

龍谷大学名誉教授で、中央佛教学院講師・本願寺の伝道センター長も勤めておられました。
昨年 6月に還淨されました。
私も大学で講義を受け、娘も講義を受け、父も 近くのお寺さんを集めての2日間の講義を自坊で開いた時、先生の講義をうけました。 親子3代にわたり 講義を受けた方々が全国には 他にも沢山おられると思います。
昨日、画家の <金 珉>さんと一緒に、先生のご自坊 福井県敦賀の < 淨光寺 > に行って参りました。
先生のお人柄と ご縁の広さの為、本堂・境内・道に至るまで おびただしい程沢山の僧侶や人々で溢れていた 通夜・葬儀の時と違い、 お寺は 雪の中に静かに立っていました。
1時くらいに参ります・・と言っていたのが 少し早く着いてしまったのですが、奥様に通された本堂は 外の寒さが嘘の様に ストーブで暖められていました。
珉さんと お勤めをし、座敷で 3時間という長時間 ご家族の皆様とお話いたしました。
先生の自影 < 僧侶が衣を着け、正座姿で描かれ 本堂に軸で掛けられてある、あれです。 > を 珉画伯に描いて頂く相談です。
衣は 先生が好んで着けておられた この色衣・・・お袈裟は よく着けておられた この柄で・・・袴は これで・・・
お顔は・・・・ と、詳しくご相談です。
何枚もの 写真を見ながら、どの表情が 先生らしいか、相応しいかと ご家族と珉さんの話し合いが続きます。
横で色々な写真を見せて頂いているうち 一枚の写真に 目がとまりました
『 これは? 』
『 ああ。 こっちの病院から 京都の病院に移る時に、一度 お参りしたいからって うちに帰って本堂で お参りした時撮ったものです。・・・父の 本堂 最期のお参りですね・・・。 』
娘さんが仰いました。
黒い布砲を着て 輪袈裟を掛け、本堂下陣に座り 手を合わせておられる先生の後ろ姿の写真です。
先生、こんなに 小さく痩せておられたかな・・と思うほどで、見るのが 辛くなる様な写真です。
ご自身のお身体が あまり良くなく、これが 最期のお参りとわかっておられたのでしょうか。 それとも しばらくのご無沙汰のお参りだったのでしょうか・・。
やはり 学者であり 大先生であるよりも、なにより お念仏の方でした。
通夜の時、喪主の後継住職・一典さんが ご挨拶の中で 先生の思い出をお話されていました。
『 父は どんな時も、誰と出会っても 最後お別れする時に < ありがとう。なんまんだぶつ >と言っておりました。 』 と。 ああ・・そうだったなあ・・と、先生の声を思い出しながら聞きました。
少々ご縁があるもので 法事や結婚式の場でご一緒させていただく事があったのですが、本当にそうでした。
私にまで 『 それじゃあ これで。 ありがとう なんまんだぶ 』 と声をかけて下さってました。
おそらく 学生さん達にも。 ご門徒さま方にも、そうだったんでしょう。
きっと、最期の本堂でのお参りの時も 同じく 『 ありがとうございます なんまんだぶ 』 と声にされてたんでしょう。 きっと。
珉さんは 先生らしいお姿を 描いてくれる事でしょう。
私も 皆さんで選んでいただいた裂地で 先生らしい渋くて 優しい軸に はりきって仕上げます。 そのお姿が、ご家族や ご門徒さま方にとって また 手を合わす生活の 大事なご縁となる事を 想像しながら。
< 上参り > と書いて、< あげまいり > と読みます。
年回法要を 住んでおられる家でなく、お寺の本堂で勤められる事を 言います。
他のお寺で どう呼んでおられるかは知りませんが、ここ 西蓮寺では、ずっと こう呼んでいます。
今日、上参りがありました。
あるおばさんの 一回会のご法事です。 10時から本堂でお勤めをし ご法話をご一緒し、場所を移動して 会食し 今 送ってもらって帰ってきました。
ストーブをつけていても寒い本堂に 20人弱の方々の声が溢れます。
来られてすぐに 母< 今年 77歳・・言っていいのかな?>が たてる抹茶を いただきながらの 声。
お勤め休憩で、番茶・お菓子を 回しながらの 声。
本堂に立ててある< 法座アルバム >で おばさんの姿を探される 声。
そしてなにより お勤めのお経をあげる 声。 特に、遅れまいと 懸命に読んでる 小さな女の子の 声。
左耳に聞こえてくるものですから、 『 だいじょうぶか? しゃ・しゅ・しょ・が来るぞ! 』 とか思いながら、ゆっくりお勤めし その耳は彼女に釘ズケでした。 嬉しいもんです。
家での法事もいいのですが、一回は お寺でのお勤めを! とお勧めしています。
亡くなられたおばさんが よくよく法座にお参りにきておられた 阿弥陀さまです。本堂です。お寺です。
そのおばさんが 縁になって下さり、来た事も無い 小さな女の子が 今日、ここに来ています。 なにかが思い出になり、また ここに来てくれるかもしれません。 手を合わす生活の縁に繋がっていくかもしれません。
おばさんは、 亡くなられて 姿は見えなくなっても おおきな大仕事を し続けておられるのです。
だから、ほとけさまは 人は ただ<死ぬ> 、とは言わずに <生まれる> と、言われているんです。
< 往きて 生まれる > ・ 往生する いのちですと。
大事な事を 伝え続ける < はたらきの姿 > となっていくんですね。
新年を迎えました。 今年もよろしくお願い申し上げます。
年末に、元旦のお勤めは <朝 早いし、寒いし> 例年どうり お参りの方は無いでしょうが きちんと お勤めします・・・・と 書き込みましたが。
なんと!
なんと! 来てくださいました! それも 3人も!
か~~~~~~泣けてきます。
ホントに寒い朝でしたが、6時前に 色衣に着替えて 本堂でお明りをつけていると、 ガラリと戸が開き
『 おはようございます、おめでとうございます 』
と 来てくださったのです、なんの 前触れもなく。 もちろん 前触れなどいらないんですが。
それほど 驚いたって事です。 何十年も 無かった事なんですから・・・。
ご一緒にお勤めをし お茶を頂き、まだ ほの暗い中、雪をふみしめて 帰っていかれました。
本堂の縁に座り、後ろ姿の最期に 頭を下げました。 ありがとうございました。
午前中に お年始のご挨拶にきて下さったお方は 『 ホームページ見てますよ。 』 って言ってくださいました。
とてもとても 嬉しかったです。
夜には 元旦恒例、 姉家族が来てくれました。
義兄、甥、姪・・・・これぞ うちの正月! いつも ありがとう!
今日は 法事に行って参りました。 ご一緒にお勤めをした後、昼食を頂きながら出てくる お話が 深く
有難かったです。 いいお参り始めとさせていただきました。
と 言うことで。 とってもいい 年明けでした。 皆々様 ありがとうございます!