白い冬

昨日 30日に京都から島根にむかって 車で帰ってきました。
大阪あたりの 帰省渋滞、姫路あたりの事故渋滞、浜田道での雪による渋滞で いつもなら6時間もあれば帰れるところを 10時間かかりました。

止まったり 動いたりしながら、長く続く 車の赤いテールライトを みながら思う事。

  『こうなるのがわかってても、大変でも 面倒でも みんな 帰っていくんだ・・・』

たとえ 数日でも、 『 おかえり。まってたよ。 』 の声の聞こえるところが 帰るところなんですね。

慌ただしく 本堂の元旦準備をし、庫裡の掃除をし、さあ。
除夜会を 勤めるばかりです。
明日 元旦のお勤めは 朝6時からです。  寒く 早いので どなたのお参りもありませんが、今日 命からがら帰ってきてくれた弟と 色衣をつけてお勤めします。  母も一緒に。

皆様。  どうか よいお歳を。

なかなか・・・

 押し詰まってまいりました。

おそらく ここでの 今年最期の大仕事として、< 佛言書集 > をフォトギャラリーに アップしました。
デジカメでなく、使い切りカメラで撮影していた頃の作品を 一枚一枚スキャナーでとっていく作業は、慣れない私にとっては なかなかの大仕事です。

まとめてあったアルバムから 外しながら 又、いつもの様に手を止めて シゲシゲと見つめてしまい遅々として進みません。        嫁にいく娘の 小さい頃からの写真の整理みたいなもんですか・・・・・。

      『 いいや、そんな喩え あなたは使え無い! 』

と 娘に言われそうですが。    はっはっは~。

ともあれ、ひとつひとつの書に思い出があるもんです。
依頼された方のお顔も ほぼ 思い浮かべる事ができました。    今頃どうしておられるかな~とか。

宗吉一水という先生が 本願寺の淨書室におられました。
今年 引退されたのですが、90歳まで現役で書を書く仕事をされていたのですから スゴイでしょ。
随分色んなお話を 聞かせていただき、今でもたまに ご自宅に伺う事があります。     
  ある時  『 無遠慮必有近憂 』 と書かれておられました。
何でもお好きな言葉を書いて下さい、との依頼があってと 記憶しております。     『 お経のどこかにある佛教の言葉じゃないが、わたしは この言葉が好きでねえ。 』・・・・と 仰っていました。

遠慮する・の<遠慮>ですが、<遠くを おもいはかる>という事です。
< 遠くを おもいはかる事が無ければ、必ず近くに憂いあり > と。
目の前の事ばかりに 目をうばわれ・こころをうばわれて、損か得かに引きずられて走り回り、蹴つまずいて 壁に頭をぶち当てて 転んだ拍子に溝にハマって・・・・・・・そんな事ばっかりやって毎日が終わっていきがちの わたし
達です。・・いや わたしです。       ひとの事は見えても 自分の事は本当にわかりにくいです。

遠くの事を { 時間だけの遠さでなく、身の回りからはなれた所の遠さも。・・・関係ないって思う 遠さも。 }
おもいはかる事がなければ、その遠くに 困る事が起きるのではなくて、必ず すぐ 近くに 困る事が起きるもんですよ・・・・・って事でしょうか。

目先の事だけに引きずられず、広く 深く 物事を受けとめたいもんです、先生。

メッセージを

そうそう。
< お問い合わせ > のところに、メッセージアドレスが ありますが、送って頂く時には
  [at] を @ に変換して下さいね。

迷惑メールを防止する為に [at] と表示してあります。
ホームページを制作してくれた彼らによると、海外には[ ]ないそうで。  お蔭で 海外からの 迷惑メールは皆無です。   が、弟がこの間 怒ってました 『 何度送ろうとしても 送れないぞ! 』 と。

と いうわけで、ここに 一言。・・・・・・ここに書いてもいいんでしょうかねえ。

メッセージ お待ちしております!

これで、暫く ご勘弁を!

