6月26日27日両日、西蓮寺を会場として本年度「三隅組講習会」(みすみそこうしゅうかい) 略称『組講』(そこう) が開催されました。
近隣の浄土真宗本願寺派寺院22ヶ寺で構成される「三隅組」において100年近く続く伝統の集まり。安居の様に毎年二日間僧侶が一か所に集まって机を並べて共に講師のお話しを聴聞する勉強会です。会場寺院は持ち回りですから、ほぼ20年に一回会場当番が回ってくるというわけです。
西蓮寺での前回はほぼ20年前、ご講師は龍谷大学教授・浅井成海先生でした。その前は私が学生であったほぼ40年前、ご講師は龍谷大学学長・二葉憲香先生でした。その前はわたしは全く記憶にありませんが大江和上だったということを聞いております。
当時の会場引き受け寺は大変でありました。お集りの30名ちかくの僧侶方のご接待が大きなツトメです。
初日朝から講義ですからお昼食、夜先生を交えての懇親会がありますので夕食・お酒の準備(普段中々お話出来ない講師先生と膝を交えて一杯酌み交わしながら、 当日の講義の事や自分にある思いを語り合う事は大きな楽しみであり大事な時間であったでしょうし、今もそうであります。)、汗流して頂くお風呂の用意、布団の準備。明けて二日目に先ず朝食の準備、昼食の準備、両日にまたがってお茶・茶菓子の用意・・・。
とてもとても坊守寺族だけでは行き届きませんので、総代・婦人世話方に早朝から深夜までお助け頂いてありました。 いや、もっと前から。何せ20年に一度引き受けるのですから、この行事に合わせてトイレを改装したり庫裏を修復したり大掃除したりとかなり前々からのお待ち受けであったと聞いております。
時代は変わり、徐々に時代は変わり。
中々お手伝いをビッシリお願いするにも難しく・・歩いて集まるしかなかった頃とは違い僧侶方が車で来て下さるようにもなり・・。
昨今の色々な情勢を鑑み、現執行部提案により初日お昼食はお弁当、夕食懇親会は外に出て、宿泊は各々の思案にて二日目の朝のお勤めに会場お寺本堂に再集合、講義終えたら12時解散・昼食なし。 ということは引き受け会場寺院は食べ事・お風呂・寝具の心配なく、会場設営と駐車場の心配とお茶・茶菓子の準備のみになりました。
これなら、引き受けやすくなるお寺が増えると思います。よく思い切って御提案から、皆の承認まで進めて頂いたものだと感服しております。
この行事を続けてゆく! という事の為にご苦労ご心配いただきました。
今回のご講師は本願寺派総合研究室長・司教の佐々木義英先生。この時世、京都から島根に出向いての講義は憚られるとのお申し出にて「オンライン」にての講義に。≪ 正信偈のこころ ≫と題して、主に『十二光』のご講義をお願い致しました。
プロジェクターもスクリーンも持っておりませんし、何より接続関係に全く疎いわたしめ。組長・勝龍寺さんが機材全て運んでくださって、前日には執行部三役揃って接続・予行演習に来てくださいました。 ありがたし。 申し訳なし。
総代・婦人世話方は数日前に清掃奉仕にお出で下さるし、前日には総代長が内陣佛華を立てに来てくださるし 、当日駐車場整理にまた総代が、姉や総代奥様は二日間冷たいお茶・熱いお茶が絶えないように走り回ってくれてありました。
何もしないといいながらも、やはり沢山の方々のお力添えを頂いてこの伝統行事をまた、勤めさせて頂きました。わたしが住職になって受けたのは今回初めてです。代々の住職・当時世話役方先達のご苦労を偲びます。
次は20年後・・・・。・・・・・生きていれば80歳・・ですか (笑)
久しぶりの投稿になってしまいました。2月以来・・。
里のお寺は変わりなくいつもの通り花は咲いて、鳥は囀っています。
3月の春季彼岸法座も 4月の永代経法要も 、5月の降誕会も 例年通りお勤めさせていただきました。
毎回、県内外の新型ウイルス感染状況に心揺れながらではありましたが、人里離れたここまで折角お参り頂くのですから朝から夕方までのご聴聞を。そして、お昼食も用意してと。
お作り頂くお世話方細心の注意をはらい 、頂く皆さんもソーシャルデイスタンスにて黙食にて。
本堂でもソーシャルデイスタンス、マスク・アルコール消毒はもちろんにて。
お座の後は毎回しばらく2週間くらいは気にしていたのは事実です。「ひょっとして、もしかして、お寺の法座が原因でどなたかが・・。」と。
法座開座が原因で体調をくずされた方は無かったようで、それに関してはホッと安堵しております事も事実です。 ( そういえば4月永代経法要のお供重ね餅、わたくし住職が初めて作りました!わたしが。 前夜の米研ぎ・水かしから成型まで。わたしが。 ・・なぜひとは、自分でやった事をやったやったと自慢したがるんでしょう。・・それにしても上手いでしょ!笑 )
ご高齢の方中心にワクチン接種が進んでいる声を聞きます。気をもみながらでなく、法座を開けるお参り頂ける、皆で顔を合わせられる時が訪れることを願います。
鳥はいつものように囀り、 花はいつものように縁に触れ咲いて、縁に触れ散っている里のお寺です。
京都市立芸術大学のこの作品展にむけて日本画模写作品の裏打ち額パネル張り込み実習に数日通いました。 表装裏打ちに詳しい先生はもちろんおられますが、わたしは大きな作品を手掛けている学生の指導というか手助けというか・・。学生、前もって糊炊きして紙取りしての準備万端の上ですが何せ大きな作品。 紙は水で伸びるし絹は縮むしひとつの作品に一日中かかります。 当然途中様々なトラブルあり長い長い時間をかけて描いてきた作品が果たしてこの先大丈夫なのかという不安と緊張の学生さんの表情を横にしながら格闘します。 何とか上手くいく事を念ずるばかりにてわたしも刷毛をさばきます。 表具屋になるわけではなく画家絵師になられる方々で、また今画家絵師である方々ですが、作業中の表装四方山話はいつか何かにはなって頂けると思いながら。
わたしの携わる作業は終わってからも細かいところはそこから何日も筆を加えられて作品展示の日を迎えられます。 あれから一体どうなったか・・どのように描き加えられて変わったか・・楽しみで楽しみで大学・京都市美術館の2会場に足を運びました。
数多く作品ある中でも、ご縁あった作品は光り輝いてグイっと前に出て来ます、 やはりそうです。そして驚かされました。あれからこんなに変わったのかと。どれだけ集中してコンを詰めて向き合ってこられたのかと。近づいて見つめ離れて見つめ近づいて見つめ・・みんな手元に置いておきたいくらいの画々を見届けて帰りました。
そしてわたしはまた、自宅工房にてひとり。若き方々のパワーを思い出しながら、老眼と付き合いながら、修復作業に精出します。