《 男に、浄土が開かれた 》。

6月9日、帰山。 裏山の桜も緑を濃くして、本堂の濡れ縁の端は< 山の粉 >と降りこむ雨で自然と一体化。  正しく 苔むす山寺。

7月7日の夏法座 『 安居会法座 』  の案内状制作、今回 写真を入れてカラ―刷りにいたしました。  暑中お見舞いも兼ねての一枚、少しは涼しさを感じて頂けるでしょうか? 
この度 『 あれこれ 』  には物語を。

〇 昔、ある男が十万億土の西の彼方に極楽浄土があると聞き、是非行ってみたいと思った。   海に舟を浮かべ毎日毎日漕ぎに漕いだ。   もう半分は来ただろうと一服していると西から一隻の船。     『もしもし、極楽はもう少しですか?』    『いやぁ、極楽はここから十万億土西と聞いているがなぁ。』    それを聞き愕然としたがもう引き返す訳にはいかない。精魂尽き果てるまで漕ぎに漕いだ。

するとまた一隻の舟。   『極楽の島かげはまだ見えませんか?』   『極楽?ここから西へ十万億土と聞いているが。』
男はガッカリした。帰るに帰れずもう海に身を投げようと思ったが、
せめて最期に故郷を拝んでからにしようと後ろを振り返った。
その時  『あっ!』  何と驚いた事に男の背中に、あれ程求めた極楽がピッタリ
ひっついているではないか。       なんたる事か、舟出の時から自分と極楽は
一体だったのか。      それどころか生まれた時から一体だったにちがいない。
そうすると極楽浄土の中で生まれ、成長し、年老い、そして死んでいく
先も極楽浄土の中ではなかろうか。          男は次から次へと極楽の中で生かさ
れていた自分に気がついた。      嬉しい日も苦しい日もあった。      それは、
極楽の中に極楽の日があり、極楽の中に地獄の日があるようなものでは
なかろうか。      どう転んでも極楽の中、あわてふためく事はない。
なにやら
不思議と爽やかな気分になった。   十万億土の航路は無駄な旅であった。
しかし、この無駄な努力なしでは極楽の中の自分に気がつかなかったのだ。
そう思うと今までの事すべてに感謝の気持ちでいっぱいになった。   男は
いい汗をかきながら、故郷に向ってせっせと舟を漕いだ。

この世界が浄土であるとは、決して言えません。  モガキ・アガキ・逃げ出す私をささえつつ、その姿のありのままを知らせる《 はたらき 》。     その《 はたらき 》は、今いる場所に帰る勇気に。

浄土が開かれたひとには 『 居場所 』 が大きく 開かれます。

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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