 友人で画家の< 金 珉 >さんの個展が、12月18日から韓国・釜山近郊の 通度寺博物館で始まりました。
来年の 1月30日までの long 開催です。

通度寺は 韓国三大寺院のひとつで、山ひとつを庭にしているようなとても大きなお寺です。 <三大>というのは
<佛・法・僧>の三つの事で、 法・のお寺は古くから大蔵経という莫大な巻数の経典をおさめているお寺。   僧・のお寺は僧侶の修行道場の代表寺院。  そして 佛・のお寺 通度寺はお釈迦さまの遺骨・佛舎利をおさめるお寺なんです。    たまに ここには佛舎利が・・・という寺院がありますが、通度寺は歴史・伝統からも間違いないです。・・・いや、どこは 怪しいって事をいってる訳じゃなく。 
この通度寺は敷地内に 国立かと思うような立派な博物館を所有しておられ、寺宝のみならず歴史遺産を沢山保存・公開しておられます。  

以前 珉さんに案内されて拝観し、管長さまにも紹介されました。  プライベートルームでたてて下さる抹茶を いただきながらお話しましたが、にこやかな穏やかな方なのに 人物の大きさを感じた事と、そこに並べておられた 椀 のコレクションの凄さと、 『 抹茶をお土産に持ってこなくて良かった~・・ 』 と思ったことを思い出します。

昨日今日と 珉さんに縁のある方々に会いました。
今日は、真宗本山・仏光寺前の仏光寺派大善院さまに。   敷地内に <お寺ハウス>という ギャラリーを開いておられ、色々な活動をしておられるお寺です。  珉さんの作品展をされたことがあります。
掛け軸の仕事で伺ったのですが、とってもダンディーなご住職と 素敵な坊守さまです。   沢山の方々にお寺の土を踏んでもらう為に 学ぶ事が数々・・ありがとうございます。

昨日は その珉さんの作品展を見に来て下さった方のお家に お参りに行って来ました。
わたしのお経にあわせて 抱かれていた猫ちゃんが 合いの手をいれてくれていたそうで・・・もう少しで手を合わせてくれそうです。
 その時 約束しました。  珉さんの 新作をアップします、と。
すみません!   データが行方不明です!
  今、韓国にいる 珉さんに お願い中です。 もう少し待っててください・・・・・すみません!      おお!・・ここに韓国のポスターが!



水曜あたりに痛くなる・・か

今日は、京都の寓居のある町内会での< お餅つき >。
毎年日曜開催なので、お参りしていて参加できない事が多いのですが、今年は参加しました。
 

ひとつのマンション< 築20数年・70数戸 >が ひとつの町内会をつくっているのですが、大都会・京都ではめずらしく 色々な行事をするつながりの強いマンションです。   素晴らしい!




今日も道行く人達で、足を止めて眺めていかれる方が多かったです。  みんなでの お餅つきそのものが めずらしくなってしまいました。   沢山の人が住んでおられても、一緒になにかをするって あまりないんですよね。

わたしも 今日はじめてお話した方もありました。
お父さんと一緒に嬉しそうに杵をつく子もいます。
3人で杵をついて大笑いしてる女の子もいます。
なにかをブツケル様に 力強くつきまくる奥さんもおられます。
『 景気付けにどうぞ! 』 と、近くの造り酒屋の方が 生酒をかかえてこられました。
いつもながらの、とある奥さんが大量に作ってきて頂いた< とん汁 >も 絶品です。
むこうでは 奥様方が賑やかに お餅を丸めておられます。

ノーマル白餅・えび入り赤餅・のり入り青餅・・・ととのいました!

参加できなかったお家の方々へ お配りする手配をし、今年最期の町内会のイベントが ニギニギしく終わりました。





ダメでしょうねえ。

寒い一日です。

古い掛け軸の 修復の様子の写真を アップしました。
古いものでは、400年前の軸もあります。  その間には 2度の修復が施されていて、私で 3度目となりました。
額装と違い、巻いて・おろしてを繰り返すので 痛みがちです。  古いものは捨てて 新しいものを買ったほうが安くつく場合もあるでしょう。    でも、古いものにしか無い良さがあります。

何より、ずっと大事にしてこられた方々の < 思い > があります。

    『 親父が大事にしてたんです。直したいと思います。・・・ところで、これ 何て書いてあるんです?読めないんですよ。 』

なんてお話もたまにあります。   『 そうですねえ。 』  なんて言いながら、読めるかな~って ヒヤヒヤしたり。

たまたま読めて、しかも 佛教の言葉だったりすると その意味合いのお話にまでなり、 < こうなると もういいって・・と言われる位まで 話す話す >  それでも、後で    『 そうですか。・・・親父 この言葉が大事だったんですねえ。 』    なんて言葉に出会うと、ホントに 嬉しくなります。

