昨日は、神戸に行ってまいりました。
目的は幾つかありましたが、まず JR兵庫近くの <光明寺> にて 豊島学由先生の法話会があるとのことで。
先生には 平成元年に 随分お話を聞かせて頂く機会があって以来、数年に一度のペースで お話を聞かせて頂いています。

光明寺の 山西住職から、8日に先生を招いてお話して頂く・・との聴聞お誘いのご連絡をいただいていました。
ところが ワケあって、お寺に着いたのは 終了予定の 4時をまわっていました。
    ガラス越しに 恐る恐る本堂の中を覗くと、まだ お話中の様子。
しかし、いくらなんでも もう 終わる時間。     入ったとたん 終わる気がする。
   こんな時間に入るなど 大変失礼な事。    どうする・・・いっそ 外で終わるのを待つか?

  『え~~い!』        ガラっ・・・

入りました。
   ・・・数人の方の チラリ との視線を受けつつ、一番後ろの いつでも 走って逃げだせそうな椅子に座りました。    先生は 何事もない如く お話されています。    10分程で 『 えらい 時間超過してすんませんでしたなあ。 』 と本堂を後にされました。  なつかしい喩え話を一つだけ聞かせてもらいました。<床屋のひげそり>・・・・何度きいても、ああ そうだなあ・・と感じてしまうから 不思議です。

 平成元年に共に学んだ、宮里さん < 兄さんのような ご住職。そういえば 年末すこし体調をくずされていて、ここで出会い 快気祝いをするって事も 大事な今日の目的 > が、 『 おい、栗山。先生に挨拶に行くぞ。 』 と。
控えの座敷に歩きながら 宮里さん。

   『 さっきの 最後の喩え、お前の為に話されたんやで。    あれ 今日 2回目やったんやで。
     お話の最初の方に 1回、 もう皆には話されとったんやで。  』

 ・・・そうか~。    遅れて来て 何にも聞けなかった 僕の為に一言だけでも と・・。
やっぱり 先生 あったかいなあ。  と思いながら襖を開けると 待っておられたかの様な 先生がおられました。

  さて、この 光明寺の山西さん。
住職・布教使・園長と お忙しいんですが、<お茶会法座>ってされてるんです。
法話の間に 数人づつ 茶席に招いて お抹茶を。         素敵でしょ。
楽しみにされてる方が多いそうです。  光明寺ホームページに お写真が沢山あります。 よろしければ。
   http://koumyouji.org
  

  京都・専応寺の中路先生からのご依頼で古書を修復軸装しました。    < 建仁元年 僧都 範宴 > とあります。 宛先は < 宝幢院 学侶 中 >。
< ・・・・頑魯にして未だ迷惑出離の暁を知らず・・・・今夜この観音の宝前に通夜せしめ・・・・>

 <範宴>とは、親鸞聖人。  建仁元年、六角堂で観音菩薩の言葉を聞かれた聖人が、比叡山を下り 法を求めて 法然上人のもとへ行かれる決意を固められました。 その決意と別れの挨拶を それまで共に学んでいたお仲間に綴られた お手紙です。     < 今生の拝謁これを限りにそうろう > ・・・もう、ここに戻りお会いする事はありません・・・と。

 本物?    いえいえ、本物だったら 驚きすぎて 今頃まだそこら辺りを 走り廻っています。
専応寺の 先先先代ご住職が 書き写されたものです。  <ゆうに 100年以上は前ですね>
聖人が このお手紙を ホントに書かれてあったかどうかは 分かりませんが、布教の場で語り続けられてきたのは確かです。   もっとも、浅学の私は このたびのご縁で はじめて 中路先生に教えてもらったのですが・・(苦笑)
 
 中路先生とは 30年前にお会いして以来、出会う度に さまざまな事を 教えて頂いています。
佛教のこと・書のこと・画のこと・敦煌シルクロードのこと・故事にまつわること・・・その知識の広さといったら・・。
  そのうえ、クセのある文字で書かれた 古文書を読まれる事においては、私が知っている方の中では No・1です。         読めなくて困った時の 最後の砦、感謝しております。

 この度にしても 預かる時と 納める時に、この書を前にして ふたりして色々お話しました。
話は あっちにいったり こっちにいったり・・・楽しい時間です。 ( わたしだけ・・?)

          もしかしたら 聖人は この様なお手紙は書いておられないかも知れないです。  仏法を伝える布教の場で その情景とどれだけ大事なご決断であったかを伝えたいが為に、生まれてきた伝説かもしれません。

 わたし達にしてにても 日常生活の中で 事実だけを並べて喋っているわけでなく、大事な事をつたえる為に 色んな喩えを言葉にして、それでも なかなか伝わらなくて 難儀している事があるなあ・・と。

 これを書かれたご住職、この書を本堂でみなさまにお見せしながら 親鸞聖人のご一生のお話をされていたんでしょうね。      大先輩です。
 

 なんとも あたたかく、かわいらしい仏様でしょう?
カレンダーや 本願寺の出版物の挿絵を見ていて、何十年も前から 那須先生の画が とても好きでした。  気になっていました。
先生の挿絵があると、むつかしいお話が書いてあっても なんとなく す~と 読めそうでした。

 まさか お遇いしてお話ができる日がくるとは思っていませんでした。      表装をはじめてから お出会いしたものですから 画や表装について色々なお話を 興味深く聞かせて頂くことができました。    大阪の真宗寺院のご住職でもあり 布教使でもおありでしたので、私も僧侶であるとわかると そのお話は <法を伝える> という事にまで広がっていきました。

    『 昔からあるような 決まり切った単語と言葉で 話しても、人には全く伝わらんで。
     立派な話にならんでも・・ 難儀でも 自分の言葉を探して 話せんとなあ。   なあ。 』

大きな目が 恐かったです。      先輩に頂いた言葉は 今の私にしみ込ませているつもりですが・・なんと仰るでしょう? どうですか?

 ご法話を 直に聞かせていただいた事はないのですが、探究社から出ている おそらく たった一冊書かれた 『 行雲流水 』 という本を読ませていただきました。 やはり ちょっと変わった・・・失礼、いや 鬼気迫るというか。
先生の画には あたたかい画だけでなく 恐~い画も沢山ありますが、なるほど こういう事ですかと 今でも たまに開いて頷いています。

 もう何年になるでしょう。   滋賀県のお寺での布教の後、自転車で散歩に出られ 川に落ちられて そのままお亡くなりになったと聞いた時には、声も出ませんでした。

 ホントは、海外で個展を開かれるほど <油絵> が専門で、ダンデイーで いつも画帳を小脇に抱え、<落ち葉を拾って 小さな仏様の画を描き 隣におられた女性にプレゼントしたり> 顔料を使い 沢山の方の本に挿絵を提供し、住職として お参り勤めもし、布教にも出向き・・・・・なんて、顔の沢山あるお方だったのでしょう。  その 全てが ひとつの事へ向けられてあったのでしょう?

 軸装坊主なんて <まだまだ> ですね。   よっし、まだまだ~!


  

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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