12月30日、雨。
夕べ帰山。 朝から本堂内陣、正月を迎えるお荘厳準備。
毎年年末 ご門徒さまに、次年度カレンダー・法座案内を お送りしております。 一枚の挨拶状を添えて。
おそらく今年最後の≪ あれこれ ≫、そのご挨拶の言葉をもって。
『 歳末の候、皆さまにおかれましてはご清祥にてお念仏相続の事とお慶び申し上げます。
日頃は西蓮寺にひとかたならぬご厚情を賜り、深く感謝致し厚く御礼申し上げます。
○ 来年度の≪ ご法座案内 ≫と ≪ お念仏カレンダー ≫を送らせていただきます。
この一年付き合ってきたカレンダーを掛け替える時、過ぎた一枚一枚をめくってみて、変わらぬ様に見えても どの一日も同じ一日は無かったと振り返ります。
○ 自慢できる程の大仕事をした訳でもありませんし、ビックリする程楽しい事が続いた訳でもありません。 地味な地味な毎日で、どちらかと言えば辛い事の方が多かったかも知れません。 それでも、どの一日も同じ一日ではありません。 ありませんでした。
○ 来年カレンダーの9月の言葉をしばらく見つめました。 ≪ 光に遇うと 光をもたない星まで 輝きを放つ ≫ 自らが光っていない星も、光る星の光に照らされて夜空で輝いています。 光る人・・生き生きと日々を歩む人に接していると、その光にこちらまで嬉しくなってきます。 小さき子供の笑顔に触れると、こちらまで温かくなってきます。 わたしを取り巻く沢山の人の光が わたしを照らして光らせてくれます。 わたしは決して光り輝くものなどではないにしても・・・。
○ そしてなにより、仏さまの光。 仏さまの願い・光に出遇うと、何も綺麗なものを抱えていないわたしが、輝きあるものに変えられると。 ≪ 一人一光 ≫ と説かれてあります。 たとえどんな人であっても、その人にしかない誰かに伝えるべき大事な光が必ずある、と。 ・・・これを読んでおられるあなたにも必ずあるといわれる、あなたの ≪ 光 ≫ は何ですか?
○ 新しいカレンダーを開きながら一日を迎えてまいります。 昨日と何の変わりのない様な日であっても、誰も見た事もない一日です。 過去のどんなエライ立派な人であっても、経験した事のない真新しい空気です。 たとえ誰にも褒められる様な一日でないと見えても、地味な一日であっても、仏さまの教えを光と仰ぎ 丁寧に暮らす人は ≪ 光 ≫ をまとっておられます。 今年も色々な方に出会い、その光に教えられてまいりました。 捨てられぬ悲しみ・辛さを抱えながらも、丁寧に生きておられる方の何気ない言葉には、時として 何度も噛みしめさせられる力があります。
○ 時節、厳しい頃へと向かいます。 皆さまには、くれぐれもご自愛頂きます事を 心より念じ上げております。 拝 西蓮寺 』
みなさまにとって 新しい年・新しい毎日が かけがえのない時であります事を!
栗山 知浩

メッセージ お待ち致しております。 フェイスブックではありませんが。
info@sairenji.jp
『 仏心 大慈悲是也 仏説観無量壽経 』
とあるお方が、本願寺・淨書の白石氏に依頼して書いて貰われたものを軸装にとやってきました。
『 仏心 』 だけの書は今まで色々な方のものを表装しましたし、宗派問わず沢山目にしてきました。
その横の書が実に真宗的というか、念仏的というか・・・。 言葉がより深まり、この軸を掛けてご法話が出来そうですね。
裂地も復元織という深みあるいい裂地です。
今日、本願寺に持参した折、白石氏と色々話すうちに 『 この書体でも書いてはみたんですが・・ 』
・・・ 『 同じものでもこれなんかは・・。 』 と、仕舞いこまれていた何十枚もの書が・・。
そうなんです。 どの先生方も依頼された方に手渡されるのは一枚でも、その一枚のために書かれた 誰にも見せない何十枚があります。 表装に携わっていると、その隠れた何十枚に出会う事があります。
『 ほら、こんなに何十枚も書いた内の一枚なんですよ。 』 などと、決して仰いません。 どの先生方も。
・・・・・わたしなら、言いふらしそうです。 おはずかしい。
3月2日にお預かりした≪ 絵てがみ ≫の軸装・・・やっとお届けしてきました。
滋賀・湖東三山の一山、金剛輪寺 ( 天台宗 )。 桜の時期も行かず、紅葉の時期も行かず、今日も前回と同じく葉を身に着けていない木々の間を登って行きます。
濱中ご住職 ( 天台宗宗務総長を勤めておられただけあって貫禄十分・・ ) には表装を喜んで頂いたご様子。 一安心しながら2時間ばかり、画や書のお話をご一緒いたしました。 帰りにはお酒のお土産まで頂いてしまいました。 ( ・・二升も ) そう言えば、お酒のお話もしていましたねえ・・ははは。 ありがとうございます!
両手で二升を抱えて参道を下りながら ふと目に入る小さなお堂。
登る時も見えていたのでしょうが、気が急いていたからでしょう 足を止めてもいませんでした。
観光寺院とはいへ 時期はずれの為誰ひとりとして見えませんが、堂内 ご本尊・阿弥陀如来の前には綺麗な立花。
合掌・・礼拝して山を下ります。