西連寺永代経法要、4月8日。
3月25日の内陣仏具お磨き奉仕、4月2日の総代・お世話方による清掃奉仕を頂き当日を迎えました。
ご講師に三隅・礼光寺の月洞昇道師にご出講頂きました。 2座4席、ゆったり穏やかにお話頂く色々の中で「天」「天人」のお話に殊にこころ動かされました。
「六道輪廻」・・断ち切れぬ罪悪煩悩の為に生まれ変わり死に変わりへめぐり続け抜け出す事の出来ない六つの迷いの世界「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「天」「人間」。
良さそうに思える「天」が何故苦しみの世界なのか、迷いの世界なのか。
ご講師曰く『もっとも行ってはならない世界が、「天」である。』
有頂天という言葉に代表される「天」です。美しきところにてフワフワ浮いて楽しき世界にも映りますが、その実、自覚の無い世界です。
今ある自分を支えてくれてある無数の支え手が見えない世界。
おそらく声も聞こえない世界でありましょう。 地獄にひとつと言っても・・。
等々、お聞きしながら様々な事を考えさせて頂きました。
初めてこの本堂にお参り頂いたお方お二人も含め、方々と聴聞の一日をご一緒させて頂きました。
例年通り、お斎は塗りのお椀で。
台所お世話方々のお心づくし、美味しく有難く。
この日はまだまだ動きが見えなかった藤。境内の白藤。
それから20日経った4月29日。
今年も見事にその姿を見せてくれました。
3月21日朝はまだ少々寒く本堂のストーブに火を入れながら、春の彼岸法座をお迎えいたしました。
9時半、清々しく正信偈のお勤めをご一緒した後 正午までお話を。
その間台所は賑やかにお昼食準備。 正午からお昼食、おぜんざいが。
13時半から阿弥陀経のお勤め、後 4時前までお話。午前午後ともにお茶休憩を挟むとはいえ、45分のお話を4回ですから聴聞いただく同行さま、お元気体力お要りだなあ・・と話しながら思う事でございます。 そういえば、昔は座布団でしたか。 いやはや。
縁あって画家・浅野均先生に描いて頂いた水墨画。
わたしにとっては、これは「 法蔵菩薩 」であります。
そう言いながら裂地を吟味し最近表装した一幅の掛軸をひろげて何故そう見えるのか、この大岩は何なのか・・一枚の画をご縁にお話させて頂いた山寺の春でした。
世間ではすでに桜の便り盛んでありましたこの日、当山この山ではその蕾まだ固く梅や椿がひそやかに花をつけております。
またまた申します。
月日が経つのは早いもので、新しい年を迎え厳しい冬を越え 心身に心地よい春の季節であります。 昨年末にここに書き込んで以来随分月日が経ってしまいました。
以前はもっと頻繁に色々な出来事をそれこそ (あれこれ) 書き込んでおりました事を思えばぐうたらしているのかとのお叱りも甘んじてお受けしなければなりません。
ひとつには。
たまに何年ものこの (あれこれ) を振り返って読み返しておりまして、毎年その季節ごとに変わり映えしない同じような写真と感想文章を書いているなあ・・・と。
日々にこころ震わせる発見と新しい感動と出会いがあれば良いのでしょうが・・・いやいや、それは良くも悪くもありませんね。
同じような事が出来てある、迎えられてあることにこそ有難さが。
「諸行無常」の常ならぬこの世界においては、同じような「相も変わらぬ」事が出来てあることこそ、そう有る事が難しい「希有」な「有難い」ことでありました。
と思いつつこの3か月を振り返ってみますと、色々ある訳です やっぱり。
年末に息子の取材とのことで東京からわざわざ客人が来られたり。(おかげでテレビ東京番組に西蓮寺が少々、住職もインタビュ受けたり)
元旦朝6時から久々に息子と正信偈のお勤めが出来たり。
もちろん御正忌法座を皆さんとご一緒させていただけたり。
新しいいのちと出会えたり。
京都市立芸大で今年も表装講師の大役 (いささかタイトスケジュールで毎年冷や汗の) を無事果たせたり。
大雪の中を無理やり京都島根と車走らせ、何とか無事だったり。
夜が明けるたびにそれは誰も見た事の無い一日が始まり、「今日は一日何事も別段なかったなあ」と言っても 何にも無い日は一日として無いのであります。 どなたにとっても。
さて花の便り聞こえてくる頃 お彼岸を迎えます。 21日に法座をひらきます、どうぞ 皆さま どなた様 ご参詣ご聴聞 お待ち申し上げております。 拝
西蓮寺十七代住職釈知浩 古書画保存修復師
山に囲まれ狸がお参り・・・
そこにあなたも仲間入り・・・
ようこそ ようこそ。
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