大事だと思っておられた事が 伝わっていくのに < 掛け軸 > が大きな役割を果たしているんです。

そこにあるだけで 大きな大仕事をしているって いいでしょ。

そこにいるだけで、おられるだけで おおきな大仕事をしておられる・年齢を重ねてこられたご老人で
あったり、赤ん坊であったりの様で。

ところで、・・ 『栗山さん。あなたは何もしなくていいんです。ただ 居てもらえるだけでいいんです。』

なんて、ダメですか?

ぶつけてしまいました。

先日、浅野均氏が自宅に来られました。
数々の賞を受賞されている日本画家で、京都芸大教授でもあります。
以前 氏の作品を軸装にとのご縁を頂いた事もあり、今回は…まあ、それは置いといて。

浅野先生の画は大きなものが多く、4メートルを超える作品も少なくありません。
今年 京都で見た ある作品の前で、声をあげてしまいました。

    『 これは……法蔵菩薩だ 』

巨大な額いっぱいに 圧倒される程の < 岩 > が描かれてあります。
その中に閉じ込められているかの様な 片膝をかかえ座っている黒い人影。
画の上部、わずかに描かれてある岩の上は 明るい草原のような…。

『 画題は確か、<考える人>でしたか? 』   『 すべてのいのちを救い、導く方法を はかりしれない長い間 思惟し続けられたと説かれてあるのが <法蔵菩薩>なんです。』   『 そして 阿弥陀如来となられたんです。』    
『 阿弥陀如来のお姿は、絵に描かれたり 像にあらわされたりしてますが、法蔵菩薩は ほとんど 描かれてないんです。 』   『 描くべきではないって事かも知れませんが・・・。 』 
『 でも、僕にとっては あの作品は正しく <法蔵菩薩>です!  ああ~こういうあらわし方があったかあ・・と思いました。 』

などと、矢継ぎ早に 先生に語ってしまいました。   おはずかしい・・・。

じっと 穏やかに聞いて下さっていた先生と その作品について色々お話し、当たらずとも遠からず かな・・と。
もちろん 先生は < 法蔵菩薩 > との思いで描かれた訳ではないのですが、いいんです。
僕にとっては・・というのが大事で。

観音菩薩のように、冠・首飾り・腕飾りで飾られた姿でなく。  この世界の根元でただひとりで ひたすら ジッと考え思い続けておられる・・私のことを。
 う~ん…いい画です。 はっきり思い出せます。

みなさんも、 機会があり 是非ともこの画にお出遇いできます事を願います。

いや~先生に思いをぶつけられて良かったです。  先生にはご迷惑だったか・・すみません。           

障子でも呑めるんですか?

寒くなりました。
昨日は、年末らしい一日を過ごしました。    ご門徒さんにお届けする カレンダー・来年度ご法座案内・挨拶状の発送準備。  そして、障子の張替え。

京都より持ち帰った 業務用障子紙!
ホームセンターによくある < 一般の障子紙より2倍厚い、表具屋さんが使う障子紙 > より 2倍は厚い、しっかりした紙です。   この頃 昔の家とは変わってきて、冷房・暖房・エアコンが使われるので それに耐えうる紙が、日々 開発されているのです。    昔ながらの石州和紙も素晴らしいのですが、扱い易いので こっちを使っています。    すみません。    軸装には ぜ~ったい < 手漉き和紙 > ですよ!

ともあれ、真っ白に張り込まれた 障子はいいもんですねえ。
  気持ちいい。 
きっと、自分が張ったから ウンと気持ちいい。    人間 勝手なもんですねえ。
ひとが張ったもんなら、 < あ~へたくそだな~。 > とか < まだまだ あまいな > とか見てしまうものを
 ホントにうまい!   きれい!  

