
修復。 中世宗教界の巨人、あの方の書ではないかと言われながら 持ち込まれた一幅。
ご覧の通り、かなり痛んでいます。 本紙の横折れの部分が100本ではきかないでしょう。
さてさて、作業開始。 裏から霧を吹いて裏打ち紙( 総裏紙 )を除去。
裏からの第一層を除去すると、以前に修復された時のご苦労の後が・・< 折れ伏せ・折れ止め > 。
オビタダシイ本数です。 折れ痛み1本の裏に 一本入れるのですから、この時 ( おそらく、100年位前 ) 本紙に100本以上の横折れ痛みがあったのでしょう。 < あの方 >の直筆本物だとすると ( そうだという品は何幅か来ましたが、これは どうも そうです。 ) 450年は経っているわけで、その間 一回の修復というのは・・・。 3回は必要でしたねえ。 そうしていると、もっと 良い状態で残っていたはずですが・・。
それにしても、廻り裂地の状態と見比べて 今の本紙の痛みの原因は、この修複折れ止めが うまく機能していないという事なので、全て撤去します。
半日かけて撤去完了。
本紙の表面の汚れを レーヨン紙にしみ込ませ洗いながら、新しい裏打ち紙で 裏打ち。
折れだらけの時には分りにくかった痛み・破損部分も はっきりしてしてしまいましたが、これが 現状です。 そして、これからが勝負です。
もう、これ以上痛ませませんよ! 
6日、大阪・淀川区の < 専宗寺 > に参りました。

< 中島西組 仏教婦人会総会 > のご縁です。 前住が私の叔父( 父の弟 )である ここ専宗寺、高校時代は毎年お盆参りのお手伝いに呼んで頂いていました。 田舎育ちの若者にとっては、大変 勉強にもなり、楽しみでもあり・・・それ以前からも、それ以後も 大変にお世話になり、お助け頂いているお寺であります。
会の進行は、同い年であるいとこ きょうちゃん ( 現坊守・ 何歳になっても きょうちゃん )。 彼女の紹介から、まさか ここでお話をさせて頂く日が来るとは思ってもいなかった本堂に立たせて頂いたわけです。 ご聴聞のみなさまの 温かくも真剣な眼差しが印象に残る本堂でした。
叔父も叔母も、忙しい中来てくれていた坊守妹・のりちゃんも ( 何歳になっても のりちゃん ) 応援するかの様な笑顔。
『 お話してくれる姿は ≪ 大きくなったんやなあ ≫ と嬉しかったけど、ずっと心配でドキドキしながら聞いてたわあ。 これって、姉の気持ち? 』
会が終わって、彼女の振る舞いで親戚6人での食事を楽しんで帰るまでに 何度この言葉を聞いたでしょう。
・・・・・・・・・あの~、もう 50のおっさん なんですけど・・わたし。
いえいえ、ありがたい事です。 そうですよね。 わかります。 わかりますよ、お姉さん。
同い年の お姉さん。 これからも、ご心配 よろしく お願いします!
今日 お出遇いした皆々様、ありがとうございました。
『 ああ・・また今日もゴミがたまったなあ。 』
切ったり貼ったりしていると、もう使えない不要な紙・裂地部分が沢山でてきます。 メモにでも使えそうなところは、切リ揃えて残してもいますが・・・。 ゴミ・・。
そういえば、西蓮寺の本堂の後ろの部屋。 講師僧侶の控え部屋 ( 昔から 「後ろ堂」 という名で呼んでいます。 ) に、子供の頃は ≪ 護美箱 ≫ と書かれたゴミ箱が置いてありました。 ゴミ箱を買う・・などという考えなど全く無かった頃 祖父が作ったんでしょう、四角い箱に丁寧に何度も和紙を貼り 筆で ≪ 護美箱 ≫ と。
当て字だそうですが、なるほどと思って見ていました。 あたりの美しさを護る為に 身を呈している姿の神々しさに、容易く < ゴミ > など入れられなかったもんです。 ( じゃあ、何の為にあったんでしょう? )
・・・・ そういえば、いつのまにか 無くなっています。
きっと、どこかに安置されているに違いありません。
さて、これは < ゴミ > か < ゴミ > では無いかは、それを見て受け止める人によって違います。
不要か必要か・・。 勿体ないか、勿体なく無いか・・。 思い入れがあるか、無いか・・。
ここに、数週間前の花籠に添えられていた 紙で作った犬 ( プードル?) が居ます。
『 なあなあ 見て! ずっと貰った事がないのに、あの子が花 くれてん! どうしたんかなあ! 』
母の日に息子から貰った < 花籠 > に立っていた < 犬 >。
花はとっくに枯れてしまって、部屋からは姿を消しましたが、 なぜか 何時までもここに立っている < 犬 >。
世界中の人が、『 それは、ゴミだ。 』 と言っても < ゴミ > で無いモノがありますよね。
< 美しさを護る箱 > にも入れられないモノ。