< 盆踊り >。

14日、午前中京都にてバイクに乗り 数件のお盆参りの後、お昼前に車に飛び乗って一路島根へ。
16キロ渋滞に突っ込みましたが、何としてでも夜7時までには帰り着かねばなりません。 気が急きましたが、帰りつきました。

夜7時から<床並集落> での盆勤め。 櫓組まれた盆踊り会場の脇にて。 
7時半には3キロ程離れた<西の谷集落>での盆勤め、後 ひと言のご法話。 

都会では賑やかなお祭りのようになっている 盆踊り、僧侶のお勤めの姿は目にしません。
おそらく田舎ではアチコチまだよく見かける様に、この里では初盆を迎えられた方の遺影を並べ、盆踊りの前にお勤めをいたします。 ( 踊り前にお勤めというか、お勤めの後に踊りが・・というか ) 

今は集会所等が会場となっていますが、ずっと以前は初盆を迎えられた家に皆で出向き踊っていたと祖父から聞いた覚えがあります。 『 さあ、次はあの家、みんな行くで。 』  ・・と、家から家へ。

お盆には亡き人がこちらに帰って来られてその魂を慰める為 、との考え受けとめもあるのでしょうが、もっと大事な事があります。
《 お盆 》 のはじまりを訪ねれば、「 分け合う 」 という事からはじまっている事を強く感じます。 ( 目連尊者とお母さんのお話ですが )   家族大事な人を亡くして淋しい思いをしている方を 放ってはおかない!・・・家族親族の問題だけではなく、一緒に暮らしてきた仲間みんなの問題と受けとめ、その淋しさを分かち合う。  『 いかが暮らされてますか。 お淋しいです。 私たち皆居りますよ。 』 と、言葉を分かち合う、心を分かち合う出会いの場であると思えます。  お勤めの後、皆で踊る、静かな踊りであっても 言葉をかわし目を合わせ笑顔も生まれるでしょう。

さらに申せば。 「 お盆には帰ってこられる 」 お盆終わればまたおられなくなる・・・。  そうでしょうか。
《 念仏の声の中にいつでもおられる 》 ことを聞かせて頂けば、< 年中お盆 >・・とは言い過ぎでしょうか。
言い過ぎですね。 

この行事を通して、『 いのちは、死んだら終いのチッポケなもんじゃない 』 『 わたしは、ひとりではない 』 という事が聞こえてくれば、それこそ、《 踊る 》ほどの歓びの日であります。 

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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