『 お帰りなさい。』

この連休も行ったり来たり走り回っておりました。「住職あれこれ」ならぬ「住職あちこち」といったところでしょうか。
その中でもひとつの大きな出来事は昨年亡くなった叔父の西蓮寺への納骨でありました。

8人兄弟姉妹であった父の一番下の弟( 男4人が亡くなり、今男1人・女3人がいてくれてあります )、大阪・茨木市で暮らしていました。79歳。いつ出会っても穏やかで小さい時から大変お世話になった叔父。  家族一緒であったりひとりであったり、よく帰ってこられていました。 納骨の5月4日には、大阪府・神奈川県より叔母さん・息子家族・娘家族の7人揃ってのご参拝でした。本堂にてお勤めのあと裏山の正面< 無礙道 >と彫られた墓所に遺骨を納めて皆でお参りいたしました。いいお天気でした。

30年も前に祖父が私に言った事を覚えています。
「わしとおばあちゃんはあんまり長くない。お前のお父ちゃんも順番にいったらそのうち居らんようになる。その時じゃ。   大阪京都にお前の叔父さん叔母さんらがおろうや。 あれらはよう帰って来てくれるが、親のわしらが居らんようになったら帰りにくくなるかも知らん。まだ兄さんが居ったらまだええが、それも居らんようになったらいよいよ帰りにくくなるかも知らん。その時じゃ。   ええか。  あれらが帰ってきたら、お前は『 お帰りなさい! 』言うて迎えてやってくれえのお。 『 いらっしゃい 』じゃのおて『 お帰りなさい 』言うて。
あれらはここで生まれたんじゃけえの。 お帰り、いうて迎えるもんが居らんと寂しいけえのお。  あれらはここに帰ってくるんじゃけえのお。 」

30年経ってもまだ覚えています。叔父叔母が帰ってくる時にはいつも思い出します。

< 帰るところ >は大事です。今日帰る家、そして人生終えていのち帰するところ。
帰るところと聞くと、仏さまの願いの声を重ねて思います。 ≪ あなたのいのち帰るところはここですよ ≫ ≪お願いだから帰って来ておくれ ≫の声です。

死んだら終いで何にも無くなるだけ、だからこそ生きてるうちに楽しむだけ楽しんでおかなければ。という方ありますが、本当にそうでしょうか。目をそらし考えないようにしていたとして、その楽しみは本当に楽しいでしょうか。
旅行にいってどれだけ美味しいご馳走を食べ、いいお湯に入って珍しい風景を見ても、帰るところあっての事です。あなたこの後どこに帰られますか?と聞かれ「さあ、どこでしょう。」「帰るところなんかありません」というひとは、楽しんでいるようでその奥に不安が常にあって実は楽しめていないでしょう。   ( 家に帰って、ああやれやれ。家が一番って言うのは又少々別としても )

楽しい事をしても家に帰っていき、辛いことがあっても家に帰っていきます。帰るところあってこそ、楽しい事も辛い事も本当に自分のものになる自分のものと受け止めていける。全てが何一つ無駄な事なく自分の人生の荘厳に育てあげられてゆく。

叔父にはもちろん大阪に、家族で築かれた毎日帰っていく大事な家庭がありました。そこも待っているひとのいる大事な帰っていくところ。 そしてここ西蓮寺も帰るところに間違いありませんでした。
「 お帰りなさい、叔父さん 」と思いながらお勤めさせて頂きました。

まとまらない事を書いてしまいましたか。
もう少しゆっくり時間をかけて、色々な言葉をたよりとしながら思いを深めます。

西蓮寺十七代住職釈知浩   古書画保存修復師

山に囲まれ狸がお参り・・・
そこにあなたも仲間入り・・・
   ようこそ ようこそ。

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