしょう。 いや、< 親 >の思いを感慨深く 噛みしめているでしょう。
壁に耳あり、障子にメアリー。
などという言葉を思い出しながら、障子張りです。 朝から尋常でない暑さにて、体中の水分が汗で噴き出すのを感じながら、40枚分を剥がし ゴシゴシ洗います。 今回は、本堂後ろの客僧用座敷や 人目に触れにくいので見ない事にしていた庫裡の後ろのほうの部屋に着手・・・・止めとけば良かったと思いつつ。
黙々と単純作業をすると、色んな事が頭の中で踊り始めます。 昨日の事・明日の事・あの人の事・この人の事・・。
タイトルの しょうもない < ことわざ >?まで浮かんできて、ついでに 子供達の昔話を思い出しました。
3歳くらいになると、お風呂で < ことわざ >を教えて遊んでいました。
『 サルも木からおちる。 あんなあ・・木登り上手の おサルさんでも、失敗する事があるって事やで。 言うてみ。 』 ・・・ 『 サルも木からおちる。 』 『 そうそう。 おんなじ意味で <弘法も筆の誤り>ってのもあるんやで。 言うてみ。 』 ・・・ 『 こうぼうもふでのあやまり。 』 『 そうそう。 じゃ、次。 犬も歩けば棒にあたるって言うのはやなあ…… 』
ひとしきり教えた後、いよいよ 試験です。 さあ、うちの子は賢いか? はたまた 天才か?
『 憶えてるかなあ? 言うてみよか? まず、 < サルも >? 』 ・・・『 木から落ちる。 』
『 そうそう! ( やっぱり 天才か、うちの子は ) じゃ、< 弘法も >? 』 ・・・『 木から落ちる。 』
『 あれ? じゃ、< 犬も歩けば >? 』 ・・・『 木から落ちる。』
・・・・・・・・・・うちの子はフツウの子でした。
でも、フツウの子は 色々楽しませてくれます。
『 馬の耳に、うさぎの耳。 』 『 急がば、いそげ。 』 『 猫に、こんばんは。 』
数々の名言で、笑わせ・うならせてくれた事を 思い出させてくれた 暑き障子張りでした。
緑 盛り。
先程 本願寺に行きましたら、 黄色いポロシャツを着た職員の人達が 忙しく走り回っておられました。
『 何ですか? 今日は。 』 『 盆踊りの準備ですよ。 ほら、毎年 北駐車場でやってます アレ。 8月1日なんです。 』 あ~ありましたねえ。
私は行った事が無いのですが、ヤグラを組んで賑々しくされているとの事。 数年前から娘は行っているので ( お手伝いに・・今はもう ただのお客さんかな? ) その様子は聞いていました。 本願寺職員の方々も多数ユカタ姿で参加されていて、なにより 御近所の方が 楽しみにされているとか・・・。いいですねえ、お寺で楽しい行事!
準備の皆さんは大変です、今日も暑いです。 警備班・救護班などにも分かれて裏方仕事の様子、御苦労さまです。 夏盛り。
扇面に 菩提樹の葉。 爽やかな色合いで装ってみました。
暑い時には、涼しげな軸を。
そう言えば、ずっと以前 インドに行かれた方に 菩提樹のお土産を貰ったはず・・・どこかに 仕舞いこんだまま・・・・ありました、ありました! 菩提樹の葉を < 葉脈 >だけにしたものです。 お釈迦さまが 世と人間のあるがままの真実に目覚められた < 悟りを開かれた > のが 菩提樹のもとであったので、仏教では この樹は< 特別な樹 >です。 しかも この葉脈、インド・ブッダガヤ< まさに お悟りを開かれた場所 >のものとの事・・・・・・・・・どっかに 忘れていたとは・・申し訳ない!
よ~く見ると、葉脈が 人間の中身・・骨にも見え、血管にも見え・・。
< お前も肉を落とせば やがて こうなる > と言われている様で、お蔭で 少し ヒンヤリ涼しくなりました。
ひぐらし蝉。
西蓮寺のご門徒さん、海に生きたおじいさんが この生 96年の生涯を閉じられました。
一か月前、お見舞いに行った母に 『 奥さん、わしゃあ もういっぺん 西蓮寺のお斎を食べてみたい・・。 』 と仰っておられたと 昨日 聞きました。
< お斎 >とは お寺の法座の時 お出しする、精進のお昼ごはんです。 白いご飯・味噌汁・葉っぱ物・豆や切干大根を炊いたもの・・・・ 決して 豪勢なご馳走では ありません。 病床で思っておられたのは、ごく フツウのご飯でした。 母の顔を見て、お斎を思い出して下さったのかもしれません。 『 もういっぺん 西蓮寺の本堂にお参りしたいもんです。 』 と言うのが照れくさくって < お斎 >と言われたのかも知れません。 凛としたお勤めと 和やかなお話の後で、おばさん達が朝早くから 大騒ぎして作ってくれる ご飯を、沢山の人達と一緒によばれる・・・その場所に行きたい、、、 と 思われたのかも知れません。
キューブラ・ロス の詩を思い出します。
≪ わたしたちは 本当に 人生にふれ・味わい・堪能 しているだろうか?
非凡なもの、とりわけ 平凡の中にある 非凡なものを 感知しているだろうか?
・・中略・・
あの海、 あの空、 あの星、あの愛する人を
最期に もう一度だけ見たいと 願うようになるまで、待つ必要はない。
今こそ それを しみじみと 見てほしい。 ≫
仏法を聞きながら日々歩む という事は、特別賢くなっていくことでも 悩み・欲望が無くなっていくことでもなく、ましてや 災難から逃れる方法ということでもなく。
外から降りかかってくる様に見える 悲しみや辛い事、抑えたほうが良いとわかっていても 後から後から 自分の中から湧きあがってくる怒り・嫉妬に振り回されっぱなしの 毎日ですが・・・・それでも、その となりに。
ありふれた 平凡の中にこそ、正に最期を予感する時・・・ 見たい! 会いたい!・・場面があるで。 仏法にふれながらながらの毎日は、そんな 大事なものを喜べる 毎日で。
そう、おじいさんに。 決して楽な人生でなかった、ご苦労された おじいさんに 言われているように思います。
西蓮寺は朝から わたしの好きな <ひぐらし蝉> の声に包まれています。 ひょっとしたら、わたしは最期の時 『 ああ・・ひぐらし蝉の声が聞きたいなあ。 』
と 思うかなあ・・と思いながら 目を閉じて聞いてみます。
明日は 葬儀です。
聞こえます。
『 娘と 三国連太郎の <白い道> の絵本を見てるんですよ。 』 ・・ 『 え~! 絵本があるんですか!? 』
先日の 画家方との懇親会での会話です。 そこから、廻りの人を巻き込んだお話が進みます。
『 親鸞っていう人に とても興味があるんですが、あんな方だったんですか? 』
『 宗教って・・・・ 』 『 仏教って・・・・』 『 私の知人が イスラム教に・・・』
『 それは どう言う意味の・・・・』 ・・・・・・・。
この時も思いました。 いつも思っていて、言葉にもしていますが < 耳を傾けてもらえるまでの作業 >が どれだけ 大切か。
法事なんかで 初めて会う坊さんの話は 「 まあ、そう言うんでしょうねえ。 」 「 はいはい 良いお話ですね。 坊さんですからね。 」 って事で終わりになりがちです。 その空気を感じます。 その時は 聴いてても聞かれてない事が多いような。
耳を傾ける時は、例えば どこそこの仏教の大学の教授のお話です・・とか 有名なお坊さんのお話です とか・・。 それが 聴く耳となる事がありがちです。 ( 私はどちらでもないので 卑下も入りながら ) それも 大事な耳の開かれ方でしょう。 私には何もないので、一緒の事をして 一緒の経験で汗流したり 笑ったりして、それを過ごして < ああ・・この坊さん、自分と何も変わらないんだ > で、この チョッと自分より仏教に親しんでいる人に聞いてみようかな・・。 と、 聞いてみようかな? って その時に、耳が開かれるんです。 聞く気の起こった人というには、素晴らしい <問い> を出されます。 私の学びとなる程に。 楽しいです。 そして その <問い> を共に考える事が 僧侶の勤めです。
何度も言いますが、この事が無いと出遇う事が無かった方々と出遇え、しかも 仏法の話の夜を共有させてもらえました。 この日は忘れられてもいいんです。 いつか、 < ああ・・あの時の話、こういう事だったか > なんて 思って貰えたらいいですねえ。 そう。 この為に 栗山は 一生懸命・・・お酒を呑んでいるんです、身を粉にして。 ・・・・・・
< おい、それ 違うだろ! どっかで ズレタみたいだぞ! > って、 誰かの ツッコむ声が。
何か言いたそうな顔。
本堂に掛る 60号の油絵。 美術部だった高校時代に描いたもの。 誰が? 栗山画伯が!
西蓮寺境内に立つ 経蔵の <堂宇>彫り物です。 情熱持って描いた思い出があります。 なつかしいです、美術室。 職員室嫌いな先生が いつもおられ、皆してコーヒー飲んでマッタリして、思いだした様に筆をとり・・・・。 そんな中 この画だけは 気合い満ちていたようで・・・うん 懐かしい。
この間、本堂の大掃除をしていて 『 お~ ここにも 獅子が。 』 と気づきました。
さて、本堂のどこにいたでしょう? あまり 目に入らないところに ジッと潜んでおりました。
そうです。 あそこです。
ご本尊・阿弥陀如来像の足元、蓮台の下です。 誰に見られる事なくとも、誰に褒められることなくとも 尊い力を支え続けて 何百年・・・。
同じ西蓮寺の獅子です。 この場で出遭って< 同窓会 >って事で、まあ 積もる話でも・・・。
<つぶやき>・・・長いよ~。
< 掛け軸 >は、巻く事が出来ます。 小さく仕舞い 大きく広げる事が出来ます。 床の間だけでなく、玄関・廊下・洋間・コンクリート壁面・・・額装とは違う 空間を造り出します。 その空間は 小宇宙です。 季節により、気分により、招く人により 掛け替える事が容易です。 『 あの友人が来るから これを掛けて 一杯呑もう。 』 と掛けて待ち受けます。 また、友人の家へ軸を持っていき 『 目の土産 持ってきたよ。 一緒にお茶にしよう。 』 と 軸を下します。・・・すんなりとは下しません。 ゆっくり ゆっくり、途中で止めながら 下します。 まず 綺麗な裂地が出てきます。 また 裂地。 どんな画だろう?・・・・ 想像しながら待つ 楽しい時間です。 いっそ 外に出て 木の枝に掛けて お茶にしますか?
< 掛け軸 >表装技術は 先人方の知恵の結集です。 巻き下しを繰り返す為に 中身の画や書、廻りを飾る裂地も やがて、痛んできます。 ガラス・アクリルでカバーしていないので、埃などで汚れもします。 ( それも いい味となるのですが・・ ) その為、100年・200年に一度 < 打ち直し >をします。 裏から霧を吹いて 時間をかけて、三層にも 四層にも貼り重ねられた裏打ち紙を ピンセットで剥がしていきます。 描かれた時の一枚の本紙 (絵絹) の状態にまで戻します。 そして、修復をほどこし 新しい和紙で裏打ちをします。 裂地を廻していきます。 軸が蘇ります。 そうです、200年後・400年後 剥がして修復する事を前提に 表装されているわけです。 その為、キツイ接着力のある糊は使わず、薄い糊を使用します。 薄い糊でも 何百回の巻き下しに耐えうる様に、シュロの束の刷毛で叩き込み 又、湿度の差の大きい日本に耐えうる様に 長い時間をかけて さまざまな工程をほどこします。 まったく まったく、 先人方の積み重ねられた智慧 又 智慧です。
画には(書にも) 作家の < 思い >が込められています。 表装する事で 廻りにする裂地により 随分受ける印象は 変わります。 横幅・長さを変えると またまた 受ける感じが変わります。 表装の全てを任されると、作家の < 思い >に 私の < 思い >が重なり、反物ひっくり返して 悩みに悩みます。 苦しくも楽しい時間です。 ( この度は 孤独ではありませんでした。 作家のお一人お一人と サンザン 一緒に悩みましたから。 楽しかったですね。 ね。 )
何分も 花を見つめ、川を見つめ 飽きる事無いことがあります。 その時は 花や川面の部分部分を見ているのではなく、自分の内面と対話している時だと思います。 『 昨日 あんな事言ったけど・・悪かったなあ・・。 』 『 今頃 田舎のお袋・・どうしてるかなあ・・。』 『 今度の アレ ・・・どうしようかなあ・・・。』
画も黙して 実際には何も語りませんが、同じ画を見るにしても 私が悲しい時に見るのと 楽しい時に見るのと 聞こえてくる言葉は違います。 見ている内に 私の内なる言葉を引き出してくれているのでしょうか? 花や山や海と 同じ様に・・。
画には 描いた方の < 思い >が 込められています。 そこに 見る人の < 思い >が重なっていきます。
その人の 時時の < 思い >が。 ふたり・・三人・・。 重なっていきます。 画が成長するかの如く、深まってゆきます。 そして 200年・400年経ち 修復され また、蘇ります。 その ハグクミの一端に携わらせて頂いている事を 喜びとしております。 坊主であり、表具している < 軸装坊主 > の つぶやきです。
・・・・・原稿書いていた訳ではないんで、憶えている内に 書きこんでみました。 お聞きになっていた アナタ・・・『 あれえ、栗山さん こうでしたあ? 』
こう 言いたかったんです! いやあ、お話って むつかしい!
