
大事な思い。
高校時代の同級生のご両親からの修復依頼。
痛みの激しい阿弥陀如来本尊絵像軸、『 今は新しい御軸を掛けていますが、これはウチに伝えられているものなので必ず大事にするように、と先代から言われています。 』
剥落が進み、裏書きも判別が難しいほど。 過去に一度修復されていますが、それでも破れてきたので糸で縫い合わせたりセロテープを貼ったりと、涙ぐましい ≪ 痕 ≫ が・・。 裏書きも可能な限り綺麗にして、頼れる先生の所に持参して相談したところ、本願寺14世・寂如上人の名と花押であると。
寂如上人、1662年(寛文2年)父・13世良如上人急逝により、12歳で本願寺門主に。( 江戸幕府でいえば4代・徳川家綱のころですね。 ) 数々の大きな業績を残され1725年(享保10年)ご往生。
ざっと300年前のご本尊。 あの当時のことです、新幹線もバスもありません。何週間もかけ歩いて歩いて京都本願寺から島根石見国まで来られました。距離は今も変わりはありません、ほぼ500kmです。 感激をもって迎えられ、お祝いの< 入仏法要 >が勤められたでしょう。 何十年も百年も手を合わす生活をする家族と共にあり、そのうち御軸の傷みが出てきたので修復され綺麗に丈夫になって帰って来られました。 そしてまた何十年百年たち、あまりの痛みに申し訳なく 新しい本尊絵像が迎えられ、この本尊は巻いて箱に納められお仏壇の引き出しに。 『 必ず大事にするように。 』との言葉とともに何十年百年。
保存しやすい様に軸を大きくしました。 もちろん大事な裏書きも。
代々の方々の ≪ 手を合わす生活をしてくれ ≫ との思いが今又新たに。