三つの言葉。

 『 一水四見 』 という言葉があります。 いっすいしけん・・。
池の水を見て「 ああ、池の水だ 」と見るヒトがいます。    その池に泳ぐ魚は、水だとは思わず「 住み家 」と受け止めています。     天人には宝珠の泉に見えて、その中に入った餓鬼は「 血膿の溜り 」に落ちたと もがき苦しみます。  

 同じモノを見ても、そのひとの生きている境界によって 「 受け止め 」が違う・・という示唆。
同じひとに出会っても、「 どういうひとに見えるか 」は、ヒトによってちがいます。     住んでいる世界・見た聞いた経験した考えた事を通してしか 『 受け止め 』はできません。

  ・・・・・たとえば、天人がわたしを見たら「 天人 」に見えて、鬼がわたしを見たら「 鬼 」に見えるのでしょうか?


 『 ひとは< ヒト >の心を読もうとする時、隠そうとしていた己の心をさらけ出す 』 という言葉もあります。
「 あのヒト、何故あんなに誰に対しても いつもニコニコ愛想がいいんだろう? 」
    「 それは、自分がいいひとに見られたいからよ。 」
         「 それは、うまくやって商売で儲けたいからよ。 」  ・・・・よくある世間話。

 ひとの噂話している時、「 わたしがニコニコする時は、いいひとに見られたい時 」 「 わたしが愛想よくする時は損得勘定で得をしたい時 」 という奥底に隠していた心をさらけ出してしまっている事があります。     しかも、得意げに喋りながら・・・・恐いですねえ。     気をつけましょう。


 『 ひとは言葉の数だけ、感情が豊かになる 』 という言葉もあります。
    画や花や美しいものを見て、 「 きれい 」 「すごい 」 「 すばらしい 」 だけでなく、色んな言葉で表現できるひとは感情が豊かになり続けておられるんでしょうねえ。    嬉しい・悲しい・辛い・・・確かに知っていて湧いてくる言葉によって、感情が深まるような・・。


        たくさんのひとに出会い言葉を交わし、自分の中に新しい言葉が増えていく。  それは、沢山のことを知って< 偉く >なっていく事なんかでなくて、感情が豊かになっていく事なんですね。

 言葉の世界に住んでいる私達にとって、言葉はとても大事です。   恐くて・・大事です。
たくさんのひとと会話する、本を読む、映画を見る・・。 おおきな世界にふれる。

   知識が増えて偉くなっていく方向ではなくて、自分の内が知られてくる方向でありたいものです。  合掌。

    

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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