それにしても、これ。 最後まで 読んで下さった あなた。 ( 深々と礼 )
< 出遇う >ですね。
盛況の内に会期を終えました。 < 第八回 現代日本画の試み展×表具師 栗山知浩 > 。
最終日の10日にしか会場におれませんでしたが、沢山の方と出会えました。 作家のお一人お一人が 作品についての思いを語られる< ギャラリートーク >に先立ち、午後2時から < 表具屋のつぶやき >と題して、栗山に話をする時間を 30分頂きました。 どうなんだろう? まあ メンバー数 10人強位かな・・・・・と思っていたら、なんと 40人以上の賑わいです。
栗山がお話させて頂いている写真を( 迷いながら遅れて来た )娘が( 迷うか!?お前 )撮っていたそうなので( いや、来てくれるとは かわいいヤツ ) 画像を受け取ったら、その様子と。 せっかくですから、何をつぶやいていたか ここに書きこみましょう。 数日後になるかもしれませんが、 軸装坊主のつぶやきです。
この企画が無かったら 会えていなかったであろう 作家の方々と沢山のお話ができました。 倒れるほどの暑さの中、わたしの知人も来て下さり 会場で出会えました。 メンバー友人の<造園技士>古鍛冶達也氏の手による 会場内に突然あらわれた 坪庭!にも出会えました。 打ち上げで、次の企画を熱く語り合うメンバーと ひたすら 呑んでいる私に、これまた熱く お薦めの日本酒を語ってくれるおじさんにも 出会えました。
いや、やはり この文章中の < 出会う >は 全て 字がちがいますね。
『 おお、俺もやで。 』
降りしきる雨の中、父・前住の三回会法要が始まりました。
ご案内は出したものの、どれだけの方がお参り下さるか・・・と家族で心配しながらの朝でありました。 なんと、本堂に 70人近くの方々。 山奥の小寺・西蓮寺にとっては 満堂です。
父が大事にしていた この本堂で 一日かけて、客僧・弟・私の三人の法話を繋ぐ <法座> のかたちをとって 父の法要とします。 聴聞する事が 最も父の法要になるとの思いから、ご案内状に そう書きました。
この山奥の寺でジミチにお参りし みなさまとのふれ合いを大事に お寺を守り、田んぼ・養蚕・出稼ぎしながら・・ 何度も大病に会いながらも ジミチに ジミチに 丁寧に生き抜いた父でした。 姿が見えなくなって丸2年経っても これだけの方々が・・・そして お勤め <正信偈>の大音声。 身体が震えるほど響き渡りました。 通夜の夜の時も 大阪の義観おじが 言っておりました。 『・・ いやあ~・・・今晩のお勤めには 感動した。 あんなに沢山の人が あんなに大きな声で あんなに正確に綺麗に揃って・・・。 兄さんの長い間の教化の深さを感じて 涙が出て 止まらんかったで・・。 』
あの夜を超えていましたよ、おじさん!
そして、弟のご法話を聞かせて頂きながら 『 親父は こんな思いで 俺の話を聞いてくれてたんだろうなあ 』 と。
その父に会えました。
台所や会場本堂で 汗かきながら大勢の方にお手伝い頂きました、それも にこやかに。
一夜明け、片づけに大騒ぎし 長岡京の冴子おばと 家内を乗せて 今、弟が帰って行きました。
『 大満足じゃったで、この法事! 』 の 言葉を残し。
目を盗み。
預かり物と自分の物の違い。
< 第8回 現代日本画の試み展 > 7月5日からですが、明日 夕方 搬入です。 いよいよ。
いよいよ・・・・何が いよいよか? 軸装出来上がって 納めるまでの軸が我が家に滞在しているんです。
5幅はお渡ししましたが、まだ5~6幅を 明日 画廊に持参し納めます。 大事な軸は、出来上がったらなるべく早く納めたいもんです。 火事とか 何とか、何が起こるかわかりませんから。
しかし、掛けられる様に出来上がっても そこから まだ 一仕事、ふた仕事 あるんです。 掛けて しばらくして巻いて しばらくして 掛けて しばらくして巻いて・・・・・ 掛けていて曲がりや反りのクセが出始めると、 巻いて見たり 裏を擦ってみたり・・湿度の国・日本に耐えうるモノに 躾けていく作業時期が必要です。 躾がある程度終わってから 納めるわけです。 ここで時間がかかるわけですね。
そして又しかし。 預かっているものです、 出来上がったなら 早くお渡ししたいです。 今回も 躾けながら ドキドキしながら 明日の納品・搬入を待っていたわけです。
明日、会場に掛かるのを見終えたら 明後日から 島根・西蓮寺に9日までいる予定です。 ホントは ずっと 会期中、いらないと言われても 会場にいたいんです。 ようは無くともいたいんです。 見つめる人を見つめていたいんです。 ・・・残念です。
今日も暑いですが。
京都の夏・祇園祭、又の名を < 屏風祭 >。 細い道筋のお家にも 伝わる屏風が出され、道行く人の目を楽しませて頂けます。 < 八幡山保存会 >所有の 海北友雪筆・祇園祭(後祭り)六曲屏風。 350年前当時の祭りの様子を知る事のできる資料としても貴重で、50年前 京都市文化財に指定され 宵山3日間だけ博物館から出てきて目にする事が出来ます。 劣化が見え、今後の事を考え 日立製作所に依頼され デジタル画像化されたものを 屏風仕立てにする仕事を依頼されたのが 三か月前。 少々難しい本紙でしたが、工夫し( 格闘し ) 本日 納めて参りました!
待ち受けて頂いた 理事長はじめ皆さんの笑顔を嬉しく拝見しました。 7月10日に 八幡山町会所にてお披露目、その後 宵山中ご覧になれるかと・・・。
仕事をしながら マジマジと画を見ておりましたが、何百年前から 豪華な鉾が見れる祭りを楽しみにしておられたんだなあ・・と。 今より楽しみの少ない時代なら なおさら 待ち遠しい日だったんでしょうねえ。
しかし というか、やはり というか 暑そうですね。 http://www.hachimansan.com/
墨二話。
昨日は久々に 京都芸大の日本画研究室を訪れました。 室の前の通路にしゃがみ込んでいる6~7人。
紙を沢山並べて墨と筆・・・刷毛やスポイトで なにやら不可思議なモノを描いて 頷き合っておられます。 画のような 字のような 何者でもない様な・・・。 『 ああ、これ。 小学校の子供達に いかに<墨>に親しんでもらうかの試しです。 』 中におられた先生が仰いました。 なるほど。
夕方、頼みたい仕事があるから 来てくれと、声をかけて下さったお方のところへ。 ・・・電車で。
そう、一杯 出てまいりました。 素晴らしい予知能力です。
主が書いて貼ったもんです。 すでに先客が 一杯やっておられましたが、 『 ええ文句やろ? 私が考えたんよ。 』 訪ねて来る友人の笑う顔を想いながら 楽しく書かれたんでしょうねえ。 皆で この文言について ひとしきり 語り合います。 『 あれ? 後ろにも? 』 『 そうそう。 これがまた大事なんよ。 こう言っとくと、奥さん あんまり怒らんのよ。 』 ・・・・・皆さん、二度三度頷かれます。 なるほど。
何と付けましょう。
昨夜 走って 西蓮寺に帰って参りました。 昨日も今日も 風の強い日です。 杉が多い裏山は 山そのものが動くが如く揺れています。 朝 箒で掃いた縁側は、なんのことやら・・・・。 庭は ありとあらゆる葉っぱが飛びまくっております。
そんな中でも < どこ吹く風 >の強い奴。
優しそうな顔して なかなか・・・。 近づいて見ると、なるほど 芯の強そうな。 おそらく こんなに アップで見つめられた事はないでしょう、ここでは。 『 なにか? 』 とでも言いたげに。
え~と、坊主なのに 風流が足らず 草花に不案内です。 < 金子みすず > さんに < 草の名 >という詩が。
ひとの知ってる草の名は、 わたしはちっとも知らないの。
ひとの知らない草の名を、 わたしはいくつも知ってるの。
それはわたしがつけたのよ、 すきな草にはすきな名を。
ひとの知ってる草の名も、 どうせだれかがつけたのよ
ほんとの名まえを知ってるは、 空のお日さまばかりなの。
だからわたしはよんでるの、 わたしばかりでよんでるの。
名前はとても大事ですが、わたしの名も 誰かに付けて頂いたものです。(親ですが)
人でなくとも、廻りを見渡しても み~んな 誰かに付けられた お名前です。 願いが込められてあったり、性質や見た目であったり・・・。 自分で名乗った名前って・・・・自分のもつ願いと 働きを < 名 > として 名乗った名前って・・・。 思いつくのは < a-mita > かな?
そんなこんな 思いながら、 さあ。
怒るもんですから。
『 この色で。 』 と頼んでいた 表装裂地反物が出来上がり、届けて頂きました。
ひとつの文様柄が 15cmと 迫力ある裂地です。 とても 綺麗です。 未だ 何の作品に・・という予定も当てもないのですが、美しさに 手元に置いておきたくて 織ってもらいました。 少々高価にて、一反は頼めず 半反で・・と無理を聞いてもらいました。
裂地屋さんが たまに やって来られます。
『 こんなのがありますよ。 栗山さん好みじゃないですか? 』 ・・・確かに。 よく ご存知で・・。
『 これなんか まあ、普通の表具屋さんは使われませんよねえ。 栗山さんくらいでしょうねえ。 』 ・・・うう、煩悩が刺激される・・。
ありがたい事なんです。 私の事をよくわかっていてもらって 楽しむように色々見せて貰えて。 断っても 怒らないし。 ただ問題なのは、この先 手にした裂地を使わせて貰える<作品>と 出会えるかどうかって事で・・。
そうでないと ただの <裂地収集家>として 家内に睨まれるだけですから。
この裂地、裏も いい感じなんですよ。 たまに 裏を表として使う事があります。 『 裏を使うなどと そんなのは 邪道だ! 』 と怒る方があります。 いいんです。 怒る方は、なにを言ったって 何を やったって・・・。
溢れる水分を感じる世界。
西蓮寺を出て しばらく走ると、樹木のトンネルを何度も くぐりぬけます。 キツネに騙されているかの様に、似た景色が繰り返されます。
と いうことは、西蓮寺に帰る時は 何度も樹木の トンネルをくぐらないと 辿り着かない訳で。 初めてお見えの方は 『 ここ・・・さっき 通ったよね。 』
などと よく 仰います。
ある 小さいお子さんは 『 ぜったい、まっ黒くろすけ がいるよ! 』 と。 ( となりのトトロ に出てきた アレですね )
あの アニメ映画では、 低い樹木のトンネルを くぐりぬけると、トトロのいる 不思議な世界に辿り着くのですが ・・・・・わたしも 樹木のトンネルを くぐりながら、同じ世界でありながら 少~し 違う世界 ( 西蓮寺 ) を目指している様な気になる時があります。 携帯圏外ですし、静寂をやぶるのは 鳥と 虫と 風ですし・・。
そして、トンネルを潜って また 人間の世界? に出ていくわけです。
国道に出て、日本海を見ながら走り
中国道を爆走し すっかり 人間世界・京都に到着しました。
仏法では、法を きく事を ( 聴聞 ) といいます。 どちらも ( きく ) ですが、耳を澄ませて きくのを ( 聴 ) 。 きこえてくるのを ( 聞 ) 。 聞こえてくるところを 聴く。
いま、鳥も 虫も 風も いるのでしょう、あるのでしょうが 聞こえません。 耳を澄ませて探さなくては。
住職事務仕事。
18日から 島根・西蓮寺に帰っています。
7月の法座の前準備として。 ご門徒・信徒の皆さまに 年4回、 封書で法座案内をお出ししています。
この度も 書斎中に墨を乾かす封筒が 舞い踊っております。 作った文章を印刷して、さあ これから 折って畳んで 封筒に入れて、糊で止めて お配りくださる地域に分けて 遠方には切手貼って・・・・ああ そうだ。 アチコチの掲示板に張る <振れ書き> も筆で書いて 10枚ほど用意しないと・・・
ひとりで 大童しているところに、たまたま?総代さまご夫婦が 見えました。 これを逃す私ではありません!
『 いや~実に いい所に来られました! まあまあ 上がって。 今 コーヒーを点てます。 』
応接室に招き入れる その手に乾いた封筒と 案内状文章と 糊が握られていたのは もちろん です。
結局 2~3時間 お手伝い頂きました。 『 いや~ご縁ですねえ。 』 って。
笑いながら お手伝い頂きました。
外は しびしび 雨模様。
濡れた瓦が 白く光ります。 時間は ゆっくりと 流れます。
もれなく 進呈。
父・前住職が浄土に還り もうすぐ 2年になります。
このところ 表具の < あれこれ話 > が多かったですが、西蓮寺での 父の三回会法事の準備も進めております。 7月7日・安居会 ( 夏法座 ) の午前中に 三回会法事、午後を 例年どうりの 安居法座を勤めます。
昨年、一回会の時は お参り事が続き 心苦しくもあり ご門徒さまにはご案内することなく 親族のみで勤めました。 昨年 親族の前で 『 来年三回会は ご門徒・お同行さまと お勤めします。 』 と申しました。 ( いや、もちろん どなたに来て頂いても いいんですよ。 ただ 十分なご接待はできかねるであろうと・・ )
ある ご門徒さまが仰いました。
『 法座と一緒の日に勤まるんなら、法事の (御仏前) と 法座の (御法礼) 。ふたつ 包んでいかんとなあ・・。』
いやいや、いやいや。 やめて下さい。
皆さんへの ご案内に書きました、 『 立派なお料理も 立派な記念品も 用意いたしておりません。 ただ、この日、父が大事にしていた本堂に 午前は法事で 客僧・常福寺さまのご法話、午後は法座で 弟とわたしの法話が 響き渡ります。 皆さまと 如来さまの願いをご一緒させていただく事が、なによりの 法事になるとの思いからであります。 何卒、平服でご参詣 ご焼香・ご聴聞をお願いいたします。 』
弟が 午後 一席、お話する事を 憶えているかが 少し不安ですが・・・。 大丈夫だろうな。 見てるか?これ。
さて、立派な記念品は 用意いたしません・・といたしましたが、心ばかりの品は用意しております。
知人の画家に頼み、画を描いてもらい この日だけの為の オリジナルの < 風呂敷 >を 今 染めてもらっています。 ちょっとだけ お見せしましょうか?
ご参詣。 お待ち申し上げております。
よろしく哀愁。
以前から かかわらせて頂いております 『 第8回 現代日本画の試み展 』 のDM を届けていただきました。 7月5日~10日、京都 ・ 四条河原町上がる (東側) ギャラリーマロニエ にて。 12人の日本画が 全て 軸装にて並びます。
会画展の DM には珍しく、画はなく 名前のみが並ぶデザインです。
軸装で並ぶという事を アピールされて、軸風にお名前が・・・・・手にした家内が ポツリ。
『 ・・・お位牌みたい・・。 』
こらこら こらこら! なんて事を! ・・私も思ったけど。 いやいや デザイナーさんの作ですよ。
よく見れば、バックに 薄~く 表装裂地の柄も入っています。 ひょっとしたら、軸装するのが坊主なので ホントに位牌を想像させる様。 また 作品に対する作家の思いが、 ご覧になる方に伝わり 成就する様に。 との深い 願いと ユーモアかも。
メンバーのおひとりから 連絡がありました。
作業中の写真資料を 頂けないか、と。 そこで 今まで撮った事はないのですが、( うまく撮れないから、と 面倒くさがる ) 家内に撮ってもらいました。
ちゃんと仕事してますでしょ? それにしても 仕事中の自分の後ろ姿、50男の哀愁が・・。でてませんか? まだまだ?
