7月7日、安居会を開座させて頂きました。 春季彼岸会・四月の永代経・五月の降誕会を中止にしておりましたので、一月の御正忌以来実に半年ぶりの法座。早朝よりの皆さまが交わされるご挨拶の声と笑顔に、本堂が喜んであるような感ございました。
万が一に備え、各所に消毒用アルコールやトイレにはペーパータオルを準備して、近くでお話する時はマスクを忘れずに。 台所の世話役さんはもちろんの事、ご聴聞の皆さまもマスクを持参されての一日。「西蓮寺にお参りの方にどうぞ」と、長岡京市の叔母が浴衣生地の手作りマスクを50枚送ってくれてありました。お一人お一人にお配りいたしました。受け取ってくださる方々の笑顔にあえることも有難し。
安居というご縁にて、お釈迦様当時のお話からはじめて涅槃図を見て頂きながらのお話へ。その中でも四枯四栄の沙羅双樹のお話へ。

午後は樹木のいのちというお話繋がりのつもりで、桜樹と藤を。
昨年86歳でお亡くなりになった隣寺の老僧がくださった一筆箋に添書きされてあった一句。『 見る人も 七百年の櫻木も ともに大悲のみどり児にして 』・・・・・・
そして、11年前亡くなった父が残していたメモ書きにあった句。それをさかのぼること18年前に祖父が亡くなった五月の葬儀に焼香に来て頂いたあるご住職が、境内の零れ散り始めた白藤と祖父を重ねて詠んで下さった句。なんと六首もの句・・・・。   『 耐えいしが 耐え得ずなりて 藤散れり 』  『 散ることは 地に還ること 藤の花』  『 帰るべき 地あれば零(こぼれ) 藤の花 』・・・。 (5月当時の藤)

地・大地は私たちにとっては、このいのち支え続けてあってそして帰るところ「浄土」であり「如来」であり「大悲」といただきます。    しみじみと読ませていただきます。 藤の花を詠んで下さった師も、桜の華を詠んで下さった師も父も祖父も大地界に帰ってあります。

やはり『手』はこころです。 『手紙』はただの紙ではなく、『こころ』が込められた紙です。 メモ書きであれなんであれ、この二枚は大事な手紙です。  その手紙にこめられた思いが、西蓮寺本堂で皆さまにもう一度届きました。  書き留められる方もありました。  ひょっとしたらこの『手紙』、わたしのいたり知らないところまで、どこどこまでも届いてゆくかも知れません。   やはり、死んで終わりのいのちはありませんでした。  その事を思いながら、本堂の外は雨 雨 雨。

新型コロナウイルス感染終息が見えない為、5月連休明けまでだった緊急事態宣言が五月末日まで延長されました。このことを受け西蓮寺で予定していた5月21日の降誕会法座(兼永代経)の中止を決め、有縁の皆さまにその旨を封書にて連絡いたしました。以前新聞等で話題になっていた「新型コロナウイルスの感染拡大を受けて休校しているイタリア・ミラノの高校の校長先生が学校のホームページ上で生徒に向けて書いたメッセージ」とそれに対する私の思いを書き添えて。

ひとと出会うことが自粛という名で制限されて長く日にちが経っています。
どのお寺さんもその様ですが私も法事・お参り事が延期・中止され、ひとに出会って受けている表装のお仕事も無くなり・・・さびしいですね。
そんな中思い立ったのが、「本願寺手帳カバー制作」。ここ住職あれこれ上の(2017・12・8)に書き込んでいますが、浄土真宗本願寺派で得度したものに毎年年末に送って頂く次年度手帳。 ビニールカバーがついている中の紙表紙を抜き取って、 表装用裂地を入れてここ毎年自分だけのオリジナル品という愛着心持って使っております。一昨年のはこれ、 昨年のはこれ、 今年のはこれ、 正倉院などにある昔の裂地の復元織です、今年のは。カッコイイ!・・・でしょ? 

