

今年は 法然上人800回忌の年でもあります。
知恩院はじめ 浄土宗寺院で大法要が勤まり、その年を記念して 京都国立博物館で、明日 3月26日から 5月8日まで <法然・生涯と美術>展が開催されます。 今日、内覧会に行って来ました。
あまりの膨大な出品物に圧倒されました。
中心は <法然上人絵伝・四十八巻>。巻物状の巻子物で、なんと 240場面以上!
普段、親鸞聖人のご絵伝を見慣れているので あまりの 長さ?と丁寧さに驚きです。国宝指定です。
「一枚起請文」・「熊谷直実自筆」・「往生要集」・「往生要集絵巻」 ・・・・ ・・・ お~。 お~。 の連続。
中でも ふたつ。 ふたつ・・は、いけませんでした。 私にとっての 今日の <二尊>。
<清浄華院>蔵・阿弥陀三尊像 ・・ 12世紀くらい 南宋時代の中国で描かれた 三幅の軸。
経典どうりのお姿でなく 少し 不思議な感じです。 それが なんとも いいですねえ。 阿弥陀さまって 色んなお姿であるはずですから。
そして、今回の目玉?のご本尊 浄土宗蔵・重文 <阿弥陀如来立像>。
最近まで 滋賀県の寺院に安置されていたのが、浄土宗に寄贈されました。 法然上人一周忌の為に 弟子・勢観房源智が発願した像で、1979年にその胎内から 46000人余りの縁を結ぶ 名簿が発見されています。
由来も 感じ入るものがありますが、今日 実際 拝見させて頂いて・・・・・右手です。
もとより どの阿弥陀様の右手は <大悲召喚の手> と呼ばれ、『 ここですよ 』 『 この 我がもとへ来たれ 』 ・・・と呼ばれている事を表わすと 聞いてきましたが、 この仏さまの手。
正面からは 解りにくいのですが、 ぐ~と 前に出しておられるんですよ。
今までお会いし 拝見した仏さまの中で 一番 ぐ~~と前に。
あれですかねえ・・・・・・・あんまりにも 気がつく事無く 走り廻って 逃げ回っている私に、我慢ならず ぐ~~と
前に出されてるんでしょうか?
などと 考えながら 拝見。 合掌。
『 一枝の梅、動いて すでに 春をもよおす 』
庭の梅がふくらみ始めると、20年前 亡父が書にした この言葉を思い出しながら 見つめます。
梅が咲いたから 春がきたのではない。その花芽が 咲こうとして動いた まさに時には、すでに 春に包まれていた時であった・・・・でしょうか。 そう聞いたような・・。 そして 転じて、
念仏をするという。 仏さまのお名前を この口にした時、仏さまの大いなる慈しみのお心に包まれるのではない。 声にしようかと 思い立つその時には、すでに おおきな願いに抱きとられてある時である。 一枝の梅にとっての 春の様に・・・・と。
<歎異抄 第一条> 冒頭のおこころですね。
彼岸会、皆さまとご一緒にお勤めさせて頂きました。 山寺であるのに、沢山のご参詣 有難うございました。
午前は この度の 東北・関東大震災でお亡くなりになった多くの方々、そして 家族・友人・帰る家をなくされた 多くの方々に哀悼の心持で、皆さんとお勤めさせていただきました。 お話も <スジャータ>さんと 貧者の一灯の <ナンダ>さんを ご縁として。
ひとりで暮らしておられる 或るおばあさん・・・・・『 ご院家さん、わたしゃあ。 ・・ 毎日が いたしゅうて・・』 ( いたしい=痛々しい からきた?石見の言葉。 辛い・しんどい と同じ意味 ) 『テレビ見てて、あんまり 酷い事ばっかりで ・・・わたしゃあ 悲しゅうて 悲しゅうて。 なにも してあげられんけえ、申し訳のおて・・・・どっこにおっても 申し訳のおて・・・』
お勤めの前の 表白を読んでいる時も 何人か 泣いておられる方を耳に感じていました。
『 お医者さんは、 はあ テレビ見んさんな 言いんさる・・。』 ・・・
おばあさん。 今日、 ここで お勤め しとっても 遠くの人にはわからんし、亡くなって迷うとる人が おんさっても その人を成仏させる力なんか わたしらにゃ なあけどねえ。 ( 目に見えんけど ホントは み~んな 繋がっとる ) ゆうて 一生懸命言うてやんさる 阿弥陀さんに 手え 合わせとろう? わたしらあ。 遠くにおっても 悲しみを共にするっちゅう事は できるけえねえ。 そおしとったら この先、なんか出来る事の声がした時 ちゃ~んと聞こえるけえ。 おばあさん、今 いちばん何が楽しいん? 畑? それじゃあ 畑しよお。 おばあさんの おおきな大仕事じゃあなあかね。 遠くの人に送れんでも おばあさん、今は元気に つくろう !
・・・ ちいさく 頷いて、お寺をあとにされました。 おばあさん。 ホントよ。
明日は、当 西蓮寺の 『 彼岸会 』 です。
昨日より慌ただしく庫裡の掃除をはじめ、今 本堂のお荘厳を済ませ 一息です。
京都から 帰山する前に (楠氏) の作品に出会いました。 おそらく ( スジャータ ) です。
長年の苦行で 酷くやせ細っておられた お釈迦様に 一杯の乳粥を差し出した・・と言われている村娘さんです。 清楚な姿なれど 差し出す手・見つめる瞳に なんとも力を感じます。
頂かれたお釈迦様は、身体を痛めつける苦行を止め やがて 菩提樹のもとに座し、さとりの時を迎えられます。
この 画に ( 貧者の一灯 ) のお話も重なりました。 この画はもしかして ( ナンダ ) かも知れません。今度 聞いてみます。 お釈迦様をお迎えする為、沢山の灯が用意されました。 裕福な人は 多くの灯を差し出されます。 貧しき娘 ・( ナンダ ) も灯を お供えしたくて油を求めますが、油たったの一つ分にもお金がたりません。 ついに 自分の長い黒髪を引きかえにしてでも 油をください と頼みます。 そこまでするのは お釈迦さまの教えに心うたれ、せめて 灯の布施を・・・と聞いた油屋は 『 そんなにまでしたくなる様な尊い方なら 私も布施しよう 』 と、足りないお金は 受け取らずに油を分けてくれました。
その夜、灯が灯され お釈迦さまの お話の集まりが催されました。 夜が明け、かたずけをしていたお弟子は たったひとつだけ 消えていない灯を見つけます。 いくら消そうとしても消えません。 お釈迦さまのところにいって どうしたものかお聞きしました。 『 それは (ナンダ) の灯です。 どれほどの大水でも 大風でも 消しさる事のできない尊い 灯です。 』 と 仰いました。 その小さな灯は、いつまでも まわりを 照らし続けました。・・・・・・・・・こんな お話です。
明日の彼岸会の 午前は この度の震災でお亡くなりになった方々の哀悼のお勤めを、と思っています。
『 葬儀どころか、一巻のお勤めさえできずに・・・ 』 とのお声が聞こえました。
読むお経に 人を成仏させる力があるなどと オコガマしい思いは ありませんが、出会った事がなくても 繋がっている私達です。 お集まりの方々と 手をあわせたくおもいます。 そして なにかできる時までの思いを共にしたく思います。