
バッチ・グーの手。
1949年、奈良・法隆寺金堂炎上。 その壁面東西南北いっぱいに描かれていた7世紀の壁画が消失してしまいました。 仏の世界を言葉でなく、画で表わそうと全ての面を描き尽くしてあった堂内。 その中にひとり身をおけば如何なる感情が湧きあがっていたでしょう。
消失前の資料を元に多くの画家・絵師がその美しさを 《 模写 》 しておられます。 1000年以上経った昭和の時に残っていたその時の姿を、剥落しているところはそのままに。 これは6号壁・阿弥陀浄土図の部分< 阿弥陀如来 >。 縦150cm横100cmと大きな画面。
この両脇には観音・勢至両菩薩、上部には天蓋、下部には多くの菩薩方が描かれていた面の一部。
寸分狂わさず白描からおこし顔料を吟味し、絵筆を持っては 元を描いたひとがかけた時間より遥かに長い時間が必要とされたでありましょう。 日本画の中でも《 模写 》を専門に学んだ知人友人は多く、制作にあたっての色々な話を聞かせてもらっております。 『 出会った事の無い、自分より遥かに腕のいい元を描いた絵師との勝負ですよ。 』 と語ったヤツもいました。 『 なぜこの線で描くのか?何を意図してここを?・・模写は、描いた作家との時間を越えた対話です。 』 と語った方もいました。
どの方も模写作品でなく自身のオリジナル?の画は素晴らしいです。
蓄積された経験・技術・思索の裏打ちあっての事でしょうが、それを前に出しては感じさせない画。 画家に限らず、経験なり手柄を 《 振って振って振りまわす 》 モノの多きこの世間。 ( わが身を入れて )
どこ吹く風と、 なんとも頭が下がる画に遇う事があります。