新しい< いのち >。 広島に嫁いだ娘が出産しました。
わたしにとっては初孫です。 おじいさんになりました。 「 知じい 」です。( そういえば ちびまるこちゃんのおじいさん < ともぞう >じいさんに似ていると言われた事があります。 誉め言葉かどうかいまだわかりませんが。 )
まずは、永光家のみなさまにお慶び申し上げます。
誠におめでとうございます! 今後ともよろしくお願い申し上げます。
この数週間、京都に帰ってきていた娘。 お蔭で 『 ひとつの身体にふたつの心臓 』 という尊い不可思議な姿を まじまじと見つめ感じる日々を過ごしておりました。
昨日から産院に入り、夜中に広島から駆け付けた主人と眠れない夜をこえた様子。 わたしは朝、家内とともに。
苦しむ娘の姿も声も近くにいるのが忍びなく ・・・( 薄情者でしょうか・・ )
黙って寄り添い背中をさすり腰を押す主人と、それを受ける娘の姿を見ていて < 夫婦 > なるものを あらためて・・。
この産院では昨日4人、今日2人が生まれていました。 この < いのちの場 > は笑顔で溢れていました。
「 賢くなって 」 でも 「 立派になって 」 でも 「 美人になって 」 でもなく、ましてや 「 早く大きくなって沢山稼いで 」 などという願いの無い、ただ 小さく大きいいのちを見つめるよろこびの笑顔で溢れていました。 
生まれた時を憶えていないわたし達に ネイティブ・アメリカンの古い言葉があります。
《 あなたが生まれた時、あなたは泣いて生まれ まわりは皆んな笑っていた 》
その通りですねえ。 そうでないと、この人間というはかない いのち は今ここにありえません。
今 ここに生きているという事は願われて生まれた < いのち > である証拠でした。
どうか、すこやかに! ありがとう。 
6月9日、帰山。 裏山の桜も緑を濃くして、本堂の濡れ縁の端は< 山の粉 >と降りこむ雨で自然と一体化。
正しく 苔むす山寺。
7月7日の夏法座 『 安居会法座 』 の案内状制作、今回 写真を入れてカラ―刷りにいたしました。
暑中お見舞いも兼ねての一枚、少しは涼しさを感じて頂けるでしょうか?
この度 『 あれこれ 』 には物語を。
〇 昔、ある男が十万億土の西の彼方に極楽浄土があると聞き、是非行ってみたいと思った。 海に舟を浮かべ毎日毎日漕ぎに漕いだ。 もう半分は来ただろうと一服していると西から一隻の船。 『もしもし、極楽はもう少しですか?』 『いやぁ、極楽はここから十万億土西と聞いているがなぁ。』 それを聞き愕然としたがもう引き返す訳にはいかない。精魂尽き果てるまで漕ぎに漕いだ。
するとまた一隻の舟。 『極楽の島かげはまだ見えませんか?』 『極楽?ここから西へ十万億土と聞いているが。』
男はガッカリした。帰るに帰れずもう海に身を投げようと思ったが、
せめて最期に故郷を拝んでからにしようと後ろを振り返った。
その時 『あっ!』 何と驚いた事に男の背中に、あれ程求めた極楽がピッタリ
ひっついているではないか。 なんたる事か、舟出の時から自分と極楽は
一体だったのか。 それどころか生まれた時から一体だったにちがいない。
そうすると極楽浄土の中で生まれ、成長し、年老い、そして死んでいく
先も極楽浄土の中ではなかろうか。 男は次から次へと極楽の中で生かさ
れていた自分に気がついた。 嬉しい日も苦しい日もあった。 それは、
極楽の中に極楽の日があり、極楽の中に地獄の日があるようなものでは
なかろうか。 どう転んでも極楽の中、あわてふためく事はない。
なにやら
不思議と爽やかな気分になった。 十万億土の航路は無駄な旅であった。
しかし、この無駄な努力なしでは極楽の中の自分に気がつかなかったのだ。
そう思うと今までの事すべてに感謝の気持ちでいっぱいになった。 男は
いい汗をかきながら、故郷に向ってせっせと舟を漕いだ。
この世界が浄土であるとは、決して言えません。 モガキ・アガキ・逃げ出す私をささえつつ、その姿のありのままを知らせる《 はたらき 》。 その《 はたらき 》は、今いる場所に帰る勇気に。
浄土が開かれたひとには 『 居場所 』 が大きく 開かれます。
6月5日午後3時30分、本願寺にて《 御消息発布式 》。 
「 消息 」 とは、お手紙のこと。特に浄土真宗では、さまざまなご縁に際して、歴代の宗主が そのおこころを広く伝えるために出される書簡をいいます。 
昭和52年に法統を継承されて以来、37年にわたり「 門主 」 を務められた即如ご門主。 明日6日《 法統継承式 》により、専如新門さまが第25代門主に就任され、即如ご門主は 「 前門 」 となられます。 それに先立ち今日、御影堂にて 即如ご門主より 『 退任に際しての消息 』 が発布される日でありました。 
娘とふたりで参りました。
多いであろうと予測して2時間前には行きましたが、あの広大な駐車場はほぼ一杯。 危うく入れないところでした。 団体でバスで来られる方もありましたが、このたびはやはり全国からこの2日間のために上山された僧侶が多いように見受けました。 
式のある御影堂はもはや満堂。 隣の阿弥陀堂でさえ縁側にまで溢れる中、何とか後ろの方に座らせてもらい数台用意された映像中継画面を見つめます。
『 御消息 』の内要はまたお伝えする事があるかと思います。 文章で読まれる事もあるかと思います。
わたしはこのご門主に 『 得度 』 のお剃刀を受け僧侶となり、このご門主から 西蓮寺住職を預かる事を受けました。
そのご門主が退任されるにあたってお手紙を出されたわけです。 全国のご門徒にむけて、世界にむけて、そして わたしにむけて。 そのお姿の近くで生のお声を受けたく思っていました、この場に参れて良かったです。 
感謝・思い出などを読まれるなか 『 心残りがあります 』 との言葉が響き残っております。 忘れずにいようと思います。
忘れないといえば、式の後のご門主調声での 行譜 『正信偈 』。 いったいどれだけの人数が・・と思う程 両堂満堂にもかかわらず、皆での一糸乱れぬ大音声。 みなさまのそれぞれのこころ持ちを察しえずとはいえ・・・。
・・・・・・・・ 余談 ですが。 いや、余談でもありませんが。
今日、ご門主が手にされて読まれている御消息の 《 折本 》 。 そう、朱色の唐花小花柄の 《 折本 》。 
わたくし・・クリヤマめが 表装いたしたものでございます。 ご縁、もったいなし ありがたし。 称名