家族が寝静まってからも 炭火の入った 堀炬燵に入って、杯 片手に ジッと 障子を眺めてます。
      立ち上がって 障子に近付き、なでてみたり。   また座って 見つめて…

誰か見てたら ぜったい アホだな、と思いながらも そんな自分を かわいらしく思いつつ夜はふけてゆきます。

  
   

目から耳から

ここ十数年間に 表装のご縁にあった < 御名号 > を フォトギャラリーにまとめてみました。
それぞれ どれもこれも思い出のある軸ばかりです。     本紙を預かってから色々 考えながら仕事いたしました。    どんなとこに掛るんだろう…  どんな方が掛けてご覧になるんだろう…

筆をとられた方も、住職さん・書家さん。   400年前の方・今の方。   日本の方・中国の方・韓国の方。  若い方・人生を重ねてこられた方……と 実にさまざま。

誰かに頼まれて書かれたのでしょうか?  ご自身の思い・願いから書かれたのでしょうか?

  こうして並べてみると 聞こえてきそうですね…声が。

機転のきかない坊主です。

昨日の日曜日、島根 三隅町の大谷派のお寺に お話に行って参りました。
御正忌法座です。  宗祖親鸞聖人のご命日にあわせての法座です。  本願寺派は新暦をとって 1月16日にお勤めしますが、大谷派は旧暦をとっておられるので 11月28日にお勤めされている訳です。

午後の席の前半40分をお話し終え 『 ここで 少し休憩させていただきます。 』  と言ったとたん、本堂中に私の10倍位 大きな声が鳴り響きました。

     『 さあ! 32番です。 いかがですか? ありますかあ~? 』

え…な 何事。     『 お次。 56番! 』     …だから 何?
理解するまでの数秒間の 長かった事。
そういえば、お寺に入る時 近くで <なんちゃら祭り>って にぎやかに やっておられました。 法話中も 神楽のお囃子が トンテケ・ピーひゃら 聞こえていました。  お話に熱中していたのか 途中から気になっていませんでした。  どうやら、ビンゴ大会が始まったようです。 <ため息>
その使っておられる マイクの周波数か機器が、お寺のものと一緒のようで 本堂のスピーカーから大音量で聞こえてきたんです。

目を閉じて聞いておられた おばあさん<寝て??>は、ビックリです。
さっきまで ゆったりお話していたお坊さんが 突然 はじけたんです。   『…それでは 休憩に…。 はいい! 32番! どうですかあああ! 』   『 元気ですかあああああ! 』   みたいなもんです。
お願いですから、そんな顔で私を見ないで下さい。

今にして思えば、こちらの声も 祭り会場に入る可能性もあったんでしょうか。
負けずに 大声でお話すればよかった。  いや、かえって しっとりと…。

『はい、揃いましたか。おめでとうございます。!…静かに 手を合わせましょう。 なんまんだぶ、なんまんだぶ。』

会場からお寺に来て頂けたかも。  機転のきかない坊主です。   

坊さんフェス 2010

広島に行って来ました。
京都から車で日帰り 往復700km、娘と二人旅。

何としても 会場に掛けられるという 縦9メートル・横5メートルの < 阿弥陀如来絵像 >を実際にこの目で見て…いや、お遇いしたくて 走りに走りました。

なぜって、スゴイじゃないですか!
阿弥陀さまは、< 色もなく形もましまさず 言葉にお喩えする事もできない > 私たちの この目では見えるはずのない < ちから > そのもの。    でも、私たちの いのちの働きの中でお遇いする事はできます。
阿弥陀・というお名前は、< はかりしれない いのち > という意味なんです。  そして、その仏さまのお姿・光には 無数の仏さまがまします……と 説かれてあるんです。

広島・春秋会の方々が 『合掌する人の姿で 阿弥陀さまの絵像を描きたいんです。 お写真を撮らせて頂けませんか?』    とお願いしながら走りまわられました。     そして、3万人もの いのちであらわされる仏さま。

まさしく < はかりしれない いのち > を伝えんが為に あらわれられたお姿ですよ。
お遇いしにいかないって事はないでしょう!

行ってよかったです。  またお遇いするかもしれませんが、
行ってよかったです。  皆さま、ありがとうございました!


