

昨日の日曜日、島根 三隅町の大谷派のお寺に お話に行って参りました。
御正忌法座です。 宗祖親鸞聖人のご命日にあわせての法座です。 本願寺派は新暦をとって 1月16日にお勤めしますが、大谷派は旧暦をとっておられるので 11月28日にお勤めされている訳です。
午後の席の前半40分をお話し終え 『 ここで 少し休憩させていただきます。 』 と言ったとたん、本堂中に私の10倍位 大きな声が鳴り響きました。
『 さあ! 32番です。 いかがですか? ありますかあ~? 』
え…な 何事。 『 お次。 56番! 』 …だから 何?
理解するまでの数秒間の 長かった事。
そういえば、お寺に入る時 近くで <なんちゃら祭り>って にぎやかに やっておられました。 法話中も 神楽のお囃子が トンテケ・ピーひゃら 聞こえていました。 お話に熱中していたのか 途中から気になっていませんでした。 どうやら、ビンゴ大会が始まったようです。 <ため息>
その使っておられる マイクの周波数か機器が、お寺のものと一緒のようで 本堂のスピーカーから大音量で聞こえてきたんです。
目を閉じて聞いておられた おばあさん<寝て??>は、ビックリです。
さっきまで ゆったりお話していたお坊さんが 突然 はじけたんです。 『…それでは 休憩に…。 はいい! 32番! どうですかあああ! 』 『 元気ですかあああああ! 』 みたいなもんです。
お願いですから、そんな顔で私を見ないで下さい。
今にして思えば、こちらの声も 祭り会場に入る可能性もあったんでしょうか。
負けずに 大声でお話すればよかった。 いや、かえって しっとりと…。
『はい、揃いましたか。おめでとうございます。!…静かに 手を合わせましょう。 なんまんだぶ、なんまんだぶ。』
会場からお寺に来て頂けたかも。 機転のきかない坊主です。
広島に行って来ました。
京都から車で日帰り 往復700km、娘と二人旅。
何としても 会場に掛けられるという 縦9メートル・横5メートルの < 阿弥陀如来絵像 >を実際にこの目で見て…いや、お遇いしたくて 走りに走りました。
なぜって、スゴイじゃないですか!
阿弥陀さまは、< 色もなく形もましまさず 言葉にお喩えする事もできない > 私たちの この目では見えるはずのない < ちから > そのもの。 でも、私たちの いのちの働きの中でお遇いする事はできます。
阿弥陀・というお名前は、< はかりしれない いのち > という意味なんです。 そして、その仏さまのお姿・光には 無数の仏さまがまします……と 説かれてあるんです。
広島・春秋会の方々が 『合掌する人の姿で 阿弥陀さまの絵像を描きたいんです。 お写真を撮らせて頂けませんか?』 とお願いしながら走りまわられました。 そして、3万人もの いのちであらわされる仏さま。
まさしく < はかりしれない いのち > を伝えんが為に あらわれられたお姿ですよ。
お遇いしにいかないって事はないでしょう!
行ってよかったです。 またお遇いするかもしれませんが、
行ってよかったです。 皆さま、ありがとうございました!
金珉氏とは長いお付き合いです。 <いつもの様に ミン君、と呼びましょう。>
彼が韓国の芸大を出て 京都芸大の日本画保存修復の修士課程に入ったくらいに出会ったような…。
その頃 何の拍子か、私 芸大に裏打ちや表装の指導…いや、お手伝いに行っていたもので。
そのうち ミン君が自宅まで表装を習いに来たり、博士課程で制作した 縦も横も3メートルもある画の表装を手伝わされたり、 韓国の山奥のお寺に 彼の請け合った修復の仕事につれて行かれたり…
いや、嫌でやらされてた訳でなく とても楽しく勉強になる事ばかりでした…ホントに。 <涙>
いろんな話をし、杯をかたむけ。 彼の画を たくさんの人に見てもらいたくて 『作品、全部 俺が軸装するから、早く個展しよう!』 と、たきつけ 2007年に京都で 個展開催。
メインの如来画像の前で < 聲明の夕べ > を 開いてくださる方々とも出会い……
そういえば、ミン君の画が好きで 個展に島根から駆け付けた 亡父が、 <聲明の夕べ>に感動し、 『 あの時、如来さまが 2~3歩 前に歩まれた。 』 と言い張ってました。 実に喜んでました。
ミン君は 画を持ってきても、こういう表装で…とか こんな感じでとか、全く言わないんです。
『じゃ、よろしく お願いします。』
って 帰っていくんで。 そこから 私の苦しみと楽しみの始まりです。
僧侶と表具師の ありったけの思いを込めて表装します。
で、出来上がったのを 見にきて 必ず言うんです。
『 いやあ~。 栗山さん。 とっても よくなりました! カッコイイですねえ。 』
まったく。 遣り甲斐のある男です。
12月の韓国での個展にむけて 新作を軸装中です。 今回は注文がありました。
持参してきた 韓国の無地の麻裂で軸装にってことです。 これがまた 難しい裂で…
出来上がって 珉画伯の許可がもらえれば アップします。