
しゃ・しゅ・しょ・は恐いぞ!
< 上参り > と書いて、< あげまいり > と読みます。
年回法要を 住んでおられる家でなく、お寺の本堂で勤められる事を 言います。
他のお寺で どう呼んでおられるかは知りませんが、ここ 西蓮寺では、ずっと こう呼んでいます。
今日、上参りがありました。
あるおばさんの 一回会のご法事です。 10時から本堂でお勤めをし ご法話をご一緒し、場所を移動して 会食し 今 送ってもらって帰ってきました。
ストーブをつけていても寒い本堂に 20人弱の方々の声が溢れます。
来られてすぐに 母< 今年 77歳・・言っていいのかな?>が たてる抹茶を いただきながらの 声。
お勤め休憩で、番茶・お菓子を 回しながらの 声。
本堂に立ててある< 法座アルバム >で おばさんの姿を探される 声。
そしてなにより お勤めのお経をあげる 声。 特に、遅れまいと 懸命に読んでる 小さな女の子の 声。
左耳に聞こえてくるものですから、 『 だいじょうぶか? しゃ・しゅ・しょ・が来るぞ! 』 とか思いながら、ゆっくりお勤めし その耳は彼女に釘ズケでした。 嬉しいもんです。
家での法事もいいのですが、一回は お寺でのお勤めを! とお勧めしています。
亡くなられたおばさんが よくよく法座にお参りにきておられた 阿弥陀さまです。本堂です。お寺です。
そのおばさんが 縁になって下さり、来た事も無い 小さな女の子が 今日、ここに来ています。 なにかが思い出になり、また ここに来てくれるかもしれません。 手を合わす生活の縁に繋がっていくかもしれません。
おばさんは、 亡くなられて 姿は見えなくなっても おおきな大仕事を し続けておられるのです。
だから、ほとけさまは 人は ただ<死ぬ> 、とは言わずに <生まれる> と、言われているんです。
< 往きて 生まれる > ・ 往生する いのちですと。
大事な事を 伝え続ける < はたらきの姿 > となっていくんですね。