

はや12月、あわただしい中にも表装の依頼ある事喜ばしいことです。京都・神戸からの御軸修復依頼につづき滋賀よりご依頼があってご相談に行ってまいりました。
滋賀県野洲市。真宗木部派の本山、錦織寺。 宗祖親鸞聖人・第二代如信上人・第三代覚如上人( ここまでは本願寺派と同じにて )第四代存覚上人と法灯つづき、現在は第二十二代円慈門主。 聖人のお手紙に何度もでてこられる関東門弟のお名前<性信>、このお方にご縁深い流れと聞いておりました。そういえば父が西蓮寺本堂で、そのお手紙の話を何度もしていたなあ・・と頭をよぎります。
この度のご依頼は御影堂余間に掛念されてある十字名号( 帰命尽十方無碍光如来 )軸の修復です。第14代良慈上人が1787年に書かれた紺紙金泥の御軸。あいだで修復されてありますがかなり傷みが見える為この度ご縁を頂戴いたしました。
恥ずかしながら初めて境内の土を踏ませて頂きました。裂地のご相談と修復をすすめる上での詳しいご説明に伺ったのですが、何より先ずは両堂にお参りを。
その後宗務所にてお話させて頂いておりましたが、必要あるだろうからと御影堂の内陣に上がらせて頂き間近に現在掛けられてある全てを拝見させていただきました。そうしながらお話を進め修復の方向性を確認し合い、御軸をお預かりいたしました。
これをご縁に聖人のお手紙<御消息>を今一度ゆっくりじっくり学ばせていただこうかと思いながら京都へと走ります。 今一度しっかり学べ、との催促と。
傷み具合から、修復には三か月はかかると思います。
ゆっくりじっくり急がず丁寧に・・。 もちろんどのお仕事もそうです。文化財であれ、小学生の書初めであれ、たったひとつの大事な≪ 預かりもの ≫ばかりですから。
10月20日から三週間以上ずっと西蓮寺に居ります。住職を<住んでいる職>というなら、ここのところ住職です。普段は行ったり来たり出たり入ったりですから<不住職>でしょうか。不徳のいたすところ。
10月29日には半分位の紅い姿を見せていた裏山の樹も、 今日11月12日には随分誇らしく姿を変えました。時間の流れを感じます。
このところ、ご門徒さまのお家に報恩講参りさせて頂いております。みなさまお荘厳を整えて丁寧にお迎えであります。いろんなお姿と出遇わせていただきますが、憶えておられるでしょうか≪ 住職あれこれ ≫の2011年11月6日書き込みの <赤いケーキ> のお姫さま2人。
あれから7年です。今年も一緒にお参りしてくれましたが、なんと2人でお抹茶の接待をしてくれました。・・・・感慨深く時間の流れを感じつつ、姿を見つめます。 ありがとう。
そして『娘ふたりの仕事が休みの日に来てくださいね。一緒にお参りしたいですから。』と仰ってくださっていたお家。ご近所のお友達にもお声をかけて頂いていて、さながら法座のような賑わい。住職、嬉しさのあまり心なしかお話にも力がこもります。 いや、けっして人数ではありませんが、そこは凡情としてこもってしまっていたでしょう。 お家からとは別に娘さんお二人の連名で包みをかえたお布施まで頂戴してしまいました。 恐縮のかぎり。
それぞれのお方がそれぞれの 心のこもった 報恩講お迎え。 この座布団に座らせていただいたのはついこの間のように感じつつ、 ご一緒にお勤めさせていただく度に、『 今年もご一緒させて頂きました 』とご挨拶してひと言のお話をはじめます。
今年も報恩講を迎える事が出来ました。
ご門徒さま方と共に、そして遠くは岡山から近くは西蓮寺門徒さまではない有縁のお方々と共に。
何日も前からのお心配り頂いての事。仏具お磨き、本堂並び境内地清掃、お斎野菜物ご持参。
そして当日参集下さった皆さま、ご出勤のご法中、 ご講師先生。この日一日のこととはいえ多くのお力添えあっての事と感謝の限りです。
二年ぶりのお越し頂いた先生のお話。
小林一茶の一句 ≪ 猿も来よ 桃太郎来よ 草の餅 ≫。 先生、なんとこの句は一茶が鬼の心持ちで詠んだ句と。 どういう事かとお聞きするうちに、そうとしか読めなくなってしまいました。 鬼は真宗門徒であったと(笑)。 なるほど。
世の中様々な事ございますが、自分が立っている立場によってしか受け止められません。 それが決してすべてでは無く、どうあっても正しいという事でも無いのだという事に思いを致さねばなりません。 よしよし苦労したがこれで何とかこれで良し、としているその横で悲しく悔しくそっと誰にも見えぬように泣いているひとがいるかも知れません。
立場は違えど同じものを抱えているわたし達である、と怨親を超えて同じ場所に座り同じお話を聞かせて頂く場所が『俱会一処』のこの本堂でありたいものです。
帰入功徳大宝海