ラーメン修行僧。

《 一人一光 》。 どなたであれ真摯に丁寧に生きているひとには、誰かに語るべき大事な話( 教え )が必ずひとつはある、と。

先日、『 出産したらしばらく行けなくなるから行っておいた方が良いと言われた。 』 という娘に誘われて久々にラーメン屋なるものに。   どうせなら少々足をのばしてと、京都も北の方 白川通りあたりへ。

『 ここか? これ ラーメン屋か?』   『 地図からするとここしかない・・。』  『 ほんとか?』
看板もない、のれんにも何にも書いてない・・・おや、申し訳程度に小さく 《 一三〇 》 。
《 伊佐夫 》 のはずだが、ロゴがかわったのか。 

ラーメン屋なら 『 へい、らっしゃい! 何名様?! 』 と威勢良く迎えられそうなのに違う。
カウンター10席ばかりの喫茶店の様な明るい店内、 数名の客にラーメンを作っている細身のふつうの家着風の若い店主がチラリとこちらを見て 『 いらっしゃい。 』・・・・消え入りそうな声。      大丈夫か。 

店内には様々な干し魚。   そう、魚貝スープの店。  娘は< 羅臼昆布と帆立  >、わたしは本日のスープ< エソ >を。     かなりの時間待つ。    来ました。    飲みました。 

『 う・・・うまい。 』  顔を見合うふたり。  黙って互いのを貰い合う。    『 う・・・・うまい。 』

随分と研究されたのであろう事が十分うかがえる 。  極々あっさり、実に繊細な上品な味。

静かに次のひとのものを作る髭をたくわえた店主は、どこか修行僧にも見えてくる。  ひたすら道を求め、味を求めて来られたのであろう。   そのため どこか 身体も壊しながら・・( 個人の感想です ) 

少々話しかけてみるが、穏やかに振り向かれるだけでほとんど話されない。
何かスゴイ話、語るべき教えを 持っておられそうなのに・・・それを引き出す器量がこちらに無いのが口惜しい。

仏法は鐘と一緒で、大きく叩けば大きく響く。小さく叩けば小さく響く。     《 問う者 》 が問われる、と。

今度行く機会があるかどうか。  大きく叩いて話を聞きたいひとであった。

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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