タダ者には見えない 王者の風格、 その名は < クウ >。 ( オス )
仏法の 『 空思想 』 から名づけられたのか、よく 食う からなのか 定かではない。

 お参りに行くと 玄関にて出迎え、仏間まで先導。     お勤め中は、奥ゆかしく 横に離れること 2メートル。
お経の声が止まると 撫でてもらう為 ゆっくり 立ち上がるが、又 お経が始まったため 何事も無かった風を装い 毛づくろい。         今度こそ 終わったかと 確かめながら 一声  『  にゃ~。 』

 いつもの如く 美味しくコーヒーを頂いているお坊さんに 首を押し付け ・・・ 『 撫でてくれよ。 』
少し撫でて コーヒーを飲もうとすると カップを持つ手を押さえ ジッと見つめ上げ ・・・  『 もっと 撫でてくれよ。 』
頭・首・背中・・・順に押し付けながら クルクル 廻る。        おそらく、 帰らないなら 何時間でも お坊さんと遊び、歓迎の接待をし続けるであろう <クウ>。

 帰るお坊さんは 見送りに出た事はない、一度も。
なぜって?          サヨナラ は言いたくないからさ。           そこだけ クールな <クウ >。

   京都 <烏丸六角東入る>に <六角堂> があります。
正式には ( 頂法寺 ) というお寺です。 開基は聖徳太子とされ、平安京が京都に形造られる以前から この地にあったそうです。  20年間の 比叡山での佛道修行でも 『 生死出ずべき道 』 が見つからず、天台宗の教えには あらゆる衆生が救われる道が無いのではないか と 悩まれた 親鸞聖人が、 100日近く毎日通われた お堂です。( おそらく 誰よりも 太子に尋ねたくて )    そして、95日目に 聖徳太子の化身・観世音菩薩の 夢のお告げを聞かれ、法然上人のもとへ向かわれるきっかけとなった、あの お堂です。

 その お堂の正面に <六角会館> があります。  その 一階にある 本堂の 障子張替に行って来ました。   幅120cmもある 大障子です。 手ごわい相手です。

                          見事!
 やり遂げました。   ( 自分を 褒めてやりたい・・・一杯 で。 ワインがいいな・・。 )    さて、その 本堂正面に、本願寺前門主様の ご真筆の和額が 掛けられてありました。

  書 も素晴らしいのですが、この本堂の為に この 文言を選ばれた事に  う~ん・・  と ウナッて しまいました。    『 世間虚仮 唯仏是真 』 。  この本堂は、真宗の荘厳なのですが ( 本尊・阿弥陀如来  脇に 親鸞聖人 )、六角堂ご縁の本堂ですから 太子のお言葉でと。   それは、太子を 父母のように慕っておられた 親鸞聖人のお言葉、『 よろずのこと みなもって そらごと たわごと、まこと あること なきに、ただ ねんぶつ のみぞ まことにておわします 』 に繋がってあります。

 今 わたしが生きている この世界は、状況により 物も・ 人も・ 人の心も・ 変化し続け、人の言葉も 嘘・偽りばかりで 中身がなく、 何ひとつ  確かに変わらないものは無い <けれど>、仏法は・念仏は 唯一 確かな真実である・・・・・・・・・・・と、習いましたが。

 10数年前、父が この 聖人のお言葉について 話してくれた事を憶えています。

 『 <なきに> の、 <に> というお言葉が大事なんじゃ。         < ないのに >、 じゃのうて < 無いからこそ > ゆう お心と頂かんと、ただの独りよがりにしかならんけえのお。  』

 ・・・・・・・・・障子を 張りながら 色々頭をよぎり、春の西蓮寺での 彼岸会 のテーマが決まりました。

 森蘭丸、ならぬ 西村 < 蘭丸 >。
彼 (彼女?) の住んでいる西村家には 毎月 お参りしています。   60数歳のお若さで浄土に還られたご主人。  『 また この子は急に大人しくなって。 借りてきた猫みたい。 』  
 蝋燭にお明りをあげていると 毎回の様に ご家族の声が聞こえます。   

 亡くなられたご主人に とてもとても可愛がられて大好きだったという<蘭丸>は、いつもは 大変な悪戯者・・いや
 元気者だそうですが 私は 神妙な姿しか見た事ありません。
お参りの日の この時間だけは 不思議と大人しく佛前にやってくるのだとか。

 毎年 今時分、お釈迦さまご入滅の法要 < 涅槃会 >にあわせて、大きな掛け軸< 涅槃図 >が あちらこちらのお寺で掛けられ 公開されています。
 人間のみならず 沢山の動物達も お釈迦さまが亡くなられた事を嘆き悲しんで描かれてあります。    京都・真如堂の図には 海の生き物、クジラや タコまで描かれてあるそうです。    お釈迦さまの教えが、人間だけの為に説かれたのではなく 全ての<いのち>が その いのちを本当に<生ききれる>ようにと願われてある事を 表わしてしてあるのでしょう。   自分の事を心配して 自分の為にお話して下さった方の声が もう聞けず、姿も見えなくなってしまうのが 悲しくて悲しくて、お釈迦さまの最期のお姿を前に 泣き崩れる 動物たち・・・・。

 なぜか、<猫> の姿が描かれてないものが 多いみたいです。    『 うちのお寺の 涅槃図 には、猫が描かれてあります。』   と仰る方があるほどですから。       なんででしょう?     世界中 こんなに ポピュラーな生き物なのに。      きっと もっともらしい訳があるんでしょうが、きっと それは猫が聞けば 悲しむ様なお話のような・・・。

 < 蘭丸 >。   気持ちはわかってるぞ!

  

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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