1月31日午前9時すぎ、大谷本廟は小雪が舞っております。 
島根から大阪に出ておられたご門徒さま。 昨年12月にご往生され、今日は尽七日( 四十九日満中陰 )法要。 大阪をはじめ愛知・和歌山・滋賀からご親族が、ここ大谷へ集まられました。  

人数に応じて大小3部屋を 一時間お借し頂けます。 100名以上入れる部屋から20名の部屋まで。 ( 事前予約と一万円以上のご懇志が必要ですが、ここでゆっくりお勤め出来る場所を提供して頂ける事は、有り難い限りです。 )

今までにも何度かお世話になりましたが、今日は20名が入れる和室礼拝堂を。   
係りの方にご案内頂いた部屋はすでに暖房で暖められています。  お華も立ててあり、和蝋燭に灯をあげて下さり 焼香香炉に炭を入れて下さり、貸し出し用の「 聖典 」を出されたところで わたしが持参しているのに気付かれ 『 ご持参でしたか、ありがとうございます。 』 との言葉を残して引いていかれました。  ・・・ご丁寧に ありがとうございます。

衣体を着け、三奉請・表百・仏説阿弥陀経・ご文章、そして15分程のお話を。  片づけ終えて部屋を出る頃、ちょうど1時間。

受付を済ませていたので、そのまま祖壇 納骨へ。 何家族かの方々と一緒に私もtお勤めに会い、焼香。 みなさまと一緒に明著堂まで歩いて進み、合掌しつつ ご納骨を見届けました。

『 この後、お食事をご一緒して頂けませんか。 』  とのお言葉に甘えて、ご一緒。
その席にて、あらためて お一人お一人のお名前と間柄をお聞きいたしました。   お一人お一人、眼差しを合わせ ニコヤカに ご挨拶頂きました。     なにやらお互い、急に存在が色濃くなったような・・・。

《 名前 》 。  《 名前を知る 》  《 名前を知っていてもらう 》 。 

知らない人ではありません。知っている人であり 隣に座っているのですが、「 名前を知っているかいないか 」 ・「 名前を知っていてもらっているかいないか 」 は、大きな違いがある事を あらためて思いました。
未だもの言えぬ赤ん坊に、まず 伝えるのも 《 名前 》 。    その子の名前ではなくて、その子に呼んでもらう 《 自分の名前 》 でした。

「 南無阿弥陀仏 」  も お名前 でした。

1月16日、当山御正忌法座。
例年より暖かいとはいえ、ストーブ・火鉢 を見つけると、その側に座り手を伸ばして、しばらくはその火を見つめてしまう寒さ。 

『 唯信鈔文意 』 の中に親鸞聖人は「 浄土 」を実に沢山の言葉であらわし伝え様とされてあります。
「 安養 」 という 「 蓮華蔵世界 」という 「 涅槃 」という 「 滅度 」という 「 無為 」という 「 安楽 」という 「 常楽 」という 「 実相 」という 「 法身 」という 「 法性 」という 「 真如 」という 「 一如 」という 「 仏性 」という 「 仏性すなはち如来なり。」・・・と。

「 浄土 」 と「 如来 」はひとつことである、とお示しです。
「 浄土 」 にうまれる・「 浄土 」が開かれるという事は、「 如来 」に目覚めるという事にほかならないのでしょうか。
そして続けて 「 この如来、微塵世界にみちみちたまえり、すなはち一切群生の心にみちたまえるなり。 」 と。   この私にも 「 みちたまえる 」 と・・・。     わたしのいのちをささえ続け、わたしに大事な事を叫び伝え続けて。  

「 阿弥陀仏は光明なり。 光明は智慧のかたちなりとしるべし。」 と示されつつ、光明であるが故に 「 色もましまさず、形もましまさず 」 と。      光は「 見る 」 ものではなく 「 見せる 」  ものです。    わたしの内のわたしでは知り得ないありのままの有り様を 「 見せる 」 はたらきです。          その光はまた 「 無碍光と申す」 と。     《 阿弥陀仏 》 は 《 無碍光仏 》 であります。