ジッと眺めて 考えてます。
先日、島根県から とある若い ご住職がみえました。
表装の相談とご依頼に、遥々400km 車を トバシテ。
裂地相談などしながら コーヒーをご一緒していて、驚くべきことを耳にしました。
『 さあ、用事は済んだので これから 帰ります。 』
・・・・なんと。 まあ。 若いって いいですね・・と言うのも 失礼です。
京都滞在 1時間・往復 800km ! 私も大抵 走っていますが、この 真似はできません。
ホントに お気をつけて・・と お見送りしました。
お帰りになってから、一枚の画に 取り組みはじめました。
細い線・墨だけで 描かれた 一枚。
額仕立てに、との依頼ですが。 さあ!
どうします? どんな裂地を廻して どんな縁にしますか?
・・・ あなたなら。
吸い物付き!
この6日間は 大変 忙しくしておりました。
島根の組内寺院の葬儀の < 会行事 > を勤めさせて頂き、その日のうちに 京都まで走り、本山や画廊で 人と会い、お参りもあり、表装も 屏風と グループ展の軸装に手をかけ・・・・・・・・・
今日も 午前中に 大阪に走り、帰って 表装をひろげ・・今 ひと段落です。
少々 疲れて、 たとえるなら こんな感じでしょうか。
いい 疲れっぷりでしょう?
先日、最終電車での あまりの 見事さに 思わず 撮らせていただきました。
乗り過ごされていない事を 念じました。
そんな中、今日 軸装品を納めに行った 大阪の親戚。
『 お昼、一緒に食べて 帰ってね。 お寿司とるから。 』 と、おばさん。
ありがたいです! 早速 電話されます。
『 00さん? 00です。 3人前 出前お願いしたいんですけど・・・ 』
横で聞いているので、注文しにくいだろうなあ・・と思いつつ、なるべく 聞こえない風をよそおう 私。
『 上を 三人前 ・・・・・特上ってあるの? そう・・・・・・・・・・・・・・・・・じゃ、特上を三人前。 』
すみません、横に 私がいたばっかりに。
『 いつもは こんなの 頼んだ事ないのよ。 』 わかってます わかってます おばさん。
おばさんが 普段どれだけ辛抱しておられるか。 親戚って ありがたいです。 お蔭で 元気出して帰路につきました! はりきって 働きます!
ある方にとっては、大事なもの。かけがえなく。
一か月前でしたか、初めてお会いした ご婦人二人。 本願寺の職員さんの紹介で 本願寺で待ち合わせ。
額に入っていた ≪ 法名 ≫ を 三つ折りに仕立て直せるか・・との ご相談。
なんでも、お二人が慕っておられる 80歳を超えられた老僧の お父上・お母上の法名で、 『 どこでも持ち歩き 開いて 手を合わせられる様に、 三つ折りに仕立ててくれる表具屋さんを探して 頼んでほしい 』
・・と 老僧に依頼され、色んな方に相談され 私のところへ。
『 大事なものを やっと お預けできて、ほっとしました。 』
ご婦人方が 嬉しそうに仰っていました。 預かったのはいいのですが。
・・・ 屏風の紙番い仕様にする為 土台作りに 手間がかかります。
毎日、少しづつ 手を加え やっと 今日 出来上がりました。
いい出来に嬉しくて 沢山 写真を撮ってしまいました。
早速 ご婦人方に 連絡をとりましょう。
思うのですが、ご老僧。 お身体がすぐれないのではないかと・・。
たとえ 病院でも 開いて・立てて お父上 お母上を想って 手を合わせられる為に・・・・ではないかと・・。
思い過ごしなら いいのですが。
お見せできない苦しみ。
昨日から 京都で表具三昧です。
7月5日から 京都 ≪ ギャラリー マロニエ ≫ で開かれる、 『 第8回 現代日本画の試み 』 に出品される作品の軸装が中心です。
いつもながらの事ですが、画を見せて頂いた時・廻りの表装を想像した時・・・・ある程度 予想がつくものです。
しかし・・・実際に 裂地を付け廻したら 想像を 越えてしまう (もの) を目にしてしまう事が あるものです。 驚きであり、楽しみであります。 何作品かの全体像が 見えてきました。
そんなこんな している内に、午後に 表具裂地屋さんが、 以前 頼まれていた裂地は こんな感じですか? って 山程の反物を抱えて来られました。 ( ゴメンナサイ、買い上げたのは 一反だけです。 )
二人で コーヒーを飲みながら 色々会話する内に、 今 やっている作品を見ながらの お話になります。
『 これは スッキリしてますねえ。 』 『 ふ~ん、思い切っておられますが いいですねえ。 』 『 これ。 好きですよ。 』 『 これは まあ・・フツウですねえ。 』 ・・・( 表装の話ですよ )・・・・・・まあ、お互い 主観の話の オンパレードですが、長く 色んなものを 見て来られた方のお話は 参考になります。
帰られてから ひとり眺めて、また 手直しを・・。
途中経過の写真でも 載せたいところですが、いけません・いけません。
でも ご覧になりたいでしょう? 魅力ある 画の数々ですよ。 ・・・・・ いや、 いけません。
ステイビー・ワンダーが。
・・たぶん。の、はずです。
明日は 西蓮寺・降誕会法要です。 宗祖・親鸞聖人のお誕生日 ご縁の法座です。
めでたい 仏事であります。 紅白のお餅を お供えして。
少し、暑くなってきました。 これも いるでしょう。
えっ! ・・・本堂に 枕?
そう、枕です。 夏場は 出ています。
お昼休みに、本堂で 横になられる方の為に。 いいんですか? いいんです。
親元に 帰ってきた様に・・・・・親様の前ですから。 でも、
知らない方が ご覧になると、びっくりされるかも ・・・・・ 討ち入りでも あったのか・・と。
そして、午後のお勤めの前には ピシ~と蘇られます。 横になる と言っても、
もちろん、仏様に 足は 向けずに、横になっておられますよ。
お受けしましたとも、もちろん。
京都造形大学内 @カフェ。
8人の画家方との ご相談です。 7月5日からの グループ展を企画されています。
今までは 額装で展覧されてきましたが、今回は すべて 軸装で・・という事で。 かなり以前から お話はありましたが 今日は いよいよ 作品を持ち寄られて 表具師との 相談会です。
私は 表具裂地の見本と 今まで軸装したものの写真と 軸2幅を持参して、お一人お一人に 『 どんな感じにお考えですか? 』 『 この裂地と この裂地の取り合わせは いかがですか? 』 『 軸幅は細くですか? 広くすると また 印象が随分 変わりますよ。 』 ・・・・・・・と。
皆さん 悩みに悩まれます。 それはそうでしょう。 私も 考えられるだけ考え、予想・想像して 提案し 相談します。
とんでもなく 面白くなりそうな 作品もあります。 仕事するのが 楽しみです。 家に帰って、早速 裂地の裏打ちを始めました。 あまり 時間の余裕がありませんので。 最終日 7月10日には、会場で 恒例とされている ≪ ギャラリー トーク ≫ を開くご予定とか。 画についての 作家方の思いが聞かせて頂けるのでしょう。
『 栗山さんも 表具に携わったところから、何点か 例を挙げながら わかりやすく 表装・軸装について お話していただけると 嬉しいんですが。 』
と。 ・・・・ いやいや、そんな。 滅相もない。 ・・なんて お断りしたと お思いですか?
お天気も爽やかな日でした。
行って参りました。 福井・敦賀の淨光寺。
以前 書きこんでいました、浅井成海先生の ≪ 自影軸 ≫が出来上がり、持参 納めてまいりました。
画家・金 珉 氏の絵筆によります。
先生の好まれた 衣体を着けておられます。 『 大変 立派にして頂き、嬉しいのと同時に ( ホントに お浄土にいはるんやなあ・・ ) との思いに 胸が熱くなりました。 』 と。
先代様のお軸と共に、 納まるべき場所に納まられました。 ご家族の皆さまで選ばれた 裂地が とても渋く よく合います。
座敷で お茶をよばれながら、先生の思い出話。 涙を流すほど笑ったり、しんみり 噛みしめたり・・・
沢山の 大事なお話を 聞かせて頂きました。 ありがとうございました。
プ・・プレゼントですよ。
ご門徒さまのお家の仏壇の奥に大事に仕舞われていた お軸です。 ご本尊・ 阿弥陀如来、そして 親鸞聖人のお若い頃のお姿。
「 青蓮院 見真大師 植髪之御真影 」 と あります。 現在 目にする聖人像は、お歳を召され 座っておられるものが ほとんどですが、 この お姿 ・・京都でも 古いお仏壇に掛ってあるのを 見かけます。 木版刷りです。
現在 70近いご門徒さま。 ご結婚され所帯を持たれた時 お仏壇を迎えたいと思っておられました。
たまたま ご縁の深い親戚のお家が 新しいお仏壇を迎えられるというので、古い(?)お仏壇・ご本尊を頂かれました。 ながく その仏様にお参りされていましたが、新しいお家へ引っ越しされた時 お仏壇も 新しくされ、ご本尊を本山から迎えられました。
という訳で、旧仏壇は処分されましたが 中に掛っていた 『 お軸 』 だけは、焼きも・捨ても・処分もされず 大事に持っておられたんです。 ・・・永く 手を合わさせて頂いた お軸です・・・
このご門徒さま、お寺の廻り・裏山の草刈り 庭木のお世話などに しょっちゅう来て頂いていて ( 深く 深く ありがとうございます ) 、 その時 お茶をご一緒しながらのお話で 『 かなり 痛んでいますが、あるんですよ。 』 って。 『 そうなんですか! じゃ 今度 持ってきて下さいよ、 きれいに 修複しますよ。 』
そして この 沢山の方を見守り続けられた 仏様。 200年分の汚れを洗い流され、きれいに そして しっかりと 蘇られました。
5月21日の 『 降誕会法座 』 には お渡しいたします。 是非 ≪ イワレ ≫ を書き添え、これからも 代々の家宝にしてください!
えっ・・・・・表具代? 決まってるじゃないですか。
今、試される時?
