聞こえます。

 『 娘と 三国連太郎の <白い道> の絵本を見てるんですよ。 』 ・・  『 え~! 絵本があるんですか!? 』

先日の 画家方との懇親会での会話です。       そこから、廻りの人を巻き込んだお話が進みます。
『 親鸞っていう人に とても興味があるんですが、あんな方だったんですか? 』
『 宗教って・・・・ 』   『 仏教って・・・・』   『 私の知人が イスラム教に・・・』
『 それは どう言う意味の・・・・』        ・・・・・・・。

 この時も思いました。   いつも思っていて、言葉にもしていますが < 耳を傾けてもらえるまでの作業 >が どれだけ 大切か。

 法事なんかで 初めて会う坊さんの話は 「 まあ、そう言うんでしょうねえ。 」 「 はいはい 良いお話ですね。 坊さんですからね。 」   って事で終わりになりがちです。  その空気を感じます。  その時は 聴いてても聞かれてない事が多いような。
 耳を傾ける時は、例えば どこそこの仏教の大学の教授のお話です・・とか 有名なお坊さんのお話です とか・・。  それが 聴く耳となる事がありがちです。  ( 私はどちらでもないので 卑下も入りながら ) それも 大事な耳の開かれ方でしょう。      私には何もないので、一緒の事をして 一緒の経験で汗流したり 笑ったりして、それを過ごして < ああ・・この坊さん、自分と何も変わらないんだ >       で、この チョッと自分より仏教に親しんでいる人に聞いてみようかな・・。 と、 聞いてみようかな? って その時に、耳が開かれるんです。  聞く気の起こった人というには、素晴らしい <問い> を出されます。      私の学びとなる程に。   楽しいです。 そして その <問い> を共に考える事が 僧侶の勤めです。


 何度も言いますが、この事が無いと出遇う事が無かった方々と出遇え、しかも 仏法の話の夜を共有させてもらえました。  この日は忘れられてもいいんです。       いつか、 < ああ・・あの時の話、こういう事だったか > なんて 思って貰えたらいいですねえ。      そう。   この為に 栗山は 一生懸命・・・お酒を呑んでいるんです、身を粉にして。   ・・・・・・

 < おい、それ 違うだろ! どっかで ズレタみたいだぞ! > って、 誰かの ツッコむ声が。

 

 

西蓮寺十七代住職釈知浩

古書画保存修復師

緑に囲まれた山寺

  春 鳥の声、 夏 蝉の声
   秋 虫の声、 冬 雪の声
 
     ようこそ ようこそ 

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