昨年も書き込んだ、この時期恒例の < 地蔵盆 >。
京都の子供たちの夏休み最後のお楽しみ( が本来の趣旨ではないんでしょうが )。
8月22日、当マンションでも駐輪場の自転車を全て整理移転して会場をつくり、地蔵尊をお迎え安置して午後1時からお勤めとお話。

わたしのとっては地蔵尊を縁にしてでも、ここに集まってくれるお子さんにお話をさせてもらう事がメインなのですが、小学生以下のお子さんが多いので何をどう楽しくお話しようかと苦心しております。 今年は「 西の観音・東の観音 」
を少しアレンジして「 西の地蔵・東の地蔵 」で、お地蔵さまは何故手を合わせて立っておられるか・・・を。

夜はこれまた恒例、大人も集まりゲームに宴。  同じマンションに住んでいるとはいえ、普段はほとんど話す機会のない皆です、夜10時過ぎるまで賑やかに。  大事な行事、時間です。  

次の日も、ご縁の町内での地蔵盆に呼ばれました。 ここは < 読み聞かせ>活動をされている方を招いておられ、お参りの後子供を集めて 『 地獄のそうべえ 』。   やはりプロは違いますね、物語の中に引き込まれていきました。 『 その話、知ってる~。 』 と言っていて子供たちも実に楽しそうでした。 お話の間にお坊さんの反応を確かめるように チラチラ こちらを見る子供たちの顔が印象に残る一日でした。 

14日、午前中京都にてバイクに乗り 数件のお盆参りの後、お昼前に車に飛び乗って一路島根へ。
16キロ渋滞に突っ込みましたが、何としてでも夜7時までには帰り着かねばなりません。 気が急きましたが、帰りつきました。

夜7時から<床並集落> での盆勤め。 櫓組まれた盆踊り会場の脇にて。 
7時半には3キロ程離れた<西の谷集落>での盆勤め、後 ひと言のご法話。 

都会では賑やかなお祭りのようになっている 盆踊り、僧侶のお勤めの姿は目にしません。
おそらく田舎ではアチコチまだよく見かける様に、この里では初盆を迎えられた方の遺影を並べ、盆踊りの前にお勤めをいたします。 ( 踊り前にお勤めというか、お勤めの後に踊りが・・というか ) 

今は集会所等が会場となっていますが、ずっと以前は初盆を迎えられた家に皆で出向き踊っていたと祖父から聞いた覚えがあります。 『 さあ、次はあの家、みんな行くで。 』  ・・と、家から家へ。

お盆には亡き人がこちらに帰って来られてその魂を慰める為 、との考え受けとめもあるのでしょうが、もっと大事な事があります。
《 お盆 》 のはじまりを訪ねれば、「 分け合う 」 という事からはじまっている事を強く感じます。 ( 目連尊者とお母さんのお話ですが )   家族大事な人を亡くして淋しい思いをしている方を 放ってはおかない!・・・家族親族の問題だけではなく、一緒に暮らしてきた仲間みんなの問題と受けとめ、その淋しさを分かち合う。  『 いかが暮らされてますか。 お淋しいです。 私たち皆居りますよ。 』 と、言葉を分かち合う、心を分かち合う出会いの場であると思えます。  お勤めの後、皆で踊る、静かな踊りであっても 言葉をかわし目を合わせ笑顔も生まれるでしょう。

さらに申せば。 「 お盆には帰ってこられる 」 お盆終わればまたおられなくなる・・・。  そうでしょうか。
《 念仏の声の中にいつでもおられる 》 ことを聞かせて頂けば、< 年中お盆 >・・とは言い過ぎでしょうか。
言い過ぎですね。 

この行事を通して、『 いのちは、死んだら終いのチッポケなもんじゃない 』 『 わたしは、ひとりではない 』 という事が聞こえてくれば、それこそ、《 踊る 》ほどの歓びの日であります。 

7月26・27日、浜田周布・専称寺さま< 安居会法座 >のご縁。
暑さをご縁にしての法座、両日とも中々の暑さでしたが、用意して下さった導師部屋はさしずめ < 涼のギャラリー >。

なにか動いた気がして近づいてみると  ブルーの金魚。( 奥様いわく、名前はアミちゃん。 )   出されたおしぼりには花が添えられ、 カスリ古布が掛けられた椅子。  掛け物は碧く。  一席終えて帰るとしぼりかえられたおしぼりに添えられた花は色を変えていました。

このおこころ で接しておられる本堂のお同行さま方は皆さま、和顔。 
熱が入って汗まみれだったとはいえ、本当に気持ちのいい二日間のご縁を頂戴いたしました。 
ありがとうございました。 

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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