昨日は、兵庫・伊丹市に お参りまいりました。
島根 西蓮寺近くに住んでおられた ご門徒さんで、お父さんと お母さんの 33回会のご法事です。
お寺からの 夏ミカンのお土産に 『 ワ~! 』 との歓声。
遠くにおられても 法事に呼んで頂ける事は、大変嬉しい事で 私を含めて 計8人。和やかにお勤めさせていただきました。 昼食をご一緒しながら、田舎の話・子供の頃の話に 笑い声が絶えません。 なんとも 気持ちのいい ご家族です。
奥様が、デザートに・・と 剥きたての 夏ミカンを 持ってきて下さいました。
『 お~。 割と甘いですねえ。 売ってるモノと違って もっと ホ~ホ~言うくらい 酸っぱいんですけどねえ。 これなら 店に出せますよねえ。 』 と 私。 『 ホントだ。 美味しいですねえ。 』
『 そうだ! 西蓮寺ホームページ 始めたんですよ。 見た? 』 と お若い方に聞くと、 『 そうなんですか! 』 と、すぐ iパッド なるものを取り出してくれ、みんなで 懐かしい人や 風景で 盛り上がっていると、奥様が 台所から出てきて 仰いました。
『 この 頂いた 三隅の夏ミカンも 剝こうかしら? 』
・・・・・・え?・・・・・
みなで 顔を見合わせます。 『 じゃ、 さっきの 夏ミカンは? 』
『 ああ、あれは お店で買ってきて お供えしてた ミカン。 』
・・・・・・・・ 『 え~~~。 』 『 あぶない あぶない。 奥さん、頼みますよお。 もう少しで 「 やっぱり 田舎のミカンは 一味ちがうでしょ? これくらい 酸っぱくないとねえ 」 とか 調子のいい事 言うとこでしたよ。 甘いって言ってましたよね。 』 『 言ってた 言ってた。 ご院家さんは 甘いって言っておられました。』 (大笑)
大笑いの後 出てきた夏ミカンを みんなして 恐る恐る食べ、顔を見合わせ、
『 ・・あ 甘いよねえ。 』 『 大丈夫かなあ、 まさか 岡山あたりのミカンって言うんじゃないでしょうねえ。 』 『 まさかの 二度 ビックリ ですか・・・』 ・・・・・・・・・ ( 爆笑 )
いや 実に和やかな 一日でした。 お父さん、お母さんのご縁です。 ありがとうございました。
とっても 結構な お土産まで 頂きました。 重ねて 御礼を。
染香人のその身には・・
昨日は 浜田・周布の専称寺様の法事にお参りしてまいりました。
ご導師の 勝竜寺様の法話で紹介頂いた ≪詩≫ こころに残りました。 ありがとうございました。
この専称寺様、子供の頃からお世話になっているのですが 表装のお仕事も 随分させていただいております。
特に思い出すのは、ご住職はじめ ご門徒様方のご尽力で本堂新築建立された時の事。
ご住職に呼ばれました。
『 旧本堂を飾ってあった ≪ 餘間壁面画 ≫ と ≪ 腰板画 ≫が とってある。 かなり痛んでいるが 何とか直して、新しい本堂の同じ場所を 飾れないか? 』
・・・・素晴らしい事です。 かなり 顔料が剥落し、本紙も痛んでいて 真新しい本堂には そぐわない・・と、捨ててしまえば それまでです。 修複には費用もかかります。
それでも、今まで本堂を飾っていてくれた画。 旧本堂を建立された 先祖・先輩方の思いと ご苦労を この度の新しい本堂でもご一緒したい と。
京都から 知人の絵師を呼び 最低限の補彩をしてもらい、精一杯 修複表装いたしました。
新しい中に 歳を重ねた古きもの・・いいですねえ。
この修複中に 驚いた事が ひとつ。
旧裏打ち紙を剥がす為 全体に タップリ 霧を吹いたら、 フワ~っと。 ≪香≫の香りが立ち込めました。
・・・≪ いい香 ≫ の香りです。
湿度の多い日は、香りが際立つものです。 本堂に長くあり 香が染みついた画が、水分を含んで その香りを現わしたのです。 コワイ様でもあります。
画は黙っていますが、この本堂で 何代にもわたり 安物の香ではなく いい香を焚き お勤めされ、ひとの目に触れないところで 仏様を敬い 荘厳されてきた事が ・・ばれてしまいました、住職。 (笑)
いや 笑いではなく。
見習う事に また 出遭ったなあ・・・と 仕事を続けました。
忘れっぽいです、最近。
久々に 画家 ≪ 金 珉 ≫氏が やって来られました。
自影軸のお姿に 少々筆入れのご依頼がありましたので、顔料と筆を持参して。
私は 京都・島根 行ったり来たりですが、彼は 韓国・日本 行ったり来たりで 忙しそうです。
3日に日本に帰ってきたのに、10日には また 韓国だそうです。
私も負けてはいけないので 明日、島根に向かい 明後日の夜には 京都予定。
『 時間も お金も ありません。 』 ・・・彼の弁。 ・・・ ご同輩。
そんなこんなで 珉さんが 描いているのを ジッと見つめている訳にもいかないので、隣部屋で 屏風の土台作りを続けます。
だんだん 屏風らしくなってきましたね。 この3枚の写真分 進めるのに 10日はかかってますけど。
一旦 貼り付けたら 次の作業まで 最低 一昼夜は乾かして 置かないといけません。
さて、では 何をしようか・・・・・おお、思いだした。
姉に頼まれていた 念珠の房替え。 もう 半年も預かりっぱなしで この間も 『 急ぎはしないんだけど、何時でもいいんだけど・・・まだ? 』 と。
いい加減に渡さないと、いくら 菩薩の様に穏やかな姉でも・・・・・。
かなり 痛んでいた 白と赤の房も 薄紫色に替えると、随分 趣が変わりました。
これで また 出番が増えるでしょう。 念珠も うれしそうです。
なにより 島根に帰るたび まだ 直してない事を思い出して、姉に会うたび ビクビクしなくてすむ 私が嬉しそうに見えたでしょう。 珉さんには。
長火鉢。
今日は、3kmばかり離れた所にある お寺、相焼香の 『 常福寺 』様の 永代経法要にお参りしてまいりました。
布教の先生は、旭町・清岸寺・服部老師。
『 失礼ですが、 お幾つになられますか? 』
などと お尋ねしながら、色々お話させていただきました。 80・・お幾つでしょうが、はっきり 仰いませんでした。
『 ここは、お庭が きれいですなあ。 よく 手入れされておる。 うん。 』 と、老僧。
『 そうですねえ。』
『 長い事 アチコチのお寺に お邪魔しておるとですなあ。 大体 わかるんですよ。
いつも 少しづつでも 掃除・手入れ されとるか・・。 ・・・法座の前に 慌てて 掃除
されたか。』
『 ・・・・・・恐ろしいですねえ。 』 などと色んなお話を 座敷で お茶をご一緒しながら。
本堂でのお話は ≪ 人間、思いどうりになったら どこまで堕落するだろう ≫ との 厳しい指摘のお言葉からでした。 そして、 午後席の中で、おそらく みなさんを 和ませる為に、
『 最近 よく お幾つですか・・と 歳を聞かれるんです。 おそらく そんなに 私の歳なんか 興味は無いけど、まあ 話す事もないから 歳くらい 聞いとこう・・位の 軽い気持ちで お尋ねと思うんです。 (笑)
で、私も 軽い返事を しとくんです、29 ですって。』 (笑)
『 いつの 29 ですって、まだ聞く方がありますけど 西暦に決まってますよ。 』
『 私の 不徳でしょうな。 誰に何回 歳を教えても ( そうですか。 そんなに お歳ですか・・ ) って 長火鉢のひとつも送ってくれた親切な人は 誰ひとり おらんです。 』 (笑)
・・・老僧のお話って 味があります。
帰りに 老僧にご挨拶する時 言い添えました。
『 わたしも お歳を聞いてしまったんで、今度 長火鉢でも送らないと いけないんですが・・』
老僧、笑って トイレに立たれました。
さあ、明日から島根。
昨日は 楠照道氏の個展初日にて、夕方 行って参りました。
氏をはじめ お三人いらしゃったところ、次第に人が増え 分厚い 一枚板のテーブルの上の物も増え・・・
報道関係・美術誌関係・染色関係・画家・・・等々のお方々 話題には事欠きません。
お釈迦さまが 涅槃に入られた事を 胸掻き毟るほど悲しむ 弟子の姿・顔・また顔。
多くの弟子が 顔を歪めている中、≪ アナン ≫の顔が印象的です。 遠くを見つめる様に 茫然としている ≪ アナン ≫。 お釈迦さまの従弟でもあり 『 多聞第一 』 と言われるほど お釈迦さまの説法を 一番沢山聞いてきた方。 お釈迦さま 最期の旅にも ずっと ご一緒した方。 悲しむ以前に この事が全く 受け止められない・・というお姿でしょうか。
お釈迦さまも 自分が涅槃( 死 )を迎えた後の アナンの事が心配で、うろたえる アナンに この事をしっかり 受け止めてほしい・・と 丁寧にお話しされてから 涅槃の時を迎えられたという エピソードが残っています。
グリーフケア ( 悲嘆ケア) ですね。 大事な人を失う時の あまりに大きな悲しみを 乗り越えていく道を 自ら お話されていた訳です。 ・・・・それでも あまりの事に、ただ 茫然と・・。
やがて アナンは、自分が聞かせて頂いた沢山の お釈迦さまのお話を 後に伝える とても大きな仕事をやり遂げます。 かなり 時間がたってからのことですが。
『 樹下説法図 』。
お釈迦さまがされるお話を 喜び、楽しむように聞く お弟子方。
今 我が家に 掛けてある 那須氏の画です。 どの時も 一度しかない 大事な時です。
ひとり 私は 京都へ行くの。
次は撮りますから・・
昨日は、島根・益田の真宗大谷派 極楽寺に行って参りました。 降誕会法座のご縁です。
住職は 私の従兄にあたり、敷地に隣接する 『 川登保育園 』 の園長でもあります。
≪ 散歩は 平地より山の傾斜を歩き、あけび や むかご を食べ、 畑も耕し 溢れるほどの絵本・お話と接し、音楽家の生の演奏に触れ・・・・≫
先ほど ホームページを開いて見たら、野山を駆け巡る まぶしい子供達の姿が いっぱいでした。
お座にはお同行さま方と一緒に 高校1年生の三男君が 座っています。
学校の制服を着て 朝から夕方まで 40分のお話を 計4回。 ず~と聞いていてくれました。
わが身が あの頃、とてもではなかった事を思うと いやはや 頭が下がります。 元気づけながら お話させて頂けましたよ。 ありがとう。
叔母 ( 父の姉 ) にもお会いできました。 85? 86? お元気そうでなにより。 お座が終わって 祖父の書額が掛けられてある控え座敷に、わざわざ 挨拶にきて頂きました。 恐縮です。 恐縮ついでに写真を撮っておきましょう (笑) おばさん。 デビューしてしまいましたよ。
この日の たったひとつの 心のこり。
お寺隣りの とても お料理上手な奥様にご馳走になった 『 筍のムース・苺と林檎とミントの葉 添え 』。
・・・・・・・・・写真撮るのも忘れ、食べてしまいました。 残念。
『また お会いいたしましょ~!』
以前 お預かりしていた 『 スジャータ 』 の レリーフと、 『 涅槃図 』版画 の額装が出来上がりました。
この スジャータ。 とても 素敵です。 そして、渋い裂地と 金箔を押した額におさまり ますます 素敵になりました。 涅槃図も 版画で現わされると また独特な感じです。
滋賀・東近江市の 浄土真宗本願寺派・正福寺住職で 彫刻家 『 楠 照道 』氏の作品です。 先ほど お届けして参りました。 この作品でさえ 横1m位と 大きいものですが、ご自宅には もっと大きな作品が ズラリ。 4月26日から 祇園・俵屋画廊で 個展を開かれるので、その搬入準備をされていました。
イダイケ夫人・親鸞聖人・白蓮華・・・そして 慟哭する十大弟子。 迫力ある作品はもちろん、さらに 驚いたのは この額装を なんと 奥様がされているとの事!
いい仕事されてます。 色々お話をお聞きしながら キルトを散りばめた和風バッグや 華葩など手作りの品々をお見せいただきました。 ご夫婦で 造り出し、生み出すお仕事を とても楽しんでおられるご様子で お話を聞かせていただいた時間が 心地よく過ぎていきました。
雨の中、車まで傘をさしかけて 見送って下さった奥様が、 窓を開けて振り向いた私に 大きな声で・・。
走れ、知浩。
4月9日から 今日16日まで、本願寺で 『 親鸞聖人750回遠忌法要 』 の第一期が勤まっております。
5月も6月も 同じく 9日から16日まで お勤まりです。
わたくし、まだ お参りしておりません。本願寺前は 走っているのですが、こころ ゆっくり・時間も ゆったり お参りできる時に お参りしたく思いながら・・・少々 申し訳なくおもいつつ・・。
今日も 50ccバイクで 走りまわっております。
以前 ここでご紹介した 中路先生から お声がかかりました。
市美術館で開催されている 『 親鸞展 』 に行って来て、聖人のお書きになった真筆の書を拝見するうちに
この法要の年に どうしても 自分も書いてみたい書に出遭った。 書いた。 貰ってもらいたい方もおられる。
軸装にしてほしいから、取りにきてほしい・・と。
美術館に行って 僧侶として自分も書きたくなって、ホントに 何枚も何枚も お書きになる・・ なんて こころが 若々しいんでしょう。 ( 70真ん中くらいの おはず )
祇園祭における とある山鉾会が所蔵しておられる 京都市指定有形文化財の 『 六曲屏風 』。
今以上に痛む事が無いように 復元屏風を制作される事になりました。 光栄な事に 屏風表装に携わらせて頂くことになりました。 現物は 博物館にあるのですが 出て参りました。
スキャナー技術者・保存会の方・市の関係者の方々との打ち合わせ、ご相談です。
さあ、これからが・・・大変です。
走れメロス。
永代経法要を勤め終え、本堂の お荘厳を解き 平素のお内陣荘厳にいたしました。
打敷等で飾られた時は もちろん 美しいのですが、わたしは この いつもの時の <シブイ> お内陣が とても好きです。 箔も 決して新しくなく、鈍く光るだけですが うちらしくて いいです。 ホッとします。
さて、これから 500kmばかり走って 少し 京都に行って参ります。 < 出稼ぎですね >
このたびは 一週間ばかり 西蓮寺におりました。 法要のほか 一軒だけ法事のご縁がありました。
昭和38年に 43歳でお浄土に還られたお方の<50回会>です。 残られた奥さんが 一人 娘さんを育て上げ
られました。 その娘さん、ご結婚なされ ふたりの娘さんに恵まれました。 その娘さん方 それぞれに 今 ひとりづつの娘さんが・・・・・・2歳と3歳の 可愛らしい女の子が 元気に走っています。 お勤めをご一緒し、お昼食をご一緒しながら、ご一族のみなさん なんと 気持ちのいい方々なんでしょうと・・。
お昼食の時、どなたか ご挨拶は? ・・と お聞きすると 『 おばあちゃん、おばあちゃん。 おばあちゃんが 主役なんじゃけえ。 』 みんなにセガマレ 小さな声ですが 立派な ご挨拶。
『 みなさんのお蔭です。・・ 』 ・・と お礼の言葉ばかり。
50年・・・ご苦労であった事とお察しいたします。 おばあさんと ご主人のお蔭で こんなにもいいご家族が、こんなにも 可愛い子たちが おられます。 まだまだ 増えてく ご家族に出会ってくださいね。
過日 母と私をお招き下さいました御方様。 ありがとうございました。
行くさきざきの お部屋を暖めて待って頂いていたこと、奥様<18番>の美味しい絶品、おいしい お酒。
そして 父の思い出話などの 楽しいお話・・・・・話って尽きないものですねえ。 重ねて重ねて ありがとうございました。
そして これまた 先日、活きのいい お魚を 『 食べちゃんさい! 』 と 持ってきていただいた 御方。
すごいですね、ありがとうございました。
お礼を言う事ばかりです。 みなさまに頂いた元気をもって 走ってきます。
4月は 島根・京都 あと2往復予定です。 がんばって~!
おおびらざくら・と読みます。
今日は おそらく 一年で一番多い日です。 何が?
お寺の下を通る 車の数が。 そう、ここから 6kmばかり山奥?にむかって走った所にある 『 大平桜 』 見物の 車です。 遠く 広島・山口ナンバーの車も走っています。
広げた両手が 30mもある 天然記念物の 一本櫻です。
昨日の夕方、京都から お寺を訪ねてきて下さったご夫婦を案内して 行ってきました。 『 遠いな~ 』 と言って辿り着かれた ご主人に、 『 これは スゴイな~ 』 と 言って頂きました。
そうそう。
樹齢も 15年あるなしで、どなたに見られる事もないですが お寺の裏の畑に 『 西蓮寺櫻 』が。
こいつ 若いのに偉いやつで、誰も見に来ない・褒められもしないのに 毎年 咲くんです。
わたしだったら もう 咲きません。 褒めるひとが 多かったら まあ、咲いて見せてあげても いいんですけど・・・・。
こいつは 黙ってますが、偉いやつです。
集える場所。
4月8日。 お釈迦様のお生まれになった日、西蓮寺・永代経法要です。
ご講師は、鎌手 西楽寺ご住職・川本義昭師です。 この度は 『 世の中 安穏なれ、仏法 ひろまれ 』 との お言葉が書かれてある 親鸞聖人のお手紙について、その背景と内容・おこころもち について、詳しく お話頂きました。 有難うございました。
雨の一日でしたが、沢山の方にご参詣いただき 住職としても 嬉しいかぎりです。
お勤め、ご聴聞はもちろんの事ですが 朝早くからエプロン姿で ワイワイと台所を走り廻り、みんなで出会い 賑やかに昼食を頂き、お茶菓子分け合い 笑いあい・・・・・・・一日 ぜ~んぶで 法要 ですね。
ずっと昔の 顔も知らない 沢山のお方々のご苦労があって、この みんなが集える場所が 用意されてあります。
沢山のお方々のご苦労があって、この場所が 維持されてきました。
きっと 後の代の者たちに、仏法を聞きながら歩んでほしいという 願いから。
きっと 後の代の者たちに、自分と同じように みんなと出会い 笑いあえる場所をもっていてほしいから。
・・・・・そうに ちがい ありません。
5人衆揃いぶみ!