金珉氏。彼の画は好きです

金珉氏とは長いお付き合いです。 <いつもの様に ミン君、と呼びましょう。>
彼が韓国の芸大を出て 京都芸大の日本画保存修復の修士課程に入ったくらいに出会ったような…。
 その頃 何の拍子か、私 芸大に裏打ちや表装の指導…いや、お手伝いに行っていたもので。

そのうち ミン君が自宅まで表装を習いに来たり、博士課程で制作した 縦も横も3メートルもある画の表装を手伝わされたり、 韓国の山奥のお寺に 彼の請け合った修復の仕事につれて行かれたり…

いや、嫌でやらされてた訳でなく とても楽しく勉強になる事ばかりでした…ホントに。 <涙>

 いろんな話をし、杯をかたむけ。   彼の画を たくさんの人に見てもらいたくて  『作品、全部 俺が軸装するから、早く個展しよう!』   と、たきつけ 2007年に京都で 個展開催。
メインの如来画像の前で < 聲明の夕べ > を 開いてくださる方々とも出会い……
そういえば、ミン君の画が好きで 個展に島根から駆け付けた 亡父が、 <聲明の夕べ>に感動し、  『 あの時、如来さまが 2~3歩 前に歩まれた。 』      と言い張ってました。 実に喜んでました。

ミン君は 画を持ってきても、こういう表装で…とか こんな感じでとか、全く言わないんです。
 『じゃ、よろしく お願いします。』
って 帰っていくんで。      そこから 私の苦しみと楽しみの始まりです。
   僧侶と表具師の ありったけの思いを込めて表装します。

で、出来上がったのを 見にきて 必ず言うんです。

  『 いやあ~。 栗山さん。 とっても よくなりました! カッコイイですねえ。 』

まったく。  遣り甲斐のある男です。

12月の韓国での個展にむけて 新作を軸装中です。  今回は注文がありました。
持参してきた 韓国の無地の麻裂で軸装にってことです。      これがまた 難しい裂で…
 出来上がって 珉画伯の許可がもらえれば アップします。


牛に引かれて善光寺

本願寺に聴聞に行って参りました。
和歌山の清水正宣師のお話です。  アジャセ王とギバ大臣のお話を 光景が目に浮かぶ様に聞かせていただきました。

清水先生は書家でもあり、個展・指導等でもご活躍です。  15年来 表装でお付き合いいただいており、いつも 作品を 楽しみにさせて頂いております。
 いつだったか、小林一茶の句を 大量に書かれ 裏打ちだけしてほしいとのご依頼がありました。  一茶は とても念仏を 喜んで生きた方で、どの句も味わい深い…とおっしゃっていました。

何枚も裏打ちし、直角裁ちし綴じる作業をするうちに いやおうなしに句を目にし <いやおうなし・は、一茶さんに失礼でした。> 頭の片隅に残った句もあります。

   『 負けずもう  その子の親も  見ているか 』

村の子供相撲大会でしょうか。 勝った瞬間、そこにいる全てのひとが 勝者の子を見て声をあげて褒め 手をたたきます。 その中で 一茶の目は、負けた子に注がれています。  やさしいまなざしです。  さらにさらに。
その負けた子の親はこの場のどこかで見ているだろうか?  いたとしたら 本人よりも どれだけ胸しめつけられているだろう…いたとしたら その人は必ずこの負けた子をひたすら見つめているであろう 。  この子がどんなに今日を楽しみにしていたか  努力していたか。  悲しく 優しい眼差しで ただ ジッと…。

 ここに あなたを想い続けている私がいる事を、どうか あなたの歩む力として下さい…という 仏さまの姿と重なって思えます。

ただ仕事をしてるだけなのに 色んな事を感じさせて頂ける事があるもんです。

何を書かれるかも 楽しみで

 本願寺の淨書室に行ってきました。
あるお方の書の 軸装の依頼です。   数年前からホントにお世話になっております。宗吉一水先生・山本慧先生方の書かれた お名号や一行書を 随分表装させていただきました。   行ってお預かりする時に、いろんなお話を聞かせていただくのも とても楽しみでした。

今年、お二人の先生方が 相次いで引退されました。<ご高齢ゆえとの事です。確かに 宗吉先生は 90歳であろうかと…>   淨書室も少しさびしくなりましたが、みなさんのあたたかさは 変わりありません。 ありがとうございます!

