小雨の上京区寺之内、「大本山妙蓮寺」(日蓮宗寺院)。
以前より親交ある松浦直子先生(京都精華大学日本画特任教授)の初めての作品展です。

『西行の旅』ー西行物語絵巻(旧萬野家本)から模写した五つの情景ー と題して九幅の掛け軸と巻子一巻の展示です。 この作品に筆を持たれてから20年近くかけてここまで描かれたと認識しています。 そして、長い時間をかけてご相談しながら少しづつ表装させて頂いたことを思い出します。

お預かりして表装している時に何度も何度もよくよく目にしていたはずの画。 ところが、今日は全く違う画として見えた事に驚きました。
おそらく、場所です。 「場所をえる」という言葉は好きな言葉ですが、おそらくその「場所」です。

拝観寺院でありながらその静けさは何とも・・。ゆっくり画を拝見した後で縁側で話す声さえはばかられる静寂。 どこかで焚かれている香。  雨に濡れる庭石。 
よく見ようと作品に近づくと、画の中に入り込んでいくような感覚に。

西行の歩いた時間。  原本絵巻を描かれたに要した長い時間。            
今日まで絵巻物として伝えられた長い時間。 
そして本紙の紙の汚れ皺一本、水の流れ一筋まで繊細に写し描かれた松浦先生の長い時間。         何度も見ていたとはいえ見ていたとは言えない、凛とした空気の中でこそ感じられる事があると、あらためて。

この作品展、展示協力された青谷女史なくば成しえなかったと仰っていました。ここを探し選ばれたのも彼女でしょうか。  お二人に、ありがとうございました。


そして、明日からいよいよ法要せまる山寺へ帰山。 これまた時間の流れが少々違う場所ですが、今回ばかりは慌ただしくなりそうです。 出来る事なら、こころ慌てず。

 

いつの間にか夏は過ぎ彼岸も過ぎ、秋も深まりつつあります。
今月10月29日は、当山厳修親鸞聖人七五○回遠忌法要。いよいよ近づいてまいりました。

昨年から少しづつ準備を始め、総代・役員の方々と何度も話し合いを重ねてまいりました。この夏すぎには記念事業としていた「 外トイレ水洗化 」も完了し 「 須弥壇納骨設備 」も整いました。 かねてより本堂外陣での椅子が少々足りないと思っていました。座布団に座ってご聴聞の方は少なくなってきて30脚の椅子では足りないと。以前から、「椅子が良いが、この高さの椅子は私には・・」とのお声を聞いていたので少し高めの3人座りのベンチタイプのものを6脚揃えました。 普段のお座はこれで十分かとおもいますが、今度の法要には果たして何人くらいの参拝を頂けるかと。 お昼食をお弁当にすることに決まったこともあり( この度は普段台所お手伝いの方にもなるべく本堂にて法要・ご聴聞に会って頂きたいと )、ご門徒さま有縁のお同行さまへの案内状に葉書を同封し参拝可否のお返事を求めたところ、なんと今日までに100人を超すお申込みがありました。 有難い事です。 「 ご院家さん、チラシのようなもの作んさいや。 わたしらが人に勧めるのにあった方がええ。 」とのお言葉をうけて作成しました。その方々が、初めて西連寺にお参り下さる方を何人も連れてきて下さる、その人数もあります。  有難い事です。
娘が嫁いでいる広島の永光寺さまからも、遠方ご住職坊守さまはじめご門徒さま計8名で参拝頂けるとの事も。  有難い事です。 もったいない事です。

参拝の方々への参拝記念品の準備もほぼ整った昨日。出勤法中ご住職方の記念品にとすすめていた品を日本画家さんが届けて下さいました。 法要儀式に手にする「中啓」という扇、この度は一枚一枚同じ絵柄のものが無いように手描きで描いて頂きました。 まづ平面に画家さんに描いて頂き、それを扇子専門「遠藤」にて折って頂き、 画家さんの手直しがあって骨を入れて完成。  見事!   蓮美しく、朝顔清々しく、子牛可愛らしいですね。 世界でひとつしかない「 中啓 」です。  そして、もう包みましたので何方にどの絵柄が行くか私にもわかりません。 ご本人方に手をのばしてもらって選んで頂きましょう。  開けて出会ったところが、ご縁。   ご縁。 

昨年ご往生された滋賀高島・徳善寺住職であり書家、山本慧先生の遺作展に行ってまいりました。京都でお世話になっている中路先生(山本先生の弟さま)・松下先生・水谷先生お三方のご住職のお供をして車を走らせました。 
晩年本願寺浄書に奉職されていた時に大変お世話になった山本先生。 昭和28年の学生時代から平成28年の絶筆まで、実に多くの作品に会わせて頂き、改めて先生に出会わせて頂いた感がありました。 遺作展実行委員会の方々、特に先生を書の師とされていた井上氏の熱意に頭が下がります。

その井上氏に別室にとおされ、未表装の数々を見せていただきました。 「 ご縁深き方々、ご所望とあらばどうぞお好きな一枚を。 」  なんと。 なんと。

先生方と書を目にし、文言の意味合いをお話を。
実は当山西連寺、今年10月に親鸞聖人750回遠忌法要をお勤めさせていただく運びになっておりますが、その記念事業のひとつとして「須弥壇納骨」施設の整備を進めています。これは祖父が30年以上前から言っていた事です。 「 須弥壇納骨という事がある。境内地に墓地はなく、納骨堂を建てる土地もない当山。本堂の阿弥陀さまが立っておられる須弥壇の下にならご遺骨を預かる事はできるがのお。 」と。 
父も言っていたのですが縁揃わず、この度いよいよ進める事と致した次第でございます。

その扉の上部漆喰壁面に何らかの文言の額を掛けたいと思っていたのですが、どんな言葉が良いやら、何方に書いて頂こうやらずっと考えておりました。 もちろん、お名号であっても、俱会一処であっても・・とも思いつつも。  その事を中路先生にお話して、「 先生。ご縁です。この書の中にそれに相応しい言葉はありませんか? あれば、わたしは是非それを所望いたしたく。 」
中路先生、黙ってしばらくあれこれ広げておられましたが、一枚を持って立ち上がられて「 これがよかろう。 」 

『 萬寿無彊 』帰宅してどういう言葉か調べてみました。浅学にて。
元々は清の皇帝の長寿を寿ぐ言葉であったとか。 そして『彊』は、『窮』に同じと。すると、『無彊』は『無窮』。『寿』は仏法では< いのち >の意。 『萬寿』は、< すべてのいのち >。     つまり『 萬寿無彊 』は、≪ すべてのいのち、いつまでもどこまでも ≫。

なんと、ピッタリの文言でありました。
そういえば、中路先生も仰っていました。 「いのちに際、隔たりが無いという意味や。 まあ、調べてみておくれや。」   先生には、頭が上がりません。
元はどうあれ、仏法・お念仏に照らされると 「 こうしか読めない 」という事がございます。  皆様に、ご縁ありがとうございました。

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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