大晦日。
大晦日。
年末、ご門徒さまにお出しした挨拶状を ここ 「あれこれ」 にても。
『 〇 師走の候。皆さまにおかれましては、ご清祥にてご法義相続の事とお慶び申し上げます。
平素頂いております西蓮寺へのご厚情、厚く御礼申し上げます。
〇 来年度の「お念仏カレンダー」と、「西蓮寺法座ご案内」を送らせて頂きます。
うかうかしていたら『 石が坂を転がる如く 』加速度をつけて過ぎ去ってしまう毎日。暦を見つめつつ丁寧な一日を 迎えながら 人の為でなく「私の大事な歩みの為」にと 仏法聴聞にこの山寺の本堂に足をお運び頂きます事が、 大きな喜びでございます。
〇 今年もあちこちでよく耳にした言葉、『 もう、役に立たん様になった・・。』 『 昔は、少しはひとの役にも立った し子供も育てあげたが、今はもう・・。 』
体力・気力・記憶力・・確かに一番いい時のままに、とはいかないのがこの世の常ではあります。
逃れ難い現実ではありますが、歳をとるのは《 悪いこと 》でも《 つまらんこと 》でもありません。
ましてや、どんな状態であっても《役に立たない》などとは 決して言わせない!・・と仏法の叫び声。
〇 夏法座ご案内状に《 夏炉冬扇 》という言葉を紹介しました。 夏の囲炉裏・冬の扇、辞書を引けば「 季節はずれ・役立たず 」の意味と。しかし、仏法に照らせば「 今はそう見えなくても、やがては役に立つ 」事をあらわす言葉である と。 同じ言葉にふれても受け止める世界はひとつではありません。
〇 この言葉からさらに申せば。 冬の扇は役に立たないように見えて、実は大事な仕事をしているのです。何も ないところから急にモノは生まれません。夏に手にしてもらえる様に、冬の扇は
「そこにいる」という大きな仕事をしているのです。何もしていなくても、黙ってそこに「 いる 」という事がすでに大きな 仕事であります。居てもらわないと困るのです。
〇 さらに申せば。 扇はやがてボロボロになり囲炉裏で焼かれる日がくるでしょう。 誰かに暖かさを与え、灰になるでしょう。 それでも終わった訳ではありません。 灰になって、炭の寝床になりました。 やがて、囲炉裏から出されて畑に撒かれるでしょう。 それでも終わった訳ではありません。土となって草花のいのちを育みます。 大地となって人が歩む「 ささえ 」となります。 いのちを育み、ささえとなりました。もとは扇と誰も知らなくても、大きな大仕事をしつづけていきます。
〇 キリスト教徒でありシスターである渡辺和子さんの言葉です。
『 本来なら昭和2年に生まれた私にとって、今日は最も歳をとった日です。でもこれから先の人生を考えれば、今日 より若い日はないのではないでしょうか。 』
確かにその通りです。 そして、『 毎日を 一番若い日 として生きましょう! 』と。
〇 《 「往生」とは、終わりのないいのち を生きる事 》
若い人がお寺に来ない、とのご心配のお言葉を聞きますが、なんと、おいで下さった皆さんが「若い人」でした。 一番若い皆さまと出遇わせて頂きます事を楽しみにいたしております。
金台山 西蓮寺 拝 』
どうか みなさまにとって 輝きある新しい年を 迎えられます事を! 栗山 知浩 拝
西蓮寺十七代住職釈知浩 古書画保存修復師
山に囲まれ狸がお参り・・・
そこにあなたも仲間入り・・・
ようこそ ようこそ。
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