この書は 山本先生が身をひかれる時に頂いたものです。厚かましくも 『ここを お辞めになる時は、なにか書いてくださいね。 そこらに無い様な カッコイイ軸にしますから。』 って、お願いしておいたら 本当にくださいました。

 『いくらやっても、なんぼやっても <もうこれでエエゆう事は無い> っちゅう事やな。 なんぼ書いても満足することはないなあ…。』     と、おっしゃりながら。

私好みで 無地の紬裂の組み合わせで 軸装しました。
お約束どうり どこにも無いカッコイイ軸に。   言葉そのものを私に頂いたと思いつつ 仕事いたしました。
    ありがとうございました、 大事にいたします。

ホームの<西蓮寺>ってロゴ、父の書です

思えば、表装を 始めたのはもう20数年も前。  父と呑んでいる時の話がきっかけでした。 

 『京都でお参りに行ってて思うけど、法事の日でも 床の間に名号や佛語の掛け軸を 掛けておられる家…少ないんよ。』     『そうか。 田舎でも少ないからのお。』    『神様が誇らしげにかかってたり…持っておられないからかなあ仏事の掛け物。 お父さん ちょっとは書を書くんだから、書いてあげたら?』     『はっはっは。まあ、書いて渡した事もあるが ありがとうございますってタンスに仕舞って、そのまんまよのお。』    『そうかあ、軸に表装するのに だいぶ お金がかかるからなあ。』     『その事よ。軸にしてあげたら さすがに掛けてくださるだろうがなあ。……お前。 京都にいるうちに 軸装でも習ってくるか?』    『えええ~。…そうしたら お父さん 一生懸命に書くか?』    『おお。書く書く! 色んな文言書いて、掛けて貰った軸の前で その意味合いのお話もできるからのお。』    『そうやなあ。 自分の家にあるもののお話には、いつもより、聞く耳がひらかれるか…』    『その事 その事。お前も お話しろよ。』

な~んて話から ホントに師匠について習い始めたから 驚きです。

そのお蔭で、師匠や書家・画家の先生方 書や絵がお好きな方々 書画を大事にされている方々に、沢山出会えてまいりました。  嬉しい限りです。

 ちなみに。  父が書いた仏語の書を 私が軸装して桐箱にいれて、西蓮寺にご門徒さまには もれなく、頂いていただきました、 平成14年の住職継職法要記念として。    先年8月 父はお浄土に還りましたが…家々、掛けて頂いてあるのを 見て、父との約束を 思い出します。      <おやじ! みんな 喜んでくれてるぞ!>

 

今日はひとりで決めました

 今日は一日中 表具三昧です。
六字名号等を 数枚裏打ちした後、さて。    裂地選びです。これが 楽しい苦しみ、いや苦しい楽しみ。
この作品には どんな裂地が合うか? 渋めに?爽やかに? そうそう 幅も決めておかないと。  裂幅で印象が随分変わるから…。  と なると、組み合わせる 中に回す裂地はどれに? こっち…いや こっちか…。

反物ひっくり返して 数時間腕組みする事もあります。 床の間の色や季節を 気にし始めたりと、考えすぎて わけがわからなくなり  『あ~~もう!』
 と なることも。      そんな時は 夕方 仕事から帰ってきた家内<あまり家にいないので家外ともいいます>に  『いちおう試しに聞いてみるけど、これ どっちが合うと思う?』
と 上から目線で聞くと  『こっち。』  と即答。  しかも なるほど良さそうで…。

  ひとに相談するって大事です。 見失っていたことを 見つけてくれたりします。
       できたら 謙虚にお聞きしましょう…。

また お遇いいたしました

今日は大阪 守口市の難宗寺の報恩講にお参りさせていただきました。
弟が法務員としてお世話になって以来のご縁で、皆様にとてもあたたかくお付き合い頂いております。

特に、亡くなられた老僧には 沢山の言葉で大事な事を たくさんたくさん教えて頂きました。
それは 佛教の単語を使ったお話ではなく、ニコニコ笑いながらの 色んなお話です。

老僧の奥様、前坊守様、老僧からは孫にあたる若きご住職、若坊守様も お参りのお同行さま方も、あたたかくご挨拶 言葉をかわさせていただきました。
本堂に老僧が 座っておられる様に感じました。

『花びらは散っても 花は散らない。 形は滅びても 人は死なない。』

金子大栄師の言葉です。
亡くなられても、ずっと 働き続けておられる……そんな命のあり方を 今日も感じさせていただきました。

おじいちゃん、久しぶり!

