

< 掛け軸 >は、巻く事が出来ます。 小さく仕舞い 大きく広げる事が出来ます。 床の間だけでなく、玄関・廊下・洋間・コンクリート壁面・・・額装とは違う 空間を造り出します。 その空間は 小宇宙です。 季節により、気分により、招く人により 掛け替える事が容易です。 『 あの友人が来るから これを掛けて 一杯呑もう。 』 と掛けて待ち受けます。 また、友人の家へ軸を持っていき 『 目の土産 持ってきたよ。 一緒にお茶にしよう。 』 と 軸を下します。・・・すんなりとは下しません。 ゆっくり ゆっくり、途中で止めながら 下します。 まず 綺麗な裂地が出てきます。 また 裂地。 どんな画だろう?・・・・ 想像しながら待つ 楽しい時間です。 いっそ 外に出て 木の枝に掛けて お茶にしますか?
< 掛け軸 >表装技術は 先人方の知恵の結集です。 巻き下しを繰り返す為に 中身の画や書、廻りを飾る裂地も やがて、痛んできます。 ガラス・アクリルでカバーしていないので、埃などで汚れもします。 ( それも いい味となるのですが・・ ) その為、100年・200年に一度 < 打ち直し >をします。 裏から霧を吹いて 時間をかけて、三層にも 四層にも貼り重ねられた裏打ち紙を ピンセットで剥がしていきます。 描かれた時の一枚の本紙 (絵絹) の状態にまで戻します。 そして、修復をほどこし 新しい和紙で裏打ちをします。 裂地を廻していきます。 軸が蘇ります。 そうです、200年後・400年後 剥がして修復する事を前提に 表装されているわけです。 その為、キツイ接着力のある糊は使わず、薄い糊を使用します。 薄い糊でも 何百回の巻き下しに耐えうる様に、シュロの束の刷毛で叩き込み 又、湿度の差の大きい日本に耐えうる様に 長い時間をかけて さまざまな工程をほどこします。 まったく まったく、 先人方の積み重ねられた智慧 又 智慧です。 画には(書にも) 作家の < 思い >が込められています。 表装する事で 廻りにする裂地により 随分受ける印象は 変わります。 横幅・長さを変えると またまた 受ける感じが変わります。 表装の全てを任されると、作家の < 思い >に 私の < 思い >が重なり、反物ひっくり返して 悩みに悩みます。 苦しくも楽しい時間です。 ( この度は 孤独ではありませんでした。 作家のお一人お一人と サンザン 一緒に悩みましたから。 楽しかったですね。 ね。 )
何分も 花を見つめ、川を見つめ 飽きる事無いことがあります。 その時は 花や川面の部分部分を見ているのではなく、自分の内面と対話している時だと思います。 『 昨日 あんな事言ったけど・・悪かったなあ・・。 』 『 今頃 田舎のお袋・・どうしてるかなあ・・。』 『 今度の アレ ・・・どうしようかなあ・・・。』 画も黙して 実際には何も語りませんが、同じ画を見るにしても 私が悲しい時に見るのと 楽しい時に見るのと 聞こえてくる言葉は違います。 見ている内に 私の内なる言葉を引き出してくれているのでしょうか? 花や山や海と 同じ様に・・。
画には 描いた方の < 思い >が 込められています。 そこに 見る人の < 思い >が重なっていきます。
その人の 時時の < 思い >が。 ふたり・・三人・・。 重なっていきます。 画が成長するかの如く、深まってゆきます。 そして 200年・400年経ち 修復され また、蘇ります。 その ハグクミの一端に携わらせて頂いている事を 喜びとしております。 坊主であり、表具している < 軸装坊主 > の つぶやきです。
・・・・・原稿書いていた訳ではないんで、憶えている内に 書きこんでみました。 お聞きになっていた アナタ・・・『 あれえ、栗山さん こうでしたあ? 』
こう 言いたかったんです! いやあ、お話って むつかしい!
それにしても、これ。 最後まで 読んで下さった あなた。 ( 深々と礼 )
盛況の内に会期を終えました。 < 第八回 現代日本画の試み展×表具師 栗山知浩 > 。
最終日の10日にしか会場におれませんでしたが、沢山の方と出会えました。 作家のお一人お一人が 作品についての思いを語られる< ギャラリートーク >に先立ち、午後2時から < 表具屋のつぶやき >と題して、栗山に話をする時間を 30分頂きました。 どうなんだろう? まあ メンバー数 10人強位かな・・・・・と思っていたら、なんと 40人以上の賑わいです。
栗山がお話させて頂いている写真を( 迷いながら遅れて来た )娘が( 迷うか!?お前 )撮っていたそうなので( いや、来てくれるとは かわいいヤツ ) 画像を受け取ったら、その様子と。 せっかくですから、何をつぶやいていたか ここに書きこみましょう。 数日後になるかもしれませんが、 軸装坊主のつぶやきです。
この企画が無かったら 会えていなかったであろう 作家の方々と沢山のお話ができました。 倒れるほどの暑さの中、わたしの知人も来て下さり 会場で出会えました。 メンバー友人の<造園技士>古鍛冶達也氏の手による 会場内に突然あらわれた 坪庭!にも出会えました。 打ち上げで、次の企画を熱く語り合うメンバーと ひたすら 呑んでいる私に、これまた熱く お薦めの日本酒を語ってくれるおじさんにも 出会えました。
いや、やはり この文章中の < 出会う >は 全て 字がちがいますね。
降りしきる雨の中、父・前住の三回会法要が始まりました。
ご案内は出したものの、どれだけの方がお参り下さるか・・・と家族で心配しながらの朝でありました。 なんと、本堂に 70人近くの方々。 山奥の小寺・西蓮寺にとっては 満堂です。
父が大事にしていた この本堂で 一日かけて、客僧・弟・私の三人の法話を繋ぐ <法座> のかたちをとって 父の法要とします。 聴聞する事が 最も父の法要になるとの思いから、ご案内状に そう書きました。
この山奥の寺でジミチにお参りし みなさまとのふれ合いを大事に お寺を守り、田んぼ・養蚕・出稼ぎしながら・・ 何度も大病に会いながらも ジミチに ジミチに 丁寧に生き抜いた父でした。 姿が見えなくなって丸2年経っても これだけの方々が・・・そして お勤め <正信偈>の大音声。 身体が震えるほど響き渡りました。 通夜の夜の時も 大阪の義観おじが 言っておりました。 『・・ いやあ~・・・今晩のお勤めには 感動した。 あんなに沢山の人が あんなに大きな声で あんなに正確に綺麗に揃って・・・。 兄さんの長い間の教化の深さを感じて 涙が出て 止まらんかったで・・。 』
あの夜を超えていましたよ、おじさん!
そして、弟のご法話を聞かせて頂きながら 『 親父は こんな思いで 俺の話を聞いてくれてたんだろうなあ 』 と。
その父に会えました。
台所や会場本堂で 汗かきながら大勢の方にお手伝い頂きました、それも にこやかに。
一夜明け、片づけに大騒ぎし 長岡京の冴子おばと 家内を乗せて 今、弟が帰って行きました。
『 大満足じゃったで、この法事! 』 の 言葉を残し。