で、それをあるお方によろしかったらとプレゼントしたところ大変喜んで頂いたらしく、「知人にもあげたいが作ってくれるか」との嬉しいお言葉。「一枚、いくら?」と。
「お代はいりません。どうしても端切れが出てくるもので、軸・額等に使用出来ないくらいの端切れでも勿体ないと取っておいたものを使っていますので。売りはしませんが、プレゼントはします。ただ、時間がかかるので何時になるかわかりませんが。」と。

今でしょ! というわけで一念発起。取っておいた端切れ入れをひっくり返し、とりあえず20枚を目指して作業開始。 腰が痛くなるくらいコンをつめても一日5枚、考える時間が結構あるもので。
それでもやり始めると、面白くなってきて楽しくなってきて。無心で作業するはずもなく、心コロコロ。数枚並べたらどれを選ばれるだろう・・・これを選ぶひとはどんなひとだろう・・・・この裂地はひとつ女性用として考えてみよう・・・これを選ぶひとは中々のお目が高い人だ・・・そうだ、あのひとにもプレゼントしようか・・・要らないと言われはしないか、まさかそんな・・・いや、第一手帳を使っておられるか・・・趣味の押し売りはいやらしい・・・プレゼントなどといってかえって気をつかわれるのでは・・・めくりめくってみると、実は見返りを期待している坊主がここにいるのではないか・・・いや、そんな・・・ああ、布施ってムツカシイ・・・。       楽しいもんです。

で。かなり作ったので記録写真撮りました。 いきますよ~!
斜めラインが素敵でしょ。むら染め風裂地。和服に合う女性バッグのよう。ライン切り替えしがシャープ。切り返しまくり。これは時間かかった。。鬼絓裂、今はもう織られなく・・。 どど~ん! どひゃ~ん! 実はまだまだあるんですがね。 どんだけひまだったんですか (笑)

フォトギャラリーに入れればよかったんですね、今気づきました。
何にせよ、ひょっとしたらゴミとしてビニール袋に入れられて焼かれていた君たちがこうして新しいいのちを吹き込まれてここに輝き出でた事を、まぶしく見つめます。
この事の縁になって下さった方々に深く御礼の思いもちつつ、旅立つ日を楽しみに。

4月8日の永代経法要は延期とさせて頂きましたが、寺院の集まり三隅組の総会もあり帰山。 この際この縁に本堂庫裏の襖・障子を全て一挙に張替える事を思い立ち、平素付き合いのある表具材料屋から襖紙等を仕入れて1日から8日まで。 朝から晩まで作業し続けても8日間かかりました。 襖50面、障子大小60枚。

「 紺屋の白袴 」「 医者の不養生 」「 髪結いの髪結わず 」「 易者の身の上知らず 」・・・表具屋の家の襖ほどボロボロになっているものか。
気にはなっていましたが30年以上手を加えていない襖は乾燥しきって裂け破れていました。本堂後ろの法中控え部屋など『 どうしてこの襖、ポスターが二枚も貼ってあるんです? 』と聞かれた事があるほど。大きく裂けているところに金珉氏の仏画ポスターを貼って隠していました。   中々いいと自分に言い聞かせて。
障子は数年前に全て張り替えましたが、誰があけたか大穴小穴。 色も渋く?変化。

やり始めてすぐに思いました。『 やるんじゃなかった 』
やり始めたら仕方ありません、誰訪れる事なき山寺、鳥の囀り聞きながらひたすら。
めったに開けない場所では、朽ち果てて縁が用をなしていない襖を見つけて暫し茫然とし、ネズミの死骸に遭遇し、子供を産んだ猫の追い出しに格闘し・・・。

世の中、新型コロナウイルスで朝から晩まで都道府県の人数が報道される中。
裏山の遅い桜は咲き誇り 梅は緑葉を纏い 椿は茶色に崩れ 水仙は最後の力を振り絞り 鶯は誰も聞いていなくても練習を重ねて上手になりました。

『 ほとけさま おてんとさま おかげさま おたがいさま 』
互いに繋がって、縁に触れ咲いて散って生ききる姿に教えられる事多い日々。

うつらない様にではなく、うつさない様にとマスクマスク。
ウイルスでひとに迷惑かけて害なして命まで脅かすだけでなく、そのマスクの下の口から出るのは四つあり!と仏法。
《 妄語 悪口 両舌 綺語 》 嘘をつき、悪口言って、二枚舌使い、おべんちゃら言う・・・・。   ひとを傷つけ自分を滅ぼします。   ご用心ご用心。

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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