明後日は 西蓮寺・永代経法要です。
今日は 朝8時から 総代さん勢ぞろいで、お掃除に来ていただきました。 窓拭き・縁拭き・・いや ホントに大助かりです。 毎回 法座当日も、実によく 動いて頂いていて 助けていただいていてばかりです。 京都に行っていて 留守がちな住職なもので、 『 どげんかせんと! 』 と 思って頂いているのでしょうか…
ありがとうございます。
そして また、みなさん 仲がいいんです。
それぞれのできる事を 互いに思いをくみ取りながら いつの間にか、物事を 前へ前へと進めていって頂いてます。
出会っていて とっても 気持ちがいいんです。
お掃除の後、総代会 ( 一応 収支報告とか) を開き、最後のしめは せめて精一杯の気持ちをこめて、住職がマスターになって コーヒーを ドリップ。 お替わりいかがですか?
おじさん、見てますよ。
もう 4月か・・と思いつつ、京都 寓居アパートのベランダに出て一服。 伏見ですので 造り酒屋が多く、朝は そこかしこから 蒸気が上がっています。
月桂冠・黄桜・・等 大きな蔵もあれば 規模は小さくても 美味しいお酒を造っておられる蔵もあります。
『 どの蔵の どのお酒が美味しいんですか? 』
ここに長く ご縁があるので、お客さんに よく 尋ねられます。
『 そうですねえ~・・ お好みですけど、 英勲の斎藤酒造・・神聖の北川酒造・・富翁もいいですねえ~ 』
などと 言ってる時のわたしは とても楽しそうに見えてるんでしょうねえ。 目は遠くを見つめているかもしれません。 そうそう、酒蔵を改造した 焼き鳥屋さんなんかも 多いんです、この あたり。 夕方 風向きにより いい香りがしてきたりすると ・・・ 辛いです。 『 いいとこに住んでおられますね 』 っていわれますが、良いのか 悪いのか・・。
この写真に 小さく写ってるおじさん わかりますか?
月桂冠旧本社の玄関あたりの <格子> を雑巾で拭き掃除しておられるんですが、見えます?
毎朝なんです。 毎朝 毎朝 毎朝・・
もう何年になるでしょう? 私が このおじさんに気がついてからでも・・。
随分 木目も白くなってきました。 薬品で洗うのでなく 雑巾絞って 丁寧に丁寧に 拭いてここまで白くされました。 いたって柔らかい水 (あまだれ) が、とても固い石に ポタ・・ポタ・・と落ちるうちに、やがて その石に穴をあけてしまう と聞きます。
わたしの、我がの事しか考えられない 狭い所に固まっている頑なな<こころ>が、おおきな <こころ>に触れているうちに、 少しづつですが やがて 解かされていく・・とも お聞きしています。
おじさん、そんな事思いながら 見ているひとが いるなどと思うはずもなく 拭き続けておられますが。
法然展。
今年は 法然上人800回忌の年でもあります。
知恩院はじめ 浄土宗寺院で大法要が勤まり、その年を記念して 京都国立博物館で、明日 3月26日から 5月8日まで <法然・生涯と美術>展が開催されます。 今日、内覧会に行って来ました。
あまりの膨大な出品物に圧倒されました。
中心は <法然上人絵伝・四十八巻>。巻物状の巻子物で、なんと 240場面以上!
普段、親鸞聖人のご絵伝を見慣れているので あまりの 長さ?と丁寧さに驚きです。国宝指定です。
「一枚起請文」・「熊谷直実自筆」・「往生要集」・「往生要集絵巻」 ・・・・ ・・・ お~。 お~。 の連続。
中でも ふたつ。 ふたつ・・は、いけませんでした。 私にとっての 今日の <二尊>。
<清浄華院>蔵・阿弥陀三尊像 ・・ 12世紀くらい 南宋時代の中国で描かれた 三幅の軸。
経典どうりのお姿でなく 少し 不思議な感じです。 それが なんとも いいですねえ。 阿弥陀さまって 色んなお姿であるはずですから。
そして、今回の目玉?のご本尊 浄土宗蔵・重文 <阿弥陀如来立像>。
最近まで 滋賀県の寺院に安置されていたのが、浄土宗に寄贈されました。 法然上人一周忌の為に 弟子・勢観房源智が発願した像で、1979年にその胎内から 46000人余りの縁を結ぶ 名簿が発見されています。
由来も 感じ入るものがありますが、今日 実際 拝見させて頂いて・・・・・右手です。
もとより どの阿弥陀様の右手は <大悲召喚の手> と呼ばれ、『 ここですよ 』 『 この 我がもとへ来たれ 』 ・・・と呼ばれている事を表わすと 聞いてきましたが、 この仏さまの手。
正面からは 解りにくいのですが、 ぐ~と 前に出しておられるんですよ。
今までお会いし 拝見した仏さまの中で 一番 ぐ~~と前に。
あれですかねえ・・・・・・・あんまりにも 気がつく事無く 走り廻って 逃げ回っている私に、我慢ならず ぐ~~と
前に出されてるんでしょうか?
などと 考えながら 拝見。 合掌。
『一枝梅動已催春』
『 一枝の梅、動いて すでに 春をもよおす 』
庭の梅がふくらみ始めると、20年前 亡父が書にした この言葉を思い出しながら 見つめます。
梅が咲いたから 春がきたのではない。その花芽が 咲こうとして動いた まさに時には、すでに 春に包まれていた時であった・・・・でしょうか。 そう聞いたような・・。 そして 転じて、
念仏をするという。 仏さまのお名前を この口にした時、仏さまの大いなる慈しみのお心に包まれるのではない。 声にしようかと 思い立つその時には、すでに おおきな願いに抱きとられてある時である。 一枝の梅にとっての 春の様に・・・・と。
<歎異抄 第一条> 冒頭のおこころですね。
彼岸会、皆さまとご一緒にお勤めさせて頂きました。
山寺であるのに、沢山のご参詣 有難うございました。
午前は この度の 東北・関東大震災でお亡くなりになった多くの方々、そして 家族・友人・帰る家をなくされた 多くの方々に哀悼の心持で、皆さんとお勤めさせていただきました。 お話も <スジャータ>さんと 貧者の一灯の <ナンダ>さんを ご縁として。
ひとりで暮らしておられる 或るおばあさん・・・・・『 ご院家さん、わたしゃあ。 ・・ 毎日が いたしゅうて・・』 ( いたしい=痛々しい からきた?石見の言葉。 辛い・しんどい と同じ意味 ) 『テレビ見てて、あんまり 酷い事ばっかりで ・・・わたしゃあ 悲しゅうて 悲しゅうて。 なにも してあげられんけえ、申し訳のおて・・・・どっこにおっても 申し訳のおて・・・』
お勤めの前の 表白を読んでいる時も 何人か 泣いておられる方を耳に感じていました。
『 お医者さんは、 はあ テレビ見んさんな 言いんさる・・。』 ・・・
おばあさん。 今日、 ここで お勤め しとっても 遠くの人にはわからんし、亡くなって迷うとる人が おんさっても その人を成仏させる力なんか わたしらにゃ なあけどねえ。 ( 目に見えんけど ホントは み~んな 繋がっとる ) ゆうて 一生懸命言うてやんさる 阿弥陀さんに 手え 合わせとろう? わたしらあ。 遠くにおっても 悲しみを共にするっちゅう事は できるけえねえ。 そおしとったら この先、なんか出来る事の声がした時 ちゃ~んと聞こえるけえ。 おばあさん、今 いちばん何が楽しいん? 畑? それじゃあ 畑しよお。 おばあさんの おおきな大仕事じゃあなあかね。 遠くの人に送れんでも おばあさん、今は元気に つくろう !
・・・ ちいさく 頷いて、お寺をあとにされました。 おばあさん。 ホントよ。
明日は。
明日は、当 西蓮寺の 『 彼岸会 』 です。
昨日より慌ただしく庫裡の掃除をはじめ、今 本堂のお荘厳を済ませ 一息です。
京都から 帰山する前に (楠氏) の作品に出会いました。 おそらく ( スジャータ ) です。
長年の苦行で 酷くやせ細っておられた お釈迦様に 一杯の乳粥を差し出した・・と言われている村娘さんです。 清楚な姿なれど 差し出す手・見つめる瞳に なんとも力を感じます。
頂かれたお釈迦様は、身体を痛めつける苦行を止め やがて 菩提樹のもとに座し、さとりの時を迎えられます。
この 画に ( 貧者の一灯 ) のお話も重なりました。 この画はもしかして ( ナンダ ) かも知れません。今度 聞いてみます。 お釈迦様をお迎えする為、沢山の灯が用意されました。 裕福な人は 多くの灯を差し出されます。 貧しき娘 ・( ナンダ ) も灯を お供えしたくて油を求めますが、油たったの一つ分にもお金がたりません。 ついに 自分の長い黒髪を引きかえにしてでも 油をください と頼みます。 そこまでするのは お釈迦さまの教えに心うたれ、せめて 灯の布施を・・・と聞いた油屋は 『 そんなにまでしたくなる様な尊い方なら 私も布施しよう 』 と、足りないお金は 受け取らずに油を分けてくれました。
その夜、灯が灯され お釈迦さまの お話の集まりが催されました。 夜が明け、かたずけをしていたお弟子は たったひとつだけ 消えていない灯を見つけます。 いくら消そうとしても消えません。 お釈迦さまのところにいって どうしたものかお聞きしました。 『 それは (ナンダ) の灯です。 どれほどの大水でも 大風でも 消しさる事のできない尊い 灯です。 』 と 仰いました。 その小さな灯は、いつまでも まわりを 照らし続けました。・・・・・・・・・こんな お話です。
明日の彼岸会の 午前は この度の震災でお亡くなりになった方々の哀悼のお勤めを、と思っています。
『 葬儀どころか、一巻のお勤めさえできずに・・・ 』 とのお声が聞こえました。
読むお経に 人を成仏させる力があるなどと オコガマしい思いは ありませんが、出会った事がなくても 繋がっている私達です。 お集まりの方々と 手をあわせたくおもいます。 そして なにかできる時までの思いを共にしたく思います。
2011,親鸞展
京都市美術館で 明日3月17日~5月29日の会期で
『 親鸞展 』 が開催されます。 今日、午後3時より 同会場にて オープニングセレモニーが行われ、行って来ました。 写真は 頂いた図録です。p250もある立派なものです。
西本願寺ご門主はじめ、真宗十派の門主方・各協賛会社代表者・宗会議員・報道関係者・・・等、列席のもと。 開会式典は、どの方も 挨拶の冒頭には 震災の悼みを述べられつつ、 狭いスペースの中でも 厳かに執り行われました。 今日の会に行けるはずも無かったのですが、今朝 あるお方からの誘いのお声で、皆さまより ひとあしお先に拝観させて頂いて参りました。 ありがとうございます。
数年前、国立博物館に陳列され 目にさせて頂いた 書・絵像も多かったのですが、聖人が書かれた直筆の書を目にすると 『ああ・・ここに おられたんだ・・』 との息づかいを またも 感じました。 前回もあったのでしょうが、あまり 記憶になく < あまりに 多くの出品物ですから? > 今日は、聖人のご一生が描かれた 最も古い巻子・ 善信上人絵 ( 琳阿本 ) に目を奪われ、皆さんの迷惑も顧みず しばらく その場を離れられませんでした。 300年前や 100年前のご絵伝修複等に携わる事もあり、現在の絵師によるご絵伝も目にする上で この時代のものを見ると・・・・動けなくなってしまいます。
そして、実は すべてを ツブサにゆっくり見ずに出て参りました。
あまりに 人が多くて・・押される事に慣れていないもので・・もったいないですが、今度ゆっくり ちゃんと 参ります。
<元気のでる つぶやき。>
地震 ・ 津波 ・・・見るもの聞くもの あまりに酷く、いったい 何ができるかこの私に・・・
と、気持ちが小さくなっていたところに 広島の僧侶 『岡本法治』師 より <元気のでる つぶやき> 紹介の
メールを頂きました。 少し 紹介を。
<スーパーで買い物をしました。お客のほとんどが他の人の事を考えて 必要最低限しか買わない感じだったのに感動しました。>
<実際 日本はすごい。昨日、信号が一か所も機能していない御殿場でも ドライバーはお互いに譲り合っていた。地元のおじいちゃんや おばあちゃんが手信号やってくれたりで、混乱もなく 感動した。>
<タクシーの運ちゃんと、電車駅員さんと、おばさんと話したけど みんな疲れてるのに、腹立つ事もなく 言葉遣いも振る舞いも丁寧で、逆に気遣われてしまった。「みんな 大変だから」 という 「みんな」って意識がある事に感動。わたしも 受け継いでいきたい文化。>
<バイトの先輩が 一人でも力になる為に、寒い中 紙に「バイクでよければ 送ります」って書き 駅前で掲げ、とび職のお兄ちゃんを 所沢まで送ったそうです。本当に尊敬です。自分も人の役に立ちたいと 生まれて初めて思いました。>
<ホームで待ち続けてたら、ホームレスの人が「寒いから敷け」って 段ボールをくれた。いつもは私達は横目で流しているのに・・・あたたかいです。>
<物が散乱しているスーパーで、落ちてる物を律義に拾い そして列に黙って並んで お金を払って買い物をする。運転再開した電車で 混んでいるのに、妊婦に席を譲るお年寄り。この光景をみて 外国人は絶句したようだ。すごいよ 日本。>
<皆で助けようとしてる日本って凄い。トラックの運転手も有志で 物資運んでるらしいし、東北の交通整備をヤクザさんがやってるって話も聞いた。最近 日本に誇りを持てないことが続いてたけれど、そんなことない。日本は凄い国だ。日本国の皆さん 頑張ろう!> ・・・・・・・・
『 一人一人の思い・まなざし・気持ち・考え・選択、どれも大切・・・
惑星地球の生物多様性みたいに 十人十色が 愛おしい 』
という つぶやきも ありました。 指先まで 微かに痺れるように こころが動きました。
・・大丈夫。 何かできる、何でもできる。 みんなで できる。 ですよね!
