お墓移転。
夏の午後、ほとんど道なき道を登って古き墓標ならぶ山の中腹へ。
都会へ出ておられるお方、この度お墓移転 の為最期のお勤めをと。 「墓じまい」という言葉が生まれるほどに日本全国お墓事情が変化する中、ここ岡見でも色々な事情をお聞きしながら様々な場面に出会っております。
お子さん方は里を遠く離れて家庭を構えて生活されていて、おじいさんおばあさんがお亡くなりになるとその家にはもう誰も住まわれなくなり、お墓だけ残る・・・さて如何いたしましょう・・。 わたしの代は、わたしが出来るだけ帰郷してお参りさせてもらうが、孫の代は果たしてどうなるか・・。
嫁いだ娘しかおらず、先々私たちが入るこのお墓は誰もお参りするひと無くなるんではないだろうか・・。
自分たちには子供がおらず、主人の遺骨を納めてあって私も入るつもりのこのお墓、それでいいと思っていたが最近何やら色々考えて・・・。
『 聖人さまが< 自分の亡骸は、魚のいのちになってくれるのなら川に流してくれ >と仰ったように、わたしの亡骸もどうしてくれても一向にかまいませんよ。 』 と仰る声も実際にお聞きしているように、仏さまと等しい身となるならない・迷う迷わないという事と遺骨がどう取り扱われるかという事は直接かかわり無いとはいえ、後に残った者としては決して粗末には出来ません。
ご遺骨がその方そのものでなくお墓の下にその方がジッとしておられるのではないと分かっていても、その場に行き偲び話しかけ、声なき声を聞かせてもらおうとする事もまた・・。
『 お寺には墓地か納骨堂はないんですか? 』 『 お墓を都会へ移転してもいいのですが、この石見の土地で生きた先祖さん方を見知らぬ土地へお連れするのも・・。』 というお声を何度かお聞きしていますが、西蓮寺には墓地も納骨堂もありません。 この度、本堂内須弥壇下にご遺骨をお預かりする場所を整備することにいたしました。 総代方と相談しての事でありますが、わたしからの発案ではありません。 実はもう40年前に既に先先代・祖父が言っていた事であります。
『 うちには墓地も無い。納骨堂を建てる土地も無い。 』 『 須弥壇納骨という事があるらしい。東本願寺の本堂の阿弥陀さまが立っておられる須弥壇の下には納骨施設があると聞く。 』 『 うちもそれなら出来るかも知れない。 だんだんにそういう施設が必要な時代がくるかも知れん。 』 と言っていました。 何とも先見がありました。 その頃は、何でそんな事・・と思っていたものですが。
趣旨をお伝えし寄付金を募りながら進めております。 「 うちには必要ない 」 と仰るお方もありましょうが、何年先どんな事になるかは分からないのがこの世。 その時の選択肢のひとつとなるように。
そして、ご遺骨納まっているからと本堂に上がってお参りくださる方あれかしと。 さらにご遺骨ご縁にて、お座の日に聴聞に座って下さることあれかしと。 そのご縁になって下さる方、正しく≪ よろこび護りたまう ≫ 諸仏であります。
西蓮寺十七代住職釈知浩 古書画保存修復師
山に囲まれ狸がお参り・・・
そこにあなたも仲間入り・・・
ようこそ ようこそ。
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