

今日は一日中 表具三昧です。
六字名号等を 数枚裏打ちした後、さて。 裂地選びです。これが 楽しい苦しみ、いや苦しい楽しみ。
この作品には どんな裂地が合うか? 渋めに?爽やかに? そうそう 幅も決めておかないと。 裂幅で印象が随分変わるから…。 と なると、組み合わせる 中に回す裂地はどれに? こっち…いや こっちか…。
反物ひっくり返して 数時間腕組みする事もあります。 床の間の色や季節を 気にし始めたりと、考えすぎて わけがわからなくなり 『あ~~もう!』
と なることも。 そんな時は 夕方 仕事から帰ってきた家内<あまり家にいないので家外ともいいます>に 『いちおう試しに聞いてみるけど、これ どっちが合うと思う?』
と 上から目線で聞くと 『こっち。』 と即答。 しかも なるほど良さそうで…。
ひとに相談するって大事です。 見失っていたことを 見つけてくれたりします。
できたら 謙虚にお聞きしましょう…。
今日は大阪 守口市の難宗寺の報恩講にお参りさせていただきました。
弟が法務員としてお世話になって以来のご縁で、皆様にとてもあたたかくお付き合い頂いております。
特に、亡くなられた老僧には 沢山の言葉で大事な事を たくさんたくさん教えて頂きました。
それは 佛教の単語を使ったお話ではなく、ニコニコ笑いながらの 色んなお話です。
老僧の奥様、前坊守様、老僧からは孫にあたる若きご住職、若坊守様も お参りのお同行さま方も、あたたかくご挨拶 言葉をかわさせていただきました。
本堂に老僧が 座っておられる様に感じました。
『花びらは散っても 花は散らない。 形は滅びても 人は死なない。』
金子大栄師の言葉です。
亡くなられても、ずっと 働き続けておられる……そんな命のあり方を 今日も感じさせていただきました。
お参りに寄ったお家で、私の祖父の書いた 未表装の六字名号に出遭いました。
西蓮寺十五世で、平成3年に 94歳で還淨いたしました。 70歳代に書いた様なので ほぼ40年間、大切にもっていて頂いていたわけです。 祖父とは親交深かった様で、仏間に未だ 祖父の写真を掛けていてくださいました。 <涙>
軸装を頼まれたのですが、嬉しい限りです。 父の名号は 何枚か表装してきましたが、祖父のは初めてです。
というより <おじいさん…書いてたんだ~> って感が。
この名号が掛け軸になリ、目にされる方が 何かを感じてくださり、また手を合わす微かな縁になって貰えれば
表装坊主の喜びです。 京都にもち帰り 祖父らしく渋い裂地を選んで 楽しみながら仕事します。