16日は寒く雪深い朝でした。    午前7時すぎ、
『 車も出せないし、すべって ケガされてはいけないんで 法座を中止にしませんか? 』  という お世話方の相談の電話が 2本。  そうしないと仕方ないか・・・と 気落ちした様子の母を見ながら、8時からと 頼まれていた 1km離れた床並集落の お参りにでかけ、お勤め。  お勤めしながら < まあ どなたも来られなくても、ひとりでも本堂でお勤めするか・・ > と思いつつ帰ってみると 益田の総代さんご夫婦が来られてました。

 『 どんな様子か 来てみました。やはり 今日は無理ですねえ。 雪かきして 帰りましょうか。 』 って、あなた方 15kmも走って 様子を見に来て下さったんですか?  なんと まあ・・ありがたや。

 振り返り 時計を見ると 9時前。 その時   『 いやあ、大変だ。 寒い 寒い 』 と、おふたりが玄関に。
あれまあ、中止のご相談の電話を頂いた おふたり。  どうやって 来られたんです?と聞いてるうちに 本堂に人影が。         あのご婦人 おふたりは 20kmは離れた所からのはず・・・ああ どうしましょう。

 その後も ひとり ふたり とお見えで 予定の9時30分には 17名となりました。  ああ ありがたや。

 本人は仰いませんでしたが、どうも ある総代さんが 『 わしの車なら走れる 』 と、お参りをどうしようかと思案されていた方々の家を 走りまわって下さったようで・・・いやいや総代さん。
あなた 新聞配達されてるんで、4時まで走っておられたはず。 うちにも 3時頃来られていたはず。大雪の中 やっと 帰ってこられて、またまた・・・・頭が下がります。

 いつのお座もそうですが、このお座も まさしく 阿弥陀さまを 褒めたたえる為に お集まりの諸佛方でした。

 龍谷大学名誉教授で、中央佛教学院講師・本願寺の伝道センター長も勤めておられました。
昨年 6月に還淨されました。
 私も大学で講義を受け、娘も講義を受け、父も 近くのお寺さんを集めての2日間の講義を自坊で開いた時、先生の講義をうけました。      親子3代にわたり 講義を受けた方々が全国には 他にも沢山おられると思います。

 昨日、画家の <金 珉>さんと一緒に、先生のご自坊 福井県敦賀の < 淨光寺 > に行って参りました。
先生のお人柄と ご縁の広さの為、本堂・境内・道に至るまで おびただしい程沢山の僧侶や人々で溢れていた 通夜・葬儀の時と違い、 お寺は 雪の中に静かに立っていました。 

 1時くらいに参ります・・と言っていたのが 少し早く着いてしまったのですが、奥様に通された本堂は 外の寒さが嘘の様に ストーブで暖められていました。 

 珉さんと お勤めをし、座敷で 3時間という長時間 ご家族の皆様とお話いたしました。
先生の自影 < 僧侶が衣を着け、正座姿で描かれ 本堂に軸で掛けられてある、あれです。 > を 珉画伯に描いて頂く相談です。
 衣は 先生が好んで着けておられた この色衣・・・お袈裟は よく着けておられた この柄で・・・袴は これで・・・
お顔は・・・・   と、詳しくご相談です。
何枚もの 写真を見ながら、どの表情が 先生らしいか、相応しいかと ご家族と珉さんの話し合いが続きます。

横で色々な写真を見せて頂いているうち  一枚の写真に 目がとまりました
    『 これは? 』

 『 ああ。 こっちの病院から 京都の病院に移る時に、一度 お参りしたいからって うちに帰って本堂で お参りした時撮ったものです。・・・父の 本堂 最期のお参りですね・・・。 』   
        娘さんが仰いました。

 黒い布砲を着て 輪袈裟を掛け、本堂下陣に座り 手を合わせておられる先生の後ろ姿の写真です。
先生、こんなに 小さく痩せておられたかな・・と思うほどで、見るのが 辛くなる様な写真です。
 ご自身のお身体が あまり良くなく、これが 最期のお参りとわかっておられたのでしょうか。   それとも しばらくのご無沙汰のお参りだったのでしょうか・・。
 やはり 学者であり 大先生であるよりも、なにより お念仏の方でした。

 通夜の時、喪主の後継住職・一典さんが ご挨拶の中で 先生の思い出をお話されていました。
『 父は どんな時も、誰と出会っても 最後お別れする時に < ありがとう。なんまんだぶつ >と言っておりました。 』    と。    ああ・・そうだったなあ・・と、先生の声を思い出しながら聞きました。
 少々ご縁があるもので 法事や結婚式の場でご一緒させていただく事があったのですが、本当にそうでした。
私にまで 『 それじゃあ これで。 ありがとう なんまんだぶ 』 と声をかけて下さってました。

 おそらく 学生さん達にも。  ご門徒さま方にも、そうだったんでしょう。

 きっと、最期の本堂でのお参りの時も 同じく 『 ありがとうございます なんまんだぶ 』 と声にされてたんでしょう。  きっと。

 珉さんは 先生らしいお姿を 描いてくれる事でしょう。
私も 皆さんで選んでいただいた裂地で 先生らしい渋くて 優しい軸に はりきって仕上げます。 そのお姿が、ご家族や ご門徒さま方にとって また 手を合わす生活の 大事なご縁となる事を 想像しながら。

 < 上参り > と書いて、< あげまいり > と読みます。
年回法要を 住んでおられる家でなく、お寺の本堂で勤められる事を 言います。
他のお寺で どう呼んでおられるかは知りませんが、ここ 西蓮寺では、ずっと こう呼んでいます。

 今日、上参りがありました。
あるおばさんの 一回会のご法事です。  10時から本堂でお勤めをし ご法話をご一緒し、場所を移動して 会食し 今 送ってもらって帰ってきました。 

 ストーブをつけていても寒い本堂に 20人弱の方々の声が溢れます。
来られてすぐに 母< 今年 77歳・・言っていいのかな?>が たてる抹茶を いただきながらの 声。
お勤め休憩で、番茶・お菓子を 回しながらの 声。 
本堂に立ててある< 法座アルバム >で おばさんの姿を探される 声。
そしてなにより お勤めのお経をあげる 声。   特に、遅れまいと 懸命に読んでる 小さな女の子の 声。

 左耳に聞こえてくるものですから、 『 だいじょうぶか? しゃ・しゅ・しょ・が来るぞ! 』 とか思いながら、ゆっくりお勤めし その耳は彼女に釘ズケでした。      嬉しいもんです。  
 
 家での法事もいいのですが、一回は お寺でのお勤めを! とお勧めしています。
亡くなられたおばさんが よくよく法座にお参りにきておられた 阿弥陀さまです。本堂です。お寺です。
そのおばさんが 縁になって下さり、来た事も無い 小さな女の子が 今日、ここに来ています。   なにかが思い出になり、また ここに来てくれるかもしれません。   手を合わす生活の縁に繋がっていくかもしれません。

 おばさんは、 亡くなられて 姿は見えなくなっても おおきな大仕事を し続けておられるのです。

だから、ほとけさまは 人は ただ<死ぬ> 、とは言わずに <生まれる> と、言われているんです。
< 往きて 生まれる > ・ 往生する いのちですと。

大事な事を 伝え続ける < はたらきの姿 > となっていくんですね。

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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