お参りに行った修吾さんの家の座敷に、ミカン。 < 炭 >のミカン。
『 義朝さんが焼いてつくってくれた。 』 ( 源の・・ではありません。 )   
『 ほ~。 スゴイですねえ。 』

 勝典さんの家に飾ってあった画。
『 中3の娘が描きました。 』
『 ほ~。 いいですねえ、好きですよ。 は~。 』

 繁さんの家の床の間に掛けられていた軸。 父の書。
『 梵聲悟深遠・・・書いてましたねえ。 う~ん、親父らしいですねえ。 』

 ここ数日のうちに色んなお家で、色んな素晴らしいものに出会いました。
ひとは、思い入れを持って≪ 飾る ≫楽しみをもっています。

 山寺の静寂を破り、電話が呼ぶ音。

  『 はい、西蓮寺です。 』
  『 あの~柿がありますでしょう? 』 ( おばあさんらしき声 )
  『 はい? 』
  『 吊るし柿 (干し柿)。』
  『 ・・はい。 吊るし柿。 』 ( どこのおばあさんか、必死に思い出そうとする坊主 )
  『 出とる息子らが好きで、干して送ってやりたいとおもうんですが。 』
  『 ・・あぁ・・喜ばれるでしょうねえ。 』 ( わたしに頂けるのではなさそうだ )
  『 あの太い縄いうかロープいうか、なんぼお位 ( 値段はおいくら ) します?』
  『 ・・・。 ・・・え~と、おばさん。 この電話、どちらにおかけです? 』
  『 農協さんでしょ? 』
  『 ああ、あのねえ お寺ですよ。 ここ、お寺ですよ。 』
  『 お寺? はいはい、そりゃあ 失礼しました。 』     『 はい、どうも。 』 

渋柿を干して甘くする方法もありますが、ここ三隅の特産に ≪あわせ柿≫ があります。
今は渋柿とドライアイスをビニール袋に密封して、段ボール箱に 「 ○月○日に開けて下さい 」と記して全国に出荷されています。  美味しいですよ!

 昔は<渋を抜く>方法として、お風呂の残り湯を利用したり( そのまま放りこむんではありませんよ )、焼酎を使ったりしていましたねえ。       < 渋を抜く >といっても、厳密にいえば 渋味をどっか捨て去るのではありません。  渋味を抜き捨てて甘味を注入するのではありません。

 古歌にいわく 『 しぶ柿の しぶがそのままの 甘みかな 』

 甘味はどこからかやって来るのではなくて、なんとあの <渋味> がコロリと転がって甘味となるんですねえ。
という事は渋が多いほど、甘くなるという事です。  
 
 わたし達、不幸・辛さ・悲しみはどっかに追いやって ( お祓いでもやって )、楽しい事・いい事・幸せを どっかから呼び寄せようとしていませんか?         どこにも追いやれないし、やっても着ませんよ。
        ≪ 柿 ≫と一緒。

 つらい事、悲しい事< そのもの >がやがて、よろこび・人生のあじわいになっていきます。
           ・・・と、声をかけて頂いてあります。

 親鸞聖人の御和讃にも、あたたかい・おおきな世界に触れたら、必ず・・・と味わい示して下さってあります。

  『 罪障、功徳の体となる 
      こおりと水のごとくにて
           こおり おおきに、 水 おおし
       障り おおきに、 徳 おおし 』 
   
 わたしの中の、わたしの抱え込んでいる あとからあとから湧いてくる氷のような冷たきものが、実はそれが<ものがら>となって そのまま 他をも潤す水となる。  < そうさせずにはおられない世界がある > とのよろこびの一首です。

 益田・美都・匹見を走り芸北、広島の西八幡原のお寺へ、所用で。
    冬には雪で走れそうにない山道、登り曲がり 曲がり登り・・。    山々は美しく。
 走る車もほとんど無く、往復100kmばかりを堪能してきました。    
     『 こんな所に家が・・。 大変だろうなあ。 』      などと思う事もあり、我が寺が見えるカーブを曲がって西蓮寺を見たとたん ひとり苦笑。

    『 どう見ても、こっちの方がビックリしますよ。 』 と言われそうですもんね。   

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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