『 碍 』 。 さわり・・邪魔・・。     深遠なる教えのほんのひとつの受けとめですが。   わたしに起こる日々の様々な出来事、嫌な事・辛い事・嬉しい事・めんどくさい事、嫌いな人・好きな人、怪我も病気も老いも 何もかもその全て 「 邪魔 」 なものはひとつとして無い!・・・あればこそ気付く事がある・浅き頭の私にも考えさせられる事が生まれ出てくる。          それら全てがあって私であり、決して 「 邪魔 」 にも 「 無駄 」 にもさせないはたらきだからこそ 光明である 《 無碍光仏 》 。  またを称して 《 阿弥陀仏 》 と申すのでしょう。  

本堂でそんなお話をしておりましたら、80を超えたあるおじいさんの声が。

『 よう言われておる。・・・・・あんた、邪魔だ と・・・家のもんに よう言われおる。 』 と、さびしそうに少し笑いながら。

『 まあ! そんな事を言うヤツ・・・・ぶちのめしてやりんさい! 』  (笑)   と言いましたが、そういう訳にもいかないでしょう。

『 「 邪魔だ!」 というひとが、可哀想だけど 「 魔物 」 になっとるんよ。 おじさん。 』  と付け加えると みんなと一緒に声を出して笑ってもらいました。  

《 あなたは どんな時も 「 邪魔 」 ないのちの時も、「 いらない無駄 」 ないのちの時もありません。 》  
とのわたしへの叫び声も、 《 無碍光仏 》  との名前に聞かせて頂きます。

山寺にとっては、沢山の方々のお参り。  感謝を。
一人一光。  それぞれにそのひとだけの光が、と。   《 無碍光仏 》 のひかりは ひとりの大きな光ではなく、 一切諸仏 ( お参りの笑顔をも含めて ) の光を全て集めての光である・・・・との言葉を重ね合わせて 深く感謝を。  

 

京都のお正月は61年ぶりの積雪の多さだったらしく、『 島根も大変だったんでしょうねえ。 』 と会う方々が仰って下さるのですが、積雪1センチくらいだったんです。 すみません。 いや、皆さんのほうが大変だったのに、ご心配いただいて・・・。

その1月2日、三隅町内にある 《 石正美術館 》  ( 日本画家・石本正氏の作品を常設展示する館。 お寺から車で10数分。 ) に。
新館 にて浜田高校美術部時代の恩師 < 加賀羅聰 先生 > の作品が展示されるとの事で。  6号から100号を超えるものまでの油絵30数点 ( 東光会展・日展作品等 ) が陳列されていました。  そしてこの度は < 加賀羅聰先生を囲む会展 > と銘打ってありまして、浜田高校・益田高校・津和野高校での教え子の最近の作品も30点ほどギャラリーに並んでいました。  

会期初日であれば、先生にお会い出来るかと思い出向きました。  おられました。  『 いやいや栗山君。 』  とすぐに分かって頂きました。  ・・・・こんなに姿かたちが変わってしまっているのに・・。 『 君が東光展に出した画、あれ好評だったんだよ、よく憶えてる。 』 

いや~、そんな事まで。  恐縮です。 教師ってすごいんですねえ。  先生がすごいんですか?

色々お話しながら画をご一緒させて頂きました。 そのうち 『 君の年代も誰か出品してくれたら良かったのに・・。 』
すみません! 部長でありながら。   一か月前に世話役の方から出品依頼の封書は頂いていたのですが、何せ最近も何も30年以上描いていないもので・・・。   唯一、20年前に描いた聖徳太子の幼少像がありますけど、日本画ですし 自分で掛け軸に表装しているし・・皆さんに仕事をアピールしているみたいだし・・・。  と差し控えてしまいました。    出品はほとんど私より大先輩年齢の方々、存じ上げないお名前ばかり、普段のお付き合い不義理を思い知りました。

それでも嬉しかったのは在学時代に美術室で描いておられた< カンガルー> に出会えた事。  あの頃の記憶が一挙に蘇りました。
放課後美術室に行くと、カンガルーの画をひっくり返して、いつまでも見つめる先生が。   何度もその姿を見かけました。
わたしも真似して描く途中の自分の画をひっくり返してみたり・・・。   思いこみの形でなく、色が見えるという事だったんでしょうか?
今は、そう理解しています。  

画だけでなく、色んなものを < ひっくり返して > 見ると、思いこみの殻から出て、違うものに 『 ハッ!』 と気付かされる事があるかもしれませんねえ、先生。  

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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