割合穏やかな年明けを迎えた元旦。朝6時のお勤めには大人子供7人のお参りを頂きました。
正信偈のお勤め・ひと言のご法話の後、本堂にて住職がおひとりおひとりに抹茶を点てさせて頂きました。 早朝寒い中ご一緒下さるのです、元旦の恒例といたしましょう。 もちろんお饅頭付き。

御正忌の前に一度京都に出ていたところ、滋賀のお寺の総代さまからお電話いただきました。
以前ご住職からの依頼で内陣の御軸修復をさせていただいておりました寺院。
お話。昨年ご住職が突然亡くなりに。生前に『 この御軸を修復したら全ての修復が整う 』と仰っていたのを自分だけは聞いていた。それをやりきる事なく亡くなられたが、何とか前に進めようと役員総代集めて何度も話し合って予算を準備した。あなたに依頼されていた記録があるのでこの度もお願いできないか・・・。とのお電話。 

日時をご相談し、今までの修復記録写真や裂地見本持参して車で行ってまいりました。
『 いい時代の画ですねえ、寂如上人の代のものでしょうか 』裏書き見ます。住如。一代ずれていました。  『 裏に何か書いてあるんですか? 』『 いいって何か違うんですか? 』 『 時代によって顔料の良しあしありますし、線の細かさ丁寧さも違います 』 
『 親鸞聖人はどこにおられるんですか? 』『 ここ、ここ、ここも。これが一幅目。下から上に時が流れて描いてあるんですよ 』『 順番に並べてみてもいいですか? 』『 はいはい。 』・・・・・随分熱心な時間が流れました。

ご住職の思い出話もされながら。      みなさまにとって大事な大事なご住職であった事が伝わってきます。  親しく丁寧にご一緒されてあった事を思います。  あたたかいなあ・・。

さて、わたしだったらどうだろう。  わたし亡きあとどうだろう。  考えながら大事に御軸を預かって車で京都に走り帰ります。

12月10日11日、兵庫県たつの市・寶林寺さま報恩講。二日間比較的暖かな穏やかな日、今年最後の布教のご縁を頂戴いたしました。障子越しに聞こえる庭池の水音の中、控室に流れ聞こえてくる声明の美しい音声。  本堂では多くのお同行さまの熱心なご聴聞。   得難き一期一会のご縁を頂戴いたしました。

どのお寺さまにもお斎にそのお寺ならではの伝統の逸品がございますが、こちらで出会ったのは大きな「お大根」。お椀のなかには昆布・お揚げとともに、こんなに厚く切ったらいったいどのくらい炊き込むのだろうと思うほど大きなお大根。  しかも初日と二日目は味が違いますから台所風景の想像をふくらませながら頂きます。  もちろん美味しく。

最後の席を終え控室にお茶をお出し下さる坊守さまがご丁寧にご挨拶くださいました。
『 忙しく動いて中々本堂に座れませんでご無礼しましたが、庫裏にもお話が聞こえるようになっておりまして動きながらも聞かせて頂いておりました。 』『 遠回り・まわり道するからこそそこで見える景色がある、出遇えるひとがある・・というお話に・・。』 

極める・極めない、極とは完結すること。極めず永遠の螺旋を描きながら歩み続ける・・というお話に何かを感じて頂いたご様子。

亡父が言っておりました。
『 もし、よいお話というものがあるとしたら。それは話すほうに手柄があるのではなく、聞くひとのほうに手柄がある。 聞くひとがその人生を通して話を聞かれるのであるから、頷きはそのひとの歩んできた人生に手柄がある。 』と。
その言葉を思い出しました。
その言葉とそれを話す父の姿を思い出させて頂いた、このご縁でもありました。

有難うございました。

10月29日当山報恩講。 ご講師は遠方京都より中央仏教学院講師を勤められる正光寺・大八木正雄先生、ご無理申し出講頂きました。
雑草と見がちな私たち、ひとつひとつに名前がある野草のせめぎ合いつながり合って生きている言葉の無い世界での営みのお話。 
授かったいのちを< 我がいのち >と握りしめ老病をダメなものとしか受け止めず、繋がりある< 大きないのち >を見失う私に本来の歩みに立ち返らせる願いの声がある、とのお話。
堂内のひとりひとりに語りかけられるような終始穏やかなお話しぶりに、引き込まれます。  そうであっても、あの人はダメつまらない人間だと思う事があった時。そこに本当につまらない人間がいるのか、それともその人のいい所を見出せない自分がいるのか、よく考えてみなさい!・・との厳しいご指摘も頂戴いたしました。

昨年より多くのお参り、嬉しいかぎりです。
数日前から清掃のご奉仕に来ていただき、 <おひら> <おつぼ> の野菜の切り方・煮る順番も大先輩から教わりながら確認。   当日は早朝よりエプロン持参、おのおの仕事見つけては走り回っていただいた台所。  時間が空けば本堂聴聞に走られます。

小さな子も楽しそうにお手伝い。大事に大事にご飯を置く ぷっくらした手。  最後のお椀かたずけまでしてくれて、ちょっと一服。 
お手伝い誉めてくれる方々のお声がパワーの源です。  大事な思い出になってくれれば。

毎年恒例のご近所の[ 大河ドラマ案山子 ]もそろそろ幕引き。
まだ肌色の南天もそろそろ赤くなろうかと目論む頃。
次第に厳しい頃へと向かいます。みなさまのくれぐれものご自愛を念じ申し上げます。

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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