こうしか読めない。

昨年ご往生された滋賀高島・徳善寺住職であり書家、山本慧先生の遺作展に行ってまいりました。京都でお世話になっている中路先生(山本先生の弟さま)・松下先生・水谷先生お三方のご住職のお供をして車を走らせました。 
晩年本願寺浄書に奉職されていた時に大変お世話になった山本先生。 昭和28年の学生時代から平成28年の絶筆まで、実に多くの作品に会わせて頂き、改めて先生に出会わせて頂いた感がありました。 遺作展実行委員会の方々、特に先生を書の師とされていた井上氏の熱意に頭が下がります。

その井上氏に別室にとおされ、未表装の数々を見せていただきました。 「 ご縁深き方々、ご所望とあらばどうぞお好きな一枚を。 」  なんと。 なんと。

先生方と書を目にし、文言の意味合いをお話を。
実は当山西連寺、今年10月に親鸞聖人750回遠忌法要をお勤めさせていただく運びになっておりますが、その記念事業のひとつとして「須弥壇納骨」施設の整備を進めています。これは祖父が30年以上前から言っていた事です。 「 須弥壇納骨という事がある。境内地に墓地はなく、納骨堂を建てる土地もない当山。本堂の阿弥陀さまが立っておられる須弥壇の下にならご遺骨を預かる事はできるがのお。 」と。 
父も言っていたのですが縁揃わず、この度いよいよ進める事と致した次第でございます。

その扉の上部漆喰壁面に何らかの文言の額を掛けたいと思っていたのですが、どんな言葉が良いやら、何方に書いて頂こうやらずっと考えておりました。 もちろん、お名号であっても、俱会一処であっても・・とも思いつつも。  その事を中路先生にお話して、「 先生。ご縁です。この書の中にそれに相応しい言葉はありませんか? あれば、わたしは是非それを所望いたしたく。 」
中路先生、黙ってしばらくあれこれ広げておられましたが、一枚を持って立ち上がられて「 これがよかろう。 」 

『 萬寿無彊 』帰宅してどういう言葉か調べてみました。浅学にて。
元々は清の皇帝の長寿を寿ぐ言葉であったとか。 そして『彊』は、『窮』に同じと。すると、『無彊』は『無窮』。『寿』は仏法では< いのち >の意。 『萬寿』は、< すべてのいのち >。     つまり『 萬寿無彊 』は、≪ すべてのいのち、いつまでもどこまでも ≫。

なんと、ピッタリの文言でありました。
そういえば、中路先生も仰っていました。 「いのちに際、隔たりが無いという意味や。 まあ、調べてみておくれや。」   先生には、頭が上がりません。
元はどうあれ、仏法・お念仏に照らされると 「 こうしか読めない 」という事がございます。  皆様に、ご縁ありがとうございました。

西蓮寺十七代住職釈知浩   古書画保存修復師

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