念じる思いに力があれば・・
昨日 午後3時前 東北・関東に大きな地震があり、津波による被害も甚大なものです。
京都でさえ 揺れました。 先ほど 外から帰り 報道を見ると、24時間たった今 気仙沼では 大規模な火災が群発しています。 大津波被害の為 消防車も現場に入る事ができない とのこと。 燃えていく我が家を どうしようもなく見つめていなければならない方々、いまだ 家族の安否不明の方々、帰る家をすでに無くされた方々、寒い中 未だ 食べる物もなく 助けの声が届かない方々、自衛隊はじめ わが身を惜しまず救助に全力を注いでおられる方々、そして 水の中 建物の下で 亡くなられた方々・・-未だ、被害がおさまりません。 ここに座っていて やりきれない思い、申し訳ない思いにあります。
出会った事のない方々であっても、皆 繋がっています。 やがて お役にたてる事を見つけ、させていただきます。 今はせめて 悲しみを 言葉に。 念じる思いに 力があれば・・・。
象歩 (ぞうぶ) 。
『 しゃ~ま~た~ぎょ~・にょ~ぞ~ぶ~ 』
何だ? お経の様な。 ・・・・・・お経です。 『 奢摩他行如象歩 』 。
龍樹菩薩が 阿弥陀如来のお徳を讃えられた偈 ( 十二礼 ) によまれてあります。
・・・ 如来さまの こころ、 静かに思いめぐらされる事、
確かに 確かにである事 象の歩みのごとし ・・・・
象はあれ程 大きな身体ですから、 踏みつぶす物 気にする事なく ワッシ・・ワッシ と歩きそうなものですが、実は 大変に 注意深く 一歩一歩を進めているんだそうです。
そうですよね・・・あの重さで うっかり 棘でも踏んだら、 自分で抜けるはずもなく 命とりになりかねません・・
そんな 象の歩み ( と いうか、それが 偈に喩えとして入っている 面白さが ) が気にいってて。
『 今度、インドに行くけど お土産 何がいい? 』 『 象。』
『 タイ土産に なんか リクエストある? 』 『 象。』 『 ・・・ちいさい物で。 』
って言ってたら、いつの間にか 象たちが ワイワイ。
今日も一体 やって来たので、並べながら 『 しゃ~ま~た~・・』 ・・・なぜか 口ずさんでしまいます。
ドスン! ドスン! おっ。 うちの象さんが 帰ってきたな。
そう、歳とったんですよ。
『 表装を教えて下さい。 』 と、以前から言っていた彼が来ました。
今までにも 色んな人が習いに ( 体験に ) 来られてます。 老若男女・国籍種々・・・・・韓国のミン君・パクちゃん、 中国の マ君・テキ君、 松浦女史、 迎田君、 それに 80歳の木村さん。
教えに行くのと違い、家に来られて・・というのは、一対一なので < 弟子と師匠っ! >って感があります。 ただ技術を教えるだけでなく 色~んな話をしながら ふたりの時間が過ぎていくもので。
徳川家康の <三方が原>の戦いの話になりました。
武田信玄が 大軍を率いて 悠々と家康の城の前を通り過ぎていきます。 今 戦っても勝ち目は無いので 悔しくても籠城を・・と 進言する家臣らを振り切り、31歳の若さの家康は 戦いを挑み 打って出ます。
・・・・結果は 惨敗。 脱糞までして ( わたしでもそうでしょう・・ ) 命カラガラ 城に逃げ帰ります。 その後が さすが家康。 その ぼろぼろ姿で憔悴しきった 幽霊のような自分を 絵師にすぐ 書かせたというのです。 そして、生涯 その絵軸を そばに置いていたとか・・・・。
『 一時の感情で、 計画なしに 無茶をしては いけない。 』
自分への戒めの為に たまに開いて見ていたのでしょうか。
まっ。 実は私にも そんな 軸があるんよ。 それは、表装始めて 一番最初にひとりで 仕上げた軸。
中身本紙は、人様のものをするなんて とんでもないんで 親父の書なんだけど、これが また。
今 見たら 裸足で逃げたくなる様な ヒドイ 出来栄え。 やり直すのは 簡単なんだけど、置いとくの。
家康の軸みたいなもんで、自分への 戒めとして。 ・・・だから この 軸も たぶん 一発で見事なものにはならないだろうけど、仕上がったら 置いとこうな。 出来栄え以上に 大事なものになるで。
・・・・な~んてね。
本紙に霧吹いて シワとるのに、あんまり 苦労してる姿を見てると 自分の以前の姿が重なって、愛おしくもあり 励ましてやりたくなります。 ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・これって。
<楽しみにしているのさ。>
タダ者には見えない 王者の風格、 その名は < クウ >。 ( オス )
仏法の 『 空思想 』 から名づけられたのか、よく 食う からなのか 定かではない。
お参りに行くと 玄関にて出迎え、仏間まで先導。 お勤め中は、奥ゆかしく 横に離れること 2メートル。
お経の声が止まると 撫でてもらう為 ゆっくり 立ち上がるが、又 お経が始まったため 何事も無かった風を装い 毛づくろい。 今度こそ 終わったかと 確かめながら 一声 『 にゃ~。 』
いつもの如く 美味しくコーヒーを頂いているお坊さんに 首を押し付け ・・・ 『 撫でてくれよ。 』
少し撫でて コーヒーを飲もうとすると カップを持つ手を押さえ ジッと見つめ上げ ・・・ 『 もっと 撫でてくれよ。 』
頭・首・背中・・・順に押し付けながら クルクル 廻る。 おそらく、 帰らないなら 何時間でも お坊さんと遊び、歓迎の接待をし続けるであろう <クウ>。
帰るお坊さんは 見送りに出た事はない、一度も。
なぜって? サヨナラ は言いたくないからさ。 そこだけ クールな <クウ >。
<に>・・です。
京都 <烏丸六角東入る>に <六角堂> があります。
正式には ( 頂法寺 ) というお寺です。 開基は聖徳太子とされ、平安京が京都に形造られる以前から この地にあったそうです。 20年間の 比叡山での佛道修行でも 『 生死出ずべき道 』 が見つからず、天台宗の教えには あらゆる衆生が救われる道が無いのではないか と 悩まれた 親鸞聖人が、 100日近く毎日通われた お堂です。( おそらく 誰よりも 太子に尋ねたくて ) そして、95日目に 聖徳太子の化身・観世音菩薩の 夢のお告げを聞かれ、法然上人のもとへ向かわれるきっかけとなった、あの お堂です。
その お堂の正面に <六角会館> があります。 その 一階にある 本堂の 障子張替に行って来ました。 幅120cmもある 大障子です。 手ごわい相手です。
見事!
やり遂げました。 ( 自分を 褒めてやりたい・・・一杯 で。 ワインがいいな・・。 ) さて、その 本堂正面に、本願寺前門主様の ご真筆の和額が 掛けられてありました。
書 も素晴らしいのですが、この本堂の為に この 文言を選ばれた事に う~ん・・ と ウナッて しまいました。 『 世間虚仮 唯仏是真 』 。 この本堂は、真宗の荘厳なのですが ( 本尊・阿弥陀如来 脇に 親鸞聖人 )、六角堂ご縁の本堂ですから 太子のお言葉でと。 それは、太子を 父母のように慕っておられた 親鸞聖人のお言葉、『 よろずのこと みなもって そらごと たわごと、まこと あること なきに、ただ ねんぶつ のみぞ まことにておわします 』 に繋がってあります。
今 わたしが生きている この世界は、状況により 物も・ 人も・ 人の心も・ 変化し続け、人の言葉も 嘘・偽りばかりで 中身がなく、 何ひとつ 確かに変わらないものは無い <けれど>、仏法は・念仏は 唯一 確かな真実である・・・・・・・・・・・と、習いましたが。
10数年前、父が この 聖人のお言葉について 話してくれた事を憶えています。
『 <なきに> の、 <に> というお言葉が大事なんじゃ。 < ないのに >、 じゃのうて < 無いからこそ > ゆう お心と頂かんと、ただの独りよがりにしかならんけえのお。 』
・・・・・・・・・障子を 張りながら 色々頭をよぎり、春の西蓮寺での 彼岸会 のテーマが決まりました。
仲間の代表だ!
森蘭丸、ならぬ 西村 < 蘭丸 >。
彼 (彼女?) の住んでいる西村家には 毎月 お参りしています。 60数歳のお若さで浄土に還られたご主人。 『 また この子は急に大人しくなって。 借りてきた猫みたい。 』
蝋燭にお明りをあげていると 毎回の様に ご家族の声が聞こえます。
亡くなられたご主人に とてもとても可愛がられて大好きだったという<蘭丸>は、いつもは 大変な悪戯者・・いや
元気者だそうですが 私は 神妙な姿しか見た事ありません。
お参りの日の この時間だけは 不思議と大人しく佛前にやってくるのだとか。
毎年 今時分、お釈迦さまご入滅の法要 < 涅槃会 >にあわせて、大きな掛け軸< 涅槃図 >が あちらこちらのお寺で掛けられ 公開されています。
人間のみならず 沢山の動物達も お釈迦さまが亡くなられた事を嘆き悲しんで描かれてあります。 京都・真如堂の図には 海の生き物、クジラや タコまで描かれてあるそうです。 お釈迦さまの教えが、人間だけの為に説かれたのではなく 全ての<いのち>が その いのちを本当に<生ききれる>ようにと願われてある事を 表わしてしてあるのでしょう。 自分の事を心配して 自分の為にお話して下さった方の声が もう聞けず、姿も見えなくなってしまうのが 悲しくて悲しくて、お釈迦さまの最期のお姿を前に 泣き崩れる 動物たち・・・・。
なぜか、<猫> の姿が描かれてないものが 多いみたいです。 『 うちのお寺の 涅槃図 には、猫が描かれてあります。』 と仰る方があるほどですから。 なんででしょう? 世界中 こんなに ポピュラーな生き物なのに。 きっと もっともらしい訳があるんでしょうが、きっと それは猫が聞けば 悲しむ様なお話のような・・・。
< 蘭丸 >。 気持ちはわかってるぞ!
俵屋画廊。
京都 祇園・八坂神社前、四条通りに面した <俵屋画廊>。 主・松本顕龍氏 (写真左) 。
夕方、訪ねて行きました。 若きアーテイスト・徳山君と村上君の二人を紹介がてら お仕事の話もありましたので。 コーヒーの美味しい一階の喫茶店を見ながら 階段を上がり 画廊のドアを開け 『 こんにちは~、栗山です。 』 奥の方から 『 おお~いらっしゃい。 』
座るより前に 一升瓶をぶらさげて来られて、黙って 金つぎしてある湯のみに ナミナミと注いで下さり、
『ほい。』
いつもこんな感じで・・。 なんて 素敵な 画廊なんでしょう。
最初はビックリしたもんですが、他では まあ 考えられないほど 素敵です。
松本氏の古くからの知人友人でしょう、ふら~と入って来られる方も ( これがそうそうたるかたがたで ) いつの間にか 座って 呑んでおられます。 その皆さんのお話に耳を傾けるのが これまた 楽しい学びです。
この <親鸞聖人像>の軸装は 栗山がさせて頂いたものです。 渋いでしょう?
滋賀県の真宗寺院ご住職でもある 版画家の方の作品です。 <七高僧>や<十大弟子>も 版画ならではの味わいがあります。 そういえば 確か、 松本氏も真宗の僧籍をお持ちのはず ( 間違っていたら すみません )。 今日も 大変 ご馳走になってしまいました。
ありがとうございました。 また お邪魔させて下さい。
もちろん、私も裏方です。
大きさ・裂地等 これと全く同じ <二曲屏風> を作って下さいとの ご依頼がありました。
春から 大きな行事があるので、同じ屏風があると 色々に使い勝手がいいと・・・そう、本山・本願寺です。
写真は、<何とかの間>とかがある <書院>で撮影してます。
同じ裂地、手に入るか? 屏風金具も 透かしが入っててカッコイイが・・大きさも、少し大きく別誂え風だが・・栗山坊主、大丈夫か?
聡明な方々のご心配の声が聞こえて参ります。 大丈夫です!
なにせ、この現物を 平成14年に納めたのは わたしですから。 前門様の葬儀に との事だったと思います。
あまり日にちもなく、かと言って 来賓の方々の目にふれるし、ご苦労くだされた前門様の大事な儀式に 出来合いの物を 使用したくなく・・そうだ、栗山というのがいた。 という感じでしたでしょうか? ( いや 想像ですが )
何にせよ、お声をかけて頂けるというのは 嬉しい事です。 ご本山から という訳でなく、何方からであっても 頭の中に 名前が浮かべて頂けるという事が。 特に 『 困ったなあ どうしよう ・・そうだ 栗山に 』
なんていう <困った時の栗山> みたいなのは、ワクワクしますね。
大してお役に立てなくても もう 全力を尽くしちゃいます!
もちろん この度の事は <困った時の>ではありません。 法要予定や 人の動線を考えられて、以前から話し合われた上での ご依頼です。
現物確認に呼ばれて、書院で この写真を撮り、寸法をはかりながら 用務のおじさんと お話しました。
『 いやあ 他にも屏風は幾つもあるけど、この 二つが使い勝手がいいんよ。 軽いし、品があるし。 』
『 そうですか? 実際に運んだり 仕舞ったりされてる おじさんに言って頂けるのが うれしいですねえ。 』
『 いや、お世辞じゃないよ。 』
『 いや、私も 私も。 』 ・・・・・・はっはっはっは~。 なんて。
お坊さんでなく、表具屋として行ってるもんで とっても ざっくばらんで、いい感じ。
この日は、普段行かない 裏を通って歩きましたが、衣や制服を着た職員でなく 作業服姿の何人かのおじさん・おばさんと出会いました。 当然の事ですが、<裏方>さん方がおられるからこそ 大きな法要も 表の美しさもあるんだという事を 思いました。
その裏方さん方と、井戸端で話す様に 相談事をしておられる女性職員を 横目で見ながら < そうだよなあ。こういうひとも 居て貰わないと 物事うまく前に進まないよなあ・・ > と思いつつ 帰路につきました。
雑巾タオル?
『 雑巾はえらい。 自分はボロボロになって汚れながら 相手を きれいにする。 』
なんて言葉を思い浮かべた夜でした。
以前 言っておりました様に、薪で沸かすお風呂は 気持ちがいいもんで 『 ああ~いいお湯だった 』 などと 声を出しながら タオルで顔を拭き、頭を拭き、身体を拭き・・・ふと タオルを見ると 何か字が 書いてあります。
< S 下用 >
『 ・・・下用? 』 そこらに積んであった中からの一枚でしたが、下用?
トイレ用のタオルは 別にたたんであるはずだし、下とは?
