

『 一水四見 』 という言葉があります。 いっすいしけん・・。
池の水を見て「 ああ、池の水だ 」と見るヒトがいます。 その池に泳ぐ魚は、水だとは思わず「 住み家 」と受け止めています。 天人には宝珠の泉に見えて、その中に入った餓鬼は「 血膿の溜り 」に落ちたと もがき苦しみます。
同じモノを見ても、そのひとの生きている境界によって 「 受け止め 」が違う・・という示唆。
同じひとに出会っても、「 どういうひとに見えるか 」は、ヒトによってちがいます。 住んでいる世界・見た聞いた経験した考えた事を通してしか 『 受け止め 』はできません。
・・・・・たとえば、天人がわたしを見たら「 天人 」に見えて、鬼がわたしを見たら「 鬼 」に見えるのでしょうか?
『 ひとは< ヒト >の心を読もうとする時、隠そうとしていた己の心をさらけ出す 』 という言葉もあります。
「 あのヒト、何故あんなに誰に対しても いつもニコニコ愛想がいいんだろう? 」
「 それは、自分がいいひとに見られたいからよ。 」
「 それは、うまくやって商売で儲けたいからよ。 」 ・・・・よくある世間話。
ひとの噂話している時、「 わたしがニコニコする時は、いいひとに見られたい時 」 「 わたしが愛想よくする時は損得勘定で得をしたい時 」 という奥底に隠していた心をさらけ出してしまっている事があります。 しかも、得意げに喋りながら・・・・恐いですねえ。 気をつけましょう。
『 ひとは言葉の数だけ、感情が豊かになる 』 という言葉もあります。
画や花や美しいものを見て、 「 きれい 」 「すごい 」 「 すばらしい 」 だけでなく、色んな言葉で表現できるひとは感情が豊かになり続けておられるんでしょうねえ。 嬉しい・悲しい・辛い・・・確かに知っていて湧いてくる言葉によって、感情が深まるような・・。
たくさんのひとに出会い言葉を交わし、自分の中に新しい言葉が増えていく。 それは、沢山のことを知って< 偉く >なっていく事なんかでなくて、感情が豊かになっていく事なんですね。
言葉の世界に住んでいる私達にとって、言葉はとても大事です。 恐くて・・大事です。
たくさんのひとと会話する、本を読む、映画を見る・・。 おおきな世界にふれる。
知識が増えて偉くなっていく方向ではなくて、自分の内が知られてくる方向でありたいものです。 合掌。
昨日、 西蓮寺帰山。
途中、温泉津町( ゆのつちょう )のお寺に表具相談で立ち寄る為、初めての道を走りました。
中国道・落合から米子道を通り、米子~松江~出雲~大田・・と日本海側・山陰道。
宍道湖を見るなんて 何十年ぶりでしょう。
朝10時前には京都を出たのに、西蓮寺に着いたのは午後7時すぎ。 ( 温泉津のお寺に2時間いましたが )
うす暗くなった境内で車から降りると、< 日暮蝉 >の大合唱に迎えられ 少々ビックリ。
あらためて囲まれた四方の山を見渡すと、確かに 全ての方向から声、声・・。 声。
今日は、海に生きる門徒さんの家のご法事。 奥さんの7回会のご縁。
『 よっぽどええ所なんじゃろう、六年経っても まだ帰って来ん。 』
と仰っていたおじさん。
お勤めが終わったら、通り向かいの ≪ JR山陰線・岡見駅 ≫ へ案内されました。
『 ・・・駅? 列車でどこかに行って食事・・? 』
いえいえ、改札を通りすぐ ≪ 駅舎 ≫ の中へ。
なんと、無人駅 ( 昔は11人もの駅員さんがおられた時代もあったそうです・・。 ) の駅舎を集落で買い受け 集会所のように使っておられるそうで・・。 土曜はカラオケの集まりがあるとかないとか、いくらか支払えば 今日のように個人でも利用できるとか・・。 知りませんでした。 漁師のおじさんが自ら釣って腕をふるって下さった 「 イカ飯 」・「 イカの御造り 」・「 イサキの煮付け 」・・・。 ホントに料理上手ですねえ、おじさん。 息子さん・お孫さんと一緒になって こころ精一杯のご法事と感じます。 準備のご苦労とご心配を想います。
『 はあ、あと6年も よお生きとらんけえな・・。 ワシあ。 』 次の13回会の事ですね?
まだまだ! ですよ。 それに、目に見えなくても帰ってこられてますよ 奥さん、きっと。
すぐ横を 一両編成の列車が停車し、出て行きます。 乗り降りの姿は見えません。
以前ここでも紹介させて頂き修復を手掛けてきた 『 六字名号 』軸。 修復完了いたしました。 かなり折れ痛みがあり、このたび以前に修復された表具師の大変なご苦労の跡も見せて頂きました。 そして こうなりました。
外廻しは、正絹でもフックラとした復元織。 中廻しは、私の好きな青貝裂。 ( 銀箔を青みが出るまで焼いて、押して裁断して糸にして織リあげた裂。 金欄とは違い、貝の裏の様なにぶい光沢がとても美しいです。 ・・・少々高価ですが・・。 )
新しい作品を表装する楽しみとまた違う楽しみが、古い書画の修復にはあります。
霧を拭いて裏打ち紙を剥がすうちに、先程言いました 100年も前の表具師の仕事を見せて貰えますし、依頼された方の 『 わたしにとってはこれが大事だ 』 という思いにも出会えます。
そして、仕事しながら真近で見つめ続け 書かれ描かれた今は出会えない方と出逢え、最後お渡しする時、ご依頼者の笑顔にも出会えます。 送って届けるのではなく、手渡しでお届けしたく・・常々 思っております。