

本願寺に聴聞に行って参りました。
和歌山の清水正宣師のお話です。 アジャセ王とギバ大臣のお話を 光景が目に浮かぶ様に聞かせていただきました。
清水先生は書家でもあり、個展・指導等でもご活躍です。 15年来 表装でお付き合いいただいており、いつも 作品を 楽しみにさせて頂いております。
いつだったか、小林一茶の句を 大量に書かれ 裏打ちだけしてほしいとのご依頼がありました。 一茶は とても念仏を 喜んで生きた方で、どの句も味わい深い…とおっしゃっていました。
何枚も裏打ちし、直角裁ちし綴じる作業をするうちに いやおうなしに句を目にし <いやおうなし・は、一茶さんに失礼でした。> 頭の片隅に残った句もあります。
『 負けずもう その子の親も 見ているか 』
村の子供相撲大会でしょうか。 勝った瞬間、そこにいる全てのひとが 勝者の子を見て声をあげて褒め 手をたたきます。 その中で 一茶の目は、負けた子に注がれています。 やさしいまなざしです。 さらにさらに。
その負けた子の親はこの場のどこかで見ているだろうか? いたとしたら 本人よりも どれだけ胸しめつけられているだろう…いたとしたら その人は必ずこの負けた子をひたすら見つめているであろう 。 この子がどんなに今日を楽しみにしていたか 努力していたか。 悲しく 優しい眼差しで ただ ジッと…。
ここに あなたを想い続けている私がいる事を、どうか あなたの歩む力として下さい…という 仏さまの姿と重なって思えます。
ただ仕事をしてるだけなのに 色んな事を感じさせて頂ける事があるもんです。
本願寺の淨書室に行ってきました。
あるお方の書の 軸装の依頼です。 数年前からホントにお世話になっております。宗吉一水先生・山本慧先生方の書かれた お名号や一行書を 随分表装させていただきました。 行ってお預かりする時に、いろんなお話を聞かせていただくのも とても楽しみでした。
今年、お二人の先生方が 相次いで引退されました。<ご高齢ゆえとの事です。確かに 宗吉先生は 90歳であろうかと…> 淨書室も少しさびしくなりましたが、みなさんのあたたかさは 変わりありません。 ありがとうございます!
この書は 山本先生が身をひかれる時に頂いたものです。厚かましくも 『ここを お辞めになる時は、なにか書いてくださいね。 そこらに無い様な カッコイイ軸にしますから。』 って、お願いしておいたら 本当にくださいました。
『いくらやっても、なんぼやっても <もうこれでエエゆう事は無い> っちゅう事やな。 なんぼ書いても満足することはないなあ…。』 と、おっしゃりながら。
私好みで 無地の紬裂の組み合わせで 軸装しました。
お約束どうり どこにも無いカッコイイ軸に。 言葉そのものを私に頂いたと思いつつ 仕事いたしました。
ありがとうございました、 大事にいたします。
思えば、表装を 始めたのはもう20数年も前。 父と呑んでいる時の話がきっかけでした。
『京都でお参りに行ってて思うけど、法事の日でも 床の間に名号や佛語の掛け軸を 掛けておられる家…少ないんよ。』 『そうか。 田舎でも少ないからのお。』 『神様が誇らしげにかかってたり…持っておられないからかなあ仏事の掛け物。 お父さん ちょっとは書を書くんだから、書いてあげたら?』 『はっはっは。まあ、書いて渡した事もあるが ありがとうございますってタンスに仕舞って、そのまんまよのお。』 『そうかあ、軸に表装するのに だいぶ お金がかかるからなあ。』 『その事よ。軸にしてあげたら さすがに掛けてくださるだろうがなあ。……お前。 京都にいるうちに 軸装でも習ってくるか?』 『えええ~。…そうしたら お父さん 一生懸命に書くか?』 『おお。書く書く! 色んな文言書いて、掛けて貰った軸の前で その意味合いのお話もできるからのお。』 『そうやなあ。 自分の家にあるもののお話には、いつもより、聞く耳がひらかれるか…』 『その事 その事。お前も お話しろよ。』
な~んて話から ホントに師匠について習い始めたから 驚きです。
そのお蔭で、師匠や書家・画家の先生方 書や絵がお好きな方々 書画を大事にされている方々に、沢山出会えてまいりました。 嬉しい限りです。
ちなみに。 父が書いた仏語の書を 私が軸装して桐箱にいれて、西蓮寺にご門徒さまには もれなく、頂いていただきました、 平成14年の住職継職法要記念として。 先年8月 父はお浄土に還りましたが…家々、掛けて頂いてあるのを 見て、父との約束を 思い出します。 <おやじ! みんな 喜んでくれてるぞ!>