

浄土真宗の寺院の内陣には< 七高僧 >軸が掛けられてあります。 《 南無阿弥陀佛 》に込められた阿弥陀如来の願いと力の確かさを < 論・書 >に記し伝えてくださった七人の高僧方を 宗祖・親鸞聖人は非常に尊ばれてあります。
インドの龍樹菩薩(2c)・天親菩薩(5c)、中国の曇鸞大 師(6c)・善導大師(7c)・道綽禅師(7c)、日本の源信和尚(11c)・法然上人(12c)の7人のお姿です。
本山・本願寺から受け、一年中ほぼ掛けっ放しにされてあり年に数回巻いて 掛ける場所を移動するだけですが、それでも何百年も経つと傷んできます。 このように・・・。 100年に一度くらいは修復しなければ保てません。
幾幅も修復に携わらせて頂いておりますが、興味深い事があります。
同じ本願寺からのものであっても、年代によりお顔や衣体の文様に違いが見られます。 描かれる絵師が違うからと言えば・・・・。 同じ法然上人です。上は1700年( 第14世・寂如 代 )、下は1780年( 第17世・法如 代 )に描かれたもの。 お顔の印象が少し違いますね。 それでもこの時代のものは何とも深みがあっていいですねえ。 今、描かれてあるものはもっともっと・・・・いや、個人の感想です 失敬。
両方とも天親菩薩ですが、1700年当時と そして1780年当時の画。
礼拝するこころにとっては何の問題もありませんが、ただ、作業をするうちに興味深く思いまして。 ( ちなみに、法如代のお姿は 当西蓮寺の高僧軸のお姿。 )
そして、同じ1700年当時のものでも、 傷みが違います。
胡粉の白がひび割れ・剥落し、すっかりお顔が無くなって・・。
湿度の多すぎる山中であるとか、夏に開け放つと海風が入るとか・・・掛けておられる場所の環境にもよるでしょうが、扱われる代々の僧侶の< 扱い方 >にも大きな影響がある事と思います。
わが身に引きあてて・・・・・丁寧に扱い、それを伝えていかなくてはならない、と。 今、これを書き込みながら あらためて。
5日から帰山しております。
そうしておりましたところ、昨日 『 寒ブリの良いのが手に入りましたが、よかったらお分けしましょうか? 』 とのお電話。
『 行きます行きます!』
かねてより頼んでおられたのが、ようやく良いのが浜田港に上がったとの事。 いい時に帰っていたものです。
食してみてビックリ !
『 お・・・美味しい・・。』 今までのブリはいったい・・・と思うほど。 ぶ厚く造って頂いている身の油のなんとも上品な甘さ。 食べながらすぐ電話して、感激の感想と お礼を。 『 いや~すごいもんですねえ!』
素直な喜びが伝わったのか、先ほど 今夜の分にと、また頂いてしまいました。
すみません! ありがとうございます! ・・・・決して、もっとおくれ との電話ではなかったんですよ (笑)
皆さん、よろこびは声に出して分かち合いましょう!
袈裟・法衣・打敷の修復を手掛ける工房が、近所の商店街内のギャラリーで作業の様子を公開していると。
ここ伏見にて作業をしておられる事は知っていましたが、訪れた事はありませんでした。 ものは違っても同じく修復をする者として、そして僧侶として。 興味をもってドアを開きました。
普段、目にする織物の打敷よりもかなりボリュームのある刺繍打敷の修復をされていました。
石見神楽の衣装の様に厚い刺繍にガラスの眼。 立派なものですが、真っ先に思ったのは 『 どうやって畳んでしまうんだろう・・・・? 』。
法要・行事によって掛け替えるもの、外したものはしばらく畳んでしまっておいています。 この度綺麗に修復されても畳む度に傷んでいきそうで扱いの怖さがよぎってしまいます。
七条袈裟の修復の様子も見せて頂きました。 裏裂地を替えて、荒れた表裂地部分に針を入れて、紐を替えて・・・。
纏い着ける時に 同じところが折れ・擦れるので、その部分だけを修復していただけるのは有り難い事です。
職人さん方の丁寧で確かな仕事を見せて頂き、名のりもしない私の質問に快く答えて下さるスーツの方のお人柄に、会社の< お人柄 >を感じさせて頂きました。
色衣の修復もされていました。 これも傷む箇所は決まっているんですよねえ・・。 畳み線が擦り切れてくるし・・。
いずれも新しく求めれば大変高価なもの。 直せるものならば・・。
そして、それ以上に。
古くなったものを捨てるのは簡単、一瞬。
でも、それを求められた昔々の方々の< ご苦労と思い >を思えば、何とか直して飾りたい・身に付けたいと、修復を選択される方が多くおられる事は嬉しい事です。 たとえ、買うより高くついたとしても。 ( かな?)