お参りに寄ったお家で、私の祖父の書いた 未表装の六字名号に出遭いました。
西蓮寺十五世で、平成3年に 94歳で還淨いたしました。   70歳代に書いた様なので ほぼ40年間、大切にもっていて頂いていたわけです。  祖父とは親交深かった様で、仏間に未だ 祖父の写真を掛けていてくださいました。  <涙>

軸装を頼まれたのですが、嬉しい限りです。   父の名号は 何枚か表装してきましたが、祖父のは初めてです。
というより  <おじいさん…書いてたんだ~>  って感が。

この名号が掛け軸になリ、目にされる方が 何かを感じてくださり、また手を合わす微かな縁になって貰えれば 
表装坊主の喜びです。  京都にもち帰り 祖父らしく渋い裂地を選んで 楽しみながら仕事します。

見てますか?

遠く 広島・関西にでておられる方が仰います。  『田舎の暮らし 風景がなつかしいよ…』

半年前、テンが庫裡の天井裏に子供を産み 難儀しました。   イノシシはしょっちゅう畑を荒らし、庭の苔まで穿りかえし、親子のタヌキは猫と残飯の奪い合いです。  ヌートリアなるハイカラなものの目撃も聞きます。

そして驚くほど大きなサルが…!  お寺の裏の畑をゆっくりと歩いていました。あれほど大きなのは見た事がなかったので、まわりに誰もいないのがわかっていても 大声で叫んでしまいました。

     『サルだ~!!』
サルはこっちを振り向いて ゆっくりと頷きました。  <そう、サルです。なにか?> と言いたげに…

なつかしかったら、いつでも どうぞ。   お寺はずっと ここにあります。
  サルの歩いてた畑も 黄色く色付いてきました。







鶴の恩返し


昨日から二人の客人が来られてます。この素敵なホームページをデザインし 運用できる様にしてくれた、京都の『マターズ』という会社の青年男性です。  <徳山君と村上君>
秋の西蓮寺の風景と お寺の歴史の取材に来てくれました。一回目夏には、徳山君と山口女史でした。みんな京都芸大をでていて、ちなみに 私のイラストは山口女史の作です。こんな風に見えてるんですね…

丁寧な仕事に深く感謝しています。  で、客人ありという事で 昨晩、三隅と鎌手から友人が手料理・お酒をもってかけつけてくれました。品々ありがとう! 男総勢5人 遅くまで語り合いました。
深夜、おでんの大鍋に おそらく不本意ながら顔をつっこむという、ダチョウ倶楽部を超える大技をやってのけた方…
大丈夫ですか?

さておき、お昼にお参りから帰ると 京都の二人が、母に頼まれたからかどうか 裏で黙々と包丁を研いでいました。
今頃は高速を走っているでしょう。  気をつけて! ありがとう。

学ぶことばかり

昨日、とあるお寺様にお邪魔し、本堂阿弥陀様前に立てておられる立花を見せていただきました。
色とりどりの美しさではなく、ご苦労して見つけてこられた松を中心に重厚なる見事さでした。ご無礼し お内陣に上がらせていただき、横からも見せていただき う~ん、とうなりました
奥行きが、正面から見たより はるかに幅ひろく立ててあります。重厚な迫力はこの為でしょうか。

『本物と偽物は 見えないところの あり方できまる』 
そんな言葉を 思い出しました。    人間もそうに違いありません。ひとに見えないところも丁寧に歩みたいものです。

などと学びつつも 昨夜の記憶は半分ありません。  なぜって、そこでとっても美味しい料理とお酒をタラフクいただき 奥様に車で送っていただいたからです。
『見えないところの あり方で…』   …うう 耳が痛い。

遅ればせながら

今年度の当山 報恩講、10月29日に勤修いたしました。皆々様に、有難うございました。
ご講師は、三隅町深山 淨蓮寺住職 早川顕之師をお迎えいたしました。 私のうちにある 離しがたい『わが思い』を超えさせる聲がある、帰らせる聲がある…あたたかく 優しくお話して頂きました。

報恩講はこの日 一日のものではありません。
何日も前からお寺のまわりの草刈りにきていただき、仏具のお磨きにきていただき、本堂庫裏のお掃除にきていただき、いえいえ もっと前。この日の昼食<お斎>に皆さんに出して下さいと 持ってこられたお漬物はこの日にちょうど良いように漬け始められたはずで、そのお野菜はこの日にむけて種がまかれ…

