
遠方より来る。
高校野球、龍谷大平安高校が決勝進出。
父がいたら、さぞかし喜んでいたでしょう。 ・・・さぞかし。
平安中学出身( 現平安高校 ) の父は生前中、甲子園出場の度やってくる寄付金依頼に応えていたらしく、御礼の記念品《 HEIAN 》の手ぬぐい・団扇・扇子等を家の中でよく見かけていました。
大判のタオルが来た時など 『 お金も無いのに、いったい幾ら寄付したの! 』 と母に叱られていましたっけ。
テレビでの試合には手を叩いて応援し、喜んでいました。
その平安中学時代の同級生のご家族が明後日、西蓮寺を訪ねて来られるとの連絡を受けました。
故・盧盛源氏の奥様と息子さんとお孫さん。
京都の平安中学の寮 に入っていた父、夏休みになると皆が帰省していく中、ひとり帰らず寮に残るという青年・盧盛源くん。 聞けば、故郷は台湾なので帰らない・・・帰れないと。 ( 戦中か戦後か定かでありませんが )
可哀想に思って、 『 島根のうちに一緒に帰るか? 』 と、声をかけた父。
後々、兄弟会での思い出話に、叔母たちが言っていました 『 家族・兄弟が多いし貧乏で食べるものも少ないのに、友達連れて帰ってくるからビックリした。 』 と。 ・・・『 そう言うけどなあ、たったひとりで残るんぞ。 情けなさそうで、可哀想で見ておれんかった。 』 と、父。
それから 、日台間で事業をされるようになった氏は 『 あの時の事が忘れられない。 』 と毎年年末にびっくりするくらいの贈り物を届け続けて下さっていました。 晩年には父や叔父叔母を台湾まで招待して下さったとも聞いています。
『 昔々のあれくらいの事でなあ・・・恩深い男だ・・。』 と言っていた父も亡くなり、氏もお亡くなりになりました。
氏は、『 お互いの息子たちを 是非、会わせておきたいものだ。 』 と仰っていたそうです。
だからであるかどうか定かではありませんが、明後日初めてお目にかかります。 山寺へおいで頂く事、嬉しく思います。 一晩泊って頂けるそうです。
わたしにとっても、父が随分喜ばせて頂いたご家族です。 ご接待する事を楽しみに 京都から車を走らせます。
坊主の少々の手料理もガンバってみましょう! 料理、お助け下さる方もあるそうですし・・。
お酒、呑める方々だったらいいなあ・・・。
《 縁ありて 花ひらき、 恩ありて 実を結ぶ 》