

浜田高校美術部の恩師、加賀羅先生の喜寿のお祝いを 同年OBでするから、記念品を京都で探して求めて帰って来るように・・・と仰せつかったのが数カ月前。
以来、思案しながらギャラリーなどを見て歩いていて、幾つか候補を見つけていました。
手捻りの酒器はどうだろう・・? 銀・・いや、錫のもいいのがある。 そう言えば先生は何を好んで呑まれていたか。
焼酎なら、陶磁器のアレなんかもいいなぁ。
幹事女性に問い合わせると、 『 先生、最近血圧がちょっと・・・・糖のほうもちょっと・・。 』
はい、却下。
鞄とか・・いや、高級風呂敷などという思い切った・・・・。 悩み続けた末、決めました。
たまに訪れる念珠屋。
お洒落なものが沢山あります。 もうここしかありません。 ここの 《 念珠ブレス 》 。
念珠でもなく腕輪念珠でもなく、《 ブレスレット 》 仕立てで。 先生にお洒落につけて頂きましょう。
茶水晶・ブラックトルマリン・銀細工を繋いだ逸品。 しかし、丸缶に入った姿は 少々小さくて記念品としては 《 見栄え 》 が・・・。 ( 見栄え、大事ですよね。 )
よし、家にアレがあったはずだ。 香が入っていた桐箱 の上下に綿を敷いて
振り金和紙をカットして熨斗紙代わりにして、赤いレーヨンの布で包み赤い紐を十字にかけて・・・・ジャジャ~ん!
昨夜の会、先生は体調不良で欠席・・・・・・。
後日、会の様子写真と共に届けてもらうことに・・。
先生が来られないせいではないでしょうが、坊主、酔っぱらって同級生のご婦人方に失礼な数々を しかもエラそうに喋りまくっていた事を 明け方、思い出しました。
高校生に帰っていました。 みなさん、申し訳ない! 反省しています。 未熟者です。
午前8時半すぎ、雨にて夕方のように暗く。 『 はたして今日はお参りがあるかな・・・。 』 と思いつつ本堂に電灯を灯す。
7月7日、夏法座《 安居会 》。 午前9時あたり、下から降るような猛烈な雨の中、つぎつぎとずぶぬれで本堂の縁に上がって来られる方々。 『 バスタオル出してあげて下さ~い。 』 の声。 ああ、ホントだ。ぼ~と眺めている場合では無かった、よくぞ言ってくださいました。
『 この調子でこんなにヒドイ雨が続くなら、午前中で終わって皆さんには早めにお家に帰ってもらった方が・・・・。 』
などと、総代さんと話しながらお勤めを始めました。
言葉通り、お足もとの悪い中 沢山のご参詣、誠に有難うございました。
昼食をご一緒する頃には雨も上がり、日差しも。
この度、< 十三仏と中陰七日参り > と < 歎異抄第5条 >をご縁に仏法の一日をご一緒させて頂きました。 『 また、お参りして会おうねえ。 』 と言っておられるのか、ガッチリ手を握りあって帰って行かれる姿。
すっかりいいお天気になりました。
新しい< いのち >。 広島に嫁いだ娘が出産しました。
わたしにとっては初孫です。 おじいさんになりました。 「 知じい 」です。( そういえば ちびまるこちゃんのおじいさん < ともぞう >じいさんに似ていると言われた事があります。 誉め言葉かどうかいまだわかりませんが。 )
まずは、永光家のみなさまにお慶び申し上げます。 誠におめでとうございます! 今後ともよろしくお願い申し上げます。
この数週間、京都に帰ってきていた娘。 お蔭で 『 ひとつの身体にふたつの心臓 』 という尊い不可思議な姿を まじまじと見つめ感じる日々を過ごしておりました。
昨日から産院に入り、夜中に広島から駆け付けた主人と眠れない夜をこえた様子。 わたしは朝、家内とともに。
苦しむ娘の姿も声も近くにいるのが忍びなく ・・・( 薄情者でしょうか・・ )
黙って寄り添い背中をさすり腰を押す主人と、それを受ける娘の姿を見ていて < 夫婦 > なるものを あらためて・・。
この産院では昨日4人、今日2人が生まれていました。 この < いのちの場 > は笑顔で溢れていました。
「 賢くなって 」 でも 「 立派になって 」 でも 「 美人になって 」 でもなく、ましてや 「 早く大きくなって沢山稼いで 」 などという願いの無い、ただ 小さく大きいいのちを見つめるよろこびの笑顔で溢れていました。
生まれた時を憶えていないわたし達に ネイティブ・アメリカンの古い言葉があります。
《 あなたが生まれた時、あなたは泣いて生まれ まわりは皆んな笑っていた 》
その通りですねえ。 そうでないと、この人間というはかない いのち は今ここにありえません。
今 ここに生きているという事は願われて生まれた < いのち > である証拠でした。
どうか、すこやかに! ありがとう。