身体の上半身を拭くのと 下半身を拭くのとを別々に使い分けるアラブの石油王の様な ( 知りませんが ) 人間は うちには住んでいないし・・・・。 なにより わざわざ <下用>などと書くような 母でもないし、家内でもないし。 下とはどこ? どこを拭いてたんだ? しかも <S > とは何? まさか スペシャル? と~ても下用って事?
相当・の頭記号? 相当の下用って事? まあ、洗ってたたんであったんだから いいか。
と その事を忘れ 数時間して布団に入りました。 が。 布団の中で 頭をよぎります。
『 今日のわたしは 下用で拭かれた男・・・ 』
だれか この 心の弱さを拭きとるタオルを 貸してください。 ちゃんちゃん。」
大丈夫です・・たぶん。
終わりました、長い4日間が。
今日は、<西の谷>の 2軒のご門徒さんの報恩講参りでした。 11日から今日まで 4日間も続いて法務がありました。 それが なにか?・・・と言われるでしょうが、西蓮寺では 忙しい日々に入ります。 ちなみに もう 2月は、お参り予定ありません。 つぎは 3月21日の お寺での<彼岸会法座>です。 都会の友人のお坊さん、読んでたら びっくりしつつ心配もしてくれてるでしょうねえ。 ははは いや、羨ましいですかね? かわりたい? たまには いいでしょうが、ずっととなると大変かもよ。
なにせ しばらく お仏飯のお供えと 掃除の日々であります。
晩御飯、母が湯豆腐を作ってくれました。 食べてると 『 ん~? 』
なんか 変。 まずい。 くさい。 あぶない・・と本能がささやきます。
『 おいおい お母さん。 この (ふ) 。腐ってないか? 』
『 なに言うんかね。 (ふ) なんか腐るもんかね。 』
『 いやいや、恐ろしく 古いんじゃないか? 』
『 少し 古いは古いかも知れんが 大丈夫。 』 ( キッパリ )
『 いやいや いやいや。 その自信はどこからくるか知らんが、これは だめだ。 だめだめ。 』
『 じゃあ あんた 食べんさんな。 最近の若い者は日にちが きれたきれたって 大騒ぎして。 たいそうな。 もったいない。 』
『 いやいや いやいや 。 俺も大抵 食べるけど これは・・・・・・』
もう やめました。 勿体ない人間になりました。 (少涙)
食べ物を 特に大事にしてくれるのは良いのですが、 冷蔵庫は< 永遠保蔵庫 > と思っているし、少々匂っても 火を入れれば 大丈夫と信じているし・・・私もここで この方に育てられたので、大抵 大丈夫なんですが。
たまに 私の本能の 想像を超えるものが 出てくるもので、驚きます。
いや、一か月以上 お参りがないから 危険な生活に入りますって事では 決して、ありません。
大丈夫です。 たまたま 今日、その日だったもので。
ちなみに この文は、母の<勇気>と<強さ>を褒めてるつもりです。 あしからず。
アメリカの歴史の半分。
今日は、西蓮寺から3kmばかりの所にある<宮が迫>に行きました。
現在 17戸数の集落で、清光庵という庵<集会所・兼>があり、この集落の ゆうに 100年以上続く <端心講> という講の集まり場所でもある 庵での <報恩講>です。
朝 9時30分から、午後 3時30分まで法座のご縁です。
ふつう、17戸数での集まりでは 用事の方もあったりで 10~13人位のお集まりの所、午前も午後も 30人近いお集まりでしたでしょうか。 スゴイ事です。 他には まあ ないでしょう。 一軒から、義理でなく 2人も4人も来られてある事に 伝統を感じました。
お勤めの後、お話を <40分を4回> じっと座って聞かれるのですから・・・・実際 大変なはず・・しかも この 私の・・。いや、私の話を聞かれるのでなく 仏様のお話ですから。 ね。
西蓮寺と とてもご縁の深い <講> であります。 毎年 前日から お荘厳の準備をされ、今年も 実に見事に待ち受けられ 和やかに お勤めご一緒させていただきました。 お世話方様・皆さま ありがとうございました。 終わって お寺に帰ってしばらくして その集落の あるおひとりが いらっしゃいました。
法座の後 集まりで、色々話し合っている中、今後 この集まりの進め方・運営についての相談事も出てきて その事について お寺・住職さんとして どう思われるか・・との事を わざわざ 尋ね来てくださったのです。 ( あなたです。 見て頂いてますね・・たぶん (笑) ) そのお話を聞きながら、皆さんがいかに この集まり<講>を大事にしておられるか、絶やさず 繋いでいこうとされているか が ヒシヒシと伝わりました。
過疎・老齢・地域行事・・色々な事が複雑に絡みついている中、それでも 多くの方が この何代も前の方々が残し伝えようとして下さった<仏法を中心とした 集まり>を まだまだ 続けていこうとされている事に、坊主 感動してました。 どんな形となろうとも モロテをあげて お手伝いさせて頂きます。
ご縁ある限り よろしくお願いいたします。<礼>
言葉にすれば・・
今日は西蓮寺から 4kmばかりの所にあるお寺に参りました。海の近く、座敷から海の見えるお寺です。 山のお寺にとっては、いいなあ・・・毎日 海が見えて・・・と思ってしまいますが、潮風で 自転車もすぐ錆びるし 風の強い日は恐いし との事も聞いています。
どこも いい所、難儀な所 ありますよねえ。
お話が終わって ひとりのおばあさんが控室に訪ねてこられました。
私の父がおばあさんに送った手紙を 私に見せたくて、どうやら わざわざ 一度 家に帰って持って来て下さったようです。 おばあさんは、私の祖父<平成3年 94歳にて還淨>と大変親しかったお方で あちこちに出向き祖父のご法話のご縁にあって下さっていました。 祖父は お寺で息をひき取りましたが、おばあさん その直前にお見舞いに来て下さっていて、その事についての 父のお礼の手紙です。
そこには お見舞いお礼の言葉と、祖父の最期の様子が書かれてありました。
祖父が 息子である父に言った 言葉が。 読ませて貰いながら、おばあさんが仰いました。
『 私にも 同じことを 仰いました。 』
『喋るのも辛そうな中、寝ておられる部屋に掛っている 近角常観先生<祖父が敬愛していた先生>の書かれた書を指差して・・ <・・あれじゃ・・あれしかないけえの・・> と。 』
≪ そらごと たわごと まことあることなきに、ただ 念仏のみぞ まことにておわします ≫
と 書かれた色紙です。 とても 大事にしていました。
色あせていますが、今も 掛けてあります。
おばあさんが 仰いました。 『 ご院家さんのお話 聞いとって、古いご院家さんやら お父さんを 思い出して、どうしても この手紙を 読んでほしゅうなりまして・・お忙しいなか すみません。 』
いえいえ おばさん、ありがとうございます。
嬉しいです。 何がって・・色々 嬉しいです。しばらく 言葉にできそうもありませんが・・色々嬉しいです。
ありがとうございました。 どうか お身体 御大事にしてください。
きっと、また 呑みましたね。
昨日は、神戸に行ってまいりました。
目的は幾つかありましたが、まず JR兵庫近くの <光明寺> にて 豊島学由先生の法話会があるとのことで。
先生には 平成元年に 随分お話を聞かせて頂く機会があって以来、数年に一度のペースで お話を聞かせて頂いています。
光明寺の 山西住職から、8日に先生を招いてお話して頂く・・との聴聞お誘いのご連絡をいただいていました。
ところが ワケあって、お寺に着いたのは 終了予定の 4時をまわっていました。
ガラス越しに 恐る恐る本堂の中を覗くと、まだ お話中の様子。
しかし、いくらなんでも もう 終わる時間。 入ったとたん 終わる気がする。
こんな時間に入るなど 大変失礼な事。 どうする・・・いっそ 外で終わるのを待つか?
『え~~い!』 ガラっ・・・
入りました。
・・・数人の方の チラリ との視線を受けつつ、一番後ろの いつでも 走って逃げだせそうな椅子に座りました。 先生は 何事もない如く お話されています。 10分程で 『 えらい 時間超過してすんませんでしたなあ。 』 と本堂を後にされました。 なつかしい喩え話を一つだけ聞かせてもらいました。<床屋のひげそり>・・・・何度きいても、ああ そうだなあ・・と感じてしまうから 不思議です。
平成元年に共に学んだ、宮里さん < 兄さんのような ご住職。そういえば 年末すこし体調をくずされていて、ここで出会い 快気祝いをするって事も 大事な今日の目的 > が、 『 おい、栗山。先生に挨拶に行くぞ。 』 と。
控えの座敷に歩きながら 宮里さん。
『 さっきの 最後の喩え、お前の為に話されたんやで。 あれ 今日 2回目やったんやで。
お話の最初の方に 1回、 もう皆には話されとったんやで。 』
・・・そうか~。 遅れて来て 何にも聞けなかった 僕の為に一言だけでも と・・。
やっぱり 先生 あったかいなあ。 と思いながら襖を開けると 待っておられたかの様な 先生がおられました。
さて、この 光明寺の山西さん。
住職・布教使・園長と お忙しいんですが、<お茶会法座>ってされてるんです。
法話の間に 数人づつ 茶席に招いて お抹茶を。 素敵でしょ。
楽しみにされてる方が多いそうです。 光明寺ホームページに お写真が沢山あります。 よろしければ。
http://koumyouji.org
大先輩 蘇る。
京都・専応寺の中路先生からのご依頼で古書を修復軸装しました。 < 建仁元年 僧都 範宴 > とあります。 宛先は < 宝幢院 学侶 中 >。
< ・・・・頑魯にして未だ迷惑出離の暁を知らず・・・・今夜この観音の宝前に通夜せしめ・・・・>
<範宴>とは、親鸞聖人。 建仁元年、六角堂で観音菩薩の言葉を聞かれた聖人が、比叡山を下り 法を求めて 法然上人のもとへ行かれる決意を固められました。 その決意と別れの挨拶を それまで共に学んでいたお仲間に綴られた お手紙です。 < 今生の拝謁これを限りにそうろう > ・・・もう、ここに戻りお会いする事はありません・・・と。
本物? いえいえ、本物だったら 驚きすぎて 今頃まだそこら辺りを 走り廻っています。
専応寺の 先先先代ご住職が 書き写されたものです。 <ゆうに 100年以上は前ですね>
聖人が このお手紙を ホントに書かれてあったかどうかは 分かりませんが、布教の場で語り続けられてきたのは確かです。 もっとも、浅学の私は このたびのご縁で はじめて 中路先生に教えてもらったのですが・・(苦笑)
中路先生とは 30年前にお会いして以来、出会う度に さまざまな事を 教えて頂いています。
佛教のこと・書のこと・画のこと・敦煌シルクロードのこと・故事にまつわること・・・その知識の広さといったら・・。
そのうえ、クセのある文字で書かれた 古文書を読まれる事においては、私が知っている方の中では No・1です。 読めなくて困った時の 最後の砦、感謝しております。
この度にしても 預かる時と 納める時に、この書を前にして ふたりして色々お話しました。
話は あっちにいったり こっちにいったり・・・楽しい時間です。 ( わたしだけ・・?)
もしかしたら 聖人は この様なお手紙は書いておられないかも知れないです。 仏法を伝える布教の場で その情景とどれだけ大事なご決断であったかを伝えたいが為に、生まれてきた伝説かもしれません。
わたし達にしてにても 日常生活の中で 事実だけを並べて喋っているわけでなく、大事な事をつたえる為に 色んな喩えを言葉にして、それでも なかなか伝わらなくて 難儀している事があるなあ・・と。
これを書かれたご住職、この書を本堂でみなさまにお見せしながら 親鸞聖人のご一生のお話をされていたんでしょうね。 大先輩です。
怪人二十一面相・那須恵斉先生。
なんとも あたたかく、かわいらしい仏様でしょう?
カレンダーや 本願寺の出版物の挿絵を見ていて、何十年も前から 那須先生の画が とても好きでした。 気になっていました。
先生の挿絵があると、むつかしいお話が書いてあっても なんとなく す~と 読めそうでした。
まさか お遇いしてお話ができる日がくるとは思っていませんでした。 表装をはじめてから お出会いしたものですから 画や表装について色々なお話を 興味深く聞かせて頂くことができました。 大阪の真宗寺院のご住職でもあり 布教使でもおありでしたので、私も僧侶であるとわかると そのお話は <法を伝える> という事にまで広がっていきました。
『 昔からあるような 決まり切った単語と言葉で 話しても、人には全く伝わらんで。
立派な話にならんでも・・ 難儀でも 自分の言葉を探して 話せんとなあ。 なあ。 』
大きな目が 恐かったです。 先輩に頂いた言葉は 今の私にしみ込ませているつもりですが・・なんと仰るでしょう? どうですか?
ご法話を 直に聞かせていただいた事はないのですが、探究社から出ている おそらく たった一冊書かれた 『 行雲流水 』 という本を読ませていただきました。 やはり ちょっと変わった・・・失礼、いや 鬼気迫るというか。
先生の画には あたたかい画だけでなく 恐~い画も沢山ありますが、なるほど こういう事ですかと 今でも たまに開いて頷いています。
もう何年になるでしょう。 滋賀県のお寺での布教の後、自転車で散歩に出られ 川に落ちられて そのままお亡くなりになったと聞いた時には、声も出ませんでした。
ホントは、海外で個展を開かれるほど <油絵> が専門で、ダンデイーで いつも画帳を小脇に抱え、<落ち葉を拾って 小さな仏様の画を描き 隣におられた女性にプレゼントしたり> 顔料を使い 沢山の方の本に挿絵を提供し、住職として お参り勤めもし、布教にも出向き・・・・・なんて、顔の沢山あるお方だったのでしょう。 その 全てが ひとつの事へ向けられてあったのでしょう?
軸装坊主なんて <まだまだ> ですね。 よっし、まだまだ~!