そして当日、台所お世話に 朝早くから来てくださり、なによりお参り聴聞で本堂に座り ご一緒に仏さまを讃えて下さり……そして又 そのお姿が誰かに大事なものを伝えてゆきます。

報恩講はこの日 一日のものではありません。

布施は喜捨とも言います

76歳の漁師のおじさんの家に、報恩講のお勤めに行ってきました。
4年前に奥さんに先立たれておられ、おじさんが手料理をつくって待っていてくださいました。ホントに仲のいいご夫婦で、家のあちこちに奥さんの写真があり 思い出話を聞かせてもらいながら頂きました。
『よほどいい所なんだろう、4年経っても まだ帰ってこない』      と笑っておられました。

おじさんも奥さんも とても沢山の友達がおられ、しょっちゅう 野菜やお酒が戸をガラリと開けたところにおいてあるそうです。名前が書いてないのでお礼が言えなくて困るが、ここにおいてあるって事はワシにくれたんだろうと貰っておくんだ…と言われてました。

う~ん、すごい。
布施ですね。ただあげたいから あげるだけ。お礼の言葉なんかいらない。    なかなかそうはいかないですよ。お礼を言われないとすまないものが こころの底に蠢いてますよねえ。    黙って貰っとくおじさんもすごい!

ひそかに燃える!

今日は朝から、益田の明顕寺さまの報恩講にお参りしてきました。内陣 境内とても美しく荘厳してお迎えでした。ご講師さまのお話、、ゆっくり聴聞させていただきました。    そうそう、お斎もとっても美味しく頂きました。
 
午後のお勤め<日中勤行>は、明顕寺のお嬢さん かおりちゃんの導師で礼讃<節のとてもきれいな聲明>でした。一緒にお勤めしながら、かおりちゃんの のびのある美しい声を聞き 『やるな~。私も もっともっと練習しなくては…』   と思っていました。     

<20歳の老人もいれば、80歳の青年もいる>  という言葉があります。
俺は何でも知っている。もう学ぶ事はないよ…とか、もう どうでもいいさ。どうせ…とか思う者は たとえ20歳でもすでに老人で。     たとえ80歳でも ほう、まだまだ知らない事 学ぶ事は沢山あるな~と こころの動く者を まさしく青年という。  ってことでしょうか。

いやあ~いい日でした。こころ動きました、ありがとう!

もらい泣き

10月29日に自坊の報恩講を 勤めました。
門徒の方のみならず沢山の方々とご一緒にお勤めさせて頂きました。ありがとうがざいました。

今日は隣寺の常福寺さまの報恩講にお参りしてまいりました。沢山の方のお参りでした。

そういえば8年前の私の継職法要の時の事です。
法要の様子を撮ったビデオを 京都の友人達に食事をしながら見てもらっていました。その時、当時40歳すぎのAさん<女性>が泣いているのです。 Bさんが聞きました『あんた何 泣いてるん?そんなに嬉しいん?』
Aさんが言いました『違うんよ…ここにお父さんがいる…』   『何言ってるの。あんたのお父さん、もう亡くなってるじゃない。島根の人でもないし。』   Aさん『… …お父さん、田舎のお寺の住職さんの事すごく慕ってて しゅっちゅうお寺に行くお寺に行くって言ってたけど。…行って何してたかと思ってたけど。きっとこうして 嬉しそうに座ってたんだろうなって思って…。』

あの時、ちょっと もらい泣きしちゃいました。
同じものを見てても ひとにより見えてるものはちがう事ってありますね。またいつか、Aさん そのお寺を訪ねてみたら、お父さん 嬉しいだろうなって思います。

いよいよです。

いよいよです。西蓮寺ホームページの始まりです。この里に人が少なくなってきました。遠くにおられる有縁の方、都会におられるお子さん・お孫さんに 西蓮寺の様子を、里の景色を見てほしくて開設しました。
<私らのお寺、こんなんやで!縁があったら一緒に参ろうや。>
って会話 してほしいですね。
たまたまご覧頂いた方ともつながっているって嬉しい驚きです。どうぞ よろしくお願いいたします。<礼>


西蓮寺十七代住職釈知浩   古書画保存修復師

山に囲まれ狸がお参り・・・
そこにあなたも仲間入り・・・
   ようこそ ようこそ。

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