薪割り。
27日は一日 <マキわり> でした。
柄が 1m程ある斧で、本格的な <薪割り> です。
ここ西蓮寺では まだ 裏山からの薪や枯れ木・杉枝・竹などを焚いて、お風呂を沸かしています。
下から下から沸いてきて、冬場の心地よさと言ったら たまりません。 それに、お風呂を沸かしつつ おき炭を堀り炬燵に持ち帰り 夜遅くまで温まり、ついでに 七輪を横に置いて シイタケに パラリと塩を振って・・・
・・・いいですねえ。
この度の 薪割りは、お隣さんのお蔭です。
随分以前に 引っ越しされていて、空家が そのままだったのですが いよいよ 家を解かれる事になり、その 廃材木を頂けることになったのです。 とっても嬉しい事で 助かります。
このお家、重機で ガガガ・・・と倒すのでなく この家の主である おじさん <70にはなっておられないと思いますが> が ひとり人力で解いておられるんです。 もう何日目でしょう、いや 大変ですよ これは。
その おじさんが もくもくと作業される音を聞きながら、私も パッカーン ・・ パッカーン ・・ です。
頭に浮かんできたのは、昭和60年に 今の庫裡を建てる為に 旧庫裡を 重機で ガガガ・・と倒した時の話です。 私はその場にいなかったのですが、今は亡き・当時 80歳をこえた祖父母が、倒されていく我が家を見ながら 泣いていた・・という事を 父から聞きました。
そうですよねえ。
苦しい生活の中 沢山の子供を育てあげた思い出が そこかしこに、柱や縁板一枚にまで しみ込んでいますから・・・・。 新しい家が建つ喜びの思いとは別に ずっと このまま この家に住んでいたかった様で。
そういえば もうひとつ。
わたしと家内が 一緒になり 10年あまり住んでいた、 はるばる親が来てくれても 布団を敷くスペースもないような 2間の狭いアパート。
そろそろ洋服が気になりはじめた 小学生の娘と、 紙袋と新聞を身体中に巻きつけ 何かになって遊ぶ息子をつれて 一部屋おおいアパートに引っ越す事になりました。 引っ越し当日 大家さんに部屋を引き渡す為、家内と共に最後の掃除をしに ながらく住んだ部屋に入りました。 落書きのある床を 雑巾で拭きながら、家内が 泣いているんです。 さっきまで 引っ越しの大わらわで 賑やかだったのに。
『 どうしたん? 』 ・・・・・・・ 『 ここに 何にも荷物がないのが 悲しい・・。』
そおやなあ。 そう言われればなあ。
見渡す程でもないけど あらためて 見渡すと、色んな場面が 見えてきました。
隣のおじさん。 この家を建てるのも ご自分で こつこつと建てられたとか・・・・それも驚きますが。
だったら、思い入れ・思い出は わたしになんか はかり知れないなあ・・・
と 思いつつ。 その思い出に 斧を振り上げてるんだ・・と。
すみません 、 おじさん 。
ど~ん で、ぱ~ん と。
昨年 11月始めに <あれこれ> で紹介しておりました 『祖父のお名号』。 軸装 仕上がりました。
11月の写真と見比べて頂いたら なるほど と思って頂けると思いますが、やはり 表装っていいですね。
廻りを飾られると、中身に より いっそう 深みが出てきます。 < 場所をえる > という事があるので、掛るべき ご当家の床の間に掛ると きっと もっと 良くなるでしょうねえ。
ところで この書には、向かって左下にあるべき 誰が書いたという <名前> も <落款> もありません。
せっかくだから、書いておいて下さったら良かったのに・・・と言われるお方もありますが、これには ワケがあります。
< 南無阿弥陀仏 >は、仏様の <お名前> です。
阿弥陀様・は、本名 南無阿弥陀仏様です。 仏様のお名前の横に ひとである自分の名前は並べない・誰が書いた という事は問われる事でなく、顕わされた お名前そのものが尊い・・・・という事で、自分の名前は書きません。 仏様を敬う心の あらわれです。
たまに 新聞チラシ とか、町の ショウウィンドウで 『 どうだ~! 』 と、ご自分のお名前が書かれてある 名号軸を見かけますが、 ああ~仕方ないなあ ・・と思ってしまいます。
人間、自分の名を 前に出したい という 欲 があるもんです。 認められたい 褒められたい・・・なんか、書きながら 自分の事を言ってるような・・・お恥ずかしい。
掛ける方にしてみても、 『 これは 誰が書いたから立派だ・・高価だ 』 と見てしまう 心のさもしさがあるのも、名前が並べられる 因のひとつでしょうが・・・・・・・これまた お恥ずかしい。
で、祖父も父も お名号には、自分の名前も 印も入れていませんでした。 どうしても・・という時には、軸になった時 その裏に <裏書き> として書いていました。 もちろん お名号以外の書 {正信偈・一行書とか 仏語のいろいろ・・}には、ど~ん と書いて、ぱ~ん と押してありますね。 (微笑)
またまた 自分勝手に気づきます
やっと お約束の <金 珉>氏の新作を アップしました。
韓国での個展 <いや、オープニングのテープカットまでされてましたから 展覧会 ですか> の為に描きあげた作品です。 あれ?この仏様 お顔が大きくない?って 家族がいいました。
そうなんです 韓国のお寺に安置されてある ご本尊は、日本の仏像を見慣れている 私達にとっては、少し お顔が 大きく思えるんです。 日本に佛教が伝えられた当時の 仏像は別ですが。
以前、韓国のお寺にお参りした時 珉さんに質問しました。 『 お顔とお身体のバランスが 日本と違うよね? 』 『 そうです。 人々に親しみやすい様に 次第にそうなってきた歴史があります。 子供の身体のバランスに近いですかねえ。 』 ってことでした。
インド・タイ・アフガニスタン・・そういえば ガンダーラ佛にしても、形造られた土地の人々 民族の顔に似た 仏様のお顔ですね。 西洋に近くなると 掘り深くなっているような・・・大きさのお話とは 少し違いますが。
ともあれ、珉さんのお蔭で 私が軸装した数々が、海を超えて 沢山の方の目に触れているわけです。
光栄に思います。 もちろん 画が中心であるのですが 画と共に、 それを装っている表装も ひとつとなって目に入ってくるものとして < いいなあ。 > と 思って頂けたら、嬉しいですねえ。
・・来場の方の おひとりおひとりと お話してみたくなります。
ま。 出来たら、いい 褒め言葉のみ お聞きしたいもんです・・・・なんて 勝手な独り言。 ははは
寒中マラソン
16日は寒く雪深い朝でした。 午前7時すぎ、
『 車も出せないし、すべって ケガされてはいけないんで 法座を中止にしませんか? 』 という お世話方の相談の電話が 2本。 そうしないと仕方ないか・・・と 気落ちした様子の母を見ながら、8時からと 頼まれていた 1km離れた床並集落の お参りにでかけ、お勤め。 お勤めしながら < まあ どなたも来られなくても、ひとりでも本堂でお勤めするか・・ > と思いつつ帰ってみると 益田の総代さんご夫婦が来られてました。
『 どんな様子か 来てみました。やはり 今日は無理ですねえ。 雪かきして 帰りましょうか。 』 って、あなた方 15kmも走って 様子を見に来て下さったんですか? なんと まあ・・ありがたや。
振り返り 時計を見ると 9時前。 その時 『 いやあ、大変だ。 寒い 寒い 』 と、おふたりが玄関に。
あれまあ、中止のご相談の電話を頂いた おふたり。 どうやって 来られたんです?と聞いてるうちに 本堂に人影が。 あのご婦人 おふたりは 20kmは離れた所からのはず・・・ああ どうしましょう。
その後も ひとり ふたり とお見えで 予定の9時30分には 17名となりました。 ああ ありがたや。
本人は仰いませんでしたが、どうも ある総代さんが 『 わしの車なら走れる 』 と、お参りをどうしようかと思案されていた方々の家を 走りまわって下さったようで・・・いやいや総代さん。
あなた 新聞配達されてるんで、4時まで走っておられたはず。 うちにも 3時頃来られていたはず。大雪の中 やっと 帰ってこられて、またまた・・・・頭が下がります。
いつのお座もそうですが、このお座も まさしく 阿弥陀さまを 褒めたたえる為に お集まりの諸佛方でした。
浅井成海先生
龍谷大学名誉教授で、中央佛教学院講師・本願寺の伝道センター長も勤めておられました。
昨年 6月に還淨されました。
私も大学で講義を受け、娘も講義を受け、父も 近くのお寺さんを集めての2日間の講義を自坊で開いた時、先生の講義をうけました。 親子3代にわたり 講義を受けた方々が全国には 他にも沢山おられると思います。
昨日、画家の <金 珉>さんと一緒に、先生のご自坊 福井県敦賀の < 淨光寺 > に行って参りました。
先生のお人柄と ご縁の広さの為、本堂・境内・道に至るまで おびただしい程沢山の僧侶や人々で溢れていた 通夜・葬儀の時と違い、 お寺は 雪の中に静かに立っていました。
1時くらいに参ります・・と言っていたのが 少し早く着いてしまったのですが、奥様に通された本堂は 外の寒さが嘘の様に ストーブで暖められていました。
珉さんと お勤めをし、座敷で 3時間という長時間 ご家族の皆様とお話いたしました。
先生の自影 < 僧侶が衣を着け、正座姿で描かれ 本堂に軸で掛けられてある、あれです。 > を 珉画伯に描いて頂く相談です。
衣は 先生が好んで着けておられた この色衣・・・お袈裟は よく着けておられた この柄で・・・袴は これで・・・
お顔は・・・・ と、詳しくご相談です。
何枚もの 写真を見ながら、どの表情が 先生らしいか、相応しいかと ご家族と珉さんの話し合いが続きます。
横で色々な写真を見せて頂いているうち 一枚の写真に 目がとまりました
『 これは? 』
『 ああ。 こっちの病院から 京都の病院に移る時に、一度 お参りしたいからって うちに帰って本堂で お参りした時撮ったものです。・・・父の 本堂 最期のお参りですね・・・。 』
娘さんが仰いました。
黒い布砲を着て 輪袈裟を掛け、本堂下陣に座り 手を合わせておられる先生の後ろ姿の写真です。
先生、こんなに 小さく痩せておられたかな・・と思うほどで、見るのが 辛くなる様な写真です。
ご自身のお身体が あまり良くなく、これが 最期のお参りとわかっておられたのでしょうか。 それとも しばらくのご無沙汰のお参りだったのでしょうか・・。
やはり 学者であり 大先生であるよりも、なにより お念仏の方でした。
通夜の時、喪主の後継住職・一典さんが ご挨拶の中で 先生の思い出をお話されていました。
『 父は どんな時も、誰と出会っても 最後お別れする時に < ありがとう。なんまんだぶつ >と言っておりました。 』 と。 ああ・・そうだったなあ・・と、先生の声を思い出しながら聞きました。
少々ご縁があるもので 法事や結婚式の場でご一緒させていただく事があったのですが、本当にそうでした。
私にまで 『 それじゃあ これで。 ありがとう なんまんだぶ 』 と声をかけて下さってました。
おそらく 学生さん達にも。 ご門徒さま方にも、そうだったんでしょう。
きっと、最期の本堂でのお参りの時も 同じく 『 ありがとうございます なんまんだぶ 』 と声にされてたんでしょう。 きっと。
珉さんは 先生らしいお姿を 描いてくれる事でしょう。
私も 皆さんで選んでいただいた裂地で 先生らしい渋くて 優しい軸に はりきって仕上げます。 そのお姿が、ご家族や ご門徒さま方にとって また 手を合わす生活の 大事なご縁となる事を 想像しながら。
しゃ・しゅ・しょ・は恐いぞ!
< 上参り > と書いて、< あげまいり > と読みます。
年回法要を 住んでおられる家でなく、お寺の本堂で勤められる事を 言います。
他のお寺で どう呼んでおられるかは知りませんが、ここ 西蓮寺では、ずっと こう呼んでいます。
今日、上参りがありました。
あるおばさんの 一回会のご法事です。 10時から本堂でお勤めをし ご法話をご一緒し、場所を移動して 会食し 今 送ってもらって帰ってきました。
ストーブをつけていても寒い本堂に 20人弱の方々の声が溢れます。
来られてすぐに 母< 今年 77歳・・言っていいのかな?>が たてる抹茶を いただきながらの 声。
お勤め休憩で、番茶・お菓子を 回しながらの 声。
本堂に立ててある< 法座アルバム >で おばさんの姿を探される 声。
そしてなにより お勤めのお経をあげる 声。 特に、遅れまいと 懸命に読んでる 小さな女の子の 声。
左耳に聞こえてくるものですから、 『 だいじょうぶか? しゃ・しゅ・しょ・が来るぞ! 』 とか思いながら、ゆっくりお勤めし その耳は彼女に釘ズケでした。 嬉しいもんです。
家での法事もいいのですが、一回は お寺でのお勤めを! とお勧めしています。
亡くなられたおばさんが よくよく法座にお参りにきておられた 阿弥陀さまです。本堂です。お寺です。
そのおばさんが 縁になって下さり、来た事も無い 小さな女の子が 今日、ここに来ています。 なにかが思い出になり、また ここに来てくれるかもしれません。 手を合わす生活の縁に繋がっていくかもしれません。
おばさんは、 亡くなられて 姿は見えなくなっても おおきな大仕事を し続けておられるのです。
だから、ほとけさまは 人は ただ<死ぬ> 、とは言わずに <生まれる> と、言われているんです。
< 往きて 生まれる > ・ 往生する いのちですと。
大事な事を 伝え続ける < はたらきの姿 > となっていくんですね。
寒さも吹っ飛ぶ。
新年を迎えました。 今年もよろしくお願い申し上げます。
年末に、元旦のお勤めは <朝 早いし、寒いし> 例年どうり お参りの方は無いでしょうが きちんと お勤めします・・・・と 書き込みましたが。
なんと!
なんと! 来てくださいました! それも 3人も!
か~~~~~~泣けてきます。
ホントに寒い朝でしたが、6時前に 色衣に着替えて 本堂でお明りをつけていると、 ガラリと戸が開き
『 おはようございます、おめでとうございます 』
と 来てくださったのです、なんの 前触れもなく。 もちろん 前触れなどいらないんですが。
それほど 驚いたって事です。 何十年も 無かった事なんですから・・・。
ご一緒にお勤めをし お茶を頂き、まだ ほの暗い中、雪をふみしめて 帰っていかれました。
本堂の縁に座り、後ろ姿の最期に 頭を下げました。 ありがとうございました。
午前中に お年始のご挨拶にきて下さったお方は 『 ホームページ見てますよ。 』 って言ってくださいました。
とてもとても 嬉しかったです。
夜には 元旦恒例、 姉家族が来てくれました。
義兄、甥、姪・・・・これぞ うちの正月! いつも ありがとう!
今日は 法事に行って参りました。 ご一緒にお勤めをした後、昼食を頂きながら出てくる お話が 深く
有難かったです。 いいお参り始めとさせていただきました。
と 言うことで。 とってもいい 年明けでした。 皆々様 ありがとうございます!